第二十話 図書館にて未来の旦那様と遭遇
普段より少し遅い朝食を取りながらその日の予定をココから聞いていた。少し固いパンを千切りながら口に運ぶ。洋食が主流なのか、毎日パンばかり出てくると、ご飯が恋しくなるこの頃だ。
長話をしていたため、冷めてしまったスープに浸しながら食べると尚美味しい。滅多に味わえないような料理に自然と頬が緩む。
この離宮に来てから本当に舌が肥えた気がする。もう元の生活に戻っても洋食はしばらく食べられないのではないかと思ってしまうほどだ。
まあ、そうなってしまったら飽きるまで和食を食べていればいいだけの話なんだけどね。
そんな事を思いながら最後の一口を口の中に放り込む。あまり食べ方は綺麗な方じゃないが、注意する人もいないので問題ない。
ココはそんな細かい方じゃないのか、二人きりの時は一度も注意されたことがなかった。
今日は特に予定が無いのか、自由にしていいというココに里愛は喜んだ。これで予定などギュウギュウにつまっていたらその日は大変な一日となっていただろう。
隙間無く予定がつめ込まれていればその日は自由時間など勿論ないし、疲労困憊で倒れる可能性もある。
まあ、皇妃主催の茶会が終わったばかりだからしばらくの間は自由な日々を堪能出来そうだ。
この間、図書館で借りてきた本はすべて読んでしまったので、違う本を借りてこようと思っていた所だし……午前中は図書館に行くとしよう。
嬉しそうに瞳を細める里愛を他所に食後のデザートを卓に置いてくれたココに礼を告げれば綺麗な笑みが帰ってきた。
何から何までココに尽くして貰って……本当にここにずっと居たらどんどん自分が駄目人間になって行くような気がする。
何せこの世界に来てからまともに動いて居ないような気がするのだ。相変わらず外へ散歩に行く勇気はない。
外は怖いお嬢様方がきっといらっしゃるだろうからね。図書館は誰も寄りつかないと言っていたし、大丈夫だろう。
きっとココは午前中の間、部屋の掃除をするだろうし自分がいると邪魔になってしまうに違いない。
リナーシャ様へ感謝の手紙は図書館で書けば良いのだし。
そんな事を考えながら柑橘系の甘酸っぱいゼリーをぺろりと平らげたのであった。
朝食を取った里愛はココから受け取った便箋と、借りた本を片手に図書館に向かっていた。
一緒にココも付いてこようとしたが片付けや掃除があったため断念したのだ。
何かをしきりに心配しているのか「危険人物が現れたら直ぐに私の名前を呼んでくださいね。何処にいても駆けつけますから」と空恐ろしい科白まで口にしていた。
危機的状況で叫んだところで絶対届かないと思うのだが、あまりにもココの表情が真剣だったため思わず頷いてしまった。
別にそこまで危険な目に遭うとは思っていない里愛の足取りはとても軽やかだ。さっさと好きな本を借りて感謝の手紙も書いてしまおう。
この離宮で唯一覚えた通路を軽い足取りで歩いていく。相変わらず人気の無い回廊を抜け、図書館に辿り着くと見知った姿がいた。
艶やかな銀髪は細かく結い上げられており、真珠が垂れ下がった簪で綺麗に飾られている。褐色の滑らかな肌に銀色の髪が良く似合っていた。
伏せられた睫毛は長く、口元は品良く笑みが浮かんでいる。装飾が施された長杖を片手に本棚を見上げていたその人は、里愛の視線に気づいたのか此方に振り向いた。
今日は銀髪に良く映えるビーコックグリーンの禁欲的なドレスを身に纏っているみたいだ。自分には似合わない色だが、彼の人が着ているととても似合っている。
口元の笑みが更に深まると、静かな図書館によく通る声が響いた。
「久しぶりだね、リディア。本を返しに来たのかい?」
「お久しぶりですヴェルンヘル様。先日お借りした本を返却しにきました」
本を抱き抱えているため礼をとることが出来ず、軽く会釈する程度になってしまったが、ヴェルンヘルは気にしていないのか杖を振るうと魔法を発動させる。
腕の中にあった本が勝手に浮かび上がると、勝手に図書館内を浮遊していく。どうやら魔法で片付けてくれたようだ。
再度礼を告げれば綺麗な笑みと共に香るような甘い匂いが漂った。驚いたように顔を上げれば何時の間にか移動したのか、目の前に柔和な笑みを浮かべたヴェルンヘルが立っていた。
相変わらず整った美貌に目が眩みそうになるが、実に残念な事だが相手は男だ。魅力が三割減に見えた。
元々男が苦手なのもあるが、その苦手意識すら屈服させる彼の魔力も凄かった。相変わらず近くでいるだけでくらくらしてしまう。
里愛自身そういった耐性が全く無いため、甘い香りに微かに頬が赤らんだ。
魔力に酔うとはこんな感じなのだろうか。ぐらつく体を何とか支えていると、ヴェルンヘルが魔力を抑えてくれたのが分かる。
甘い吐息と漏れた声は酷く艶やかだった。
「私の名前を教えたのはココかな?堅苦しいからヴェルナーでいいのに」
「そういうわけにはいきませんので」
「君って変なところで頑固だよね。そんな所も凄く彼女に似ているんだけどさ」
「彼女?誰の事ですか?」
「いや、こっちの話。それよりもヴェルンヘルなんて呼ばないで欲しいな。前に会った時はちゃんとヴェルナーって呼んでくれたじゃないか」
長い腕が伸ばされ、里愛を抱き抱える。突然の行動に困惑する里愛を他所に無駄に整った色っぽい顔を近づけてきた。
