50.小芝居
あくる日。
「い、痛――――いッ!!」
盛大な物音と共に、私の悲鳴が昼下がりの離れに響く。
「お、オフェリア様!? 誰か、誰か―――ッ!!」
「な、何の音じゃ?」
ジルの悲鳴を聞きつけ、いつもこの時間は部屋の日の当たる場所でウトウトしている第一大公も、さすがに驚いた様子で飛び出してくる。
二人が目撃したのは、階段下でたくさんの散乱した本と、うずくまる私だった。その上、私は頭からダラダラと血を流している。
「お、オフェリア様!! お怪我は!?」
「見ての通り、大怪我よ! 頭が割れるように痛い……、足もズキズキする! 折れちゃったかも……!」
「そうですね、それは大怪我です」
ジルが冷静に大きく頷く。
(ま、大ウソだけどね)
私は心の中で舌を出した。
本当はどこも痛くはない。今の状況はわざと作り出したものだ。散乱した本とその他諸々を階段上から落としてわざと物音をたて、私はそこにうずくまった、という次第だ。血は、商会で余っていたそれっぽい色の染料だ。
ちなみに、ジルは事情を知っている。第一大公は、驚かして申し訳ないけれど、証人になってもらうつもりでいた。
(うまくひっかかってくれるといいんだけど……)
内心ドキドキしつつ、私はターゲットが出てくるのを待つ。
ややあって、驚いた様子でズラズラと侍女たちが出てきた。私が頭から血を流しているのを見て、侍女たちが真っ青になる。どうやら、血は偽物だと気づいておらず、うまく騙されてくれたようだ。
「えっ、……な、なんで……」
「なんで転んだかって? 本を運んでいたら、なぜか踊り場にあったバケツに足をとられたの」
「い、いえ、なぜこちらの階段をお使いに? いつもはこちらの階段は使わないはずです!」
侍女の一人が必死にまくしたてる。私は冷ややかな目線を侍女に向けた。
「私の部屋から一階の書斎に行くには、こちらの階段を通ったほうが近いですからね。それに、この離れは私のもの。どこを通ろうと私の自由のはずです」
「そっ、それは、そうですけれど……」
「それより、ここには今日の朝通ったときには、何もなかったはずですよ。バケツを置いたのは誰なの?」
「じ、ジルですわ!!」
とっさにそう返したのは、ミランダだった。彼女は顔面蒼白で、握った拳が細かく震えている。焦るもの当然だ。バケツを置いたのはミランダの手下であるリゼットだった。そして、このトラップにひっかかるはずのターゲットはジルだ。だから、侍女たちしか使わない、北側の階段にわざとバケツを置いた。
しかし、侍女たちの思惑は外れ、バケツで転んだのはまさかの皇女。その上、皇女の顔に怪我までさせてしまった。
例えわざとでないにしろ、この国では王族に怪我をさせてしまった罪はとてつもなく重い。
(大罪人になりたくないでしょうし、ミランダも必死になるわよね。……でも、この期に及んで、ジルに罪をかぶせようとしているのは呆れるわ。性格悪すぎでしょ……)
ジルが他の侍女たちに嫌がらせをされていると知ったその日から、私は注意深く侍女たちを観察した。ジルが「しょっちゅう嫌がらせを受けている」と証言した通り、それはもうしょっちゅうひどい嫌がらせのオンパレードだった。
それなのに、あまつさえ罪をジルに擦り付けようとしている魂胆が、腹立たしくて仕方ない。
私はムカムカする気持ちを落ち着けながら、表面上は冷静にジルに訊く。
「ミランダは貴女がやったと言っているけれど……。ねえジル、あなたはここにバケツを置いた覚えはある?」
「いいえ、オフェリア様」
「そうよね。だって、今日は朝からずっとジルは私と一緒に部屋でチェスをやってたもの」
侍女たちが揃って真っ青になる。ミランダ渾身の嘘も見抜かれたとなれば、バケツをあんな場所に置く人物は他の侍女たちに絞られる。
第一大公は全てを黙って聞いた後、深いため息をついた。
「……今は、とにかくオフェリアの手当てが先だ」
「……そ、そうですわ! まず手当を……!」
第一大公の言葉を渡りに船、とばかりにミランダたちが一斉に頷き、お茶を濁そうとした。
しかし、第一大公はゆっくりと首を振る。
「侍女たちよ、部屋に戻り、荷物をまとめるが良い。お前たちの処遇は後で下す。……さすがに、これは目に余る」
凍てつくような冷たい第一大公の言葉に、侍女たちの肩が一斉に震えた。
*
と、いうわけで、ジル以外の侍女たちはあっさりとクビにすることができた。
第一大公が証人になってくれたのも大きい。大事な孫娘を傷つけられた第一大公は珍しくカンカンに怒っており、普段のボケボケの姿からは考えられないほど、立派な証言をしてくれた。驚いたことに、日々の私への嫌がらせもなぜかしっかり把握しており、まったく侍女たちが反論の隙もないほどに完璧だった。
いつもボケて昼食を何度もねだるような第一大公が、人が変わったように確固たる口調で証言している姿に、侍女たちはびっくり仰天していた。まあ、気持ちはわからないでもない。
私がしたことと言えば、「信頼のおける侍女に嫌がらせをされて、とてもショックです」という顔をして、しおらしく黙って立っていたくらいだ。
