第二二話 戒めの言葉が響く時
私がアルヴィド様に出会ったのはとある夜会でのことだった。
魔力の強い魔術師の中では珍しい紅蓮の髪に氷のような瞳。
端整な顔立ちは見る者を虜にした。
勿論、私もその一人だった。
ずっと、彼の側にいたい。
ずっと、彼を見ていたい。
辛い時も、苦しい時も、楽しい時も、側にいて一緒に感情を共有したい。
だから、大陸代表にまでなって、彼に会いに来たというのに……。
邪魔、邪魔、邪魔、邪魔。
カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中で私は呟く。
呪詛のように連なる言葉達。
言葉には力が宿るという。
だとしたらあの邪魔者の女を消して欲しい。
私以外の花嫁候補全員を殺して欲しい。
「でも、一番邪魔なのは『リディア』、あなたなのよ」
一人だけ毛色の違う花嫁候補を思い出し、私は呟く。
アルヴィド様は私だけのものなの。
だから、消えてちょうだい。
薄暗い部屋の中、静かに呟かれた声は消えていったのであった。
*
この世界に無理やり連れてこられてから既に二週間が経っていた。漸く半分くらい経っただけで、まだまだ時間は残されている。
一ヶ月ってこんなに長かったっけ?と考えてしまうほどだ。ココに用意してもらったカレンダーに丸印を付けながら確認する里愛。
今思えば二週間の間に色々な事があった。
変な魔導師に無理やり異世界に連れて来られたかと思えば、見知らぬ男に速攻で殺されそうになるわ、花嫁候補とかマジでありえないとしかいいようがない。
よくもまあ、こんな無茶苦茶なことをいわれながらも頑張っているものだと自分自身を褒めた堪えたくなるほどだった。
だけど、あと二週間ちょっと我慢すれば元の世界に戻れるのだ。
花嫁に選ばれなければ戻すという条件なので、まず自分が選ばれる心配は無い筈だ。
むしろ十歳前後の幼女を花嫁に選んだりしたらアルヴィドを本気で恨み殺す覚悟はあった。
そうならないためにもリディアは出来るだけ部屋を出る事をせず、引き籠りのような生活を送っていたのであった。
ほとんど図書館と自室を往復する毎日だが、何かと声をかけて来る変人もいる。
図書館に行けば必ずといっていいほど誰かいてリディアに声をかけてくるのだ。
主に女装男でもあるヴェルンヘルが主なのだが、極稀に違う人と遭遇することもある。
今回は何故か怠惰大陸出身――パトリシア嬢がいた。ふわふわとした亜麻色の髪の毛に絡ませたレースのリボンが可愛らしい。
ド派手なテオドーラ様や、妖艶なセシリア様とは違い、可愛らしい系であることは間違いなかった。
何か探し物でもあるのか、熱心に何かしらの本を捜しているようであった。
自分以外にもこの図書館に訪れる令嬢がいるなんて吃驚した。そんなことを思いながら不躾に見ていると、こちらに気づいたのかパトリシア様が会釈するのが分かった。
つられて会釈仕返すと、手に持っていた本を本棚に戻し、こちらに歩いてくる。
おしとやかな歩き方は自分とは大違いだった。真似して出来るようになるものでもなく、幼い頃から指導を受けてきたのだろう。
感心するように見つめる中、目の前にまでやって来たパトリシアが微笑むのが分かった。
「お久しぶりですわ、リディア様」
「パトリシア様もお元気そうで何よりです。パトリシア様も本を借りに来たのですか?」
「ええ。わたくし、こんなに立派な図書館を見たことありませんから……それに調べたい事もありましたから」
「勤勉家なんですね、パトリシア様は」
納得したように頷けば「そんなことないですよ」と恥ずかしそうに頬を赤らめるパトリシア。
美女が恥らっている姿は何時見ても可愛らしかった。最近変なのに絡まれる事が多くて忘れがちだったが、美女は目の保養だ。
癒される、とそんな事を考えながら眺めているとパトリシアは意外な言葉を口にした。
「わたくしのことはパティーとお呼び下さい」
「え、でも……いいんですか?」
「はい。その方が親しみを込めて呼べますし、他の花嫁候補の方々は図書館に訪れるような趣味の人はいらっしゃらないでしょうから」
なるほど。それはある意味私達の趣味が変わっているということですね。
確かにここで他の令嬢を見たことはないが、他の令嬢たちは何をしているのだろうか。
まあ、令嬢といえば普通は着飾ることを楽しみにするようなものだ。勉強は嫌いという人が多いのだろう。
それにアルヴィドの花嫁になるために来たのであって、態々勉強しにきたわけではないのだ。
今頃アルヴィドに自身を売りこんでいることだろう。テオドーラ様とか特に意気揚々と執務室に乗り込んでいってそうだ。
それだったら全力で応援するけどね。ガッシリとアルヴィドの心を掴んで欲しいものだ。
そんな事を考えるリディアを他所にパトリシアは柔らかく微笑んだ。
「わたくしもリディア様のことをリーダと呼んでいいかしら?」
「え、ええ。大丈夫ですよ」
