第27話 その一手はキミのために
森に光が走った。
直後、地面へ術式が展開される。
白い線が円を描き、ターニャを囲んだ。
「――捕捉」
無機質な声が響く。
足元の術式から飛びのき、間合いを取る。
すぐに黒衣の兵たちが木々の間から現れた。
十。
二十。
いや、控えてる気配ではもっと。
黒衣の兵たちが木々の間から現れる。
ターニャは舌打ちし、剣を抜いた。
「ほんっとしつこいなぁ……!」
背後には圧力を示す気配。
振り向けば、四人の枢機卿が立っていた。
白銀の法衣。
異なる感情の視線が射貫く。
一人はいやらしい笑みを浮かべ、
一人は損得勘定を表に出して、
一人は疑念を隠せぬ面持ちで、
一人は己の正義を疑わぬ表情で、
囲むように展開した。
「英雄ターニャ」
「枢機卿殺害、並びに境界汚染の容疑により」
「聖教会の名のもと、あなたを拘束します」
まるで罪状を読むだけの声だった。
ターニャは鼻で笑う。
「……英雄ってまだ呼ぶんだ」
返事はない。
代わりに、特務兵たちが一斉に剣を構えた。
ピリリと緊張が生まれる。
漏れ出す殺気。
完成されつつある包囲。
逃走経路の封鎖。
完璧だった。
ターニャは目線を下げ、ふぅ、と息を吐き、剣を下段へ構える。
「……来なよ」
次の瞬間。
特務兵たちが同時に踏み込んだ。
速い。
けれど。
「遅いっ!」
ターニャの剣が閃く。
兵の剣を弾き飛ばす。
返す刃で別の兵の足を払う。
さらに背後からの一撃。
身体を半歩ずらして回避。
呼応するようにターニャの剣が振るわれる。
その剣は―
速く、正確で、重い。
圧倒する剣技はまさに英雄のそれだった。
だが‥‥………浅い。
ターニャの剣は誰の急所も斬らなかった。
腕。
脚。
武器。
鎧。
致命傷だけを避けている。
それを、敵も理解し始める。
「……殺せないのか」
誰かが呟いた。
ターニャの眉が僅かに動く。
「……だから?」
踏み込み。
峰打ち。
一人の特務兵が吹き飛ぶ。
けれど次が来る。
さらに次。
さらに次。
終わらない。
ターニャは歯を食いしばった。
(面倒くさいなぁ……!)
殺せば終わる。
そんな考えが、不意に脳裏を過った。
首を落とせば。
心臓を貫けば。
一瞬だ。
簡単だ。
――簡単?
「っ……!」
ターニャの呼吸が乱れる。
今の思考。
今の感覚。
あまりにも自然だった。
まるで昔から知っているみたいに。
「侵食が進んでいるようですね……」
北部の聖教会を管轄する枢機卿フェルナンドが言う。
フェルナンドが得意な属性は風――風や空気を読み取るため探知に優れている。
ターニャにまとわりつく異変は風が教えてくれていた。
「既に身体変異も確認済みですねぇ、ヒヒ」
西部の聖教会を管轄する枢機卿ビズレスタはターニャの熱源を見ていた。
心の臓にいわゆる普通の人間にはない異質な熱源を感じ取っていた。
「……ならば処理をすべきかと」
東部の聖教会を管轄する枢機卿ケイステイラーは呟く。
屈服して奴隷にするのも良いだろう……そのように考えてはいたがあの娘、思っていた以上にじゃじゃ馬だ。ならば早々に討伐するべきだ。
「この状態では封印は困難かと思われます」
南部の聖教会を管轄する枢機卿ミルケルは状況を見ていた。
枢機卿レベルのもの4人がいれば封印術式は発動できる。
だが、腐っても相手は英雄と呼ばれていたもの。
弱らせないと術式は成功しないだろう。
まずは特務部隊を当て、ある程度疲弊したら枢機卿四人で出る。
それが事前に打ち立てていた作戦だった。
ターニャは枢機卿たちの会話を聞きながら、
淡々と、感情なく、剣を振るう。
兵の刃を受け流す。
蹴り飛ばす。
距離を取る。
だが――
身体の奥が熱い。
どくん。
どくん。
鼓動が妙に大きい。
視界の色が濃い。
血の匂いがわかる。
