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聖なる夜の小さな奇跡・前


このお話は「ソツのない彼氏とスキのない彼女」のキャラを別設定で描いたクリスマス企画です。いつもとは違うようで同じかもしれない⁉︎そんなお遊び企画ですが、お楽しみいただければ幸いです。


 * * *



幼い頃から夜更かしなんてした事がなかった。

特にクリスマス・イブの日は、一緒に暮らしていた祖母に早く寝るように言われていた。



『イブの日はね、特別なんだよ。

ちゃんと寝た子には、勿論サンタクロースがプレゼントを持ってきてくれる。

けれど遅くまで起きていた子は、ブラックサンタに「夢」を奪われてしまうんだよ』



サンタクロースというとトナカイの引いたソリに乗り、子供達に夢と笑顔・プレゼントを配る赤い服に身を包んだ白髭のおじいさんを想像する人が多いだろう。


対して真っ黒な衣装に身を包み、子供達の「夢」…すなわち、楽しみや希望を奪ってしまうのが、ブラックサンタなのだという。


子供心に祖母の語るブラックサンタはとても怖い存在だった。


そんな怖い人がやってきてはたまらない。

私はプレゼントの期待に胸をドキつかせつつも、ブラックサンタを恐れて早々に寝付いてしまう子供だった。


 *


いつもより幾分早い時間ではあったが、最後のお客様が帰ったので店内の照明を絞り、閉店の札を下げる。

私が食器を洗い始めると、美里もカウンター内の片づけをはじめ、足りないものを手際よく補充していく。

その間に、野口君が明日の仕込みを始めていた。


いつもはレジを閉めるのも美里にお願いしているけれど、今夜はイブ。


江藤君が通りの向こうで寒そうに肩をすくめながら美里を待っている姿を、さっき閉店の札を下げに行った時に見つけていた。


「ご苦労様、美里。ここはもういいわよ。

それより早く行ってあげて」


佇んでいる彼に気づいたのか「アイツ…」と鼻にしわを寄せた美里の耳は真っ赤で。


人当たりがよく優しい彼女らしからぬ少し乱暴な物言いが、実は照れ隠しだと知っている私は美里の背をとんと押した。


「メリークリスマス、江藤君によろしくね」


「はい、お疲れ様です。

それと、悠香さんもメリークリスマス」


笑顔で店を出る美里に手を振り、私は店のカギをかけて厨房に戻った。


「野口君も、那月が待っているんでしょう?」


「しかし、明日の仕込みがまだ…」


「明日、ちょっとだけ早く来てくれたらそれでいいわ」


「…ありがとうございます、ではお先に失礼します」


自分で作ったケーキ自分で作ったケーキの箱を抱え帰っていく野口君を見送り、私は最後まで残っていた北条さんを振り返った。


「北条さんもお疲れさま。

私は明日の仕込みが残っているから片づけて帰るわ」


「そうですか。

んじゃ、メリークリスマス、オーナー」


「あなたも、メリークリスマス」


裏口から北条さんが出ていくと、たいして広くもない厨房がしんと静まり返った。



ここは、ビストロ、プティ・エンジェル。


オーナーシェフ兼パティシエの私、今西悠香とシェフの野口君、ギャルソンの北条さん、ウェイトレスの美里。


この4人で切り盛りしている店は、4人掛けのテーブルが3つに2人掛けのテーブルが1つ、カウンターが3席とこじんまりしている。


けれど、念願かなって手に入れた私の「城」だ。



この年齢で自分の店を持つ事もだけど、店を続けていく事、常にお客様の求める味を提供し続けていく事は本当に難しい。


サービス、味、店の持つ雰囲気、そしてコストパフォーマンス。

どれが落ちてもあっという間に客足は遠のいてしまう。


美味しい食事を提供するための努力は惜しまなかったし、その点うちはスタッフにも恵まれていると思う。



シェフの野口君が作る料理は繊細でとても優しい。

また、彼は向上心も旺盛で、うちの定番メニューをいくつも作り出してきた。

オープン当時からのスタッフでプライベートでも良き友人だ。

それに、彼の婚約者は私の親友でもある。

来春挙式する那月とは、似合いの夫婦となるだろう。


ウェイトレスの美里は細かいところにもよく気が付き、お客様の望む接客を心掛けてくれている。

実際、彼女の笑顔と細やかなサービスで客層がぐんと広がった。

お客様としてやってきた江藤君に見そめられ、彼の強引ともいえるアタックの末、ようやくお付き合いする事になった…のは、ここだけの話。


そして、最近ギャルソンとして入った北条さん。

やや軽薄な感は否めないものの、彼の勤務態度は悪くはない。

女性限定と断言する笑顔は(そういう事をさらりと言う辺りが軽そうに見えるのだ)…確かにさわやかだ。

