第十九話 小難しい話は止めて朝食にしましょうよ
気が付くと里愛は天蓋付き寝台で寝ていた。記憶を辿ろうにも、途中で誰かとぶつかった所までしか思い出せない。そもそも、昨日は何をしていたのだろうか。
寝起きの頭でゆっくり昨日の出来事を振り返る。確か皇妃開催の茶会に参加して、その他花嫁候補に会って……皇妃に紅茶掛けられて……、自室に帰る途中で誰かとぶつかったのだ。
その相手が誰かは忘れてしまったが、そこから記憶がぶつりと途切れていた。まるで記憶自体が虚ろで、その後に続く筈の記憶を塗り潰されたような感覚だった。
何度も思い出そうと振り返るが、何も思い出せない。首を傾げながら寝台から降りると、タイミングを見計らったようにノックの後、ココが部屋の中に入ってきた。
お盆には水差しが乗っている。どうやら起こしに来たようだった。里愛が起きているのを確認したココは笑みを浮かべる。
普段と何ら変わらぬ仕草で近づいてくると、サイドテーブルに一旦お盆を置くと挨拶をした。
「おはようございますリディア様」
「おはようココ」
流れるような挨拶は相変わらず綺麗で思わずマジマジと見つめてしまう。毎日見ている光景にも関わらず、自分には出来ない仕草のためか、つい見てしまうのだ。
腰を折り曲げる角度もそうだが、微妙な頭の下げ具合で綺麗に見えるかどうかかなり変わってくる。
綺麗な挨拶の仕方って結構大変なんだよね。と猛特訓の日々を思い出し、密かに現実逃避しそうになった時だった。
ふいにココが近づいてくると、里愛の前髪を退かした。まるで何かを確かめるように里愛の額を見つめていたが、大丈夫だと判断したのだろう。
微笑みながらサイドテーブルに置いた水差しを取るココ。ちょうど喉が渇いていたので、水が注がれたコップを受け取ると一気に飲み干した。
冷えた水がとても美味しい。喉も潤い、冷たい水のお陰か頭もすっきりした。ありがとうと告げればココの顔に満面の笑みが広がる。
相変わらず綺麗だと思うが、何か引っかかりを覚える笑みだった。
「良かったですわ。傷も無事に消えたようで安心しました」
「……傷?」
何だ、傷って。触られた額を両手で覆いながら確認する里愛。叩いてみるが、別に痛くも痒くもない。
不思議そうに首を傾げればココが教えてくれた。
「昨日隠し通路から突然現れたアルヴィド様と激突なされたのは覚えていますか?」
「隠し通路?ぶつかった?」
「はい。ぶつかった衝撃でリディア様の額に青あざが出来てしまったのですが……それも覚えておりませんか?」
「全く」
むしろそんな酷い目に遭っていたなんて思いもしなかった。鏡を見て確認したわけじゃないから何ともいえないが、痛くはないし……今しがた確認したココも傷はないと言っていた。
魔法とかで治してもらったのだろうが、それすら記憶に無いというのが何だか引っかかりを覚える。
考え込むように眉をひそめる里愛。記憶を探るが全く憶えが無い。唸り出す里愛にココは昨日の事を話し始めた。
「ぶつかった衝撃で気絶してしまったリディア様をリナーシャ様の元にお連れして傷を治していただいたのです」
「リナーシャ様……?」
ココの口から意外な名前が出た事に里愛はびっくりしたように瞳を見開いた。
それにしても何故そこでリナーシャ様が出てくるのだろうか。……回復魔法が得意とか?
でも、それだとココがリナーシャ様と知り合いという事になるのだが……確かあの人、自己紹介で暴食大陸って言っていた記憶があるんだけど。
普通の侍女であるココがアルヴィドの花嫁候補と知り合いってどんだけ顔が広いのだろうか。やっぱりココは侮れない。敵に回したら厄介だろうな、と失礼な事を考えていると、ココが意外な言葉を口にした。
「リディア様が負った傷を治してもらうように頼んだのはアルヴィド様ですわよ」
「……え?」
「他の令嬢と違ってリナーシャ様とは顔見知りですから頼みやすかったのでしょうね」
その発言に更に頭の中で疑問が浮かぶ。あれ?幼馴染のフランチェスカはどうした。彼女は回復魔法が使えなかったのだろうか。てか、幼馴染だったんですね、リナーシャ様。
だから皇妃様主催の茶会を途中で出て行ったりしてたんだ。しかし、顔見知りとはいえ皇妃様は何故リナーシャ様に対し何も言わなかったのだろうか。
顔見知りだからこそそんな態度されたら怒ったりするのが普通ではないのだろうか。
そんな事を考えながら唸る里愛の考えを読み取ったココは一つ訂正を入れた。
「残念ながらリディア様、我々は回復魔法を使えないのです」
「えぇーっ!?」
だって、回復魔法って魔法の世界じゃ定番中の定番でしょう?それなのに使えないってどういう事!?無い、とは言っていないから存在はするのだろう。
てっきり当たり前のように使えるものだと思っていただけにその言葉は衝撃的だった。
「何で使えないんですか?」
「我々魔術師は闇に属する者です。姿形は人と大差ないですが、魔力の量は圧倒的に違いますし、何より穢れております」
「穢れている?……それって悪魔と契約しているから?」
