第6話 ゴッドマザー
第6話 ゴッドマザー
シンレイに男がいた…どうして俺はその事に気付けなかったのだろう。
あれほどの女を男が見逃す訳なんてないのだ。
俺なんかが保護してやらなくても、彼女にはいくらでもいい男が現れるのだ。
彼ならこんな無精ヒゲの汚らしい、声優を辞めたデブなんかよりずっと美しい。
彼ならバイト暮らしがやっとのフリーターより、ずっと金を持っている。
彼ならきっと優しくて、シンレイを思うまま甘えさせてやれる。
そして何より、彼ならきっとシンレイを殴らない。
シンレイを優しく抱きしめる男に嫉妬する以前の問題だった。
俺は彼に自分の醜さを見せつけられた気がした。
ゼロならまだしも、俺はただただマイナスでしかなかった。
出会いも印象も、俺の言動全てが、彼女の中にあるマイナスの極で立体を成すように。
「言さん、お腹空いたよ。メシい」
翌朝バイトから帰って来ると、シンレイが部屋で腹をぎゅうぎゅう言わせていた。
なぜいる、鍵を持ち出したのか。
「帰ったんやないんか」
「まさか。ママにはちょろっとだけ会って来たけどさあ」
「嘘言え」
俺は吐き捨てるように言った。
シンレイはきょとんとしていた。
「何をさあ」
「見たんやど、お前男と会うてたやろが」
「あ、あれうちのママ」
「んなアホな」
「はーん」
するとシンレイはにやにやして、顔をぐっと近づけて来た。
「言さん、ママに嫉妬してるんだ?」
「そんな訳あるか」
俺はどぎまぎして、目を白黒させていた。
「あの、高岡さまですよね?」
それから2日たったある朝、バイトが終わって店を出ると、
店の前で男に声をかけられた。
男はこないだ見た、シンレイの男だった。
やっぱり立派なスーツを着込んで、なんだかヤクザっぽいぐらいだった。
「はい、高岡は俺やけど?」
「伊心麗の母にございます」
男は頭を軽く下げた。
今、「母」って言ったよな…?
「高岡さまには娘がご迷惑をかけて申し訳ございません」
彼は少し話したいという。
車の中でシンレイの母を名乗る男は謝った。
「あ、いや…そんな」
「何もご存知ない高岡さまが無礼に思って、娘を殴るのも当然の事と思います。
あの子はちょっと訳あって心に傷があります。
理解を超える言動も多く驚かれると思いますが、どうかお許しくださいまし」
心に傷…そういう事だったのか。
「あの、母ってどういう事ですのん」
「私はこう見えても女なのですよ…いわゆる半陰陽者ってやつです。
高岡さまぐらいの年齢まで男として生きてきましたし、今も社会的には男性です。
でも遺伝子が、身体の内側が女性なのです。だからシンレイにとって私は母なのです」
「伊さん、それで話って何ですのん」
革張りの柔らかいシートに埋もれながら俺は聞いた。
シンレイの母は近場を適当に流してくれと、運転手に頼んだ。
「娘が高岡さまに自分の仕事を継がせたいと言ってきました」
「仕事って、あの…殺しですよね」
「はい。高岡さまには素質がある、磨けば絶対光ると娘が大層な熱の入れようで…。
あの子は確かに変わった子ですが、殺し屋としての実力は確かです。
ですから母としても上司としても、高岡さまには一度お目にかかりとうございました」
上司…!
「上司って…台湾伊家の?」
「父が日本人ですので戸籍上の名は吉富直政、今は祖父の台湾伊家を継いでいます。
娘にはうちの殺害班を担当してもらっていますので…」
カタギではないのはわかっていたが、シンレイはただの女じゃなかったって訳か。
あの黒い革のコートだ、しかもロング丈なら相当に高価だ。
そういう服を身につけられるってのは、そういう事なのだ。
「台湾伊家は日本で言う暴力団みたいな団体やろか」
「似たようなものです、台湾の極道全体を台湾黒社会と呼びます。
黒社会を構成しているのが、極道の組に相当する幇という団体です。
台湾伊家はその幇のひとつ、私は角頭というその代表です」
シンレイの母は車内に付いている冷蔵庫から、炭酸飲料を出して、
それを俺にすすめてくれた。
「高岡さま」
「はい?」
「高岡さまはうちの娘の無礼で人生を棒に振ってしまわれた、償うのはこちらの方だ。
もしよかったらうちで、私たちと一緒に働いてみませんか?
私も夫も娘も…台湾伊家の構成員は皆、事情のある者ばかりです。
過去は問いません、どうかご一考くださいまし」
これはなんと…台湾伊家角頭からの正式なスカウトだ。
だが、ここで決断してしまえば…。
「考えてみます」
それだけしか言えなかった。
シンレイは俺を説得するため、家に居座っている。
俺が台湾伊家への加入を決めてしまえば、彼女はいなくなってしまうだろう。
たった一晩家を空けただけで、部屋がやけに広く感じられた。
ひとりの部屋はもう淋しいよ…。
シンレイの母は俺に、心を決めなくとも何かあればいつでも連絡してくださいと、
連絡先が書かれた名刺をくれた。
それからもう一枚、黒いカードを俺に差し出した。
クレジットらしい、でもなぜヤクザがクレジットカードなど持てるのだろう。
他人名義か偽造だろうか。
「このカードは…?」
「私たちは本国に銀行やクレジットカード会社を持っています、ご安心を」
「銀行まで…驚いた」
「限度額はございません、請求先は私の口座になっています。
このカードにご署名の上、高岡さまがご自由にお使いくださいまし」
「はい?」
俺に金を…? 一体どういう事だろう。




