49.反撃開始
王宮の離れに引っ越して3か月、侍女たちの態度は相変わらずだった。
いや、正確に言うと、多少はマシになった部分はある。ギルジオが最初のパーティーのあと、ものすごい剣幕で侍女たちを一喝したため、ギルジオの前ではしずしずと働いてくれるようになったのだ。中には、端正な顔立ちをしているギルジオに熱い目線を送る侍女もいる。残念なことに、ギルジオは一切取り合わないけれど。
ただ、当然のことながら、それはギルジオがいる時限定だった。ギルジオがいなくなった途端に、侍女たちはあからさまなまでにだらけ始める。その上、口を開けばやれ田舎者だ、作法がなっていないと嗤われ、挙げ句の果てに小さな嫌がらせのオンパレードだ。
(興味本位で侍女たちの給金の額面を調べたら、馬鹿らしいくらい高額で雇ってたんだっけ……。本当に嫌になっちゃうわ。侍女一人雇うのに、商会でどれだけ織物を売らなきゃいけないってのよ……)
私は頭の中でそろばんをはじき始めて、すぐに止めた。虚しくなるだけだ。
第一、侍女たちは貴族内の権力争いも加味して雇っている。ここであっさりクビにしてしまうと、社交界でどんなしっぺ返しを食らうかわかったものではない。
クビにするなら、おおっぴらな口実がほしいところだ。
(ああ、でもジルだけはずっとうちの侍女でいてほしいかも)
侍女たちの中でもジルという名前の黒髪の侍女だけは例外だった。聞くところによると、他の中小貴族のご令嬢である侍女たちと違い、ジルは底辺貴族の娘らしい。そのためか、パーティーでも彼女を見かけたことはない。どうやらナタリーとは仲良くしておらず、無愛想だけれど、仕事はかなりきっちりと片付けてくれる。
しかし、だからと言って彼女にばかり仕事を頼むのも気の毒だ。
(そうなると、もう自分で最低限のことをこなすしかないのよねえ……)
私もほとほとうんざりしてしまったため、今は身の回りのことはできるだけ自分でやるようにしている。
現に、私は離れの裏の井戸でコソコソ洗濯ものをしている真っ最中だった。ミランダにわざとお茶をこぼされたせいで、テーブルクロスに大きなシミができてしまったのだ。
(本来なら、第一皇女がこんなことをしているなんてありえないことなんだろうけど)
洗い終わった洗濯ものを干しながら、私は苦笑した。ギルジオがうっかり見つけようものなら、侍女たちを再び叱りつけるに違いない。そして、その後、第一皇女としての心構え云々で私が怒られるのだ。
(王宮に来てから、ギルジオはますます口うるさくなってきたわね……)
誰か第三者が一緒にいる時には、ギルジオは終始恭しい態度で皇女として接してくる。しかし、二人きりになると長い長い説教が始まる。特に最近は、イサク様がしょっちゅう手紙や贈り物をおくってくれるため、ますます小言が増えた。
(『この前イサク様と街で出会った』なんてうっかり話をしてしまえば、絶対大目玉食らうだろうなぁ)
私はため息をつきつつ、次々と洗濯ものを干していく。太陽の下で、大量のリネンが風に吹かれる。今日は珍しく一日中暇だし、いい機会だと思い、思い切って部屋中の布類を洗濯した。そのため、とにかく量が多い。
故郷にいた時は普通に一通りの家事をやっていたため、おそらくあの侍女たちの誰よりも手際が良い自信があった。故郷にいた時は好き好んで家事をしていたわけではないけれど、久しぶりに洗濯をすると、けっこう楽しいものだ。
「うーん、良い天気!」
私はぐっと伸びをしながら独り言を言ったそのとき、物陰で誰かが転んだような鈍い音がした。
「きゃっ」
「えっ、誰!?」
慌てて振り返ると、侍女のジルがしりもちをついて腰をさすっていた。どうやら、派手に転んでしまったらしい。痛そうに顔をしかめたあと、私と目が合い、気まずそうな顔をする。
私は近づいて、手を差し伸べた。
「だ、大丈夫?」
「も、申し訳ございません……。何でもないです! お構いなく!」
