第一章 双頭の牛事件 その1
物語は二つのパートで構成されています。
ヒロインであるツノミパートと、トレスのパート。
妙な世界を旅するトレスの謎を早く解くことが、メインストーリーの秘密をあばく近道となります。
それでは、双頭の牛の謎に、挑戦してみてください。
第一章 双頭の牛事件
一
「かわいいからいいんだけど、ペンギンを学校に連れてくるのはいささか問題があると思うわ」と、教室に足を踏み入れた瞬間、怒られた。ここがワタシの新世界これから一年間なにがあるかわからないけど悔いのないように頑張るわ、という思いでいっぱいだった気合は、何処かへ一瞬で消えてしまった。
振り向いて見下ろすと、居た、ペンギン。黒と白の見慣れたペンギンではなくて真っ白。そう、ペンリアーズ。連れてきた訳ではなくてついて来たのだ。思い返してみると、通学途中、やたらと注目されていたような気がする。それはただ単にワタシが引っ越してきたばかりの新顔でこの人だれだ的な注目だろうと考えていたのだけど間違いでした。さらによく細かい部分まで思い出してみると、みんなの視線はワタシを通り越してしかも下のほうに向けられていたような気がする。そのときに不信感を抱きペンの存在に気づかなかったワタシのミス。
「こら、ダメじゃないの!」と怒鳴って、自分は悪くないんですよ、ということを周りにアピールする。ゴメンねペン、と心の中で謝ったのだけど彼はわかっているのかいないのか、眼をうるうるさせて首を傾げるばかり。それを見て、ピギャムシュウウウウゥゥゥとワタシの怒りも蒸発。仕方ないでしょ潤んだつぶらな瞳で首を斜めにされちゃあ。
気を取り直して自己紹介。
「ワタシの名前は、間家根ツノミといいます。中学生活も残り少なくなりましたが、受験勉強だけではなく青春も満喫したいと考えています。こっちが勝手についてきたペンリアーズで、ワタシともども、よろしくお願いします」と、出だしのミスを払拭するようにハキハキと、計算しつくした笑顔を作りながら言った。おまけに強力な武器、ペンリアーズの人間のハートをつかんで骨抜きにする完璧な見方もいる。つかみはOK。
「実は」とワタシの出だしをくじいた張本人が、眼鏡の位置を直しながら口を開いた。「今日からこのクラスを受け持つことになりました、神湖 美聖といいます。担当は英語です。ムーチョ・グスト。メ・ジャーモ、ミセイ・カミウミ――とまあ、実は英語よりスペイン語のほうが得意なんだけどね。これから一年間、よろしくお願いします」
先生もニューフェイス? それになになに、スペイン語って! ちょっとかっこいいんだけど、しかもワタシのときよりも大きい拍手。先生に主役の座を奪われた! ワタシの独壇場消滅。
独壇場……①その人だけが思うままに活躍できる所 ②ひとり舞台 ③実は壇の誤読から出来た言葉。正式には独壇場という ④口にするときは《どくだんじょう》と言ったほうが、通用することが多い
「だけど困ったわね。このペンギンをどうしましょう」「ペンリアーズです」「えっと、ペンリアーズだけど、このままいっしょに授業を受けさせる訳にもいかないし……」
「神湖先生、提案があります」と、キリッとした眼つきの少年が挙手。髪を短く刈り上げて清潔そうな少年。野球少年かしら、と思ったけど肌の色が白いので違うだろう。
「あなたは?」「世界動物愛護飼育部部長の松則です。校庭の一角に飼育小屋があるのですが――」ここで松則は指をばしっとペンリアーズに向けて、「そこであずかるというのはどうでしょう」