艶やかな唇が甘い吐息と共に言葉を囁く。若干先程よりも魔力が漏れているのは気のせいではないだろう。
色気を無駄に駄々漏れさせるのは止して欲しいのだが。それよりも何よりも顔がマジで近い。近すぎる。両手で押し返すが、止めないというのはどういうことなのだろうか。
「すみません、顔近いです」
「ヴェルナーって呼んでくれたら止めるよ」
「無理です」
「じゃあキスしちゃうよ」
「駄目です」
というか、何を考えているんだこの人!傍から見れば美女が幼女を襲っているような光景にしか見えない筈だ。全力で拒否したいところだが、子供の体では上手く力が入らない。
本気でココに助けを求める声を上げそうになった時だった。ぞくり、とするような冷たい声が静かな館内に響き渡った
「何をしている」
「おや、その声はアルヴィドかな?」
声だけで相手が分かるのか、はたまた他の何かで相手を特定しているのかは分からない。
だが、ヴェルンヘルは間違える事無く図書館の入り口から此方に向かって真っ直ぐ歩いてくるアルヴィドの方に顔を向けると唇をつり上げた。
まるで挑発するような声音に不機嫌そうなアルヴィドの顔が歪む。鋭い瞳が睨み付けてくるのを感じながらとばっちりだ!と心の中で叫ぶ。
てか、これは浮気現場という奴ですかっ!全くもって無実なんだけど。でも、この光景って誤解されても仕方がないようにも思えるし……。
ううう、どうしよう。このままだと元の世界に戻れなくなってしまう。困惑する里愛を他所に近づいてくるアルヴィドが見えているかのように里愛を強く抱き締めるヴェルンヘル。
あの、何だか更に殺気が鋭くなっているんですけど。これ、完全にとばっちりだよね。
何とか脱出しようともがく里愛など全く気にならないのか、薄い笑みを浮かべたままヴェルンヘルは口を開いた。
「今リディア嬢と良い所なんだ。邪魔しないでくれるかな」
「邪魔も何も嫌がっているようにしか見えないが?」
「親睦を深めている最中だから別にいいんだよ。そもそも君には他にも色んな花嫁候補がいるだろ?一人くらい良いじゃないか」
全然良くないです!どう考えても色々可笑しいところがいっぱいありましたけど。何が親睦を深めるためだ。そんなもんいるか。
別にそこまで仲良くする気なんてこっちには無いんだけど。宙ぶらりんになっている足をバタつかせながら必死に逃げ出そうと試みる。
相手が偉い人だか知らないが、礼儀を欠かす方が悪いに決まっている。アルヴィドは苦手だが、この人はもっと苦手だ。
流石に口汚く罵ることは出来ないため、せめてもの抵抗で両足の脛を蹴っている最中だった。
てっきりそのまま放置か、諦めるかと思っていたアルヴィドが低い声と共に里愛をヴェルンヘルの腕から奪い取ったのだ。
気がつけばアルヴィドの腕の中にいた里愛は恐怖のあまり硬直した。
別にヴェルンヘルだから蹴る事が出来るとか、そういう問題ではないと思うのだが、何せ今里愛を抱いているのはアルヴィドだ。
そう、あのアルヴィドである。恐怖以外の何者でもないという言葉以外頭に思い浮かばないリディアのささやかな抵抗は完全に封じ込められてしまった。
顔色は蒼白。額に冷や汗をびっしり浮かべる里愛に気づいたヴェルンヘルは呆れたようにアルヴィドを見つめた。
「君さ、何やらかしたんだい。リディア嬢固まっているよ」
ヴェルンヘルの冷ややかな言葉にアルヴィドの視線が里愛に突き刺さる。
恐すぎて後を振り返ることすら出来ぬ里愛はささやかな恨みを込めてヴェルンヘルを睨み付けた。
しかし当の本人はさほど気にした様子もなく肩を竦めているだけだ。
「思い辺りが多すぎて答えられないって顔だね。全く……君のせいで私までリディア嬢から睨まれてしまったじゃないか。まあいい、今回はこの辺で止めておこう。これ以上嫌われたくないからね」
「既に十分嫌われているだろ。それにこれは俺の花嫁候補だ。勝手に手出しする事を禁ずる」
「相変わらずお堅い所はイラそっくりだな。まあ、いいさ。好きにすればいい。私は傍からリディア嬢に振られる所を見ているからさ」
「……」
とても男性とは思えぬ、綺麗な笑みを浮かべると、美しい仕草で一礼するとヴェルンヘルはその場から消えた。
文字通り退出したわけではなく、突然パッと消えたのだ。これも魔法の一つなのだろうが凄いと思う。
前に無理やり魔法で移動させられた時があったが、あれは酷かった。目が回るなんてもんじゃない。
よくもまあ、この世界の人は普通に移動できるなぁ、と感心しているときだった。
「で、貴様は何故このような場所に居たんだ」
感心していたので忘れていたが、そういえば抱きかかえられていたんだっけ、アルヴィド様に。
恐怖のあまり声が上手く出ない。くぐもったような声を出すのは失礼だと思いながらも里愛は口を開いた。
「あ、あの……え、っと……本を、返しに来ました」
「……」
意外な答えだったのか、床に下ろされた後も無言で見つめられる。何でしょうか。答え方間違えたのかな?
何考えているのかさっぱり分からないよ、この人。
早くもココに助けを求めたくなる里愛。図書館にいる理由など本を借りる以外何があるのだろうか。
ヴェルンヘルという嵐が過ぎ去ったかと思えば、今度はそれを上回る厄介人にほとほと困り果てる里愛であった。




