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猪可以飛  作者: ヨシトミ
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第27話 指が動く

第27話 指が動く


バイトから帰って、腹をぎゅうぎゅう言わせているシンレイにメシを食わせる。

上杉が持たせてくれたあのノートから、「トマトうどん」を作ってやると、

シンレイはふがふが言いながら、うどんをずびずびすすり上げた。


「旨あ〜、とし姉ちゃんが作ってくれたのとおんなじ味がするう〜! 

言さん、これも『軍神直伝』なん?」

「ふふふ…俺には軍神だけやのうて、『上杉家譜』かてついとんねんで〜」

「えー、何それ!」


カーテンを閉じた白昼の薄暗がりの中で、シンレイを抱いて寝る。

シンレイはまるで赤ん坊のようだ、夜も寝ていたくせにきっちり昼寝までする。

その安らかな寝顔を撫でながら、俺は目を閉じて夜を思った。

妖しい幻が切ない手になって、俺の心の一番尖った先端に触れて撫でる。

そのほっそりとした指で、どうやって淋しさを慰めているの。

あの痛々しいほどの身体は、どんな風に孤独に狂って乱れるの。


「指が動く」、その言葉だけでもう友達の姿が脳裏にこびりついて取れない。

今さっき終わったばかりだと言うのに、また血が集まって来る。

上杉、お前はやっぱり上手いよ…たった一言で、俺にこんな想像させるなんて。


…指が動く。

昨日をたどるように、あるはずのない未来を描くように。

シンレイが隣に寝ている、でも寝息が聞こえない。

最愛の女の裏切りも、恋人の心の移ろいも、

そのどちらをも、シンレイは黙って許してしまうんだろうね…。



神政会はそれからしばらく動きを見せなかった。

上杉もひとりで外出するようになり、休みの日にはうちにやって来て、

シンレイにべったりしがみつかれながら、新しい料理を作ってくれた。


「お、今日はイタリアンか」

「アクアパッツァ、美映子も歓喜で号泣だね…魚は切り身でいいし、

冷凍シーフードと煮るだけだから、これなら言さんでも失敗なく作れるだろう」

「むおお…! いい匂い〜、メシととし姉ちゃんが渾然一体の超絶いい匂い〜!

これが嫌いなやつは私が猛攻するよ!」


シンレイは上杉の背中にびとりと抱きつき、耳の後ろに顔を埋めていた。


「えっ…俺、貝類あんま好きやないで?」

「何い!」


そうつぶやく俺をぐりんと振り返ると、シンレイは俺の腹をどかどか殴りつけた。


「とし姉ちゃんに不満があるだと? この豚め! 豚め! えい! えい!」

「よせ美映子、お前の暴力はちょっとシャレにならん」


上杉がシンレイを羽交い締めにした。


「くそ、とし姉ちゃんまで言さんの味方するう… やっぱり一粒で二度旨なのか…!

一粒で二度旨、むふう〜、むふう〜、理想だあ〜」


シンレイは上杉の腕の中で、ほくほく顔をした。


「だから何やのん、そん『一粒で二度旨』て…」

「とし姉ちゃんがいて、言さんがいて、私はその真ん中に…むほ」

「アホらし、何で俺が上杉と…」

「えー、言さんとし姉ちゃん嫌いなの? …うおーん!」


たちまち顔を曇らせ、シンレイは大粒の涙をぼろぼろこぼしながら、声をあげて泣き出した。

上杉が俺をきっと睨みつける。


「あの、ちゃんと好きやから…泣きな」

「ほんと?」


泣いていたシンレイがぱあと笑顔に戻る。

本当に迷惑な、可愛い女だ。

ネットによくある恋愛コラムの「モテ」をそのまま、シンレイという女にまとめたようだ。

男はそういう女好きだよ、王道だ。


「よかったねとし姉ちゃん、言さんとし姉ちゃんちゃんと好きだってさ」

「えっ…」


上杉は面食らって、言葉に詰まってしまった。

でもシンレイ、俺はお前の考えている事がわからない。

お前、俺の恋人だよな? 俺と結婚するつもりなんだよな?

歳の離れた上杉のおやじさんが、上杉の将来を思うのとは訳が違う。

さんざんけしかけておいて、俺がそんな気になったらどうするの。

お前の大好きなとし姉ちゃんに、自分の恋人を取られてしまうんだぞ。


それでもいいと言うのか、シンレイ。

ずっと一緒にいたお前が一番よくわかっているはずだ。

上杉は「無敗の戦神」だぞ、上杉に本気出されたら俺なんか簡単なんだぞ。

「指が動く」、その一言で俺の心だって簡単に動かせるんだぞ…。


上杉はそれきり、夏の間姿を見せなかった。

あまりにも音沙汰がないので、シンレイがあれ食いたい、これ食いたい、

上杉の作った料理を思い出しては、俺の出っ張った腹の贅肉をつかんで、

しょっちゅう泣き出すようになった。

上杉のくれたノート「上杉家譜」を見ながら、レシピを再現してみても、

違いが際立つのか、「違〜う!」と駄々をこねる子供のように一層激しく泣くばかりだった。


最初は素うどんでも、コンビニ弁当でも、菓子パンでも喜んでいたシンレイだったが、

最近ではもうそれじゃ満足できなくなっていた。

事あるごとに「とし姉ちゃん」と、上杉の事を話題にあげて、

上杉の料理を求めてさめざめと泣いていた。

シンレイは少し痩せた。


見かねて上杉にLINEを送ってみても、「しばらく忙しい」としか返って来なかったので、

何かあったのかと心配になって電話してみた。


「…実はさ、おやじさんの体調があまり良くないんだよ。

病院付き添ったり、組の仕事もしなきゃだから忙しくて」


回線の向こうで、上杉が事情を説明してくれた。


「えっ…いつからなん? てか水臭いやんか、言うてくれたら俺かて…」

「あの翌日から…おやじさんがね、言さんは台湾伊家に入る人だから、

こんな上杉のささいな出来事なんかに、手をわずらわせてはいけないって。

それに俺も…これ以上お前らの邪魔はしたくないし」

「シンレイがお前に会いたいて泣いとる」

「…ごめん、俺がだめなんだ」


それだけ言って、上杉は電話を切ろうとした。


「何があかんねや」

「俺の気持ちがだめだ、これ以上は俺の心に恥ずかしい…それでいいか」


上杉が何を言いたいのかわからぬまま、秋も終わりを告げる雨が降り出した。

バイトから上がって店を出ても、夜からの雨はまだやんでおらず、

霧のように細かくなって、身体をまんべんなく濡らした。

スマホを見ると、シンレイから仕事で帰りは明日になると、

いつものように声優時代の俺を茶化した、気持ちの悪い文体で連絡が入っていた。


マンションまで戻ると、開店前のそば屋の縁台に男が傘もささずに座っていた。

前髪をかきあげた胸ほどの髪の先から、雨が滴り落ちてゆく。


「お前はほんま待ち伏せ好きやね…また何ぞあったんか、上杉」


その男は上杉悠一だった。

上杉は顔を上げた、俺はこの時の彼の顔を一生忘れないだろう。

…涙を流す上杉はただのか弱い女だった。


「言さん…おやじさんがね、おやじさんがね…ゆうべ亡くなったの。

昨日、病院の帰りに撃たれてね、殺されたの…!」


上杉は俺にすがりつくと、恥も何もかもを投げ捨てて激しく泣いた。

音のない霧雨は上杉の慟哭を少しも隠してくれない。

俺は上杉の雨になった…。


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