少なくとも彼が来てから、美里とは違う意味でこの店の客層が広がったのは事実だ。


そつのない接客と甘いマスクでランチの時間帯は主婦層の、それ以外の時間帯は学生と社会人のお客様が増えたのだから。



それに…彼のおかげで増えたお客様がケーキをオーダーしてくれるようになったので、スイーツの売り上げも上々だ。


その点においては、今が一番いい時期なのかもしれない。

私にとっても、店にとっても。


仕事は楽しいし店もうまくいっていて、良い仲間や何でも言い合える親友がいて。


…これで、私だけを見てくれる素敵な男性がいたら、なんて考えるのは贅沢なのかもしれない。

などと考えている間に、仕込んでおいたプリンが焼きあがったのでオーブンから取り出し粗熱をとる。


予約数よりも多めに作ったブッシュドノエルも完売し、それ以外のケーキも今晩は概ね売り切れてしまった。

けれど明日にはクリスマスモードもおしまい。


通常店に出しているチーズケーキにフルーツなどのタルトが主力に戻る。

とはいえ、タルトの生地は焼きあがっているしあとは明日作ればいいから、とり会えず今日は帰ろう。

レジの中に入っているお金と帳簿を合わせて金庫に入れ、何気なく時計を見ると23時‬を過ぎたところだった。



どうやら、みんなが帰ってからかなりの時間が過ぎていたみたい。

厨房の灯を落とし私は裏口から出た。

店の中にいたからわからなかったけれど雪が降りだしていたみたい。


「ホワイトクリスマス、か」


遅い時間のせいか通りには人影もまばらで、奇妙なくらい静かな夜だった。



…その時。

マフラーに顔を埋めるようにしながら歩き出した私の視界を突然何かがよぎった。


「…?」



街路樹の間を何か物体…ヒト?がものすごい勢いで吹っ飛んでいき、通りの向こう側にどさりと落ちた。


「…北条、さん?」


思わず駆け寄った私の目の前には、痛そうに顔をしかめた北条さんがいた。



「大丈夫ですか?立てますか?」


「…俺が見えるのか?」


「は?…えぇ、見えますわよ」


おかしいな、とぶつぶつ言いながらも首を傾げる彼に手を差し出す。

素直に私の手につかまりながら彼は立ち上がり…そして、ハッと周囲を見渡した。


「北条、さん?」


「ここは危険だ、早く離れて」


いつもの飄々としてどこか掴みどころのない彼の、押し殺した怒声に咄嗟に反応することができなかった。


呆然とする私を背にかばい注意深く辺りを窺う北条さんは…正直いつもの彼とは別人のようで。


ヒュン!


闇を切り裂き飛んでくる音が聞こえるのと、彼に押し倒されるようにして避けるのと、一体どちらが早かったか。


背後にあった街路樹が抉れ、砕かれた破片が飛び散るのを半ば呆然と見つめる。


「っ!」


足元に転がった石の大きさとその威力に、ジワリと嫌な汗がにじむ。


「走れるか?」


訳も分からないまま頷くと、抱きかかえられるように支えられいきなり全力疾走を強いられた。

そのまま物陰に身を隠し、上がった息を整える。


「ごめんな、面倒なことに巻き込んで。

とりあえず奴を撃退したら、安全なところまで送るから」


彼の言葉が終わるや否や鈴の音が近づいてきて、何処からともなくソリを引いたトナカイが現れた。


「さ、乗って」


押し込められるように乗ったソリに2度3度と衝撃が走り、無我夢中で目の前にあったソレにしがみつく。


「…悠香さん?大丈夫か?」


ややあって、聞こえてきた心配そうな声が思いのほか近くで聞こえ、私はハッと顔を上げた。


同時に、我を忘れて彼のたくましい首に両腕を回していた事に気が付き、慌てて手を放した。


「ご、ごめんなさい」


「いや、それよりケガは?」


「いえ大丈夫です」


そっか…と安心したように息を吐き出した北条さんは、すぐに唇を引き結び油断なく銃を構えたまま周囲を窺う。


初めて見る厳しい顔つきの彼は、普段とは全くと言ってよいほど様子が違っていて。


でも…よく考えてみると、私は彼のことを何も知らない頃に気が付いた。



彼が店にやってきたのは3か月前のこと。

仕事中は一緒にいるけど2人きりという訳ではないし、彼はプライベートについてはあまり話をしたがらないから、こちらも無理に聞き出そうとはしていなかった。


彼の普段の話し方や接客態度などからその人となりを察することは出来ても、それは彼が私たちに「見せて」いる姿に他ならない。



そう。


北条さんが普段見せている姿が、本当の彼とは限らないのだ。




——彼にはまだ、私の知らない一面があるのだ。


そんな当たり前の事実に、なぜか胸がツキンと傷んだ。


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