皇女の顔に傷をつけた大罪で法廷に訴えることもできたものの、「反省されているようですし、ここは穏便に……」と和解の意思を示したところ、元侍女たちには涙を流して感謝の意を表明したらしい。こちらは、実際に見ていないので本当かどうかは分からないけれど。
とにもかくにも、あっという間に侍女たちは私たちの離宮を去っていった。
「あの侍女たちがいないと昼間でも静かね」
頭の包帯をいじりつつ、私はため息交じりにつぶやいた。もちろん、この包帯はフェイクで、邪魔でたまらないものの、一応頭を打って怪我をした、という小芝居を打ってしまった以上、しばらく頭に包帯を巻いたままでいる必要がある。
紅茶を淹れていたギルジオが呆れた顔をする。
「侍女たちの存在は、確かに目障りだった。用事もないのに話しかけられて、しつこく言い寄られるのも面倒だったしな。しかし、あんな賭けのような小芝居を打つやつがいるか」
「いるんだなぁ、ここに」
「馬鹿め」
吐き捨てるようにギルジオは言う。私は笑った。
「なぁに、ギルジオ。一緒に一芝居うちたかった? 仲間はずれにされて怒ってるの?」
「違う!」
「でも、けっこういいアイディアだったでしょ?」
私が微笑みながら首を傾げる。
現に、例の貴族令嬢たちをクビにしても、事情が事情のため、貴族令嬢の親たる伯爵たちや男爵たちからクレームがくることはなく、権力争い云々に波風を立てず、角が立たない方法で侍女たちにお払い箱にできた。
それどころか、しばらくお詫びの菓子折りが送られてくる日々が続いたため、ありがたいことに午後のティータイムのお菓子には一切困っていない。
一人残ったジルには、暫定的に一人で私の身の周りの世話をしてもらっているものの、私自身平民出身だけあって、身の回りのことはたいてい一人でこなせるため、今のところ支障はない。
ジルは嫌がらせをしてくる他の侍女たちがいなくなったため、水を得た魚とばかりにバリバリ働いてくれている。おかげで、私の部屋は常にピカピカ清潔、シーツも常にシミ一つない。
なにより、クビにしたぶんの侍女たちの給金分も大きく浮いた。浮いたお金は腕の良い技術者へ投資する、と決めている。
とにかく私の中では大団円、という結果だ。
満足そうに一人頷く私の前に、ギルジオはガチャンと淹れたばかりの紅茶のカップを荒々しく置き、私を睨んだ。
「何の前触れもなく、出先でお前が大怪我をしたと聞いたこっちの身にもなってみろ」
「もう、それはお何回も謝ったじゃない。心配かけてごめんってば」
私は唇を尖らせる。
あの日、私が怪我をしたと聞いたギルジオは、慌てふためいた様子で帰ってきた。そして、事情を話すと、黙って私に特大のゲンコツを食らわせた。
しかし、あのゲンコツでは溜飲が下げられなかったらしい。現に、あの件から一週間たったのにもかかわらず、未だに怒っている。
ギルジオは口元を皮肉げにゆがめた。
「お前はあらゆる面で、俺を心配させる天才だな」
「そういうギルジオは、皇女に気安くゲンコツをするなんて、本当だったら大罪よ?」
「訴えてみろ。俺がいなくなって、困るのはお前だぞ。だれが決算書の見直しをやってると思ってるんだ」
「何よ! 時間はかかるけど、私だって決算書なら見直しできるわ! 我慢の限界がきたら、訴えてやるんだからね!」
ぎゃんぎゃん口喧嘩をしていると、ふいに部屋のドアがノックされ、慣れた様子でジルが入ってくる。
「また喧嘩ですか? 前々から思っていましたが、お二人ともくだらないことで喧嘩しすぎですよ」
遠慮ないズケズケとしたジルの物言いに、ギルジオが苦い顔をする。
他の侍女たちがいなくなったせいか、ジルは前のようにおどおどしていない。それどころか、けっこうはっきりとものを言うタイプの女の子だと判明した。仏頂面と無愛想な態度なせいで、近寄りがたさにおいては一級品のギルジオに対しても、まったく臆さず意見を言える、数少ない肝が据わったご令嬢だ。その上、仕事も正確だ。
私は泣きまねをしながら、ジルの背に隠れる。
「ねえ、ジル。ギルジオに今日もお小言いわれているの。すごい生意気な口きいてくるし」
「皇女様、あまりギルジオさんに心配かけちゃだめですよ」
「はぁい」
「まったく、お二人とも王宮ではご自身がどう思われているかご存知ですか? 『物憂げでミステリアスな皇女』と『献身的で寡黙な美形騎士』ですよ。それなのに、実際ときたら……」
ジルはちらりと私たちをみやる。私は苦笑し、ギルジオはフン、と鼻で笑った。
「イメージはイメージだから」
「そのようですね。どうか周りの方々を、このままうまく騙し続けてくださいまし」
ジルはひとつため息をつくと、思い直したように口を開く。
「……ああ、そういえば、お客様がいらっしゃっていますが、お会いになられますか?」
「え、おじい様のお客様じゃないの? 今日は誰とも会う約束はしていないはず」
「それはそれは立派なお花を持って、第二皇子のイサク様がおいでです」
あくまで冷静なジルの一言に、その場の空気が一瞬で凍りついた。





