52.贈りものの意味
イサク様が私の離宮を訪れ、帰っていったあと、私はすぐに仕事に取り掛かった。溜まっていた仕事は山ほどある。ただ、機械的に仕事をこなしつつも、なんとなく仕事に身が入らない。心ここにあらず、という状態だ。
そのせいで、夕方になって普段なら絶対しないような凡ミスが発覚し、バタバタする羽目になり、夕食を食べる時にはすっかりギルジオが不機嫌になってしまった。
夕食をあらかた運び終えたジルが、不機嫌なギルジオを一瞥すると、今日届いた郵便物を後ろで読み上げてくれた。
「マイヤー侯爵からお礼状が。それから、ロッヴィ家、ミグリア公爵夫人からはお茶会のお誘いが届いています。それから、ハルジャー侯爵からパーティーの招待状が」
「……マイヤー様のお礼状には、あとで手紙を書かなきゃね。お茶会は断って。……それから、パーティーの招待状は、あとでスケジュールを確認するから保留にしておいてくれる?」
「あら、珍しいですね。いつものオフェリア様なら一も二もなく真っ先に断りますのに」
「うーん、ハルジャー侯爵のパーティーなら、イサク様がいらっしゃるんじゃないかって思って」
「……イサク様、ですか?」
「ええ、今日ネックレスをもらったでしょ? 一応、もらったからには、ネックレスをつけてる姿を見せたほうがいいんじゃないかと思って……」
私の一言を聞いたジルが、気まずそうな顔をする。黙々と夕食を食べていたギルジオが、何の前触れもなくドン、とカップを置いた。
私は怪訝な顔をしてギルジオを見る。ギルジオは整った顔に分かりやすく不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「……おい、あのネックレスの意味が分かってそう言っているのか?」
「え?」
「クソ、やっぱりこのマヌケ、わかっていなかったな!? 本当は受け取るべきではなかったんだぞ!」
「ど、どういうこと? ギルジオはなんでそんなに怒っているの?」
「自分で考えろ、このど阿呆!」
ギルジオは吐き捨てるようにそう言って、足音荒く席を立つ。一人残された私は、戸惑いながら首を傾げた。
「マヌケにど阿呆って……」
「皇女様に対してそんなこと言えるのは、ギルジオさんだけですよね。まあ、それはそうとして、恋愛ごとに関して、オフェリア様が全くもって知識がないのは分かっていましたが、ここまで知識がないとは思いもよりませんでした」
額に手を当ててため息をつくと、ギルジオの代わりに、ジルがつらつらと説明しはじめる。
「いいですか、オフェリア様。宮廷では、想い人に自分の瞳と同じ色のネックレスを渡す習わしがあるんです」
「……へえ、そうなんだ」
私は頷く。変な風習があるもんだ、と思いながら。
ジルは呆れた顔をした。
「まだピンときていないようですね。今日、オフェリア様が貰ったネックレスの宝石の色は何色でしたか?」
「えっと、きれいな琥珀色……?」
「ええ、ヘーゼルアンバーと呼ばれる、最高級の琥珀色の宝石です。そして、イサク様の瞳の色は?」
「……あっ」
イサク様の瞳の色は、ヘーゼル。琥珀色だ。
私はやっとジルの言わんとしていることを理解した。みるみるうちに顔が赤くなるのを感じる。
「も、もしかして、イサク様の想い人って、私?」
口ごもりながらそう聞くと、ジルはますます呆れた顔をする。
「どこまで鈍感なんです? なんとも思っていない相手が怪我をしたと聞いても、無視するに決まってるでしょう。花を持って駆けつけたりしませんよ」
「でも、それはイサク様が優しいからじゃ……」
「ありえません。イサク様は女嫌いで有名なんですよ」
「イサク様が女嫌い?」
イサク様は私に対しては優しいし、紳士だ。だから、女嫌いと言われてもなんだかぴんと来ない。
「イサク様は、今までどんな女性のアプローチも冷たくお断りしてこられた方です。オフェリア様は社交界の噂にも疎くていらっしゃるので、あえて言わせてもらいますが、社交界は今、どんな美女にもなびかなかったイサク様がオフェリア様を皇妃にしようとしているという噂でもちきりなんですからね」
「えっ、嘘!?」
「ここで嘘をついてどうするんですか。こんな噂が流れている中、オフェリア様があのネックレスをつけてパーティーに行ったとなれば、お二人は『お付き合いをしている』とみなされるわけです」
「えっ、そうなの?」
「そうですよ。当たり前じゃないですか」
「当たり前なの……?」
「ええ。知っているものと思っておりましたが、念のため教えておいて正解でした。うっかり何も知らないまま、ネックレスをつけてパーティーに行ったら大騒ぎになるところでしたよ?」
「まあ、そうなるわよね……」
「他人事のように言わないでくださいまし!」
ピシャリとジルが言うのに、私は苦笑することしかできなかった。
なるほど、ギルジオが怒り狂うのも当然だ。私と、気に食わない第二皇子といつの間にか恋人同士になろうとしていたのだから。
しかし、私は純然たる平民なので、貴族の恋愛の手順やら習わしなんて知るよしもない。
(もう、そこのところはもうちょっと詳しく教えてくれたっていいじゃない!)
