パズル
「ごめん!ホンット申し訳ない。
なんかバグっちゃって、とりあえずそれ直るまで帰れそうにないんだ」
後ろで
「北条さーん」
と呼ぶ声に
「分かってる!」
と怒鳴り返し、また申し訳なさそうにごめんと繰り返す智に
「そんなに謝らなくても良いわよ。
それより原因は?」
と尋ねてみる。
「SEが言うにはウィルスだろうって。
今、箇所の特定と除去作業してる」
「そう。とりあえずまた帰る時に連絡して?
じゃあみんなにもよろしく」
相手が切ったのを確かめてから、溜息をつき通話を切る。
現在PM19:07。
クリスマスイブという事もあり、さすがにフロア内の人影もまばら。
1課にいたっては、残業しているのは私1人という状態だった。
それでも3泊4日で出張に出ていた智がもうじき帰ってくる。
2人きりでイブの夜を…と思って待っていたら、突然のキャンセルの電話。
不測の事態とはいえ、仕事が大事だとはいえ…今日ばかりは一緒にいたかったのに。
——とはいえ、SEほっといて1人で帰ってきたら、それはそれで怒るのは間違いないのだけど…。
「あーあ、今年は1人で寂しくクリスマスかぁ」
口にした途端、猛烈に寂しさと侘しさが込み上げて、なんだかやけ食いしたい気分になってきた。
智と2人で食べようと思って予約していたケーキ、ホール丸ごと晩御飯代わりに食べちゃおうっかな…。
再び溜息をついて帰り支度を済ませ、社を後にする。
1歩社を出ると目につくのは、この日ばかりはと人目も憚らずにいちゃつくカップルばかり。
どうしたって溜息が漏れるのは押さえようもないので、俯き加減で足早に駅へと急ぐ。
——今頃、智だって大変なんだから。
分かっていても込み上げてくる寂しさに、拍車がかかる一方で。
「智の…バカ」
小さく呟き、ホームに入ってきた電車に乗り込んだ。
予約していたケーキを受け取り、少し考えてワインを1本、それに出来合いのローストチキン、サラダ等を買い込んで家に戻る。
「ただいま」
いつもなら一緒に帰ってきたとしても、「お帰り」と言ってくれる智がいないだけで、こんなにも寂しいなんて。
いつの間にか、一緒にいる事に慣れきっていた事に驚きを覚えつつ、昔はそうじゃなかったのにと考えてしまう。
暗くて寒い室内に入り、ヒーターをつけケーキを冷蔵庫に入れる。
そこで留守番電話にメッセージが入っている事に気がつき、もしやと思い慌てて再生ボタンを押してみた。
「…」
けれど入っていたのは間違い電話が1件。
なんだか無性に腹が立って、すぐさま消去すると買ってきたワインを開けた。
「メリークリスマス!」
1人で乾杯し1人でチキンをつまむ。
ワイン1瓶など、あっという間に空いてしまった。
酔っ払って不貞寝でも出来たらまだ楽なのに。
悲しいかな、これ位では全く酔えない。
もう1本買ってきたらよかった…と思ったけれどもう後の祭り。
今更もう1本買いに行く気にもなれず、また間の悪い事に冷蔵庫にはもうビールが1本も入っていないので、お酒は諦める事にする。
気を取り直して、折角だからと前から読みたかった小説を開くも、字面を追うばかりで内容はちっとも頭の中に入ってこない。
一時期、社内でものすごく流行って、色々な人に「まだ読んでないの?」と言われ続け、やっと買った本だったのに…。
しばらくボーっと眺めていたその本を片付け、少し考えて今度はTVをつけた。
けれど面白そうな番組はやってないし、かといって音楽を聴きたいという気分にもなれない。
——はぁーっ。
今日何度目か分からない溜息を深々とつくと、お風呂を沸かしに立ち上がった。
こんな時はロクな事を考えないものだから、早々に寝てしまうに限る。
万が一、お風呂に入っている時に智からかかってきてもすぐ出られるように、とスマホを洗面所に持っていってお風呂に浸かる。
けれど結局、スマホはうんともすんとも言わなかった。
諦めて歯磨きをし、ベッドに潜り込む。
昨日までは1人でも大丈夫だったのに、今日に限ってやけに広いベッドがとても寒々しくて私は隅っこに丸まって目を閉じた。
* * *
ピンポーン、ピーンポーン。
翌朝玄関のベルの音で起こされたのは、8時半を少し過ぎた頃だった。
一瞬、智が帰ってきたのかも…と期待しかけ、彼ならベルを鳴らす必要のない事を思い出す。
「…誰よ、こんな朝早くに」
平日なら決して早いとはいえない時間だけど、生憎今日は土曜。
のそのそと起き上がりインターフォンのボタンを押す。
「おはようございます、バイク便です。
印鑑お願いします」
「あ…少々お待ちください」
慌てて着替え髪を撫で付け、鏡を覘き込んでからドアを開ける。
「北条様よりお届け物です。
印鑑はこちらに…」
時間指定された小さな分厚い封筒を手渡され、見慣れた智の字で私の名前と住所が記されているのを確認する。
「ご苦労様です」
ドアを閉めリビングに戻ると、ハサミで慎重に開封する。
中から出てきたのは…小さなカギが2つと
『赤いベロアのワンピースにコート、ロングブーツを履いて出発!』
とだけ書かれた紙が1枚だけ。
行く先も目的も…他には何も書かれてはいなかった。
——?
