13,春日クルーズ(3)
人生、何が起きるかわからない。
(ダンスホールで、楽器の生演奏に合わせてドレスを着てダンスを踊る日が来るなんて。すごく楽しい! 全然踊れてないけど!)
笑いが止まらなくなるほど、アリスは踊れていなかった。
海がリードしてくれているので、はたから見れば踊っているようには見えるかもしれない。だが、何度も海の足を踏んでいたし、誰かとぶつかりそうになるたびに海に抱き寄せられてすれすれでかわしているだけだった。
「すみません! 夜会に招かれることがあるなんて知っていたら、動画くらいは見てきたんですけど! というか、海さんはなんで踊れるんですか? プリンスだから?」
アリスが息を切らせながら尋ねると、海は瞳を炯々と光らせて「そうかもね!」と短く答える。
見惚れてしまう、その表情の鮮やかさ。
自信に満ち溢れて誰の目をも引き付けるほどに堂々としているのに、そのまなざしはアリスだけをまっすぐに見つめている。
一瞬、周囲の音が消えた。
まばゆい光の中、アリスの瞳には微笑みかけてくる海の姿しか映っていなかった。
笑っていてさえ不敵であり、野性味と熱情を溢れさせた強い瞳と視線がぶつかる。
(海さんのこの表情を私がくもらせるなんて、許されないですね……!)
今でさえ多くを手にしているプリンスなのに、海は立ち止まらず高みを目指している。
ここに至るまでも、当然「大空家の御曹司だから」という揶揄もやっかみもたくさんあったはずだ。それでも海は誰よりも仕事で成果を上げることで、自分を周囲に認めさせてきたのだろう。
アリスは、海に惹かれる気持ちを自覚しつつも、前に進むことにずっとためらいを感じ続けてきた。
それは、海との関係が会社員としての仕事にも大きな影響を及ぼし、自分の実力とは関係ないところで物事が動いていく怖さがあったせいだ。
婚約者だから取り立てられていると言われてしまえば、反論ができない。その思い込みがいつしか心の動きを鈍らせていた。
もっと素直に、自分の信じるように行動をすれば良かっただけなのに。
「海さん」
勇気を出して呼びかけて、アリスは自分の気持ちを告げようとした。
その一瞬、海がアリスの腰を支えていた手を離す。それがダンスの手順だったのだろうが、その隙を見逃さなかった相手により、強引に横から割り込まれた。
「えっ、ええっ」
アリスは思わず悲鳴を上げる。
場所をとられた。
海のパートナーとして踊るポジションを、掻っ攫われてしまっていた。
ぽいっと投げ出された形になり、呆然と最前まで自分がいた場所を見る。「大丈夫ですか?」という呼びかけに顔を上げれば、城戸がそばまで来ていた。
一方の海はといえば、険のある表情で自分の手を取って踊っている相手を睨みつけていた。
「何しにきた」
「踊りに来ただけだ。このダンスホールで一番上手いのが海だったんだ、こうなるのは妥当だ。下手な奴とは踊りたくない」
「俺はアリス以外とは踊りたくないんだが!?」
ぴたりと息のあったダンスを続けながら、海と言い争いをしている相手は芦屋であった。
二人ともタイプこそ違うが華やかな美貌の持ち主であり、スーツが様になるスタイルの良さで、しかも背が高く動作にキレと迫力がある。
ホールにさざなみのようにどよめきが広がり、注目を集めていた。芸能人? という囁きとともに、人気アイドルグループの名前がいくつか挙がっているようだった。アリスも、言いたくなる気持ちはよくわかる。
「私、ダンスに疎くてどっちが男役、女役ってわからないんですけど、上手いですね」
「芦屋専務ですからね。弓倉部長同様、できないことはない万能型ですよ」
御曹司怖いです……と、アリスは寒気を覚えて震え上がってしまった。
(つくづく別世界のひとすぎて、せっかく捻り出した勇気も燃えカスになりそうですよ!)
海に、自分の思いを伝えようとしたのに。
離れてしまえば、心にも隔たりや距離を感じて臆病に逆戻りしそうになる。
「……だめ」
弱気になりかけた自分を、アリスは叱咤した。
(正直になろうと決めたじゃない。いつもまっすぐな海さんのそばにいられるように、それが自分の生きる意味だと胸を張って言えるように!)
