聖なる夜の小さな奇跡・中
「……あなたは?」
声が震えてしまった事に気付いたのだろう。
一瞬顔を顰めると、北条さんは真っすぐに私を見つめた。
彼の全身を覆っている真紅のコートに、改めて気付く。
「…サンタ、クロース?」
「…ばれちゃしょうがないな」
苦笑いを浮かべながらも、あっさり認めた彼に言葉を失う。
視線を移すと、眼下には街の灯が煌めいている。
そもそもビルの谷間を、トナカイに引かれたソリが飛んでいるという事自体、考えてみればシュールだ。
あまりにも非現実的な状況と光景に、つい笑い出してしまう。
笑みを浮かべたまま振り向けば、そこには日頃の態度からは想像もつかないほど真摯な眼をした北条さんがこちらを見下ろしていた。
「…サンタクロースって実在するのね」
笑い事ではなかったのだ、とごまかすように尋ねてみたけれど
「ヒゲの爺さんじゃなくて申し訳ないけどな」
冗談とも本気ともつかない口調からは、彼の真意を読み取れない。
「…どうして?」
「ん?」
こちらを見つめる北条さんの顔が…何故だかとても苦々しく見えるのに、どこか寂しそうで。
そういえば、いつも飄々としている彼のこんな顔を見るのも初めてだ、と何故か胸が痛んだ。
「…悠香さん?」
質問を投げかけておきながら黙り込む私を気遣うよう、肩を揺さぶる北条さんの顔を逆に覗き込む。
それにしても…。
——悠香さん、だなんて…。
「どうか、した?」
意図せず見つめ合う形となり、吐息が掛かるくらい間近に端正な彼の顔がある事を妙に意識しまい、頬がカッと火照る。
暗がりだからはっきりとはわからないだろうけど、おそらく真っ赤に染まったであろう頬を押さえ
「え?あ、あの…どうして?…その、ご自分がサンタだってあっさり認めたんですか?」
誤魔化すように訊ねてみる。
すると彼は悪戯っぽい笑みを浮かべ
「美人に隠し事なんて出来ない性質なんでね」
と片目を瞑った。
——もしかしなくても…はぐらかされたのかしら?
釈然とはしないものの、何となく話しかけてはいけないような雰囲気に、それきり会話が途切れた。
時折チラッと彼の横顔を窺うものの、口を開く勇気はなく。
私も沈黙を保ったまま、流れてゆく景色を見つめていた。
ややあって、北条さんはやや緊迫した顔を向け、申し訳なさそうに言った。
「君を無事に送り届けてあげたいんだけど、ちょっと難しいかも」
「え?」
「とりあえずしっかり掴まってて」
手を伸ばし彼に縋りつくより早く、何かがぶつかるような鈍い音がしてソリが大きく揺れる。
「チッ、下か」
下から突き上げるような激しい衝撃に、私の身体はふわりと浮き上がった。
投げ出されると見るや、彼はソリを蹴り空中で私を抱え込んだ。
宙を舞ったのは、ほんの一瞬。
地面に激突する瞬間、彼は私を抱きしめる腕の力を一層強めた。
その結果北条さんは受身すら取れず、雪の積もったアスファルトへ背中から叩き付けられた。
決して手を離さぬよう、私をきつく抱きしめたまま。
「ぐっ…!」
決して小さくはない負荷を1人で受け止めきった彼の口から、苦しげな呻き声が漏れる。
「北条さん!大丈夫ですか?北条さん?」
「…鍛えてるんでね」
慌てて抱き起こそうとする私を制し、彼は顔を顰めながらもどうにか立ち上がる。
そして身につけていたコートを脱ぐと、私に手渡した。
「これ持ってて。
ゼロ、悠香さんを頼む」
傍らに降り立ったトナカイの首をポンポンと叩くが早いか、彼の姿がフッと消えた。
「ほ、北条さん?」
ヒュン!と宙を切り裂く音に交じって、何か硬い物を打ち付けあうような高い音が絶え間なく響く。
目を凝らすと、北条さんが誰かもう1人が激しく切り結んでいた。
「お前はいつもジャマだな、サンタ」
「ほざけ!」
真っ黒な服で身を固め仮面をつけた男性が、大振りな剣を縦横無尽に振るっている。
対する北条さんは、やや細身な剣でその攻撃を受け流している。
武器だけ見れば、何となく北条さんの方が不利な気がするのに…一歩も引かぬ互角な戦いを2人は続けていた。
素人目に見ても隙がない動きに、華麗ともいえる剣さばきに、私は状況も忘れて見とれてしまった。
「だがお前のその甘さが身を滅ぼすのだよ」
不意に仮面の男がこちらを見た。
仮面越しに滴るような悪意を含んだ視線を感じ、思わず体が震える。
するとその視線を遮るように、ゼロと呼ばれたトナカイが仮面の男と私の間に立ちはだ
かった。
まるで彼の言葉通り、私を守るかのごとく。
それでも…ゼロ越しに憎悪と歪んだ笑みが突き刺さる。
——怖い。
混じり気のない悪意がこれ程怖いだなんて、知らなかった。
思わず後ずさったその瞬間。
首筋に押し当てられた冷たい感触に背筋が凍る思いがした。
「手荒な真似はしたくないんだがね、お嬢さん」
——いつの間に…。
片手で抱え込まれ銃のような物を突きつけられた私を見て、北条さんは顔色を変えた。
「悠香さんを離せ!彼女は関係ないだろ」
「無いと言い切れるのかね?サンタ」
いかにもおかしそうに笑う仮面の男の口調に、どこか皮肉気な響きが混じる。
「お前のオンナだろうが」
「なっ……違う!」
「あぁ、まだ片思いなのか」
——は?…女?誰が、誰の?