一体どういう意味なのか、そもそもどこに行けば良いというのか?
彼の真意を測りかね首を捻る。
その時、まるで図ったかのように智からLINEが届いた。
急いで見てみると、そこには
『どこのカギでしょう?』
——どこのカギでしょうって…。
見覚えのあるような、ないような。
小さな2つのカギをじっと見つめる。
同じ物が2つあるのかと思ったけれど、よく見るとそれは形状が全然違っていた。
これがどこのカギなのか、探しに行けという意味…なのだろうか?
とりあえず、朝食を摂ってから行動開始する事にして、コーヒーメーカーに豆とミネラルウォーターをセットする。
カリカリに焼いたベーコンとスクランブルエッグ・ちぎったレタスにトースト、淹れたてのコーヒーをお腹に納めると頭がしゃっきりしてきた。
多分これは、昨日の晩と今日1日をフイにしてしまった私への彼なりのお詫びというか、急に空いてしまった予定の穴埋めというか、そんな物なのだろう。
という事は…これがどこのカギだか分かったとして、カギを開けるとどうなるのか。
次は何をしてくれるのか。
どうせなら彼をぎゃふんと言わせたい。
「こんなの簡単だったわ」
と言ってみたい。
ほんの少しわくわくしながら私は彼の言うとおり着替えをし、わざわざ時間指定して智が送ってきた小さなカギを持って部屋を出た。
* * *
2個のうち1個は心当たりがない訳ではなかった。
カギの大きさや形から言っても、ドアのカギとかそんな物でない。
多分あそこのカギだろう、と私はまっすぐ会社に向かった。
「おはようございます」
守衛さんに挨拶をして、そのまま地下にある男性用のロッカー室をノックする。
広い無人のロッカー室の中からの智の物を探し当て、鍵穴にカギを差し込んでみる。
と…果たしてそれで正解だったらしく、かちゃんという音と共にロッカーのカギが開いた。
恋人とはいえ、他人のロッカーを勝手に開けるなんて…。
躊躇いと好奇心を天秤にかけたのは、ほんの一瞬。
このカギを寄越したという事は、中を見られても構わないという事だと判断し、そっとドアを開ける。
しかし出てきたのは
“残念でした”
と打たれたメモが1枚だけ。
——なんか結構…ううん、すごく悔しいかも。
『お~、引っかかったな』
と楽しそうに笑う智の声が聞こえた気がした。
念の為ひっくり返してみても、何も書かれていないメモをくしゃっと握りつぶし、ロッカーのドアを閉める。
2個あるカギのうち、分かりやすい方はフェイク。
しかもご丁寧に「残念でした」なんて、メモまで用意して。
という事は、もう1個の方が正解という事なのだろうけど、随分また手の込んだ事を。
…とはいうものの、出張に行く前からこんな事を仕組んでいたとは思えない。
それはすなわち誰か協力者がいる、という事。
一体誰なのか、候補者はすぐに何人か浮かんだが、それが誰なのかは今はどうでもいい事だ。
もう1つのカギをじっと見つめて私は考え込んだ。
これがどこのカギなのか。
家にはこれが使えそうな物がないし、私や智の私物でも心当たりはない。
そもそも1個が社内のロッカーの物だからといって、これも社のどれかの物だという保証もない。
だけど智は、私なら見当が付くだろうと思ってこのカギを送って寄越したのだ。
という事は…少なくとも全く見も知らない場所や物ではないのだろう。
そう、たとえば行った事もない駅のコインロッカーのカギとかではない…筈。
それに…この形、どこかで見たような……?
