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「この人、私の婚約者ですから!」と嘘に巻き込んだ御曹司が、なぜか話を合わせてくるんですが!?  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ
【第二章】

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8,プリンスの威圧感と甘え

 高瀬は最近少し、白築さんに懐きすぎている。


(城戸が思わせぶりなことを言うから……っ。呼ばれてもいないのに見に来てしまったが、思ったより全然状況が悪いぞどういうことだ)


 アリスは自分が可愛いという自覚はないのだろうか? と、海は気になって仕方ない。

 飲み会の話を城戸から聞きつけて、仕事終わりの海がアクアリウムレストランに足を運んだときにはすでに、アリスは完全に男性に囲まれている状態になっていた。

 それを目にしただけで、海自身が意識してのことではなくとも、周りの気温がさーっと下がっていく。

 普段は空気を読むことにも長けた海であるが、このときは自らの発する氷点下の冷気に気づかずに口を開いた。

 笑顔で。


「お疲れ様です。邪魔するつもりはないんだけど、通りがかったもので。知った顔もあるし、せっかくなので挨拶しに来ました」


 完全に、場の空気が凍りついていた。

 弓倉部長? と、高瀬が呟く。

 海は笑顔のままそちらへと顔を向けた。


「そうだけど? 何か?」

「あ、ええと、席を作りますね。水槽ビュー席」


 空いている席……、と高瀬が呟く。全員の目が、アリスへと向かう。

 アリスは、まったくこの展開を予想していなかったのか、きょとんとした顔をしていた。

 目が合っただけで、胸がきゅっと痛くなる。


(今日も可愛い……!)


 誰にも見せたくないくらい可愛い。いますぐジャケットを頭からかぶせてその場から連れ去りたい。

 誘拐めいた連れ出し方法が、海の頭の中をいくつもめぐる。


「席は作ってくれなくても大丈夫だ。長居はしない」


「あっ、いえいえ弓倉部長からの金一封を期待してとかではないですから! ドリンクは飲み放題でもうラストオーダー終わっていまして、料理も会費で精算が済んでいるので! ただせっかくこう、お二人がお揃いになったわけですから!」


「お二人がお揃い? 並んでいるところを見たいってこと?」


 海としては笑顔のまま答えているつもりなのだが、高瀬は冷や汗を浮かべながら一歩後退した。アリスの隣の席の男性の足を踏みつけてしまい、「すみませんっ」と謝っている。海はそれを見逃さなかった。


「どうした? 足元がふらついているみたいだ。飲み過ぎには気をつけたほうがいい。予約を会社名で取っているんだろう、下品な騒ぎはいけない」


 もちろん個人名でも、店に迷惑をかけるなどあってはならないことだ。

 海はそこまで言ったのだが、最後まで聞いてもらえたかは怪しい。なぜか動揺しきりの高瀬は、青ざめながらびしっと頭を下げてきた。


「そ、そのような! 香空の名に泥を塗るようなことは絶対にしません!」


 海の背後から城戸がひょいっと顔をのぞかせた気配があった。絶妙なタイミングで口を挟んでくる。


「そろそろ解散の時間ですよね。せっかくお誘い頂いていたのに、間に合わなくてすみませんでした。弓倉部長も楽しい時間を邪魔しに来たわけではなく、同じ方向に帰る方のお迎えに上がっただけなので皆さん気にしないでください」


 実質のお開き宣言である。それでもまだ凍りついた空気の中、話し出す様子もない社員たちへは一瞥もくれることなく、海はアリスの元へと歩き出した。


 * * *


(海さん、まさかの貴重なプライベートエディションで登場では……!?)