という経緯で、ペンリアーズを連れて帰ることにはならなくてよかったよかった。
ホームルームが終わり、松則くんの案内で運動場へ。広大なグラウンドの奥に巨大な建造物があり、そこへ向かう。コンクリート製の建物で、《世界動物愛護飼育部飼育小屋》という白い表札に黒字で書かれた看板の真下へ到着。全部漢字。読むのが大変。茫然としていると松則くんが扉をスライドさせ、どうぞ、と言った。どうも、と答えて、ちょっとだけ大丈夫かなと不安になりながら中に入った。
『世界動物愛護飼育部』という変な名前の部が所有する世界動物愛護飼育部飼育小屋は、その名前から連想されるとおりのしっかりとした設備が備わっていた。奇麗に整頓されていて、不潔さは皆無。それでも、むん、と室内には動物特有のにおいが漂っていて、おもわず咳きこみそうになる。しばらくは口呼吸。少し落ち着いたところで改めて見回してみると、いろいろな種類の生き物が飼育されていてちょっとした動物園だった。学校の中にある別世界にワタシは正直、驚いた。
アヒルにウマにダチョウにブタ、他には、カンガルーにクジャクにウサギにカピバラ、まだいる、けどもういいや。さすがに肉食獣はいない。それぞれがノアの方舟よろしく雄と雌のつがいで、木で出来た仕切りの中に入れられている。ワタシはこの光景を見て『シャーロットのおくりもの』を思い出し、天井を見るがクモはいなかった。
「変わったペンギンだね」と松則くん。「ペンリアーズよ」「ふむ、すまない」
何が変わっているの? と訊くと、彼は手を顎に当てたまま答えた。
「南極海のとある島で白いペンギンが目撃されたんだ。だけどその白いペンギンというのは、種ではなく、遺伝子の突然変異によって誕生したらしい。もしかしたらペンリアーズは、それらと同様のメラニン色素が極端に少ない病なのかもかもしれない」「病気じゃないわよ、とても元気なんだから」「DNAの異常で命の危険はない。だから大丈夫。野生だと、目立ってしまって餌の確保に困り、捕食者に狙われやすいから危ないけど、ペンリアーズの場合、ご飯は何もしなくても手に入るからね。それにしても、真っ白、というのは本当に珍しい。普通は灰褐色や薄茶色なんだ。不思議だよ」と言って、松則くんは腰を下ろしてペンリアーズをまじまじと見つめた。
まさか、解剖してみたい、などと恐ろしいことを言うんじゃないかしら、言わないにしても、脳裏によぎっているんじゃないかしら、と警戒心がマックスになったとき、松則くんがガバッと立ち上がり、「来ると思っていたよ」と、小屋の入り口のほうに笑顔を向ける。
ぞろぞろとやってきた。三人。おそらく部員たちだろう。
「夜菜から聞いたときは信じていなかったけど、本当に、真っ白ね。こうやって眼の前で見ても、それでもまだ、自分の眼を疑ってしまうわ」と、ボブカットの高飛車な女。
「でしょでしょ~。しかもあまりにもかわいすぎて、うぐ卑怯だよ、うえ~ん」と、意味不明に泣き出す小柄な女。
「安心……」と、意味のわからないことを言う身長が二メートルはあろうもじゃもじゃ頭のモンスター。
出ました、変な人たち。まるで清涼院流水のJDC。まるで戦隊もの。まるでX‐MEN。茫然としていると高飛車女がペンリアーズを抱っこした。分厚い翼―《フリッパーというらしい》―をバタバタ、短い脚をプラプラさせる。ワタシに助けを求めている!
ちょっと――と、彼女の行動を諌めようとしたとき、
ちま~ん!
