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猪可以飛  作者: ヨシトミ
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第16話 せつない手

第16話 せつない手


上杉の家に戻る途中、俺はずっと無言だった。

スーパーでは結局あれこれ買ってしまい、荷物の重くなった上杉の手から、

袋を奪い取ると、彼はぽつりと言い出した。


「…言さん、お前さっきの話題だけど、美映子の前で触れるなよ」

「わかっとる…そんなんもちろんや」

「女にとって子宮や卵巣を失うって事は、とてもとても悲しい事なのだ。

男が思う陰核や膣とは違う、子宮と卵巣こそが女である事の証しだから…」


家に帰ると、電話にシンレイからおかんのところに泊まると留守録が入っていた。

タイミング悪く、今夜はバイトも休みだった。

俺は散らかった狭い部屋で、夜を一人で過ごした。

ひとりきりの部屋には部屋に吊るした服や、風呂場に置かれた女物のシャンプーなど、

シンレイの痕跡があちこちにあって、淋しさに押しつぶされてしまいそうだった。

お前は淋しくないのかよ、シンレイ。

俺はお前がいないとたった一晩だって淋しいよ…。


淋しさに耐え切れず、真夜中近い街に飛び出し、

駅前のディスカウントストアの店内をうろつく。

すると、見覚えのあるヤクザが衣料品コーナーで服を物色していた。

彼はすぐに俺に気付いて、声をかけて来た。

仕事帰りなのか、上杉は高そうなスーツをきちんと着込んでいた。


「言さん…こんな時間にどうしたんだ?」

「上杉こそ、なんでこないな時間にこないなとこおんねや…おやじさんは一緒やないんか?」

「おやじさんはまだ仕事だよ、付き合いで遅くなるらしい。

俺は先に帰されてしまった…どうやら元でも女人禁制の仕事らしいな」


上杉は淋しそうな顔で服を元あったところに戻した。

俺たちは牛丼屋で簡単なメシを食い、それからぶらぶらと大通りを歩いて土手に出た。

…何この組み合わせ。

何でこの俺が上杉悠一とか男と、淋しさの舐め合いをして夜を過ごさなければいけない。


「お前も淋しい男だな、美映子がいないと一人きりなのか?」


上杉はたばこに火を点けて笑った。

湿り気のある春の夜風が、彼の髪をそっと撫でていく。


「くそ、いちいちむかつくわお前…」

「俺も一人だよ、おやじさんが仕事でいないと家にいてもつまんないだけだ」

「お前はほんまおやじさん大好きやな」


俺も笑った。黒い川面に、上杉の白い頬に、街の灯りが映り込んで、

動くたび赤や緑に色を染め変えていた。


「うん、おやじさん大好き…俺の運命の人、それに家族だから」

「俺もシンレイが大好きやで、でもシンレイはおかんと俺のどっちが好きなんやろね。

『家を思えば私は強くなれる』て言うねんけど、なんや置いてけぼり喰うた気分や…」

「…なんかわかる。美映子の気持ちも、お前の淋しさも」


上杉は少しうつむいて、硬い声でつぶやいた。

そしてしゃがみ込んで、短くなったたばこを川に投げ込んだ。


「俺も美映子も同じ、拾ってくれた家には恩義だけでなく、

幸せって言う特別な思い入れがある。

それは恋よりもずっと強く、愛よりもずっと深い物なんだ」


俺も上杉の隣にしゃがみ込んだ。

上杉が吸うだろと言って、たばこを1本よこして来て火を点けてくれた。

彼がかつて女だった事を考えても、ハイライトはきつ過ぎだろ。

さすがたばこの重さと過去の重さは比例するだけある。

ヤクザなんだろ、そこは大人しくパーラメントの軽いのにしとけよ。


「面倒臭い男だって思われたくないから、おやじさんには言えないんだけどさ…。

こうやって気を遣われて一人だけ置いて行かれると、やっぱり淋しい訳よ。

俺だって上杉の男だよ、どんな仕事だって一緒に連れて行って欲しいのさ」

「ふうん? お前も複雑やな」


上杉は恥ずかしそうに微笑んだ。

くそう、イケメンはどんな顔をしても様になりやがる。


「美映子はたぶん、言さんに対しても特別な気持ちがあると思うよ。

お前は美映子から右目を奪って、自由を与えた男だ。

『台湾伊家』に入って、美映子との結婚を本気で狙ってもいいんじゃないか?

お前ならきっと家族になれると思うよ」

「そうかあ?」


俺はくわえたばこのまま、眉をひそめた。

その時、上杉が俺に手を差し出した。


「俺は言さんの事応援する。美映子の幸せを願うのはもちろんだけどさ、

お前も…その、初めての友達だから」


…こいつ、こういう事は案外うぶなんだな。

俺は上杉悠一というヤクザの不器用さを可愛らしく思って、ぷっと吹き出してしまった。

これが俺の唯一の友達か…こんな歳でこんな友達が出来るとは。

しかも声優を辞めて、ただのおっさんに成り下がった後に。

そして俺は、素直に差し出された手をぎゅうと握った。


「痛っ! 何すんだ、痛いだろが!」


ところが上杉はぎゃっと悲鳴を上げて、俺の握手を痛がった。


「あ、ごめん…」


そうだった、上杉はかつて女だった男だった。

俺は握る手の力を緩め、そっと握り直した。


「これでええか?」

「…うん」


いくら外見を男らしくしようと務めても、上杉の手は女だった頃のままだった。

さすがに手までは変えられないって訳か。

その小ささと指の細さが頼りなく、なんだか切ないぐらいだった。



結局その夜は、上杉と遅くまで居酒屋でぐだぐだ食べて過ごした。

シンレイは翌日の昼頃帰って来て、風呂場で俺に身体を洗わせながら、

ずっとおかんの事を楽しそうに話していた。


「あ、そうだ言さん。ママが帰る前の夜なんだけどさ、一緒にごはん食べない?

ママが言さんにも会いたがってるんだ」

「えー? ここは家族水入らずがええんとちゃうのん?

俺バイトやし、シンレイが行ったったらええやん」


石鹸を付けたタオルでシンレイの腹をこすると、彼女はむきゃむきゃと笑って喜んだ。

それが可愛くて、俺はタオルを捨てて今度は手でこすってやった。

石鹸の力を借りた指は滑らかに動き、腹の上を遊んでいたかと思えば、

胸や腰、脚などあちこちを点々とし、結局俺が負けてそのまま始まってしまった。

シンレイは肉と肉のぶつかる連続した衝撃に、言葉を途切らせながら言った。


「…私ね、ママに話したよ。言さんの事大好きだって。

出来たらずっと言さんと一緒にいたいって…仕事じゃなくて」


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