67.危険な場所へ
私を見つめるアマラ様の視線に胸がぎゅっと締め付けられるような感覚に陥って、私は小さく身体を震わせる。
あの瞳は、まるで私の姿を目に焼き付けようとしているようだった。これから戦場へ向かう息子を見送る、母親のような――……
(変に感傷に浸らないのよ、私。フォロンには死にに行くわけじゃない。さっさと戦争を回避して、一か月後には絶対ここに帰ってくるんだから)
ただし、勝算はある、と言ってしまったけれど、私のアイディアは正直賭けに近い。とにもかくにも、その賭けの勝率をあげるために、私はやることをやるだけだ。
私はペチペチと自分の頬を叩き、大きな窓から夕日が差し込み始めた豪奢な王宮の長い廊下を歩き始める。ときどき従者やメイドたちとすれ違うけれど、人気はまばらだった。
(勝手にフォロン行きを決めたけど、ギルジオは絶対怒るだろうなあ……)
どうやって説明しようかと頭を悩ませたその時、一人歩く私に大股で追ってくる影があった。
「オフェリア、待て! 俺はまだ納得していない!」
聞きなれた声が、私の名前を呼ぶ。そして、振り向く前に大きな手が強く私の手を引いた。その力があまりに強く、私は思わず顔をしかめる。
「い、痛いです、イサク様」
「すっ、すまない……。つい、必死で」
私に抗議されたイサク様は、慌てた様子で私の手頸を掴んだまま、力を緩める。どうやら、アマラ様はイサク様の説得に失敗したらしい。
諦めて足を止めた私は、苦笑して首を傾げた。
「手を握っていなくても、逃げたりはしませんよ」
「お前は手を握っていないと、どこか行ってしまう気がする」
イサク様は呟くように言った。いつも堂々としているイサク様らしくない発言に、私は困った顔をする。
「私はちゃんと戻ってきますよ。フォロンに行くのは、あくまでも平和的に問題を解決するためです」
「ダメだ! 今すぐ使者の件はアマラ様に取り下げてもらおう。平和的解決なんて諦めろ。こういった有事の時のために俺たち騎士がいるんだ」
「イサク様……」
「お前が危ない場所に行く必要はない。いつも通り安全なところにいてくれれば、全てうまくいくんだ。俺が、お前を、この国を守る」
イサク様の言葉は抗いがたいほど魅力的に思えた。私だって、本当は自分で危ないと分かっているフォロン公国に突っ込んで行きたくはない。
しかし、それでも私はゆっくりと首を振る。
「……私は私なりの武器をとって、この国を守るために戦います。戦場で苦しみながら死んでいく人たちがいる事実を知っていてなお、安全な場所でこれまで通りぬくぬくと生活するなんて私にはできない」
「馬鹿言うな! 戦うのは騎士の役目だ」
「私は、今まで通りこの国の騎士たちには、国の平和を守る存在であってほしいのです。他国を攻撃するなんて、絶対にあってはならないと、私は思います。避けられるのなら、騎士たちを死地に送るような真似はしたくない」
「しかし、戦のない現状では、騎士たちはお払い箱で屈辱的な扱いをされている。これは、チャンスなんだ……。騎士たちは皆、戦場で死ぬことを望んでいる」
「戦で死ぬのは、騎士たちだけではありません。騎士の破滅願望に、罪なき国民たちも巻き込むおつもりなのですか?」
「お前の方が、よっぽど破滅願望があるだろうッ!! オフェリアは、誰よりも危険な場所に突っ込んで行くじゃないかッ! お前は死にたがりかなにかなのか!?」
「イサク様、さっきから言っていることがめちゃくちゃですよ。私はそんな話をしているわけじゃ……」
イサク様が急に私の手を引いた。自分の意志と関係なくイサク様の胸の中に飛び込んでしまった私は、驚いて固まってしまう。
イサク様は苦しいくらい力いっぱい抱きしめてきた。
「心配で心配で、頭がおかしくなりそうだ!! お前に関することは、何もかも思い通りにならない……ッ」
イサク様の声は、悲鳴のようだった。
私を抱きしめるがっしりとした手は、細かく震えている。心の底から、私を心配しているのが痛いほどに伝わってきて、心臓がチクチクと痛む。
それでも、私の意思は揺るがない。
数年前の何も知らない鋳造工房の娘のままだったら、もしかしたら大人しくイサク様に守られる道を選んだのかもしれない。
しかし、今は違う。私はなにも知らない田舎娘じゃない。亡き友と皇帝になると約束し、身代わりながらも第一皇女として役割を与えられた。そして、皇女として精いっぱいやることをやってきた。
そして今、私が選択を間違えれば、救えるはずの命も救えなくなってしまうことも痛いほどわかっている。
とにかく、私は今第一皇女という立場を手放すわけにはいかないのだ。大事なこの国の大勢の命を守るために。
「……心配してくださってありがとうございます。でも、あまり時間がありません。行かなくちゃ」
「行ってしまうのか……」
「今生の別れじゃないんですから、そんな顔しないでくださいな」
私は手を伸ばして、イサク様の頬を撫でた。まるで、小さい子をあやすように。そうでもしなければ、イサク様は泣いてしまうかもしれないと思ったのだ。
(本当に、優しい人……)
本来なら、第一皇女である私が敵国への使者となり、自ら危険な場所に突っ込んで行くのを、第二皇子のイサク様は喜ぶべきなのだ。第一皇女が自滅すれば、玉座は彼の手に自動的に転がり落ちてくる。
それでもイサク様は、すっかり元気をなくしていた。なんだかその姿が無性にしょんぼりした大型犬を彷彿とさせる。
私はから元気を振り絞ってイサク様を見上げると、無理やり笑顔を浮かべる。
「ああ、そうだ! 言い忘れました。私が戦争を止めたあかつきには、エネルギーを持て余している騎士様たちの御力を借りたい事業があるのですが……」
私は、ボスリン山にトンネルを掘る事業について話す。人員がどうしても集まらず、話がとん挫しているものの、騎士たちを招集できれば人員の問題は万事解決するだろう。
イサク様は私の話を全部聞いて、弱弱しく苦笑した。
「プライドの高い騎士たちに土運びをさせるなんて、命知らずもいいところだな。しかし、分かった。その約束、覚えておこう」
「約束ですよ」
「……分かった」
しっかりイサク様が頷いたのを見て、私はちょっと微笑んでイサク様の腕の中からするりと抜け出す。
いつまでも話していたい気持ちだけれど、そろそろ行かなければいけない。護衛の騎士たちもずいぶん長い間待たせている。
「それでは、そろそろお暇させていただきます」
私はそう言って、丁寧に頭を下げる。イサク様は一瞬ためらう素振りをしたあと、口を開く。
「……一瞬でもフォロンが怪しい動きをすれば、俺はすぐに騎士たちを率いてフォロンを攻める。アマラ様が何と言おうと、俺はお前を助けに向かい、フォロンの長を討つ」
「それは……なるべく避けたいです」
「避けたければ、無事に帰ってこい」
「ええ」
私は頷いて、それから踵を返し、歩き始める。背中に痛いほどの視線を感じた。けれど、振り向いてしまえば、きっと私は決意が揺らいでしまう気がして、結局一度も振り返ることができなかった。
*
三日後、私はイフレン皇国の首都カリガルを、ごくわずかな従者だけ連れてひっそりと出立した。
イサクは、作者的泣かせがいのある男ナンバーワンだと思っています。
誤字報告ありがとうございます!





