68.そして一か月後
――1か月後
「はあーーーー! 終わった終わった!!」
数秒前までにこやかに手を振っていた私は、見送りのフォロン公国の使者が見えなくなるやいなや、思いっきり伸びをした。
久しぶりの解放感で思わず頬が緩む私に、目の前の席に座るギルジオが厳しい顔で咎める。
「おい、そのだらしない顔を誰かが見ていたらどうするんだ」
「国境は超えたんだし、どうせここまできたら誰も見ちゃいないわよ」
私たちは、フォロン公国との戦争を回避することに成功し、イフレン帝国への帰路についていた。私の手には、フォロン公国の王、ユーチェンからの和平の手紙がしっかり握られている。
1か月ぶりのイフレン帝国の帰還に、私の胸は踊りに踊っていた。
「はあ、久しぶりのカリガルに戻れるんだわ。本当に嬉しい」
フォロン公国での生活は、思ったより丁重にもてなされたため、なんの不便もなかった。しかし、それでもやはりカリガルでの生活が恋しくて仕方なかったのだ。
第一、フォロン公国の料理が問題だった。
フォロン料理は、全ての料理がとにかく辛いのだ。しかも、辛ければ辛いほど美味しい、とされているらしく、宮廷料理になると、口に入れた瞬間に涙が出てしまうほどの辛さになる。
多少の辛さなら美味しく食べられる私だけれど、フォロン料理の辛さはさすがに堪えた。いくら水を飲んでもしばらく舌がひりつくくらいの辛さの料理を毎日三食食べるのは、さすがに辛すぎたのだ。
結局みるみる私の食欲は減退し、最終的に果物しか口にしない生活を半月も続けてしまった。
(ユーチェン姫からはもっとフォロンに滞在してほしいって言ってくれたけど、さすがにこれ以上フォロンにいたらやせ細って木の枝みたいになっちゃうわよ……)
ただでさえ少し控えめなサイズの胸が、さらに控えめになってしまっては困るのだ。
「はあ、早く帰りたいな。帰ったら、とりあえずまずはカリガルじゅうの美味しいケーキ屋さんのケーキを片っ端から集めましょ! これくらいの贅沢なら許されるでしょう」
大量のケーキを想像してよだれをたらしそうになる私に、前の席に座っていたギルジオが、呆れた顔をした。
「どうせ、フォロンでの生活よりカリガルに帰ったほうが絶対忙しくなるぞ」
「あー、そうよね……。確かにそうだわ……」
ギルジオの一言で一気に現実に引き戻された。
1か月前、フォロン行きを急に決めた私は、ろくに仕事の引継ぎしないまま飛び出してしまった。オフェリア商会の従業員は皆んな私が選んだ優秀な人たちだけど、それでも机の上に私のサイン待ちの書類が山積みになっているに違いない。
あからさまに顔が曇った私に、ギルジオは腕を組んで複雑な顔をしてみせた。
「……まあ、この俺が手伝ってやらんこともない。二人がかりでやれば、すぐに終わらせられるだろう」
「あれ、どうしたの? やけに優しいじゃない。風邪でもひいた?」
私がギルジオに熱がないか確認しようと手を伸ばすと、ギルジオは額に青筋を浮かべてそれを叩き落とした。
「余計なお世話だッ! 俺はいつも通り、問題ない。まあ、……あれだ、……お前は戦争を回避するという偉業を成し遂げたんだし、多少優しくしてやってもバチは当たらんだろうと思っただけで……」
人を褒めようとすると途端に歯切れの悪い口調になるのは相変わらずだ。私は苦笑した。
「……まあ、そうねえ」
「なんだよ、その気のない返事は」
「だって、あんまり実感わかないんだもの。フォロンでの日々は、魔法とか、呪いとかさあ、色々あったじゃない……」
「……俺や兄上も、多少魔法くらい使える」
「それでも、フォロンの魔術師ほど強力な魔法は使えないでしょ?」
「兄上ならできるぞ!」
「はいはい、ライムンドはギルジオの自慢のお兄ちゃんだもんね~。まあ、正直ユーチェン姫が魔法で操られているなんて思ってもみなかったじゃない?」
私はぼんやりと、この一か月あったことに思いを馳せた。
*
『戦争を必ず回避します』
アマラ様にそう誓った私は、数日で国じゅうからかき集めた大量の水の入った樽とともにフォロン公国の首都バリズに向かった。
もちろん、フォロン公国側の強権派の貴族たちは私たちを歓迎しなかったものの、大量の水を見たとたん、態度を急変させた。それほどまでに、フォロン公国は水不足にあえいでいたのだ。
『この大量の水と引き換えに、ユーチェン姫会わせてください』
私たちがそう要求すると、ユーチェン姫との拝謁は思ったよりすんなり叶った。
強権派の貴族たちに連れられて出てきたユーチェン姫は、目を見張るほどに美しい少女だった。
フォロンの伝統衣装である、ゆったりとした簡易的な服を着ているのにも関わらず、神々しい雰囲気を纏っている。髪は黒色で艶やかで、黒く長い睫毛に縁どられた澄んだ薄灰色の瞳はキラキラと輝き――どこか焦点があっていなかった。
優美な話し方も、完璧な受け答えにもかかわらず、どこか引っ掛かる。
(おかしいわ。どんな話題も無難なものばかり。当たり障りがなさすぎる……)
違和感を覚えた私は、すぐにユーチェン姫のステータスを表示した。
―――――――――――――――
なまえ:ユーチェン・コン・ユー
とし:14
じょうたい:こんらん さくらん
すいじゃく えんかくそうさ
スキル: カリスマ
ちから:C
すばやさ:C
かしこさ:A
まりょく:B
―――――――――――――――)
(状態が、混乱、錯乱、衰弱に、……遠隔操作まで!? どうなってるのよ!?)
