54.商会の人々
「いやあ、お嬢さんは人使いが荒いね。さすがにここまで大きな契約をとるとなると、けっこう苦労したよ」
なれなれしく私をお嬢さん、と呼んだサンドロ・ジャンジーニに、私は微笑んだ。
「ごめんね。でも、こういう難しい案件を頼めるのはサンドロしかいなかったの」
「そう言われちゃ断れないな。しかし、この俺がまさか商人みたいなことをすることになるとはねえ」
「適材適所よ。実際、サンドロはうちの立派な営業マンだもの。貴方を雇って大正解だったわ」
私はそう言って、サンドロが取ってきた契約書を念のためチェックする。そして、町一番のブティックを経営する気難しい女主人、オルトッテ夫人のサインを確認し、私は満面の笑みを浮かべた。
「はあ、これでうちの商会とオルトッテ夫人のつながりができたわ! 本当に嬉しい!」
なんせオルトッテ夫人のブティックは首都で一番有名で、そこにうちの布や宝石を納めるとなれば、これからかなりの売り上げが見込めるに違いない。
サンドロは爽やかな笑みを浮かべる。
「いやあ、そんなに喜んでくれると働き甲斐もあるってもんだ」
「さすがサンドロね。あの気難しいオルトッテ夫人から契約を取るなんて。私がいくら説得してもダメだったのに……」
「女性が相手であればこの俺に任せてくれ」
オフェリア商会の営業マンとして雇っているサンドロは、色々あって私の味方になってくれる数少ない貴族の一人でもある。
濃いハチミツのような輝く金髪に、爽やかな夏の森のような淡い緑の瞳。そして甘ったるいくらいに優男風な顔貌。口を開けばウィットにとんだ話術が飛び出し、如才ない褒め言葉は適度に女性の自尊心をくすぐってやまない。
男爵位であるジャンジーニ家の五男という権力には程遠い立場にも関わらず、サンドロはとにかく女性にモテる男だ。オルトッテ夫人のような気難しい女性でも、あっという間に骨抜きにしてしまうほどに。
目の前で長い足を組んで優雅に紅茶を飲むサンドロを、私はうっとりと見つめた。
「はあ、本当にあの舞踏会でサンドロが声をかけてくれてよかったわ」
「俺はあの舞踏会のあと、お嬢さんに呼び出しをくらって、てっきり口説かれるかと思ってたけどね」
「ちゃんと口説いたじゃない。営業マンになってくれって」
「ハハハ、確かにその通り」
サンドロのステータスは少々特殊なのだ。私はそれを、うまく利用させてもらっているだけに過ぎない。
事の次第は3か月前、サンドロが私をダンスに誘ってくれたのが始まりだった。
*
「失礼、美しい人。僕と踊っていただけませんか」
義務的に参加した舞踏会でぼんやりしていた私に、一人の華やかな見た目の男が話しかけた。
金の刺繍入りの純白のマントに、輝く金髪。まるで絵本の中の王子様のような見た目をしているその男こそ、サンドロ・ジャンジーニだった。
壁の花になっていた私にサンドロが話しかけた瞬間、ホールのあちこちから悲鳴のような甲高い声があがる。大量の貴族令嬢たちの、嫉妬まじりの視線が一気に私に集中した。
「……あ、いえ、ダンスは得意ではないのでお断りします」
私は、やんわりと微笑みつつきっぱりとお断りした。
ここでダンスの申し出を受け入れてしまうと、後々たくさんのご令嬢たちの恨みを買ってしまいそうだと思ったのだ。
その上、死神皇女として名を馳せている私のダンスの相手になりたがる殿方はそうめったにいない。話しかけてくる輩はたいてい下心があることくらい、心得ている。
しかし、サンドロはつれない私の態度にまったくめげなかった。
一瞬不思議そうな顔をしたあと、とっておきの笑顔で、
「ご謙遜なさらずに」
と言って、あっという間に私の手を取り、ボールルームへ向かった。そして、拒否をする暇もあたえず、音楽に合わせて流れるようにリードし始める。
「!?」
驚いたことに、ダンスは壊滅的に苦手な私でも、サンドロが相手だとそこそこ踊ることができた。
「……驚いた。リードがお上手なのね。どれほどの女性たちと踊ってきたのかしら」
「ふふふ、それなりですよ」
私の皮肉に、目の前のサンドロは一切気にした様子はない。
(な、なんなのよ……。この人、メンタルが鋼かなんかでできてるんじゃないの……)
私は引きつる頬を何とか笑顔に保ちつつ、サンドロのステータスを表示させる。
―――――――――――――――
なまえ:サンドロ・ジャンジーニ
とし:21
じょうたい:なし
スキル:みりょう
ちから:B
すばやさ:B
かしこさ:B+
まりょく:C
―――――――――――――――
(わあ、魅了スキルを持ってる人なんて初めて見た!)