妙な声が、小屋中にこだました。
なに今の? と思ったのはワタシだけではなかったらしく、松則くんも小柄な女もモンスターもあたりをキョロキョロと見まわしている。ただひとりだけ、口をあんぐりと開けている高飛車女がこう言った。
「聞いた、今の?」
「なになになに~。怖いよ~」
「怖くも何ともないわよ、夜菜。どちらかというと、ビックリよ」
「わからない……」と部員たちが交互に口を開く。
「わからないのはあんたの頭の中よ。黙ってなさい栃宗。実はね――」と高飛車女がペンリアーズを高々と持ち上げた。
「まさか」と驚愕の顔を浮かべる松則くんを彼女は一瞥し、勝ち誇った顔で、
「そのまさかよ。このペンギンが今の鳴き声を発した犯人だったの」「ペンリアーズよ!」
松則くんが蒼い顔で駆けだし、ペンリアーズを女の手からもぎ取った。
「あり得ない。だって、ペンギンの鳴き声は見た目とは違ってかわいくない。ブヒヒヒヒやらブヒーブヒーやらベルルルルやらアーラアーラだ。決して、ちま~んなんて鳴かない」
「でも実際にその耳で聞いたでしょ」
「うん」と、松則くんは子どものように頷いてからワタシを見た。彼だけじゃなくてみんながこちらを向いた。
え? やっぱり研究のために解剖させろと詰め寄るのかしら。ワタシは空手も柔道もボクシングも合気道も超能力も習得していないから普通の非力超プリティー女子中学生よ。武力行使に出られたらどうしようもない。相手は四人。高飛車女と夜菜と呼ばれた小柄な女は問題ないだろう。だけど松則くんと怪物はどうすることもできない。
あきらめちゃダメ、とここでさらに観察する。知力をフル稼働させる。怪物はノソノソと動いているのでスピードはないだろう。いける。松則くんは、中肉中背、引き締まった両脚はガゼルを思い起こさせる。要注意人物は、たったひとり、それは松則。
ペンリアーズは彼の腕の中。ペンは、自身に降りかかるであろう悲劇に気づいた様子はない。首を傾げ、両翼をパタパタさせている。なんて鈍感! ウルルンした黒眼をパチクリさせている。クウゥゥ~かわいい。こんなにかわいいペンリアーズを、絶対に、解剖なんかさせない! なんとか彼らの魔の手から救いださなければ。
ワタシは視線を巡らせた。動物たちは木で出来た仕切りの中にいるとはいっても施錠されていないのですぐに開放できそうだ。これだ、否、この手しかない。
ワタシの作戦。動物たちを放し、現場をパニックに陥らせ、その隙にペンリアーズを救出する。そして出口へダッシュ。完璧。
「ツノミさん、だったね」
松則くんがこちらを見た。さあ、どう出るの? 準備は万端よ。
「とりあえずペンリアーズは心配ない。スペースも空いているし、エサの魚もなんとかなる。ここにいる子たちはみんな優しいからいじめられる心配もない。安心して君は勉学に励んでくれ」
見ると、夜菜と栃宗と高飛車女はすでに動物たちにエサを与え始めている。
「あの、えっと……どうもありがとう」勝手に妄想を暴走させていた。バカみたい。
「あら、とてもすてきな場所ね」
背後からの声。振りむくと、担任の美聖が立っていた。
松則くんが笑顔で答える。
「動物たちのために快適さを保つのが大変ですよ」
これで快適? いやいやくさいでしょ、と思ったけど黙っていた。松則くんが続ける。
「先生は動物が好きなんですか? 今は飼育部の顧問が産休に入っていまして、よかったら臨時の顧問になんて――」
「ごめんなさい。動物は得意ではないの。今はこうやって仕切りがあって問題ないのだけど、自由になったらそれこそパニックに陥るわ。それより、ペンリアーズの問題は解決した?」
「ええ、ご覧のとおり」と、松則くんがにこやかに答えた。
テコテコと歩き去るペンリアーズ。いつもと変わらない後ろ姿。自分に与えられたスペースも気に入ったようだ。他の動物たちも大人しい。ワタシはなんだかどっと疲れて、その日は授業に身が入らなかった。