 仕事帰りという海は、普段会社で見かけるエグゼクティヴ仕様のスーツ姿であったが、軽く耳に髪をかけており、バチバチにピアスを重ね付けしているのが見えた。

 オンオフの切り替えのためかもしれないが、磨き抜かれた美貌に凶悪な華やかさが加わっていて、凄みすら感じる。

 アリスのすぐそばに立っていた高瀬が「ピアス……」と目ざとく気づいて呟いた。


(おしゃれなレストランでアクアリウムを背景にした海さんって、もうドラマみたい! 通りすがりのテーブルの皆さんが振り返っていましたけど、わかります。オーラがすごい。やっぱり大空家って只者じゃないんだ……)


 副社長付きとなったことで、最近のアリスは取引先の経営者や重役、さらには政治家といった面々がいる場に同席することがある。

 メディアを通さないで直に向き合う各界のお歴々は、直接話しているわけではなくともその強烈な存在感に圧倒されるものだ。

 しかし香空グループのプリンス・弓倉部長としての海は、その若さにも関わらず重鎮たちと向き合うことがあっても、決して引けを取らないであろうことが容易に想像がついた。


(接する機会がなかったとはいえ、同じ会社にいたのに私はどうして今までプリンスのこの絶大なオーラに気づかなかったんでしょう。話しかけるのも恐れ多い空気ですよね)


 息を詰めて一挙手一投足を見守っている周囲の社員たちの心境が、手に取るようにわかる。アリスもまた、同じように緊張しているからだ。

 時が止まったかのような空気の中、ただひとり自由に動けるらしい海は、アリスの元まで歩み寄ってきてにこりと笑いかけてくる。


「城戸とこの近くで、さっきまで仕事だったんだ。ちょうど良かったから迎えに来た」


 灯りの絞られた店内で、淡い青い光に浮かび上がるその美貌は幻想的で非現実的だ。

 乙女ゲームのスチルでもここまでの構図はないのでは? とアリスは意識の隅で考えながら呆然と海を見上げてなんとか口を開く。


「あ、あの、お疲れのところわざわざありがとうございます」

「顔が赤いな。飲んでるよね。今日も車だから、寝てていいよ。着いたら起こすから」


 微笑みが甘い。


(心臓に悪い。絶対悪い。あの笑みが自分だけに向けられていると考えると怖い)


 海には大変申し訳ないのだが、アリスは一般人なので「彼ピが迎えに来てくれた」と喜ぶ以前に「ものすごいオーラのひとが近づいてきて笑顔で話しかけてきた」という感覚が勝つ。

 ほんの数週間前自分から彼を捕まえて「このひと、私の婚約者ですから!」と嘘に巻き込んだというのが、本当に恐れ知らずなエピソード過ぎて震えが来る。


「弓倉部長、えげつないほどピアス似合いますね。そこらへんのホストじゃ太刀打ちできないでしょうな!」


 アリスの横で、この空気をどうにかしようとしたらしい桐原が軽口を叩く。

 海はにこりと微笑んだまま、軽く首を傾げた。


「ホスト?」


 桐原は、緊張に耐えかねたように俯き、顔を両手で覆ってしまった。

 それまで歴戦の営業らしく豪放磊落に振る舞っていたのが嘘のような反応だった。まるでライオンに見つかった子兎である。


「いままで、会社ではそういう装いを見ることがなかったので、新鮮です。重役スーツのイメージが強かったですけど、弓倉部長は俺等とあんまり年齢変わらないですもんね!」


 果敢にも、桐原の屍を越えて今度は高瀬が自分から話しかけていた。


(高瀬さん、完全に顔から血の気が引いてるよっ。怖いならやめておけばいいのに、どうしてそんな無茶を!)