これは明らかにおかしい。
フォロン公国では、今でも魔法の研究が盛んだということは、知識としてはあった。しかし、フォロン公国での魔法とは、いわゆる黒魔術と呼ばれる、人を意のままに操ったり、錯乱状態に陥らせたりするものだったと聞いたのは後になってのことだった。
とにかく、ユーチェン姫はその黒魔術の餌食になっていたのだ。
しかし、ステータス表示をすれば、一発で誰が黒魔術を使っているのかすぐに見破ることができる。
私たちはすぐにユーチェン姫を操っていた魔術師の正体を暴き、魔法を解除させた。
(神様にもらったスキルが大いに役に立ったなあ……)
理想的な結婚相手を探すために神様にお願いして授けてもらったスキルだったのに、まさかこんなことに使えるなんて思いもしなかった。
正気に戻ったユーチェン姫はすぐにこれまでの強権派のやってきた所業について私たちに謝罪してくれた。ユーチェン姫を操って国を荒廃させた黒幕の貴族たちは、すぐにユーチェン姫の命令で囚われ、しかるべき裁きを受けたらしい。そして、強権派によって監禁されていた優秀な宰相たちは再び政治の舞台に舞い戻った。
こうして、フォロンは1か月も経たないうちに激変した。
しばらくは大変だろうけれど、フォロン公国内は再び元の賑やかな国に戻るだろう。
ユーチェン姫も、まだ年若いけれど、前の王を支えた経験豊富な宰相たちがいれば大丈夫だ。
それに、ユーチェン姫を支えるのは前王を支えた宰相だけではないわけで――……
*
「まあ、サンドロもユーチェン姫のそばにいるし、なにかフォロン公国内で不穏な動きがあればすぐ連絡が来るでしょう」
私がニコニコと微笑むと、ギルジオは眉間に深い皺を寄せた。
「……サンドロ・ジャンジーニをフォロンに置いてきて、本当に良かったのか? アイツは、まあ優秀な人材だったじゃないか。すぐに商会中の女を口説く気に入らないヤツではあったが……」
「まあ、本人がフォロンに残りたいって言うんだもの。しょうがないじゃない」
私はあっけらかんと答える。
実を言うと、フォロン公国に渡った時、従者として一緒に連れて行ったのはギルジオだけではない。
『いざとなったらサンドロにユーチェン姫を魅了してもらって、和平協定を結ばせた後、トンズラするわよ!』
という、きわめて単純かつ無謀なアイディアのもと、魅了スキルを持つサンドロも連れて行ったのだ。
(まあ、冷静に考えれば私も黒魔術のことあんまり悪く言えた立場じゃないわよね。だって、サンドロの魅了スキルをつかってユーチェン姫を操ろうとしていたわけだし……)
私は内心苦笑する。
とにかく、サンドロは「お嬢さん以外の女の人を落とすくらい楽勝だ」と笑いながらついてきたものの、色々あってユーチェン姫と劇的な恋に落ちてしまった。聞けばお互い一目ぼれだったらしい。
ひと月と言う時間は、二人の愛が深まるのに十分な時間だったようだ。サンドロはユーチェン姫に愛を語り、その愛をユーチェン姫は受け入れた。
そして、サンドロは故郷に戻らず、フォロン公国という異国の地に残り、最愛の人を支えると決めた。
「女ったらしで息を吐くように女の子を口説いてきたサンドロが、ユーチェン姫の前では顔を真っ赤にさせてしどろもどろになるんだから可愛いかったわ。ユーチェン姫も表ではツンケンしながら、サンドロのこと大好きみたいだったし」
「フン。相手は一国の王だぞ? 身分差で、結局はうまくいかないに決まっている」
「やだ、ギルジオったら知らないの? 障害があるほうが恋愛って燃え上がるんだからね」
はあ、と甘やかなため息をつく私に、ギルジオは鼻でせせら笑った。
「お前はいつまでたっても夢見がちだな。頭の中に蜂蜜か何かが詰まってるんじゃないか?」
「そうやってすぐ皮肉を言ってくる! 私くらいの女の子ってみんな夢見がちなんだからね。もっと女心勉強したらどうなの? そんなんじゃ一生結婚できないわよ」
「べっ、別に……、結婚する気はない」
「は、はあああ!?」
思いがけないギルジオの返答に、私は唖然とした。
サンドロとユーチェンの話はいつか書きたいです。
チャラ男×生真面目女王はいつだって大正義なので…!