私はこっそり唇をとがらせた。
そうはいっても、死神オフェリアという不吉な名前が貴族の間ですっかり広がっている以上、私と恋に落ちようなんてもの好きの貴族はいない。
その上、結婚してしまえば皇女は玉座につくことはできないのだ。恋愛に関する手順云々など知る必要のない知識だとギルジオが判断したのだろう。
しかし、ギルジオの目論見は外れ、イサク様は私にヘーゼル色の宝石がついたネックレスを送った。
私はいまだに火照っている頬を両手で挟んだ。
「ねえ、イサク様が、私を想ってネックレスをくれるだなんて、夢みたい……」
前世から渇望していた「結婚」という文字が私の頭の中を駆け巡った。
(や、やったー! 私、ついに夢に一歩近づいたわ!)
しかし、舞い上がる私を前に、ジルは手を前に組み、ためらいがちに口を開く。
「オフェリア様、これから私は水を差すような発言いたします。どうか、お許しくださいませ」
「え、改まってなに……?」
「イサク様は、オフェリア様を皇妃とすれば、自動的に玉座はイサク様のものになります。皇女は独身でなければ皇帝にはなれませんから」
ジルの一言を一瞬で理解した私は、心臓に氷水を浴びせかけられたような気持ちになった。
(忘れてた。私、第一皇女だったわ)
第一皇女という地位を私はすっかり忘れていた。
私とイサク様は、一つしかない玉座を争い合って手中におさめようとしている。打算なしに恋愛をしようなんて、ちゃんちゃらおかしい話だ。背景には必ず権力という醜い欲望が渦巻いている。
つまり、イサク様は私を愛しているからヘーゼル色のネックレスを送ったわけではない。私が第一皇女という厄介な立場にいるからこそ、そうしただけだ。
私は長いため息をついた。
「……あー、そういうことかあ」
「……ええ、イサク様がネックレスを送ったのは、打算があってのことかと。本当はこういうことを言いたくはなかったのですが……」
そう言って、ジルは気づかわしげに黙る。私はうなだれたまま、頷いた。
ジルは言葉足らずでぶっきらぼうなところはあるけれど、嘘をつくような人ではない。私が真実に気づいた時傷つかないように、あえて諫言してくれたのだ。
「……教えてくれてありがとう、ジル。私、何も考えずに舞い上がっちゃって、馬鹿みたい。ギルジオにも心配かけちゃったよね」
「ギルジオさんに関しては、ここまでくるといっそ可哀想になってきます。ギルジオさんも、うじうじしてないでイサク様みたいにもっと大胆にアプローチすればよろしいのに……」
「え、なに、ギルジオも好きな人いるの?」
「……ええ、まあ、そういうところです」
含みのあるジルの言葉は引っ掛かったけれど、とりあえず、私は夕食を終わらせて、お風呂に入り、自室に向かった。今日は色々ありすぎて疲れているので、大人しく休むつもりだ。――まあ、毎日疲れている気もしないでもないけど。
早めに横になろうとして、ふと机の上のネックレスが目に入った。
美しい、ヘーゼル色のネックレス。私はそれを胸に当てて鏡を見た。小ぶりなのに上品なデザインのネックレスは、我ながら良く似合っている気がする。
パーティーにこのネックレスを付けて行けば、イサク様とは晴れて恋人同士になれるらしい。だけど、それでは大事な友人との約束を破ることになる。
(イサク様と恋人同士になれば、私は皇帝にはなれない……。それに、真実の愛なんかじゃないわ)
自分でも、イサク様のことを憎からず想っているのは分かっている。
本当は、叫びたしたくなるくらいに胸が苦しい。
あの鋭い瞳の奥に優しさが宿っていることも、理知的な顔立ちにいたずらっ子のような暖かな表情が浮かぶことも、知ったつもりでいた。きっとごく限られた人しか知らないんだろう、なんて、どこか誇らしく思う自分がいた。でも、すべては玉座を手に入れるためのイサク様の嘘だったのだ。
