第二七話 大罪人の呪術士
アルヴィドが里愛を助けることを宣言した瞬間、部屋の扉が勢い良く開いた。
まるでその発言を待っていたと言わんばかりに開いた扉から入ってきたのは金髪の女性だ。
柔らかくウェーブした金髪に灰菫色の瞳をした女性――ルチアーノはその言葉を待っていたといわんばかりに薄い笑みを広げながらアルヴィドを見据えた。
「やっと覚悟を決めたようだね。まあ、助けないという未来も存在したからどうするかと思ったが……ちょうど良かった。お望みの奴を連れてきてやったよ」
ここしばらくの間、何処かに姿をくらませていたルチアーノはそう呟くと、部屋の中に一人の男を招き入れる。
全身を外套で覆い隠したそれは顔こそ見えないが、発する雰囲気は異質だった。
両手は動かせないように手前で頑丈な手枷で固定されており、動くたびに重い鎖がジャラリと音を奏でる。
数歩踏み出し、ルチアーノの隣に並んだそれが口元を歪めるのが見えた。
「やあ、久しぶりだね、みんな。何百年ぶりかな、こうして顔を合わせるのは……」
「ルベリエ・E・ベルモンド……」
その名を口にするだけで苦々しい思いが甦る。
数百年前、その名前を口にする事すら怖れられた時代があった。全てはルベリエが恐怖を撒き散らしたのが原因だが、その本人は何も変わっていない。
身に纏う雰囲気も、静かに響く声音も、魔術師とは異なる独特ななまりのある発音も。
牢獄に閉じ込められているのも、ちょっとした罰の延長線と言わんばかりの軽い口調にアルヴィドの顔が歪む。
連れ出すと決断したのはいいが、その張本人が既に目の前にいるのだ。しかも独断でルチアーノが連れてきたということになる。
最近姿を見ないと思っていたら、ルベリエを連れ出す手続きを行っていたようだ。
「お前な……許可なく大罪人を連れ出すのは大罪の一つだぞ」
「大罪人を連れ出すには少なくとも手続きに三日はかかるじゃないか。悠長なこといっているとあの娘、簡単に死ぬよ」
「こうなる事を知ってただろ、お前」
でなければ態々意味もないことをルチアーノがするわけがない。時空間を管理する力を持ち、魔術師の中でも類稀なる力を有する『不変』の称号を持っているのだ。
大抵の魔術師は彼女の時空間を操る力の前では勝つことすら出来ない。大魔術師の中でも上位の実力者であるルチアーノはグラトニーの言葉に口元を弛ませた。
「言わずとも、知れたこと言うんじゃないよ。この男を牢屋から連れ出したのは誰のためでもない。私自身のちょっとした興味を満たすためさ」
「お前なぁ……自分勝手な行動で憤怒大陸が滅んでもいいっていうのか?」
「滅びやしないさ。そういう未来だからね」
全てを知り尽くしたルチアーノは冷たい光を宿した瞳を細め、笑う。その笑みが全てを物語っていた。
この先何が起きるのか、すべて知っているルチアーノだからこそ大罪人である彼を何のためらいもなく連れ出すことが出来たのであろう。
自分の興味を満たすためなら何でも仕出かす女性である事を良く知っているグラトニーは溜息を零した。
ある意味誰よりも悪魔らしい女であった。そこに一切情は存在しない。あくまでも自分の興味ある事にしか興味が無いのだ。
「さて、アルヴィド。ルベリエをあの娘に合わせたいんだがいいかい?このままだとあの娘は二日も持たないだろう」
「俺が連れて行く。あれは、俺の花嫁候補だ」
「そうかい。まあ、お前さんが連れて行っても出来ることなど限られているけどね?」
「それでも構わない」
そう言い切るアルヴィドに何故か微笑を深めたのはルベリエだった。面白そうに口元だけを緩やかな弧を描く。
ゾッとするような笑みに座っていた魔術師たちの顔に緊張が走る。両手を拘束されているとはいえ、相手は呪術師だ。
魔術師とはまた違った厄介な呪術を駆使し、戦うのだ。緊迫した空気が張り詰める中、動いたのはココだった。
