10,ものの見方にもいろいろあり
「女将さんの仰っていること、わかります。私はいま入社して四年が過ぎて五年目に入ったところなんですけど、最近になってすごく仕事が面白く感じるようになってきました。仕事の楽しさって一年、二年でわかるものじゃないと実感しているので、すぐに辞めてしまう新人さんはもったいないなって思います。私がこの会社を好きだからそう思うのかもしれませんが」
一瞬、志保が毒気を抜かれた様子で目を瞬かせた。
アリスはしっかりと目を合わせてから、深々とお辞儀をする。
「今日はお忙しい中、歓迎してくださってありがとうございます。お邪魔にならないように見学させて頂きますので、よろしくお願いします」
話している間に車寄せに他の車も入ってくるのを見て、アリスは素早く海に「車は避けたほうが良さそうですね」と声をかける。
今日は一般客のていで来ているとはいえ、香空リゾート本店だけにどこで社内外の知り合いに見られているかもわからない。「他のお客様の邪魔にならないように」の精神だ。
ここまで口を挟まずに見守ってくれていた海は、アリスと目を合わせると滲むような笑みを浮かべて「わかった」と短く答えてから、志保に「車を置いてきます」と声をかけて運転席に乗り込み、滑らかな運転で出て行った。
(あっ、いつの間にか冷気が収まっていたかも? しろくまさんペンギンさんさようなら)
とりあえず「女将」志保vs「プリンス」弓倉部長の全面戦争は回避できたかと胸を撫で下ろす。
ほっとしているアリスに向かい、すでに隙のない笑顔となった志保が「それでは中へどうぞ」と溌剌とした口ぶりで呼びかけてきた。
* * *
絶対に海鮮を食べたい、と一香が言ったことにより館内見学後は「煌」のオーシャンビューの個室を擁する和食レストランにて昼食となった。
「お刺身も焼き魚も煮魚も天ぷらも全部食べたーい! せっかく帰って来たんだから日本を食べ尽くす!」
料理はオーダーする必要もなく女将にお任せで、待つ間に騒ぐ一香に対し掘りごたつで肩を並べて座った城戸が気安い口調で「食べれば」と言う。
(……! すごく尊さを感じる距離感!)
プライベートエディションの海に対して城戸はタメ口で話すこともあるが、それとはまた違う男女幼馴染の空気であった。一香を見る城戸のまなざしにはどことなく熱っぽさがあり、一香も受け入れている雰囲気がある。
「お腹痛くなるまで食べたい」
「好きにすればいいと思うけど、夜は夜でうまいもの食ってる俺らの横でもう何も食べられないとぼーっとしてるのか。かわいそうに」
「そ、それは嫌。夜は居酒屋に行きたい。タカベの塩焼きが食べたい……!」
「いいな。いくらでも食えるし飲める」
顔を見合わせて「ねー!」と言い合う二人の会話を聞きながらアリスはニッコニコになってしまったものの、にやけた顔に気づかれぬように窓の外へと視線を向ける。
男性陣は「景色が良い方に座りなよ」と言って窓際席をアリスと一香に譲ってくれていたので、部屋一面の窓から視界いっぱいに広がる真っ青な海が見えた。思わず溜め息がもれる。
「海いいですねえ」
「Oceanのほうの海だよね。うん、いいね」
隣に座った海から言われて、アリスは心の中で「またやってしまった!」と叫んだ。たしか、クルーズのときにも似たような会話を交わしてしまった。
そーっと振り返ると、糖度が限界突破した笑みを浮かべた海と目が合う。
「あ、あの、あの……すごく景色の良いお部屋ですよね。海が綺麗に見えて。あの、Oceanの」
目の前の海さんも大変麗しいですけどね!? と思いつつ、顔に血が上ってくるのを感じていまにも噛みそうだった。
「一番良い部屋だと思う」
海にさらりと言われて、改めて「歓迎」されていることを実感する。アリスはさきほどの志保を思い出しつつ、心に浮かんだ通りに言った。
「女将さんの好意でしょうか。ありがたいですね!」
海は軽く目を瞠ってから、笑みをこぼす。
「さっきの挨拶はびっくりしたけどね。初対面のアリスにあんなこと言うとは思わなかった。あれを聞いた後だと『普段はそこまで悪い人じゃない』なんてかばうこともできないし、アリスが機転をきかせてくれなかったら俺はあの場で間違いなく怒っていたと思う。嫌な思いをさせてしまったのは本当にごめん、喧嘩にならないようにしてくれてありがとう」
「あ、あれは機転と言えるかどうか……。私の表現が下手くそで、聞きようによってはすごく煽ってしまったかもしれません。女将さんの度量が広くて命拾いしました」
「度量が広い……? うーん、そうとも言えるのかな。クセは強いけど、あれで長らくここの女将をしている大先輩だからな。人間ができてなきゃ努まらないとは思う」
海の言い分を聞いて、アリスは「ですよね!」と食いついた。
考えてみるまでもなく、志保は香空リゾートの大ベテラン社員で押しも押されもせぬ「煌」の女将なのだ。社内にこもって社員に威張り散らすのが仕事ではなく、現場で日々平身低頭客に接して不興を買わないばかりか、ファンとリピーターを確実に増やしている一流のホテリエである。
嫌味で性格が悪いだけでは勤まるわけがなく、魅力があってこそだ。
忙しい身にもかかわらず、突然訪れた社員を自ら出迎えてくれたのは仕事人として筋が通っており、矜持も感じられた。
「最初は言わなくても良いことを言われて、嫌なひとだなって瞬間的に思いました。でも、今日はプライベートの訪問とはいえ、私にとって『煌』の女将はこの先仕事抜きで語れる相手ではないですから『嫌なひと』のまま終わりたくないなって思ったんです。人間だから相性も好き嫌いもあるとは思いますけど、他の人があの方の魅力に気づいていて、私だけがわからないのはもったいないって」
「女将さんの良いところを探そうと思ったってこと? あった?」
楽しげに笑われて、アリスは「はい!」と素直に返事をした。
「良いところはたくさんあったと思いますが、会話のクローズが特に上手いなって思いました。少し毒があるけど、後味が悪くないんです。ああいう対応って、年配のひとに好かれそうじゃないですか? 一筋縄ではいかない手応えと、嫌味すぎない可愛げがあって、クセになると言いますか。駆け引きに自信のあるひとの言動ですよね。見習いたいです」
真面目に話しているアリスの前で、海はとても優しい笑顔で相槌を打っていた。
遠慮なくふきだして腹を抱えて笑い出したのは一香で、城戸も横を向いて笑いを堪えている様子だった。
「見習って欲しくなーい。アリスちゃんには佐々木家流になってほしくなーい!」
笑いながら一香が言い、城戸は「できることは多いに越したことがないので、あれを習得するというのならしても良いんじゃないかな。攻撃のバリエーションが増える」と応じている。
海は笑っている二人などまったく気にしてない様子で、掘りごたつのテーブルの下でアリスの手に手を重ねて囁いてきた。
「アリスのそういう転んでもただでは起きないところ、本当に好き」
はわっと変な声をあげかけたところで、ふすまの向こう側から「失礼します、お料理を始めさせていただきます」と声が響いた。