一緒になったところで、私は真に愛されることはない。
(うぬぼれてはダメよ、コリン。私はただの身代わりなんだから)
私は一人鏡の前で肩を落として、乱暴に引き出しの中にネックレスを投げ入れた。このネックレスが日の目を見ることはないだろう。
その時、ドンドン、と荒いノックの音がする。私が返事をすると、遠慮がちにドアが開いた。
部屋を訪れたのは、ギルジオだった。
「いま、いいか?」
「うん、どうぞ……あ、お茶を持ってきてくれたの? ありがとう。ちょうど飲みたいなって思ってたの。一緒に飲もうよ」
「味は保証しないぞ」
「別にいいって。私も舌が肥えてるわけじゃないしね。ほら、この前、アルボーニさんが連れてきたお茶の商人が何種類か紅茶を出してくれたじゃない? あれね、実を言うと違いがわかんなかったから、すごい反応に困ったのよ」
私はそう言って笑う。ギルジオは椅子に座りながら、半ば拍子抜けしたような、意外そうな顔をした。
「……いつも通りだ」
「なにが?」
「ジルからあのネックレスの話を聞いただろう。お前はその……あいつから、恋人にならないかともちかけられている、って……」
あいつ、とはイサク様のことだろう。不敬すぎる物言いに、私は思わずふきだした。つくづくギルジオはイサク様のことが好きではないらしい。
「余計な心配させてごめん。あのネックレスをつけることはないから」
私はきっぱりした口調で答えた。ギルジオは驚いた顔のまま、嫌味なほど長い足を組みなおす。
しばらく、ややぎこちない沈黙が流れた。窓を少しあけているため、涼しい風が私の髪を揺らす。ややあって、ギルジオがためらいがちに口を開く。
「お前は、殿下のことが好きなのだと思っていた」
「そりゃ、舞い上がっちゃったのは事実だけど、イサク様がネックレスを送ったのが打算だって、ジルに指摘されて気づいちゃったし」
「……ああ、そうか」
「ごめんね、ちょっと浅はかだったわ」
ちりちりと胸の奥が痛んだけれど、私はなんとか微笑んだ。
「それに、イサク様がオフェリアに毒を盛ったって、やっぱりギルジオは疑ってるでしょう? そんな人と私が一緒になるのは、ギルジオの心象も悪くなるだろうしね」
「…………」
「私、自分のことを心の奥底から馬鹿だって思ったわ。全然、周りのことも、自分の立場も見えてなかった。馬鹿な主人でごめん」
そこまで一気に言うと、私は頭を下げる。ギルジオは俯いた。
「……そうか」
ギルジオが呟くように言った一言は、隠し通せないほどの安堵の色が滲んでいた。私の位置からではギルジオの表情がよく見えないけれど、なんとなく笑っている気がする。
私は頬を膨らます。
「ねえ、なんか嬉しそうじゃない? 人が傷心してるってのに!」
「気のせいだ。それに、別に謝ることはない。主君が馬鹿でも、それを支えるのが配下の務めだからな」
「はあ!? うるさいわね、前から思ってたけど、ギルジオは一言多いのよ!」
「言ってやりたくても言えないことが山ほどあるのを、一言で済ませてやってるんだ」
「なんですって!?」
「だいたいなんだ、今日のミスは! カーテンタッセルを4万個注文するとか、ありえないだろ!」
「蒸し返して怒るのやめなさいよ! ちゃんと謝ったでしょ!?」
「あんなのは、謝罪のうちにはいらない」
「はいはい、謝ればいいんでしょ? ごめんなさーい」
私が、イーッと歯をむき出しにして謝ってみせると、ギルジオがこらえきれなくなった様子で吹き出した。
「フハッ、お前……なんて顔するんだよ!」
ギルジオの笑顔は、思いがけずいつもよりなぜか、優しかった。
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