「そのとおりでございます。基本私達が操る魔法は黒魔法に分類され、攻撃に特化したものです。肉体強化や状態異常を治す魔法なら存在しますが、体に負った傷を治すことは我々には無理なのです。あまり怪我をしない、という理由もありますが」
つまり、皆さん強いから回復魔法なんて普段使用しないって事なんだね。それはそれでびっくりだ。でも、病気になった時とかどうするのだろうか。
回復魔法使えないんじゃ薬とかで治すのか?……それって現代の治療とそう大差ないような気もするのだが。魔法も存在する世界なのに凄く不思議だ。
機械とかこの世界で見てないだけに尚更そう思ってしまう。
「でも、リナーシャ様は治してくださったんですよね?」
「そうですわ。リナーシャ様は不変の魔女の娘ですから」
「不変の魔女の娘?……この世界じゃ魔女って単語自体死語じゃなかったっけ?」
そう本に書いてあった事を思い出しながら聞き返す。得た知識に偏りがあるのはしょうがない。だが、意味が分からなかった。何故不変の魔女の娘だと回復魔法が使えるのか。
魔女というのだから魔術師ではないのだろうか?さっき魔術師は回復魔法が使えぬと宣言したばかりだ。
難しい事ばかりで頭が混乱してくる。難しい顔を浮かべていたからだろうか。ココが更に詳しく説明を始めた。
「不変の魔女というのは二つ名です。現代では魔女という言葉自体が衰退しほとんど聞きませんが、古から存在する偉大な魔術師の事を今でも『魔女』と呼ぶ傾向があります。リナーシャのお母様は偉大な魔術師で数少ない称号の一つ『不変』をお持ちの方なのです。リディア様、不変とは何か知っておりますか?」
「不変って……変わらないって意味じゃないの?」
「その通りです。……不変の魔女は永遠に変わる事のない唯一の存在。移ろう世界の中、いかなる時代でも彼女の存在が変わる事はありません」
「?」
「彼女が『不変』の称号を持っているのは永遠に変わらぬからです。この世には絶対の理――『死』が存在します。それすらも覆す存在……それこそが不変の魔女なのです」
――つまり、それって……。
「死なないってこと?俗によく聞く不老不死?」
「いいえ、違います。不老ではありますが不死ではございません。致命傷を負えば誰でも死にます。ただ不変の魔女の場合、時間の概念が存在しないため例外として扱われています。……彼女の周りだけ時間が永遠に進まない。だから前にも後ろにも進まない。過去を振り返る事も、未来を見据える事も出来ず、ただ現在を生きる事しか出来ないのです」
「……それと、傷の治療になんの繋がりがあるの?」
その不変の魔女周りだけ時間が進まないのなら老いる事も、死ぬ事も無いのだろう。何故なら時間が進まないから傷を負う事も、受ける事も無いという事になる。
ある意味凄い能力であり、力でもあるだろう。だから何なのだという話なのだが、ココは笑みを零しながら不思議そうに話を聞く里愛を見つめた。
「彼女がそうなってしまったのには理由があります。その一つが時空間を操る力を手に入れた代償、とも言われております」
「時空間を操る力?何それ」
「そうですね……普通の魔法は魔術師であれば基本誰でも使えます。ですが、中には特殊な魔法というものも存在します。その中の一つに時空間を操る魔法が含まれており、実力のある魔術師でもそう簡単に扱えるものではないのです」
「へぇ、そうなんだ」
「はい。ですから時空間を操る事の出来る不変の魔女は偉大な魔術師として昔から多くの同胞から親しまれてきました。過去、現在、未来を管理し、空間を操る事など普通の魔術師では出来ませんから。そして不変の魔女の娘であるリナーシャ様だからこそ簡単に事象の回帰を成せたのです」
「事象の、回帰??……えっと、つまり……?」
「簡単に申しますと、リディア様の体を傷の負う前の状態に戻したという事です」
「へ、へぇ……」
「ですので、記憶が混濁していらっしゃるのはそのせいではないかと思うのですが」
「そうだったんだ」
それは聞いていた限り物凄い事なのだろう。途中何度も難しくて頭の中がこんがらがってきたが、最後の一言で納得できた。そっか、傷を負った部分を負う前の状態に戻したのか。
だったら別に回復魔法使えなくても関係ないか。むしろそんな難しい魔法を使えるリナーシャ様って凄くアルヴィドの相手にぴったりだと思うのは私だけだろうか。
むしろ魔法の魔の字も使えぬ自分何ぞよりもよっぽどお似合いな気がする。リナーシャ様結構可愛らしかったし。
でも、あの茶会を思い返すにリナーシャ様にはその気が無いのは里愛でも分かっていた。心変わりなど到底無理だろう。
でも、傷を治してくれたのなら礼を言わなければ。本当は直接会って礼を言いたいところだが、ココが手紙でも良いという事なので、そちらにしておくことにした。
突然会いに行っても迷惑かもしれないし、そういう集まりがあまり好きな人ではないように思えたのだ。
「難しい話はここまでにして、とりあえず朝食にしましょうか」
そう提案するココにリディアは頷くと、夜着を着替えるのであった。




