指定席
営業1課とプロジェクトメンバーの合同研修という名目で、やってきたのは情緒溢れる有名な温泉宿。
元々あまり乗り気じゃなかったメンバーに、かなり強引にこの「企画」を持ちかけ、あっという間にセッティングしてしまったのは1課の方だった。
そこまで言うなら一切を仕切ってもらうからなと念を押し、お気楽な旅行を楽しむ筈だったのに…と北条は内心ぼやいていた。
広間を借り切っての宴の席で悠香の周りには、1課の野郎共が群がっていた。
それを尻目に門馬・江藤・田嶋はこっそり溜息をつく。
なんて怖いもの知らず…いや、命知らずな連中なんだ。
彼らの胸の内はこんな所である。
そして転じた視線の先には、古巣営業1課の課長と矢野本部長に挟まれて、仏頂面も出来ない北条の引き攣った笑顔があった。
* * * * * *
「おいっ北条!
お前いーっつも独り占めしてるんだから、たまには俺たちにも貸せ」
いざ宴会が始まると言う段になって、いそいそと悠香の隣りに当然と言う顔で陣取ろうと
した北条に、横槍が入った。
「勝手な事を言うな、このヤロー!
大体今西さんはモノじゃないっ。
貸せとは何事だ」
「やかましいっ!
一応断ってやってるんだからつべこべ言うな」
同期で同じ課のライバル(と向こうが勝手に思っていたらしい)村上が、馴れ馴れしく悠香の肩に手を置いた。
すかさずそれを叩き落し、北条はこれ見よがしに悠香のほっそりとした腰を抱き寄せて
「俺のオンナだ」
と周囲にアピールする。
「男の嫉妬は見苦しいぞ、北条。
これだけの花を独り占めなんて、天が許しても俺が許さんっ!
それでも不満だと言うなら代わりに課長を置いていくから諦めろ」
しかしビシッと鼻に指を突きつけられ、ムキになって言い返そうとする北条を、クスクス笑いながら悠香が制した。
「高くつくわよ、私は」
「どんなに高くても問題ない。
何なら足りない分は身体で…」
げしっ
問答無用で1発殴っておいてから、北条は悠香がそう言うのならと頷き
「何かあったらすぐ呼べよ。
こいつら酒癖悪いから」
と脇に突っ立っている同僚をじろりと睨みつけた。
あからさまに心外そうな顔をする村上だが、しかし1番コイツが心配だと北条は真顔で言い切った。
何せ元同僚。
人様に言えない、あんな事やこんな事も全て知っている。
そう耳打ちしてやると、妙に爽やかな笑顔を浮かべ
「では早速」
悠香を促し、村上はそそくさと自分の席に着いた。
そして1課課長の音頭で、微妙な雰囲気のまま宴会が始まったのであった。
お互いに親睦を図る、という建前は専ら悠香に対してのみ通用する事らしい。
自己紹介もそこそこに、1課の野郎共が入れ替わり立ち代わり悠香に酒を注ぎに行くのを、北条は憮然としながら横目で眺めていた。
とはいえ、課長が次々と話しかけてくるので無碍にも出来ず、愛想笑いをしながら相槌を打っては酒を注ぐ。
もちろん1課長も、悠香を狙っているのは間違いない。
なんせセクハラ大王だからな。
こいつだけでも足止めしておかなければ…。
矢野本部長もいるが、しかし潰しておくに越した事はない。
そうなると吟味されてるらしい山海の珍味も、選りすぐりの酒も全く味がしない。
機械的に酒を注ぎ、会話をしながら料理を口に運ぶ。
北条の笑みは次第に強張っていった。
悠香が、例え営業用スマイルであっても誰かに微笑みかけるのを目にしただけで、胸の奥からドロドロと込み上げてくる嫌な感じ。
それは村上にからかわれた通り、間違いなく「嫉妬」だった。
しかし、妬かれた事はあっても妬いた事など皆無に等しい北条には、それが何なのか見当もつかなかった。
胸に泥か何かが詰まったように息苦しくて、心がささくれ立ってほんの些細な事でも過剰に反応してしまいそうになる。
そんな自分に驚きつつ持て余し、かといってこの場で暴れ出す事も出来ず、北条は黙って手酌で注いだ酒を飲み干していった。
「おーお、そんな呑んで大丈夫かよ」
「何の事だ?」
見かねた江藤が宥めるように酌をしに来たが、北条の爽やかすぎる笑顔—ただし目は笑っていない—に肩を竦めた。
「気持ち、分からなくはないけどさ。
マジ怖いぜ、その顔」
というより笑っていないその目が、とは江藤の心の声。
「別に怖い顔なんてしてないぜ、俺」
一層爽やかさを増す笑顔の中で、目だけが据わって何ともいえない迫力を醸し出す北条に江藤は両手を上げて引き下がった。
あらゆる意味で頼みの綱の江藤まであえなく撃墜され、ますます北条の周りに異様な冷気が立ちこめた。
——今西さん、そろそろ帰ってきてください!
