53.皇子は恋をする
一時的にイサクの視点になります
「イサク様! ちょっと夕食中に失礼しますよ!」
シルファーン卿の甲高い声が、食堂にこだまする。くつろいでデザートに舌鼓をうっていた妹のナタリーが、訝しげに顔を上げた。
「もう、シルファーン卿! ちょっと静かにしてくださる? せっかくお兄様と私が、家族水入らずで夕食をしている最中だっていうのに、ちょっと騒がしくてよ」
「これが静かにしていられますか! イサク様、先ほど乳母殿に訊きました。ヘーゼルアンバーのネックレスをひそかに行商人から買い求めていたそうじゃないですか!」
「まあ!」
シルファーン卿の一言に、ナタリーが手に持っていたスプーンをポトリと落とした。
「ヘーゼルアンバーのネックレスですって!? お兄様は想い人がいらっしゃいますの!?」
興味津々、といった顔で、ナタリーは身を乗り出した。
(よりによって面倒な人物にバレたな……)
俺は少しため息をつく。ネックレスを買ったことは、どうせいつかバレると思っていたが、思っていたより早かった。
面倒な人物の筆頭格であるシルファーン卿は、興奮を抑えきれない様子で、ウロチョロと歩き出す。
「イサク様、念のためお聞きしますが、自分の瞳と同じ色の宝石がついたアクセサリーを贈る、という行為の意味は分かっていらっしゃいますよね?」
「当たり前だ。それくらいわかっている」
俺はやや憤慨して答えた。
宮廷には、想い人に自分の瞳と同じ色のアクセサリーを贈る習わしがある。もし、想い人がそのアクセサリーを身に着けたならば、二人は晴れて両想いになるのだ。
いくら色恋に疎い俺でも、それくらいは知っている。
シルファーン卿は少々安堵した顔をすると、にこやかに微笑んだ。
「それで、そのアクセサリーは今どこに?」
「ずいぶん時間がかかったが、先日ようやく想い人に渡すことができた」
「ああ、なんと! イサク様の口から『想い人』という言葉が聞けるとは! 星々におわす神々よ、感謝いたします!」
シルファーン卿は感極まった声で叫んだ。
「私めはもう、貴方様の婚約者探しに躍起にならなくてもよいのですね! 安心いたしました! イサク様は女子に一切興味を抱いていらっしゃらず、一時は修行僧にでもなられる気なのではないかと心配で心配で……」
「余計なお世話だと何度も行ったはずだ。自分の配偶者くらい、自分で探せる」
「私が紹介する貴族令嬢たちには一切興味を抱いてこなかったくせに!」
「皇子の婚約者というステータスが欲しくて、俺と婚約したい女ばかりだったからな。そんな浅はかな女を、配偶者として選ぶ気はない」
俺の返事に、シルファーン卿は諦めたように首を振る。傍から目を輝かせて話を聞いていたナタリーが、もどかしげに口を挟んできた。
「ねえ、お兄様! いい加減教えてくださいな。お相手は誰ですの?」
「ああ、肝心の相手のことを話していなかったか。しかし、散々噂になっているから、お前たちが知らないわけがないだろう」
一瞬の間があった。
「ええっと、も、もしかしてぇ……」
「ま、まさか、本気で……!?」
シルファーン卿とナタリーが困惑した様子で顔を見合わせる。ややあってバタバタと俺に詰め寄ってきた。
「あの噂は根も葉もないものだと、私は各所で必死に否定したんですよ!?」
「お兄様、本気なの!?」
「いや本当に、本気ですか!? よりにもよって、あの方だなんて!」
必死で言い募る二人に、俺は微笑む。
「その様子であれば、やはり二人とも知っているじゃないか。俺の想い人はオフェリアだ」
俺の一言に、シルファーン卿とナタリーはそろって「やっぱり」と呟き、撃沈した。
二人の反応はおおかた予想がついていたため、俺は特に気にすることもなく、カップの底に少し残っていた紅茶を飲み干した。
(まあ、二人はオフェリアのことをあまりよく思っていないようだったからな)
オフェリアの性格や振る舞いに非があるわけではない。あえて言うのであれば、生まれた家柄が悪かっただけだ。
オフェリアは先王の娘であり、第一皇女。対して、俺は先王の弟の息子であり、第二皇子。二人はともに、玉座を目指すもの。
王座をめぐって、生まれながら俺たちは政敵になってしまう運命にあった。
しかし、俺はオフェリアにあの海辺の城で出会ったその日から、どうしようもなく惹かれてしまっている。
理知的なとび色の瞳と、整った顔立ち。澄んだ声にのせて語られるのは、誠実で、素直で、それでいて聡明な言葉たち。
一見冷静沈着そうなのに、話してみれば意外と抜けている部分があるところも好ましかった。
それから――……
(時々ふいに見せる悲しそうな面差し……)
なぜかは分からない。しかし、オフェリアの表情には時々悲しさの影がよぎることがあった。あの悲しそうな顔を見るたびに、ずきりと胸の奥が痛むのだ。そして、どんな手をつかってでも、悲しい顔をさせたくないと思ってしまう。
先日、口実をつけてオフェリアのもとに向かい、あのネックレスを渡した時、本当は胸が高鳴って心臓が飛び出しそうなほどに緊張した。まあ、どうせ顔の表情筋が死んでいると評される俺のことだから、傍から見ればいつも通りだったのだろうけれど。
