第17話 利用明細
第17話 利用明細
シンレイがあのおかんに俺との事を話した…。
それは俺から切り出すべき話題だ。
困ったな、シンレイはただの女じゃない。
あのおかんの、「台湾伊家」のひとり娘だ。
上杉が言うに「台湾伊家」は、台湾黒社会なる台湾のヤクザ界でも相当に偉い人らしいし、
あのおかん本人も、家で銀行やクレジットカード会社を持っていると言う。
加えて融資金額が無制限な、あの黒い券面のクレジットカードだ。
シンレイとの結婚に成功出来れば、日本じゃ考えられないほどの権力と金を得られる。
一生食うに困らないとか、そんなレベルの話じゃない。
たかが声優をしていたごときの男には、夢のような美味しい話じゃないか…。
「…言さん、どしたん? 何ひとりで終わってんのさあ。ずるいよう」
自分から求めて始めたくせに、俺はこれ以上続ける気がなくなってしまった。
首筋をシンレイに取られながら、腰を離す。
「ごめん…なんや疲れとるみたいや」
シンレイ、それは違うよ…。
お前とはずっと一緒にこうして暮らしたい、愛してる。
愛してるから違うんだよ。
シンレイのおかんとは、彼女が宿泊しているホテルで合流し、
その上層階にあるイタリアンレストランで、少し早い夕食を一緒にとった。
彼女の事だから、高い店を予約してくれたんだろうな。
フォークの一本、皿の一枚からして全然違う。
フォークは柔らかく口当たりが良く、皿は薄く繊細だ。
女を落とす時だって、ここまでの店など使えるはずがない。
「私は明日台湾に戻りますが、シンレイは東京地区担当なので置いて行きます。
ご迷惑とは思いますが、どうか娘をよろしくお願いします」
こんな高い店の、直線を多用した都会的なインテリアの中にあっても、
シンレイのおかん…吉富直政という男はちっとも浮きはしない。
高級なスーツも、贅沢な雰囲気も、赤みの強い彼女…彼の肌の一部だ。
昨日今日の付け焼き刃では、ここまで馴染めはしないだろう。
これが一流の男、一流のヤクザってやつか。
声優時代の俺も精一杯背伸びして頑張っていた。
吉富直政という男はまさに、当時の俺が目指していた究極の姿と言えよう。
実物を目の前にすると、俺など本当につまらない男だ。
「迷惑やなんて、そんな…」
「あの…シンレイから話は聞いております」
来たか、シンレイのおかんは本題を切り出した。
「シンレイは私の娘ではありますが、同時に『台湾伊家』のひとり娘でもあります」
「そ、そうやろね…俺ごときがとんだ高望みを…」
俺は小さく縮こまってしまった。
「『台湾伊家』のひとり娘となると、縁談も私どもの許にたくさんやって来ます。
私どもでもいずれはどなたかに心を決めねばと思っておりました。
でもやって来る縁談には全て利害が絡んでいます。
台湾黒社会での権力狙い、金銭狙い、国家の中枢とのパイプ狙い…」
そうか、シンレイを欲しくない男などいないのだ。
シンレイはただ美しいだけの女じゃない、その背後にこそ価値のある女なのだ。
人身売買から解放されても、シンレイは未だに狙われ続けているって事。
「相手の男がどんなに優れていても、シンレイの夫にはふさわしくありません。
高岡さまもご存知の通り、シンレイはなにかと不足の多い娘です。
縁付けても、娘がただただ利用されるだけなのが目に見えてしまうのです。
ですから私どもは、娘の結婚相手にはそういう利害関係のない人をと考えております」
シンレイのおかんは本当に娘が可愛いのだな…。
こういう親ならシンレイも尽くしたくなるはずだ。
たとえそれが殺しで、犯罪であっても。
「伊さん、良うわかります…伊さんがシンレイの事を大事に思もてるて。
俺みたいなつまらん男が望んだらあかんて事も」
「…高岡さま、あのカードの利用履歴を拝見させていただきました」
シンレイのおかんは不意にあの黒いカードの事を持ち出した。
どうしたと言うのだろう。
「すんません、少し使わしてもらいました…シンレイの着替えを少しと、
シャンプーやらトリートメントやら、彼女が使う物に」
俺はカードの利用目的を申告した。
怒られるだろうか。
「おっしゃる通り、本当に衣類と日用品にしか使われていません。
あのカードには利用限度額は存在しません、もっと使ってくださっても良いのに。
あなたにその気さえあれば、家や車、飛行機だって購入出来る。
会社を起こす事も、女や麻薬を仕入れて利益を得る事も出来る。
武器を揃えて軍だって作る事も出来る、賄賂にして国家の中枢に食い込む事も出来る…」
シンレイのおかんは俺の目をじっと覗き込んだ。
濃いめの顔をしているから、目にも力がある。
「私どもは高岡さましかいないと考えております」
俺たちのやりとりをよそに、隣でおかわりを繰り返すシンレイがはっとして、
シンレイのおかんを見上げた。
「ママ…!」
「あのカードを手にして少しも狂わない、そんな人は高岡さましかいません。
高岡さまに娘をお願いしたい、どうかよろしくお願いします」
シンレイのおかんはテーブルにグラスを置くと、深々と頭を下げた。
俺も釣られて同じように頭を深く下げた。
その時、ポケットの中でスマホが震えた。
失礼と断って店の外で電話を取った。
「…言さん、悠一そっちに行ってないか?」
電話は上杉のおやじさんだった。
回線の向こう側がやけに騒々しい。
「いや、来てへんで…俺もシンレイ母娘と食事しとるし。
おやじさん、上杉がどないしてん?」
「仕事中に会社の近くのコンビニまで買い物に行かせたが、家にも会社にも帰って来ない。
あの子の行きそうなところを、うちの者総出で探したが見つからない。
買い物は飲み物だけだ、どうも嫌な予感しかしない」