田嶋などは背筋を伝う冷たい汗を感じながら、真剣にそう念じていた。
こうなると北条とは別の意味で、何を食べ何を呑んでいるのか分からなくなってくる門馬・江藤・田嶋であった。
北条と悠香の方を見ないふりをしてひたすら口を動かすものの、味など分かる筈もなく。
早くこの場から立ち去りたいと、そればかりを考えていた。
相変わらず悠香の周りには4~5人の野郎共が群がっている。
時々ドスッズゴッという鈍い音と、妙にくぐもった呻き声が聞こえるが、そのど真ん中で悠香は分け隔てなく笑顔を振舞っている。
本来あの笑顔は俺だけに向けられる筈なのに…それは虫が良すぎる考えなのだろうか?
北条は半ば真剣にそう思い、意外にも自分が独占欲が強い事に気付いて愕然とした。
これが嫉妬というヤツなのか、と初めて気付く。
あの少し困ったような笑顔も、はにかむような仕草も、ほんのり頬を染めた姿も、全て自分以外の誰の目にも触れさせたくはない。
耳に心地よい声も、優しい手も、全て自分だけの物にしてしまいたい。
そこまで考えて北条は軽く頭を振った。
そんな事…そんな息が詰まるような束縛を悠香が望む筈がない。
また強いるつもりも毛頭ないのだ。
分かっていても、面白くないと言う気持ちになるのは止められない。
せめてこっちを見てほしい、と視線を向けると悠香はすぐに気付きニコッと微笑んだ。
複雑な笑みを浮かべている北条の様子に首を傾げ、立ち上がると真っすぐに彼のもとへやってくる。
それが合図のように矢野本部長が立ち上がり、1本締めを打ってお開きとした。
「あれ、社内ではベタベタしないんじゃなかったの?」
悠香が戻ってきて嬉しいくせに、ついそんな憎まれ口を叩いてしまう北条に
「ここは社内じゃないし、私からはいいんです」
珍しく酔っているのか少々舌っ足らずな口調で悠香は言い、北条の隣にちょこんと腰を下ろした。
「なんだか疲れちゃった」
現金なもので先程までのドロドロした感情は悠香が戻ってきた途端、きれいさっぱり吹き飛んでいた。
子供みたいに目を擦りながらもたれかかってくる悠香が可愛くて肩を抱いてやると、普段は髪の毛で隠れているうなじが視界に飛び込んでくる。
「浴衣も似合うな。
それに髪の毛上げてるのもなんか新鮮」
「北条さんの私服も私には新鮮。
お互いスーツとか作業着とか…そんなのしか見た事なかったから」
北条の胸に頬を摺り寄せながら、悠香も思い出したかのように微笑んだ。
さすがにスーツ姿で社内旅行に参加するのもどうかと思ったので、Tシャツにコットンのシャツ、チノパンという至ってラフないでたちで参加したのだが、そんな北条に悠香は目を輝かせた。
悠香の方はというと、初夏らしい涼しげなワンピースに薄手のカーディガンをはおっていた。
元々抜群のスタイルを誇る悠香だが、程よく身体にフィットしたワンピースは良く似合っており、その姿に北条はこっそり相好を崩した。
もっとも、それは北条だけではなかった。
揃いも揃ってだらしなく鼻の下を伸ばした1課の連中が、事あるごとに悠香にちょっかいを出してきた。
それでも平然と—少なくとも表向きは—していられたのは、悠香が彼らを全く相手にしていなかったからなのだ、と改めて痛感する北条であった。
* * * * * *
お開きになった事もあり、悠香に潰された一部の連中と自分達しか残っていない広間で、
人目を気にせずとも良くなった北条は堂々と悠香を抱きしめ
「ちょっと酔いざましにでも行く?」
と提案してみた。
「あら、酔ってないわよ、私」
酔っ払いは大抵「酔ってない」と主張するものだ、という万国共通の認識が北条にもあるのだが、敢えて逆らわずに
「じゃあ蛍を探しに行こう」
と言い直すと悠香は嬉しそうに笑った。