(この気持ちが、恋でなければ、なんという名前の感情なのだろう)
間違いなく、俺はオフェリアに恋をしていた。相手の気持ちは分からない。けれど、少なくとも嫌われていないとは思う。
少し間をおいて、ナタリーと視線を交わしていたシルファーン卿が、わざとらしい咳払いをした。
「お言葉ですが、オフェリア様は、いわば私たちの敵ですよ。殿下は、あの死神皇女の参謀たるオルディアレス兄弟の我々に向ける冷たい目にお気づきではないのですか?」
「オフェリアを死神皇女などという俗っぽいあだ名で呼ぶな。それに、オルディアレスのヤツらは関係ないだろう」
俺はムッとして言い返す。
オルディアレス兄弟は、さすがの俺も好きになれなかった。特にあの、オフェリアと四六時中一緒に行動を共にする、弟のギルジオという長身の男が気に入らない。
ギルジオはなかなかの色男で、貴族令嬢たちに熱い視線をむけられているのにもかかわらず、一切それを意に介すそぶりも見せず、オフェリアに熱心に仕えている。
一度二人は恋人同士なのかとアマラ王が聞いたらしい。オフェリアは笑いながら否定したと聞く。しかし、あのギルジオという男は、確実にオフェリアのことを憎からず想っているに違いなかった。
未だに信じられない、といった顔をしているナタリーが、上目遣いで俺を見つめる。
「で、でも、賢いお兄様のことだから、あの女を婚約者にしたいと思うのは、理由があるんでしょう? ほら、皇女は結婚したら王位継承権は放棄したとみなされるじゃない? それを狙っているのよね?」
「それももちろんあるが……」
俺は言葉を濁して頷いた。
自分に全く打算がないとは言い難い。
しかし、オフェリアと玉座をめぐって、切磋琢磨できなくなってしまうのが少々残念に思う自分がいることも自覚していた。オフェリアは俺の良きライバルでもあるのだ。そのような立場の人間を失うのは惜しい気もする。
うーむ、と俺が顎を撫でて物思いにふけろうとしたのを、シルファーン卿がもう一度派手な咳払いをして阻止した。
「イサク様、私に相談せずに勝手に自分で決めてさっさと行動する癖は、いい加減どうにかしてくださいませ」
「お前はとやかく言うが、オフェリアが俺のことを好きであれば、万事うまくいくはずだ。ナタリーが言ったように、オフェリアが我が王妃となれば、玉座は俺の手の内に転がり込んでくる」
「玉座に続く階段を自ら叩き壊すなんて馬鹿なことを、オフェリア様はしないと思いますがね。まあ、往々にして初恋は実らぬものです。万が一オフェリア様からお返事等ありましたら、お伝えください」
「お前は相変わらず辛辣だな、シルファーン。俺に失恋してほしいのか?」
「お言葉ですが、イサク様」
シルファーン卿は声を張り上げた。
「どんな女性とお付き合いされようと、私は温かく見守ると誓いましょう。町娘であろうと、花街の人気の看板娘であろうと、喜んで殿下の恋路を後押しいたしますとも。しかし、どうかオフェリア様だけはおやめください。お二人の立場はそう単純なものではない」
「しかし、シルファーン、オフェリアは……」
「オフェリア様が問題だとは言っておりません。あの方が私利私欲で動いたり、人を騙したりするような方ではないことくらい、政敵である私だってわかっておりますとも」
「では、なにが問題だと言うのだ」
「オルディアレス兄弟ですよ」
シルファーン卿は声のトーン落として囁くように言う。ナタリーが、馬鹿にしたようにフン、と鼻を鳴らした。
「あの没落貴族兄弟の、どこがイサクお兄様の脅威になるっていうのよ」
「ナタリー様、アドバイスを一つ。えてして没落貴族というものは恐ろしいものなのですよ。追い詰められた人間は、とかく手段を選ばないものですからね」
「どういうこと?」
「没落貴族のオルディアレス家は、オフェリア様が玉座に上らなければ、このまま凋落の一途をたどっていくでしょう。だからこそ、あの兄弟――、特に兄のライムンドの方は必死ですよ」
「ライムンド・オルディアレス? あの柔和そうな優男、別に権力なんてどうでも良さそうな顔してるじゃない」
「まさか。あの男こそ、まさに権力の亡者ですよ」
シルファーン卿は、眉間にしわを寄せた。
「あの男は、イサク様の恋路を全力で阻止してくるでしょう。……最悪殿下の命が狙われる可能性も否定できない」
「…………」
「とにもかくにも、お気をつけなさいませ。護衛と毒見を増やしましょう」
そう言って、シルファーン卿は神経質な糸目を俺に向けた。
「イサク様がオフェリア様のような方がお好みとあれば、婚約者候補として亜麻色の髪の乙女なんて国じゅうからかき集めますよ」
「俺は、亜麻色の髪が好きなわけではない! 俺が求めているのは、オフェリアただ一人だ!」
「さようで」
シルファーン卿は冷ややかな返事をすると、一礼するとすぐに足早に食堂を去っていく。
不穏な空気に怯えたナタリーが、ただただ不安そうに俺の顔を見つめる。俺はシルファーン卿の背中を、苦々しい気持ちで睨みつけることしかできなかった。