目の前の人間が、やけに脆く見えた。
(やめろ)
頭の奥で声がする。
(壊せ)
「黙れ……!」
思わず口から漏れた。
頭の奥に意識を向けた直後、
特務兵の剣が肩を裂く。
「っぁ……!」
鮮血が飛び散る。
ターニャの剣が反射的に振り上がる。
兵の首へ。
真っ直ぐ。
あと少し。
ほんの数センチ。
それだけで届く。
兵の顔が凍りつく。
ターニャ自身も、凍った。
「――ぁ」
無理やり、
力ずくで。
止めた。
剣先が震える。
頭の奥では、別の衝動が叫んでいた。
斬れ。
壊せ。
殺せ。
その方が楽だと。
「……ぅ、ぁ……!」
ターニャは自分の頭を押さえ、後退した。
呼吸が乱れる。
怖い。
敵じゃない。
自分が。
「これ以上の抵抗は無意味です」
枢機卿ミルケルが前へ出る。
「ビズレスタ枢機卿、ケイステイラー枢機卿」
ミルケルは二人の枢機卿に目で合図をする。
「まずは、私からですね」
ケイステイラーは術式を展開し、特務部隊の一人に「いけ」と命令をする。
特務部隊の一人がターニャに切りかかり、一歩後ろへと下がらせられた。
ガチ、と右足が固定される。
「なっ…!」
ターニャの足元が凍っている。
氷は幹のように地面に伸び、ターニャの動きを止めていた。
(これじゃ躱せない!?)
ビズレスタ枢機卿はその動きを予期していたように両手に炎を纏わせた。
特務兵たち炎の邪魔にならない程度に包囲を固める。
そして剣をターニャに向け、その動きをとめる。
まるで、茨の監獄に押し込めるように。
ターニャは息を荒げながら睨み返した。
逃げられない。
境界断裂器を使うか?
離れていてもあの武器なら届く。
奴らを殺せる。
殺せば抜けられる。
でも。
「……やだ」
震える声が漏れる。
「そんなの……やだ……」
悲鳴のような声。
フェルナンドはビズレスタの生みだした炎に風を纏わせ酸素を与えていた。
炎は肥大化して業火となり、ビズレスタは右手を上に掲げた。
「これで終わりですね、ヒヒ」
下卑た笑みだった。獲物を心地よく刈るときの気持ちの悪い笑み。
「魔王の首は一体いくらになるんでしょうかねぇ」
ビズレスタは右手を勢いよく振り下ろす。
業火が一直線にターニャへと飛んでいく。
誰もが思った。
いくら英雄といえ、いや、魔王といえど、これほどの業火をその身に受けたのではただではすまない、と。
ターニャに業火が当たるその寸前に、
ぽふ。
軽めの音を立てて業火が消滅した。
「なに!?」
編み込まれ、補助を受けて肥大化した業火が一瞬にして消失したことに誰もが言葉を失った。
ありえない。
これほどの魔力の塊を消失させることができるものか。
魔王の力?
いや、それは違う。
なぜならば――
ザッ、と草を踏みしめる音が聞こえた。
その身体に白い魔力の奔流を身にまとい木々の隙間から姿を現すもの――
「な――」
風が通り抜ける。
光は白今色から粉雪のように漏れている。
淡い金髪が月光を溶かしたように揺れる。
幾重にも編み込まれた髪には蒼い結晶飾りが淡く瞬き、
白と薄青の法衣には祈りの紋様めいた金糸が静かに走っていた。
舞い上がるヴェールは雪片のように柔らかい。
けれど、その奥にある瞳だけは驚くほど強い。
聖女。
そう呼ぶしかない神秘を纏いながら。
リリは、ただ一人を見ていた。
かつて聖都を出たときの姿とは立ち方も纏う気配もまなざしも違っていて。
「その人から離れなさい」
細いようで誰の耳にも響く力強い声。
森全体を震わせるほど澄んでいた。
ターニャが目を見開く。
「……リリちゃん」
聖杖を手に、リリが立っていた。
その瞳は真っ直ぐターニャだけを見ている。
枢機卿たちが警戒する中。
リリは静かに前へ出た。
「その人に触れるなら」
聖光が杖へ収束する。
「わたしが相手になります」