思いがけない頭の中が真っ白になる。
そんな私の様子などどうでもよさ気に
「この女がどうなってもいいのか?
さもなくば武器を捨てろ、サンタ」
と仮面の男は言い放った。
その言葉で私はハッと我に返る。
「よせ!言う通りにするからその人には何もするな!」
「ダメッ!」
咄嗟に大声で叫んでいた。
「ダメよ、北条さん!」
「ほぅ、勇ましいお嬢さんだな」
撃鉄を起こし、ゆっくりこめかみに突きつけられる銃よりも冷たい口調に、紛れもない殺気を感じ全身が総毛だった。
「やめろ、ブラック!」
仮面の男の纏う気配が変わったと見て取るや、北条さんは手にしていた剣を無造作に放り投げた。
「彼女には手を出すな!」
「お前がそうまで焦るとはな、サンタ」
どこか狂気を孕んだ嘲笑に唇を噛みしめる。
——このままでは、私のせいで北条さんが危険な目にあってしまう。
この男は本気だ。
本気で北条さんを傷つけようとしている…。
こめかみから離れ、北条さんに向けられた銃が迷う事なく心臓に狙いを定めた。
けれど…北条さんは少しも動じず、大丈夫だというように優しい眼差しで私を見つめている。
そんな彼の表情に心が決まった。
「撃って、北条さん」
「女、バカな事を言うな」
思いがけない言葉に驚いたのか、仮面に男の銃を持つ手がビクリと震えた。
「私に構わず撃って」
「黙れ」
回されていた腕が、余計な事を言うなといわんばかりにギリギリと首を締め上げる。
それでも私は北条さんの目を見つめ
「あなたを信じています」
と言い切った。
その言葉に北条さんは驚いたように目を見開き、そして微かに頷いた。
「動くなよ、悠香」
「こ、この女が死んだらお前のせいだぞ!」
北条さんの冷静さとは対照的に、仮面の男の声は上擦り、明らかに動揺しているのが見て取れる。
「どうかな?俺って不可能を可能にする男だから」
すっと目を細め、北条さんは隠し持っていたらしい銃を徐に構えた。
決着がついたのは一瞬。
パァン!と乾いた音が炸裂すると同時に、私を捕えていた腕の力が緩んだ。
その隙に腕を振り解き、北条さんの元へ駆け寄った。
「悠香!」
全身で私の盾になるよう背に庇い、油断なく銃を構える北条さんに縋りつく。
倒れている仮面の男に目を向けると、どうやら先ほどの一撃で仮面が吹っ飛んだらしい。
身を起こしながら片手で顔を隠し、忌々しげにこちらを睨みつけている。
「まだやるっての?」
「クッ…今日のところは引き上げる。
しかしサンタ、必ずこの決着をつけるぞ」
「やなこった、もう2度と現れるな!」
即座に吐き捨てる北条さんに舌打ちをすると、黒いトナカイの引くソリに飛び乗り音もなく去っていく。
完全に仮面の男の姿が見えなくなったのを確認して、北条さんは私に向き合った。
「大丈夫か?怪我はない?」
切羽詰まったような声で言いながら、両手で私の身体のあちこちに触れて確認する。
「あなたこそ…大丈夫なの?
どこか怪我は?」
北条さんの頬に触れようと伸ばした手は途中で掴まれ、掌を上にしてまじまじと見つめられる。
「怪我はないみたいだな。
ちゃんと…動くよな?」
「え?えぇ」
軽く手を握ったり開いたりしてみたが、痛みもない。
——手…は大丈夫だったけれど。
でももう少しで北条さんも私も、あの仮面の男に…。
そう思った途端、全身が震えた。
今になって感じた恐怖が、突きつけられた銃の感触が、現実のものとなって襲い掛かる。
「良かった、無事で…って、悠香?
大丈夫か」
震えが止まらない。
「…北条、さん」
——怖かった。
本気で撃たれるかもしれないと思った。
私も、そして北条さんも。
目の奥がツンとして、吐息が震える。
「大丈夫だ、悠香、もう大丈夫だから」
耳元で囁きながら、北条さんはそんな私を抱きしめてくれていた。