「何でもないことはないでしょ! 肘、怪我してるよ。見せて。手当しなきゃ」
「皇女様にそのようなことをさせるわけには……」
洗濯ものはひとまず中断だ。
抵抗するジルを引っ張って、私は自室へ向かい、簡単な手当てをした。幸い、そこまで怪我はひどくない。
「これで良いでしょう。どう? 痛くない?」
「……大丈夫、です」
「良かった。結構派手に転んだみたいだったから、ちょっと心配だったの」
私が苦笑すると、ジルは不思議そうな顔をする。
「……皇女様は、侍女である私になぜこのようなことをしてくださるのですか?」
「なにそれ。怪我をしている人がいたら助けるのが普通じゃない?」
「いえ、普通ではないですよ。だって、私はほとんど平民に近い没落貴族の娘ですし、私に優しくしたって何もメリットがありません」
冗談を言っているのかと思い、まじまじとジルの顔を見ると、大真面目のようだった。本気でそう思っているらしい。
私は首を振った。
「貴女が没落貴族の娘なんて関係ない。私が助けたいと思ったから助けたのよ。恩着せがましく思ったのなら、ごめん。じゃあ、私は洗濯ものの途中だから行くね」
私はそう言って立ち上がる。洗濯ものを中断させたままのため、また庭に戻らなければならない。ギルジオに見つかる前に、なんとか終わらせておかなければ。
踵を返した私の背中に、ジルがぽつりとつぶやく。
「……皇女様は優しいですね。私が怪我をした時も、心配してくださいました。それに、他の侍女たちにも、露骨な嫌がらせをされても、ずっと冷静な態度で接していらっしゃいますし」
「そういうジルだって優しいよ。今日だって、私が一人で洗濯しているのを見かねて、手伝おうとしてくれてたんでしょ?」
「……気づいてらっしゃったんですね」
「もちろん。だって、ジルが転んだ時、バケツとか洗濯用の石鹸があたりに転がってたし」
私がふりかえって微笑むと、ジルは恥じ入るように俯いた。
「……皇女様は、すごいです。不吉な死神皇女なんて皆呼ぶけれど、私はそう思いません。本当の皇女様は、慈悲深い女神のような人です」
「あ、ありがとう」
一応お礼を言ったものの、未だに死神皇女と影で呼ばれている事実を知ってしまい、私はがっくりする。いいかげん、不吉なあだ名からどうにか脱却したい。
すこぶるショックを受ける私に、ジルは深々と頭を下げる。
「今までの非礼をお許しください」
「ええ、なによ改まって! ジルは一番よく働いてくれているじゃない。私、ちゃんと見てたよ」
「……いいえ。全然です。私、もっと皇女様に真摯に仕えるべきなのに、ミランダたちが怖くて、何もかも中途半端で……。弱虫な自分が恥ずかしい」
「ミランダたちが怖い?」
私は思わず聞き返した。
「何かされてるの?」
「……お仕事を真面目にしていると、無視をされたり、モノを隠されたり、陰口を言われたりするのもしょっちゅうです。それから、転ばせるようにわざと床にものを置いて、段差をつくったり……。私、うっかりものだから、すぐにそういうトラップにひっかかっちゃって……」
「もしかして、パーティーの日の朝、頬が腫れていたのって、ミランダたちの嫌がらせのせい?」
「……はい」
ジルはおずおずと頷く。
「お嬢さまの服にアイロンをかけていたら、ミランダから平手打ちをされたんです……」
悲しそうにうつむき、エプロンの裾をぎゅっと握るジルを見て、私の心の中でふつふつと怒りがわいてきた。あの侍女たちは、私への嫌がらせだけでは飽き足らず、ジルのような弱い立場の子にも嫌がらせをしていたのだ。これはさすがに、看過できない。
私はジルの手を取る。
「ジル、私のせいで辛い思いをさせてごめんね。私に良い考えがあります」
「え、ええ?」
「今後は、貴女はできるだけ私の側にいて。それから、今度一緒に一芝居打ってもらうけど、いいかしら?」
ジルは私の言葉に戸惑った顔をしたけれど、やがて大きく頷いた。