こっそりと私を睨む貴族令嬢たちのステータスを表示させてみると、ほとんどのご令嬢が「みりょう」状態になっていた。おそらくあそこまで騒いでいるのは、ひとえに魅了スキルによるものだろう。
一方のサンドロは、ダンスが下手な私を巧みにリードしながら、整った顔に不可解そうな表情を浮かべた。
「オフェリア様は、俺の顔を見てどうもないんですか? ボンヤリしたり、俺の顔が輝いて見えたりとか……」
「いいえ、大丈夫よ」
「……なんだ、残念。世間知らずの第一皇女様をなんとか手籠めにして、あわよくば皇女の愛人になろうと思ったのに」
サンドロはそう言うと、人の悪い笑みを浮かべてさっさと去っていった。王子様然とした顔をしているが、なかなかの食わせ物らしい。しかし、あのあけすけな物言いは、かえって親近感がわく。信頼しても大丈夫そうだ、と私の直感が告げていた。
(あの人、使えそう!)
そう思った私は、後日サンドロをオフェリア商会の一室に呼びつけた。
そして、不思議そうな顔をして部屋に現れたサンドロに、逆に「うちの商会の営業担当になってほしい」と口説いたのだ。
最初は唖然としていたサンドロだったが、しばらく考えた後、
「まあ、誰かのヒモとしてお世話になり続けるのもいい加減飽きてきたし、面白そうだ」
と、答えた。
そして、目下オフェリア商会の優秀な営業マンとして活躍してもらっているサンドロは、飛ぶ鳥を落とす勢いで売り上げを伸ばしている、という次第である。
*
「それにしても、サンドロは貴族なのに、よくうちの商人になってくれたわね」
私は紅茶に口をつけながら首を傾げる。
この国のたいていの貴族たちは、商人たちを軽蔑している。そのため、貴族であるサンドロを商会にスカウトするのは、かなり難しいだろうと覚悟していたのだ。
しかし、ふたを開けてみれば、サンドロはわりとあっさり承諾してくれた。
「男爵家の五男なんて、たちの悪い貴族の端くれだ。ほぼ平民みたいなもんだし、手に職がないとやっていけない」
「そういうものなの?」
「困ったことに、そういうもんなんだよ。それに、ここにはお嬢さんがいる」
サンドロはそう言って片頬を上げて二ッと笑う。
「いつか口説き落としてデートをするチャンスくらいは与えてほしいところなんだけど、今度の日曜日とかどうだい?」
「お断りさせていただくわ」
私は苦笑した。
サンドロは私に会うたびに口説いてくるのが玉に瑕だ。そのせいで、過保護なギルジオはサンドロの姿を見るだけで不機嫌になる――まあ、どんなにギルジオが不機嫌になろうと、サンドロは一瞬たりとも気にしないのだけれど。
(サンドロにとって、私は他のご令嬢たちと違って難攻不落の籠絡しがいのあるご令嬢なんだろうなあ。まあ、私は状態異常無効スキルがあるからねえ……)
サンドロの魅了スキルも、もちろん無効だ。つくづく便利なスキルを手に入れたと思わずにはいられない。
いつものように私にあっさりとフラれたサンドロは、気にすることなくさっさと話を変えた。
「それより、ギルジオはどこだ? いつもならお嬢さんのそばから絶対離れず、俺を威嚇してくるのに」
「ああ、例の工房に試作品を取りに行ってもらっているの」
「……ああ、あの例の火薬工房かあ。あそこは確かに、お嬢さんが行くのは危険すぎるな」
サンドロは思案げに顎を撫でた。
例の工房とは、私が最近投資しているコルタ・ホルムダの工房のことだ。
コルタはたまたま知り合いの商人から紹介された研究者だ。
知り合いの商人曰く、『作るものすべて爆発させたがる科学者がいる』と。
どんな人物か興味を持ったため、会ってみれば、コルタは日夜爆発物――つまり、火薬の製造に血道をあげる、まさにマッドサイエンティストの類の人だった。
『火の美しさに魅せられて、火薬を製造してはいるものの、使い道がないんだよな』
と、ぼやくコルタを前に、私はすぐに投資を決めた。「より強い爆発力を持ち、かつ持ち運びの際に爆発しない安全な火薬を作ってほしい」という条件をつきつけて。
しかし、コルタの工房はいわば火薬庫だ。