 アリスは、決して海が傍若無人な人柄ではないことを知っている。

 それどころか、とても気が利いていて優しく、誠実で真面目だ。

 しかしそれは、あくまでプライベートの顔である。

 生まれは大空家で立場が恵まれていたのは否めないものの、海はその若さで大企業の責任ある役職まで上り詰めている。

 社員に対してどう振る舞うかは、アリスにも掴めないところがあった。

 それこそ、気安く扱われないように威厳を見せつけることもあるだろう。

 果たして海は、高瀬へと顔を向けて隙のない笑顔のまま言った。


「何か親しみを覚えるところあったかな。どこ? 俺にわかるように説明してほしい」


 怖い。

 普通に喋っているだけなのに、圧が強い。

 高瀬は笑顔のまま頬を引きつらせて「ええとですね」と言って、そこで絶句した。

 まさか自分に対して高瀬が「臆した」とは露ほども考えていない様子で、海は爽やかに追い打ちをかける。


「会社の飲み会だ。どこに耳があるかもわらないし、社内の話題はほどほどに。羽目を外すことはないと思うけど、飲み過ぎは良くない。ここで解散かな?」


 はい……と誰かが応えて、ようやく止まっていた時間が少しずつ動き出す。海は再びアリスに視線を向けてきた。


「やり残したことはない? 締めの挨拶があるなら待っているよ」

「いえ、大丈夫です。最初に挨拶の時間をいただきまして」


 待たせてはいけないと思い、海に対して一度素早く答える。しかし、このまま立ち去るのは間が抜けていると思い直し、アリスは立ち上がってテーブルを見回した。


「本日は過分な席をもうけていただきまして、ありがとうございました。お店もとても素敵でスタッフさんの対応も素晴らしく、同業者として学ぶことも多く楽しい時間を過ごせました。秘書課の先輩方だけではなく、営業の皆様も話す機会をいただけてありがたかったです。今後、部署を超えて協力していく場面も多いことかと思います。休みを挟みまして、来週からまたよろしくお願いします」


 顔を上げると、その場の面々は真剣な顔つきをしていたが、城戸は面白そうに笑っていた。

 アリスと目が合うと、いつも通りの実直かつ無駄のない口ぶりで話しかけてくる。


「この場はもう、大丈夫です。白築さんは出張続きでお疲れのところ、遅い時間までお疲れ様でした。今日は帰ってどうぞゆっくりなさってください」


 労わるように言われて、肩の荷が下りるような安堵感があった。行こう、と海に声をかけられて、アリスはさらにほっと吐息しながら頷いた。


 * * *


(まさかの爆睡でした)


 アクアリウムレストランの近場の駐車場に停めてあった海の車に乗りこみ、さて何から話そうと思っているうちに、心地よい振動に誘われてアリスはすっかり寝落ちてしまっていた。


「起きる? 起きないならこのまま俺が運ぶけど良い?」


 耳元で海が呼びかけているのに気づき、かろうじて目を覚ます。すでにマンションの立体駐車場に着いており、助手席のドアを開けた海がアリスを抱え上げていた。


「すみません、自分で歩きます!」


 いいのに、という海の声を聞きながらその腕の中から抜け出し、肩を並べて静まり返った廊下を進んで部屋へと向かった。


(最近出張続きだったし、帰っても次の日の準備をして即就寝だったから、余裕のある時間帯に帰り着くの久しぶりだな……もう二十二時まわっているけど)


 これはなんとしても、二人でゆっくり話す時間を確保したい……! という意気込みはあるのだが、アリスはまさにこのとき、自分の体力のなさを痛感していた。

 車で寝たことにより少しでも回復していれば良かったのだが、ただでさえ少しアルコールが入っていたこともあり、中途半端な睡眠でかえって体がだるくなったような気がする。

 惰弱過ぎる~~と思いながら、海に導かれて玄関のドアをくぐった。

 ぱたん、と後に続いてドアを閉めた海が「アリス」と声をかけてくる。

 ラグジュアリーで趣味の良い内装かつ、広くて余計な靴がひとつも置いていない玄関先で、海は振り返ったアリスに滲むような笑みを向けてきた。まなざしが優しい。


「落ち着いて話すこともできないまま、もう二週間かな。出張で家をあけている日も多くて、ずいぶんすれ違ってしまったけど、明日の土日はフリーってことでいい?」


 がくり、と膝から力が抜けてアリスは背後の壁にもたれかかってしまった。


(色気の暴力……! 絶対これは魔法ですよ。魅了とか魅了とか魅了とか)


 直視することができず、アリスはうつむきがちに横を向いた。その視線の先に、海の手首が入り込んできた。


「壁ドンチャンス」


 顔を上げると、ぎりぎりまで接近した海がアリスの顔を覗き込んで微笑んでいた。


(……チャンスは逃さない男ですね、さすがです。私の心臓は早晩壊れます)