記憶を手繰り寄せながら、無意識に営業1課に向かっていた私は、何の気なしに並んだデスクを見てハッと気がついた。
社より支給されているデスクはどれも規格が一緒で、デスクの4つある抽斗の1番上にはカギがついている。
智のデスクに近づき、持っていたカギを恐る恐る差し込んでみた。
かしゃん。
小さい音を立ててカギが開き、ドキドキしながら抽斗を開ける。
そこには、書類や筆記用具に紛れるように1枚の写真が入っていた。
——どこかの…店、だろうか?
業種までは分からないけれど、なんとなく見覚えがあるようなその場所が、彼の次のヒントなのだろう、と直感する。
手にとって、その写真がデシカメで撮られた物だという事に気付く。
そしてよーく見ると昨日の日付が…。
どこの誰かは知らないが彼の協力者…というより、無理やり押し付けられたであろうその人に、こっそり同情しながら抽斗を閉める。
元通りに鍵を掛け、写真を片手に私は彼の椅子に腰掛けた。
——いつ、どこでこの店を見たのだったか…。
そもそも見ただけなのか、それとも何らかの用で中に入ったのか。
仕事中だったか、それとも完全なプライベートだったか。
智も知っているという事は、それほど前という訳ではないのだけど…。
額に手を当て記憶を遡る。
その時、またしても智からLINEが届いた。
見てみると『1個目の謎はもう解けた?』とだけ書かれている。
今やってるわよ、と呟き写真をまじまじと見つめる。
店の雰囲気から察するに、飲食店ではないのは間違いない。
ディスプレイされているものが小さいから、洋服やそんな類の店でもなさそう。
どっちかといえば、雑貨店か宝飾店っぽいような…。
——宝飾店?
「っ!」
分かった!…あそこだわ。
手に掛けていたコートを羽織りながら、営業1課を飛び出す。
「お疲れさん」
「お疲れ様です」
声をかけてきた守衛さんに頭を下げ、記憶を辿りながらその店へと急いだ。
私の記憶が確かなら、1度だけ智と行った事がある隣町の地下街にある宝飾店。
そこで間違いない…筈。
今年の夏ごろ、社から電車で5駅のトコに大きな地下街が出来て、家とは反対方向なのだけど仕事帰りに智と行った事があった。
出来てすぐという事もあり、綺麗で華やいだ雰囲気の地下街は、なかなか活気に溢れていて、私達ははぐれてしまわないよう手を繋いで歩き回った。
そんな私の目を惹いたのが、写真の店の店頭にディスプレイされていたリングだった。
散りばめられたダイヤが眩い光を放つ華奢なデザインのそのリングに、私はすっかり魅了されてしまった。
不意に立ち止まった私に
「どした?」
と驚いたものの、すぐに事態を察したのであろう。
智も一緒になってリングを覗き込んだ。
「悠香によく似合いそう、はめてみたら?」
促されるまま右手の薬指にはめてみると、サイズもぴったりだった。
「よく似合ってる」
目を細めながら、嬉しそうに言ってくれる智に微笑み返す。
けれど何の気なしに値段を見て、私は軽く固まりかけた。
途轍もなく高いという程ではないにしても、ポンと出してしまうには躊躇われる金額に慌ててリングを外して店員に返す。
「なぁ、買わないのか?
それ、気に入ったんだろ?」
「え…えぇ。
でもよく考えたら作業の時にはちょっと…。
汚れたり傷ついてもイヤだし」
あと0が1個少なかったら…迷っても買っていたかもしれない。
だけどお給料の半額と大して変わらない額に、言い訳がましいと思いながらも店員さんに礼を言って店を出たのだった。
記憶を頼りに、広い地下街の中からその店を探し出すのはそう難しい事ではなかった。
写真と寸分違わぬ店の前に立ち、自分の記憶が正しかった事を確信する。
ただ、この写真の場所がどこか分かったとして…それからどうすればいいのだろう?