常日頃から前触れなく大爆発が起こるため、私が直接訪問するのは危険すぎるとギルジオから訪問するのを禁止されている。用事があれば、ギルジオが私の代理で足を運ぶのだ。
そして、試作品ができたという知らせを受け、今日もギルジオは私の代わりにコルタの工房に赴いてくれている。
サンドロは人の悪い笑みを浮かべた。
「しかし、あれほどまでに危ないモンをどうするつもりなんだ? もしかして、武器の製造をして戦争でもする気か?」
「まさか」
私は笑いながら首を振る。戦争は商売の敵だ。戦争でいくら武器の販売で儲けたとしてもそれは一時のこと。戦争は商売に必要な販路も、豊かな原料も、そして未来の顧客さえも破壊してしまいかねない。
そのため、私は絶対に武器としてコルタの爆発物を販売する気は毛頭なかった。
「コルタの火薬は、うまく利用すれば土木や鉱山で役に立つはずよ」
「うーん、ええっと……。どういうことだ?」
「今は、トンネルを作る時や鉱物を掘り当てる時、人がスコップで少しずつ穴を掘っているでしょう? コルタの火薬があれば、それが不要になる。今まで人の力ではどうしようもなかった硬い岩盤も崩すことができるようになるはずよ。トンネルづくりもぐっと難易度が減るわ」
「はあ、なるほど……。確かにその通りだ。お嬢さんは賢いなあ」
サンドロは感心したように口笛を吹く。私は軽く首を振った。私が賢いのではなく、たまたま前世の記憶でダイナマイトの使用方法について思いだしただけだ。ダイナマイトは危険な道具だけれど、使い方を誤らなければ十分に役に立つ。
この国は技術的に未発達な部分も多く、前世の記憶は大いに役に立った。
サンドロとの仕事の話が一息つくと、私は「ところで」と、前置きをして微笑んだ。
「今回のオルトッテ夫人の件で褒賞を与えようと思っているのだけれど、どれくらいが妥当かしら?」
要はボーナスを出そうということだ。
常日頃から、私は目立った活躍をした部下にはこまめに褒賞を与えていた。コルタにも、最近新しい研究所を与えたばかりだ。ボーナスを与えることで、良い人材が転職してしまうのを防ぐ狙いもある。
サンドロは急な申し出に驚いた顔をしたあと、少し視線をさまよわせた。
「あー、金ならそこそこもらっているから、別に大丈夫だ。……ただ、一つ叶えたい願いがある」
「それは、なあに?」
「どうせならこの国以外の、よその国に行ってみたいと思っているんだが」
「ああ、国外に遊学したいってこと?」
「そんな感じだな。俺んちは貧乏だったし、遊学なんて許されなかったからさ」
サンドロは恥ずかしそうに頭をかいた。サンドロはチャラチャラしているようで、割と勤勉な一面がある。しかし、家庭の事情もあり、なかなかその機会が与えられなかったこともうかがえた。
私は少し考えた後、軽く頷く。
「うん、わかった。少しツテをあたってみる。そうね、モルツアーク侯爵あたりなら――……」
私が全部言い終わる前に、いきなり荒々しくドアがあいた。
顔を出したのは、コルタの工房に行っていたはずのギルジオだ。急いで帰ってきたらしく、肩で息をしている。いつもきれいに撫でつけられた金色の髪もぐしゃぐしゃだ。
「嫌な予感がすると思って帰ってきたら、やはり貴様かッ! オフェリア様に無礼を働いてないだろうな!?」
「おっと、うるさい奴が来た! 俺はさっさとずらかるよ」
そう言うが早いが、サンドロは素早く立ち上がり、さっと私の手を取って恭しくキスをした。
「それではお姫様、ごきげんよう」
「――ッ!!!!! サンドローーッ!!!」
一瞬で激高したギルジオの怒号にまったく取り合わず、さっさとサンドロは帰っていく。
ギルジオは一瞬サンドロを追いかけかけたものの、鋭く舌打ちをして戻ってくると、私の手の甲を丁寧にぬぐった。
他の小説を完結させるのに注力していたため、久しぶりの投稿になってしまいました。不穏な新章に突入します!
更新していない間、ブックマークや評価をしていただきましてありがとうございました!