 アリスは息も絶え絶えで告げた。


「壁ドンなんか一生体験しないと思っていました……ありがとうございます」

「良かった。好きなんだ。引かれるかと思っていたけど、また機会があったらするね」


 慣れるとは思えないので、もう一度されたらそのときは心臓が壊れて死ぬかもしれない。

 物騒過ぎる想像を口にする前に、海は満足したように離れていった。だが、すぐに思いだしたようにもう一度アリスの横に手をつく。


「壁ドンって、ドンして終わりじゃないよね? ごめん。ドンで終わってた」

「え?」


 きょとんとしたアリスの前で、海は目を伏せる。そのまま、ごく自然に顔を寄せて唇を重ねてきた。


 時間をかけてキスを終えて、海は間近な位置でアリスを見つめる。


「おかえり。あまり二人の時間がとれなくて寂しかった。土日はゆっくりしよう。食材は買い込んであるし、足りなければ城戸に届けてもらうから」


 二人の時間に城戸さんが顔を出すのは良いんだ? とか、すでに完全に引きこもるつもりでいる……! など短いセリフに気になることがつまっていたが、アリスはこのとき「寂しかった」を聞き逃さなかった。


(ここ大事なところ! テストに出るやつ! 回答しくじったら落第するレベルの!)


 彼女としてここは間違わないようにしよう、どうにか気の利いたことを言おうとアリスは難しい顔をして考え込む。

 海はアリスのその反応をどう思ったのか、ふふっと笑ってから続けた。


「何か悩んでいるみたいだけど、俺はアリスが俺にして欲しいことがあるなら叶えたいっていつも思っている。遠慮なく言ってほしい。その次でいいから、俺のしたいことにも少々付き合ってくれたら嬉しいなと」

「海さんのしたいこと? なんですか? 何か私にできることがありましたらぜひ!」


 寂しい発言からの「甘え」である。ここは甘やかし返すチャンス! 


(私もチャンスは逃さない女になります! 海さんには一宿一飯以上の恩があるので絶対に甘やかします!)


 強い決意とともに、アリスは前のめりになって尋ねる。


「それはね」


 海はかすかに頬を染めると、恥ずかしそうに小声で囁いてきた。


「お風呂」

「お風呂?」

「一緒に入りませんか」

「……っ!? う、う、海さんと、私でですか?」

「うん。アリスはいつも部屋付けのシャワールームを使っているけど、お風呂もいいよ。ハーバービューで海が見えるから、電気を消してキャンドル浮かべて入るのもいいかな」


 膝から崩れ落ちそうになるものの、アリスはなんとか気合で堪えた。


(おっしゃれ~~なこと言っているしすごく素敵なんだけどハードル高すぎ~~! 彼氏甘やかすの激ムズ!)


 アリスの感覚的に「それは無理」なのだが、海が積極的にアリスとの時間を持とうとしてくれているのは感じている。

 もしかしたら、酔っているせいでアリスがシャワー中に倒れることを心配しているのかもしれない。


「一緒のお風呂……。裸の付き合いですよね」


 冷や汗を拭うようにしながら聞いたアリスに、海までつられたようにさらに赤くなりつつ答える。


「入浴剤もあるから……。お湯が乳白色になるようなやつ。それなら大丈夫かな」


 外で見ると驚異的な迫力の持ち主で、将来日本を動かすと言われても納得しかないあのプリンス弓倉に。

 恥ずかしそうに甘えられている。


(二人暮らしで、いつも私が爆睡してしまうとはいえ、家にいる日は一緒のベッドで寝ているけど、不埒なことはされていないし……海さんはそのへんの自制がきちんとしていて)


 下心があればどうにでもできる状況がいくらでもあったにもかかわらず、海は決してアリスにとって不本意なことはしなかった。


 その海が「自分のしたいことにも付き合ってほしい」と打ち明けてきたのだ。

 これは、彼の願いを叶えたいアリスにとってはやはり絶好のチャンスだった。

 気合だ気合と自分に言い聞かせ、アリスは承諾の旨を口にする。


「わかりました。一緒にお風呂に入りましょう! よろしくお願いします!」


 ここは度胸で乗り切る! という強い意志で、拳を握りしめた。

 当然のごとく甘い空気はそこになかったが、海ははにかみつつも嬉しそうに笑って言った。


「ありがとう。入浴剤だけで不安ならバラの花も浮かべようか。きっとアリスも気に入ってくれると思う」


 なんで家にバラの花が常備されているの? セレブ怖い、とアリスは気に入る云々以前に肝が冷える思いを味わうことになった。

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流石にバラの花は、花束買ってこないと無理よね? 二人で過ごす時間のために用意したんだよね! 健気〜可愛いね♡
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