透き通るような橙色の瞳を真っ直ぐルベリエに見据えながら言葉を紡ぐ。
「リディア様は現在私の主です。もし仮に助けられなければ……」
殺しますから。にっこりと、それは綺麗な笑みを浮かべてココは口にする。
ココがここまで誰かに執着するのはある意味珍しく、興味を引かれたのか「それは楽しみですね」と拘束され、抵抗する事も出来ぬというのに悠長な返事をするのであった。
*
寝台に寝かされた里愛は相変わらず深い眠りについていた。仮死状態といっても可笑しくないほど身体は冷たくなっている。
部屋に入る前から何やら興味深そうに辺りを見渡していたルベリエだったが、里愛の姿を見たとき微かに息を呑んだのが分かった。
そして薄い笑みを浮かべた唇から漏れたのは「趣味が悪いですね」と告げられた。
主の悪口に一瞬眉をつり上げたココだったが、弁解するようにルベリエは首を振るった。
「いいや、この子じゃなくてこの子を花嫁候補としてここに連れてきたシリウスが悪趣味と言っただけだよ」
むしろ吐き気がするほど酷いやり方だ、と口にしながら眠りについている里愛の今現在の状態を簡潔に話し始めた。
「かなり特殊な呪術を使ったみたいだね。禁忌の類の呪術だよ、これは。必要とするのは相手の髪や血肉が主に媒体となり、魂ごと冥界へと連れ去る極悪非道な呪術と言うべきか。使った奴はかなりの使い手みたいだね。でも、掛けた呪術師でも解呪出来ないと思うよ。思いの外彼女の体に呪術が馴染んでしまっているからねぇ。自殺願望でもあったのかな?」
「自殺願望などあるわけないじゃないですか」
怒りを押し殺した口調にルベリエは肩をすくめる。ココの眼差しは怒り、というよりも今にも殺しそうなほど殺気に満ちていた。
思わず視線を逸らしたくなるような殺気にも関わらず、ルベリエの口調はさして変わらなかった。
「そう……君がそこまで断言するのならそうなのだろうね。じゃあ、あれだ。過去に大きな闇を抱える何かがあったかもしれないな」
「心の闇?」
「そう。呪術士は人の心の闇に付け込む卑劣な技を多々使うからね。彼女のような心の闇が大きい人間は特に狙いやすい。現に魂が半分ほど抜けている状態だ」
「リディア様……」
「確かにここまで悪化しているのなら僕以外には解呪出来ないだろうね。ルチアーノに感謝するといい。でなければ助ける事は出来なかっただろうから」
ゆっくりと里愛が寝ている寝台に腰掛けると、ルベリエは思い出したように睨み付ける二人に言う。
「これから彼女の深層心理に入り込むから間違っても体を揺すったりしないでね。帰ってこられなくなるから」
それだけ告げると拘束された両手で里愛の小さな手を持ち上げた。
真っ白なそれを両手で包みこみながら何かを小さく呟く、そして意識を無くしたルベリエはそのままの体勢で停止してしまったのであった。
静寂が部屋の中を支配する。里愛は本当に大丈夫なのだろうか。誰もがそう思っても口にする事は出来ない。
もし、駄目だった時を考えると恐ろしいからだ。現にアルヴィドは動かなくなった見据えたまま立ち尽くしている。
相変わらず不機嫌そうな表情をしているが、里愛を心配しているのが痛いほど伝わってきた。
常に不機嫌そうな顔をしているため勘違いされがちだが、仲間思いな一面も確かに持っているのだ。
「大丈夫よ。リディア様は絶対戻ってきてくださるわ」
「ああ……」
少なからず里愛を救う鍵は深層心理に入り込んだまま動かないルベリエに掛かっている。
一度は殺し合ったほど犬猿の仲だった。だが、可愛らしい主を助けてくれるのなら――あの時の非礼を許してやってもいい。
一生ルベリエを許さないと思っていたココだったが、そんな事を一時でも考えてしまうほど里愛を大切に思っていた。