翌日、教室に入ると妙に騒々しかった。クラスメイトの視線が一か所に集中している。その先を追うと、夜菜がいた。彼女は自分の席で大声を上げて泣いていた。どうしたのかしら? それに、何で誰も声をかけてあげないの、冷たいわね! と憤慨しながら近づこうとしたとき、松則くんがワタシの前に立ちふさがった。
「また君はペンリアーズを連れてきたのかい?」
見下ろす。げ! でも今はペンリアーズにかまっている場合ではない。
「いったい何があったの?」
「ああ、あれ?」松則くんが振り返り、再びワタシのほうへ顔を戻し、「夜菜が泣いている」
「それは見ればわかるわよ。そうじゃなくて、理由は?」
ワタシの質問に、松則くんは少しだけ顔色をくもらせた。
「昨夜のことだけど、飼育小屋で、頭が二つある牛を目撃したらしいんだ」
頭がふたつ。双頭の牛? 放射能か突然変異か何かかしら。それとも幻? いや、幽霊? まったくわからない。ワタシは目撃した当の本人、夜菜へと視線を向けた。まだ号泣。唾をまき散らし、鼻水まで垂らしている。彼女の周囲はべとべと。
彼女に誰も近づかない理由だけは、この瞬間、解けた。
二
トレスは勉強机の引き出しの中が空洞になっていることを知り、パニック、を起こした。すぐさま腰を上げ、書棚に並んでいる本をかたっぱしから、引っ張り落とし、クローゼットの中の衣類をすべてかき出した。唯一の親友、エンリケ、は何所にも居ない。一階へ降りキッチンへと向かう。食器棚を開け皿という皿をたたき割る。冷蔵庫、電子レンジの中も覗くが、居ない。外かしら、とトレスは、くつも履かずに家を飛び出した。ぐにぐにと動く赤い地面、鋭利な刃物が立ち並ぶ路地が広がるばかりで、エンリケの姿は見当たらない。上空には、ひとつの大きな目玉と、いくつもの脳みそが浮かんでいた。じっ、と眼玉が、冷やかに彼女を見下ろしている。おそろしくなったトレスは踵を返して、家の中へと戻った。親友をさらった犯人の目星はついている。焦ることはない。そう、犯人は、《悪魔の使い》だ。問いたださなければ。悪魔にそそのかされて、私を困らせるために、エンリケを連れて行ったのに、違いない。トレスは《悪魔の使い》の部屋へと足を向けた。世界を恐れ、悪魔に怯え、今ごろ自分の部屋に閉じこもっているはずだ。それでも悪魔に魅入られた、者だ。力づくでは勝てない。しかし、エンリケの居所を白状させなければ、私に、未来はない。このままでは、悪魔と、悪魔の使いたちに蹂躙されるだけなのだ。なんとしても彼を探し出さなければ。風に揺れる水面のように脈動するドアの前についた。ノックすると、ノチン、ノチン、と粘り気のある音が、鳴った。聞こえたかしら、ともう一度ノックしようとしたそのとき、扉が糸を引きながら開いた。中から顔をのぞかせたのは、キリン頭の女。身体は人間で首から上だけがキリン。その長い首を、グイ、と曲げ、大きな眼から真っ赤な血を流していた。トレスはその容貌に一瞬たじろいだ。いつ見ても、慣れることのない、恐ろしい、姿。だけど逃げる訳にはいかない。歯をくいしばって踏みとどまった。「エンリケを返してちょうだい」トレスがそう言うと、キリン頭は小さな口をもごもごと動かして自身の首と同じくらい長い舌をデロリと出して、「ごめんなさいごめんなさいでもあなたのためなのそれだけは信じてちょうだいごめんなさい。ブフ、ブフ」と言い、よだれを床に滴らせた。「エンリケは何所にいるの?」「ああ、ああ、ああ」唸りながらキリン頭の大きな瞳が廊下の奥を捉えた。視線の先を追ってトレスは、ギョッ、とした。踏ん張っていた両足が力なくよろめく。それでも倒れまいと、反対側の壁に身体を預けた。それと同時にキリン頭が視線をそのままにドアをくぐりぬけ、全身を出した。トレスたちの元に、歪んだ空気が波のように、押し寄せてくる。悪魔が、帰ってきたのだ。
つづく