誰も里愛のことを愛称などで呼ぶものがいなかったため、何だかその呼ばれ方は新鮮だった。
そもそもリディアなんて四文字なのだから別に愛称で呼ぶ必要があるのだろうか?とも思うが、何やらパトリシア様が楽しげなので良しとしよう。
美女が喜ぶ様は見ているこちらも和む光景だ。早速自分のことをリーダと呼ぶパトリシアの言葉に耳を傾けている時だった。
コト、という奇妙な音が聞こえた。まるで何かが作動したような音。怪訝そうに辺りを見渡す里愛だったが、次の瞬間驚いたように瞳を見開いた。
突然巨大な本棚がこちらに向かって倒れてきたのだ。
「危ない!」
悲鳴のような甲高い声が辺りに響くと同時に、投げ出される身体。凄まじい勢いで倒れる本棚に押し潰されそうになった里愛だったが、間一髪で助かった。
パトリシアが倒れる寸前で里愛の体を押し倒してくれたからだ。
絨毯に無理やり体を押し付けられたため、擦り傷が出来てしまったが、あの本棚に押し潰されていたかと思えばゾッとする。
上に覆いかぶさるように庇ってくれたパトリシアは頭上から降り注ぐ本から里愛を守ってくれたようだった。
「っう……」
「パ、パ、パトリ、シア……様……」
大丈夫ですか?と続くはずの声は上手く言葉に出来ず口からすり抜ける。
重たい本から身をていして守ってくれたパトリシアの表情は青白く、痛々しかった。
どこか怪我をしているのかもしれない。慌てたようにパトリシアを押し潰す本を退ければ、右足が大きく腫れ上がっていた。
どうやら本が直撃したようだ。医者の所に連れて行きたい所だが、今の小さな体ではパトリシアを立ち上がらせる事も出来ない。
大丈夫なはずがない。リディアは今にも泣きそうな声でココの名前を口にした。
誰でもいいからパトリシアを助けて欲しかった。この離宮で唯一心を許せるのは今のところココしかいない。
ココなら名前を呼べばどこにでも駆けつけてくれるという根拠もない思いを胸に何度も口にする。
「ココ、ココ、ココっ!」
「何事ですか、リディア様!?」
泣きじゃくる子供のようにそう叫べば次の瞬間、図書館にココが現れた。本当に里愛の声が届いた事にも驚きだが、その表情は何時になく真剣だ。
絨毯にしゃがみ込んだまま助けを求める里愛に駆け寄るココ。直ぐに異常事態を察知したのか、どこから短杖を取り出した。
隣の本棚に直撃したままの形で止まっている本棚に向かって呪文を呟く。
すると倒れている本棚と本が元の位置に戻っていくのが見えた。直ぐにココは倒れているパトリシアを救出し、怪我の具合を見た。
ドレスを捲り上げられ、見えるふくらはぎは既に青くなっていた。痛みに耐えるパトリシアの表情がとても痛々しい。
何も出来ず、見守る事しか出来ない里愛にココは「大丈夫ですよ」と軽く頷いて見せた後、パトリシアを抱き上げた。
痛みで呻くパトリシアに我慢してくださいと告げながら移動魔法をして消えるココ。
きっとリナーシャ様に傷を治してもらいに行ったのだろう。自分を庇ったせいで誰かが傷つく光景は見るに耐えなかった。
のろのろとその場から立ち上がると、ちょうど二階から誰かが降りてくるのが分かった。
深く響く靴の音にゆるゆると顔を上げる。そこに立っていたのは一人の女性だった。
結い上げることなく、下ろされたストレートの黒髪。ほっそりとした輪郭に端正な顔立ち。見下ろす瞳は冷たい赤紫色。赤く塗られた唇だけが異様に目立っていた。
黒を基としたドレスから露出する肌は青白く、本当に同じ人間なのかと思うほど現実離れしている。
まるで今の今まで起きていた出来事がすべて夢だったのではないかと錯覚してしまいそうな光景だった。
言葉無く見上げる里愛を見下ろしながらまた一歩階段を下りる。逸らされることのない視線はまるで里愛を責め立てているようだった。
「ルキフェルの操り子。汝が現れたことにより粛々と時を刻み続けていた運命の歯車が狂い始めた。この代償はいと高きことだろう。我らはけして汝が歎ずることを許されぬ。泣くことも、笑うことも、怒ることも。運命に抗い、背いた報いだ」
「……貴方は、誰?」
「それこそ推して知るべし。今回の悲劇は汝自身が招いたもの」
歌うように続く言葉はとても綺麗なのに、ゾッとする冷たさが含まれていた。
感情が篭らぬ声音。自分の事などどうでもいいと突き放しているようであった。
まさか、この女性が魔法で本棚を押し倒したのだろうか、とも思うが、証拠がない。
それに言っていることも難しく、理解できない部分が多すぎだ。それでも女性の言葉は続く。
「仮初めの時に真の己を隠すも良かろう。だが、その先にある破滅をゆめゆめ忘れるな。けして幸せになどなれぬことを」
そう呟くと、どろりと溶けるように絨毯の上から消えてしまった。何が何だか分からぬまま終わってしまった。
呆然と先程まで誰かが立っていた階段を見上げる里愛。誰かに似ていた気がする。でも誰に似ていたのだろうか。
ココが戻ってくるまでの間、里愛はずっと誰も居ない階段を見上げているのであった。