写真には何も書かれていないし、智からのメールにもヒントはない。
「あの…失礼ですが今西様では…?」
「え?あ、はい…そうですが」
突然店の中から出てきた女性に声をかけられ、私は驚いて振り向いた。
「あぁやっぱり…。
北条様より伝言を承っておりますので、こちらへどうぞ」
店の奥に通され勧められるまま席に着く。
「あの…これは一体……」
「少々お待ちくださいませ」
にこやかに一礼し奥に姿を消した女性の後ろ姿を、半ば呆然としながら見送る。
——智からの伝言って…一体?
「お待たせいたしました」
奥から現れた女性は、小さな小箱を手に戻ってきた。
「あの…どういう事でしょう?」
「その前に、まずはこの箱の中身をご覧下さい」
箱を手渡され、訳が分からないながらも言うとおり開けてみると…。
あの時、心惹かれ迷いながらも諦めたリングが入っていた。
「あの…これは」
「実は1週間前に北条様が当店にお越しくださいまして、クリスマスプレゼントという事で、こちらの品をお買い上げになられたのです。
本当は昨日お渡しする予定でしたが、ご予定が変わられたとお電話をいただきました。
その時に、このようにして欲しいとご依頼されたのです。
こちらが北条様よりお預かりしましたご伝言でございます」
FAX用紙の1番上に書かれた
「悠香へ」の文字は、間違いなく彼の手によるもので。
私はその紙を受け取った。
『14201605』
まただわ…。
でも悪いけれど、これが1番簡単。
腕時計で時間を確かめると、現在時刻は13時ちょっと前。
家を出てから、かれこれ3時間以上過ぎた事になる。
改めて時間を認識してしまうと現金なもので空腹を感じた。
そういえば…昨晩はろくな食事をしていない。
今朝だって、智がいないから極々軽い物だったし…。
「あの…そのままつけてお帰りになられますか?」
「あ、じゃお願いします」
* * *
軽く腹ごしらえを済ませてから、私は彼を迎えに行く為、駅へと向かった。
さっきの8桁の数字。
あれは14:20に向こうを出て、16:05にこっちに着くという暗号。
改札前に10分前には着いたけれど。
1秒でも早く顔が見たいから、入場券を買って中で待つ事にする。
彼はタバコを吸わないから、喫煙車両に乗る事はまずありえない。
服にタバコの臭いが付いただけで、嫌そうな顔をするんだもの。
そして、昨日の時点で新幹線の時間を決めてFAXを送ってきたという事は、多分座席を指定したからに違いない。
指定席の禁煙車両の位置で、電車の到着を待つ。
手鏡を覗き込んで髪型を整え、リップが取れていないか確かめる。
——あと…7分。
そうすれば智に会える。
そう認識した途端、不必要に高鳴ってくる胸に手を当てて目を瞑る。
——あと少し。
たかだか10分足らずの時間が、1時間にも2時間にも思えるほど長く感じられ、耳元で心臓が脈打っているかのような錯覚に陥りかけたその時、ホームに電車が滑り込んできた。
完全に停止した電車のドアがゆっくりと開き、人波の間から見慣れた姿が近づいてくる。
「智!」
思わず駆け寄ろうとして、彼が真っ赤な薔薇の花束を抱えている事に気付く。
かっちりしたスーツに、羽織っただけの黒のコート。
恋人という欲目を除いても、背が高くモデルみたいなその姿に一瞬見惚れた。
「メリークリスマス!悠香」
「…あなた、登場の仕方が派手すぎるわよ?」
周りの人達が、チラチラと智と私の方を見ている事に気付き、苦笑しながら言うと
「えー?ドラマチックと言って欲しいな、俺としては」
相変わらずの軽口がひどく懐かしくて、嬉しくて、私は智にギュッと抱きついた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
家でしているように、智の右の頬に軽く口付ける。
「ごめんな、昨日帰れなくて」
「ううん、いいの。
それに楽しかった、今日1日」
それでも、なおも謝罪の言葉を口にしようとする彼の唇を私のそれで塞ぐ。
そして
「メリークリスマス、智」
ほんの少しだけ唇を離してそう囁きかけると、ようやく彼は微笑んだ。