蛍の生息地としても有名なこの温泉の周囲には街灯は殆どなく、月明かりに照らされただけの薄暗い道を北条と悠香は手を繋いでぶらぶら歩いた。
「そういえば蛍って見たことある?」
「実物…はない、かも」
まだ幼い頃、情操教育の一環として、ありとあらゆる生物の生態を勉強した時に、スライドで見たのが最初で最後だった気がする、と北条はぼんやりと思い出していた。
あの頃は、教育熱心という表現では足らないくらいスパルタだった父によって、ありとあらゆる学問を学ばされていた。
学校で教わる事以外にも、家で学ぶ事は沢山あった。
語学だけでも英語の他にフランス語・ドイツ語・ポルトガル語・中国語を自在に操れるようみっちり仕込まれた。
学校が終わっても友達と遊ぶ事も部活も許されず、ひたすら学問漬けの10代。
そんな父に決められたレールの上をただ進むだけの生活が嫌で、高校卒業と同時に家を飛び出した。
奨学制度を利用して大学に入り、家からは一切の援助も受けぬまま卒業と同時に今の会社に入社。
奨学金は30になる前に返し終え、少なくとも父親とは完全に縁を切ったつもりだった。
ゆるくカーブしている道を曲がりきると突然目の前に光の乱舞が現れた。
「すご…い」
黄色とも黄緑色ともつかない小さな無数の光がそれぞれに点滅し、思い思いの方向へ飛んでいく、まさしく「光の乱舞」。
土手の下の川岸から、木々の枝から、一斉に蛍が飛び立ち舞い踊る様は幻想的でもあり、どこか懐かしくもあった。
黙ってしばらく見とれていた北条が気が付くと、隣りで悠香も自分と同じような表情を浮かべて蛍に見入っていた。
「綺麗ね」
北条の視線に気付いたのか、にこっと微笑む悠香の前髪に1匹の蛍が止まった。
「悠香の方が綺麗…って蛍が言ってる気がする」
「あら、光栄だわ」
後ろから悠香を抱きしめ肩に顎を乗せた状態のまま、北条は蛍に視線を転じた。
「こんな綺麗な風景、もう見られないなんてもったいないわね」
「じゃ来年はお邪魔虫はなしで来ようぜ」
別に深い意味はなかったのだが、その言葉を聞いた途端、悠香はクスクスと笑い出した。
「何だよ、急に」
「だって…」
尚も笑うのをやめない悠香の両脇をくすぐって、北条は続きを催促した。
「ちょっ…やだ。
弱いの知ってて…やめっ」
脇が弱点の悠香は必死に身を捩り、北条の「攻撃」から逃れようとする。
ひとしきりじゃれあった後、乱れてしまった髪を手ぐしで整える悠香に北条は訊ねた。
「でさ、何で笑ってた訳?」
「…あなたってば捨てられた仔犬みたいな顔してたんですもの、さっき」
さっきとは、宴会の最中の事だろう。
そんな情けない顔をしていたつもりはないのだが…と北条は首を捻った。
「江藤の奴は怖いって言ってたぜ」
「そっちじゃなくて私と目があった時」
そっちじゃない、という事は少しは気にして見ててくれたのか。
そんな北条の心を読んだかのように悠香は言った。
「大丈夫よ。
私が見ているのは貴方だけなんだから。
彼らに向ける笑顔と貴方だけに向ける笑顔が全然違うの、わかってるでしょう?」
作られた営業用のではなく、心から嬉しそうに微笑みながら悠香は北条を見上げる。
「大好きなのもあなただけ」
悠香が腕の中にいて笑っているだけで、こんなにも心が穏やかになってしまうのか、と改めて北条は実感していた。
「ねぇ智、ここが私の指定席でいいわよね?」
前を向いたまま軽くもたれてくる悠香を北条はギュッと抱きしめた。
「もちろん。
他のヤツだったら、たとえ1億積まれてもお断り」
そして数日後、「高くつく」との言葉通り、悠香にノルマのきつい難しい仕事を頼まれ、それでも張り切る1課の連中の姿があった。
* * * * * *
悠香さんてば計画的!
そして北条さんは余裕なさすぎw