負けていられない、と背筋を伸ばしていまだ言い合いをしている二人のそばまで歩み寄る。
動きを目で追い、次の動きを予測して手を伸ばした。
海の腕を取り、強引に自分の方へと引き寄せる。
「芦屋さん! このひとは私の大切なひとなので、芦屋さんにはお譲りできません!」
へえ、と芦屋は目を細めて薄く笑った。
「ダンスの短い時間も、貸してくれないんだ?」
「だめです。もう一曲終わるところです。婚約者でもないのに、二曲目も踊ろうとしないでください!」
思い切りよくアリスは啖呵を切り、芦屋は腹を抱えて爆笑した。
「そっか、だめか。残念だな。ずっと独り身だろうと安心していたのに、まさか海がこんな早くあっさり婚約するなんて。俺はどうすればいいんだよ」
「知りません。自分でどうにかしてください!」
モテる要素しかなさそうな男性に恋愛相談を受けても、私ごときに言えることなんか何もなくてですね!? とアリスは心の中ではさらに盛大に言い返していたが、口にすることはなかった。
アリスに掴まれた海は呆気にとられた様子で、目を瞬いていた。そのあどけなく隙だらけの様子を見て、アリスは今この場で海を守れるのは自分しかいないと確信をする。
婚約者なのだから。
「行きましょう、海さん。もう十分踊りましたので、あとは二人の時間です!」
「う、うん。わかった」
上ずった声で答えながら、海は頬を染める。
恥じらわれたことで、アリスも自分の言葉がとても恥ずかしいものだったのでは? と我に返りそうになったが、考えたら負けだと押し切った。
海の手を取り、芦屋には「ごきげんよう!」と精一杯それらしい挨拶を言い捨ててダンスホールを後にする。
背後で、芦屋が再び笑い声を弾けさせているのはしっかり耳に届いたが、決して振り返らなかった。
* * *
23:56
部屋に帰り、バルコニーに出て二人で星空と海を見ながら、日付が変わるまでのカウントダウンをした。
せっかくだからドレスを着たままでいたい、とアリスが言ったことで二人とも正装のままだ。
「今日は全然寝ないね!」
ワインをグラスで傾けながら、海が楽しげに言う。
「もったいなくて、寝られないです。まだまだ起きていたい!」
アリスは念の為アルコールを避けて、部屋の冷蔵庫に備え付けてあったフレッシュなリンゴジュースを飲んでいた。
「芦屋のことは悪かった。昔から、ああいう奴なんだ」
「海さんのことが好きなのはよくわかりました」
「そうなんだよ。俺のことが大好き過ぎて、いつも目の前に現れる。ひとが本気で嫌がるようなことはしない性格だけど、すれすれまではやる厄介な性分だ。まさか、俺と踊りたがるとは……」
言いながら、海はさりげなく部屋の中へ戻って行った。アリスは、テーブルに置いてあったスマホの画面に目を落とした。
23:58
(まさか、誕生日を豪華客船のスイートルームで迎えることになるとは、一ヶ月前には想像もしなかったですね……)
砂糖菓子のようなピンクのドレスを見て、アリスは吐息をこぼした。
めまぐるしい日々を思い出し、次の一年はどうなるのだろう? と思いを馳せる。
部屋の中から海が戻ってきて、アリスの横に片膝をついた。
どうしたのだろうと目を向けると、海は手の中の箱の蓋を開いたところだった。
「今日のイヤリングとネックレスも、この指輪と合わせやすいイメージで選んだ。薬指を想定したサイズだけど、普段遣いとしてさしあたり右手でどう?」
かすかに波の音がする。
月と星が光を海面に落とし、指輪をも輝かせた。
アリスは言葉もなく固まってしまう。海はアリスの手を取り、右手を取って指輪を指にはめると、その場所に口づけた。
「……0時をまわっても、解けない魔法ですね。ドレスもそのままで」
消えなくて良かった、とアリスは小声で続ける。
「これはシンデレラじゃなくて、アリスの物語だから」
夜気に滲む笑顔で言うと、海は立ち上がる。つられて立ち上がったアリスを抱きしめると、額に額を寄せて「誕生日おめでとう。今日からまたよろしくお願いします」と言って唇を重ねてきた。
※最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
第一章はコンテスト参加のためRTAで駆け抜けまして……落選!涙!
準備期間をいただきまして、書きたい気持ちはあります!と言っていた副社長秘書課編(豪華客船編)を書きました!
これ以上はまた別の章立てになると思いまして、今回はここで完結としております。
この先についての予定は未定です!
作者的にはあまり長くならずに終わるとしてあと二章分くらい(順調交際編・白鳳就航編)書けたらいいなと思っていますが、厳しい世の中で書籍化のお声はかかっておりません!
(同ジャンルの商業化作品を見回したところたぶん……ブクマが5000くらい必要な世界なんだ……)
続きを書く場合、仕事の原稿を進めながらの進行となりますのでまた少し準備期間をいただくことになるかと思います。大変恐れ入りますが、続き書いたら読むよーの方はブクマをそのままにしていただくもしくは作者登録などをして情報が届きやすい状態でお待ちいただけますと幸いです!
何卒皆様のよろしい方法で応援いただけたらと思います!




