お前、いつの間にそんなに仲のいい女の子ができたんだ?
高校生活というものは、思っていた以上に人間関係が複雑だ。
少なくとも、最近の俺はそう思っている。
原因は、放課後の文学部にある。
いや、正確に言えば、星野瑞希という女の子にある。
「海斗くん、おはよう!」
朝、教室へ向かって廊下を歩いていると、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、青いツインテールを揺らしながら、瑞希が小走りで近づいてくる。
その腕には、昨日使っていたノートが抱えられていた。
「……おはよう。朝から元気だな」
「うん! 昨日のお話の続き、考えてきたよ!」
「もう考えたのか?」
「そうなの! 寝る前に、いいアイデアが浮かんじゃって!」
瑞希は嬉しそうにノートを開こうとした。
いや、待て。
ここは廊下だ。しかも、もうすぐホームルームが始まる。
「続きは放課後に聞くよ。今は教室に戻らないと」
「あっ、そっか!」
瑞希は慌ててノートを閉じた。
「じゃあ、放課後ね、海斗くん!」
「ああ。また後で」
「うん!」
満面の笑みを浮かべて、瑞希は自分の教室へ走っていった。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
昨日、一緒に物語を書くのが楽しいと思ったのは事実だ。
けれど、まさか朝から続きを考えてくるとは思わなかった。
……本当に、熱心な子だ。
「おーい、海斗!」
そのとき、後ろから別の声が響いた。
「朝からずいぶん楽しそうじゃねえか!」
「……今度は何だよ」
振り返ると、そこにいたのは雨宮涼平だった。
明るい日差しを受けて、彼の髪が柔らかく輝いている。蜂蜜のような金色に茶色が混じった髪は、本人の性格を表すように少しばかり無造作で、前髪もきれいに整えられているとは言い難い。
その琥珀色の瞳には、いつもの好奇心がありありと浮かんでいた。
涼平は運動が得意で、休み時間にはよく友人を誘って体を動かしている。考えるより先に行動するところがあり、思いついたことをそのまま口にするのも彼らしい特徴だった。
そして、面白そうな話を見つけると、簡単には逃がしてくれない。
今も、まさにそんな顔をしていた。
「……何だ、その顔は」
「いやあ? 今の女の子、誰?」
「星野瑞希。同じ文学部の一年生だよ」
「名前じゃなくて、どういう関係か聞いてるんだけど?」
「同じ部活の仲間」
「本当にそれだけか?」
「それだけだ」
俺が即答すると、涼平はわざとらしく腕を組んだ。
「へえ。お前がねえ……」
「何が言いたい?」
「いや、だってさ。お前、前まで放課後は一人で本を読んでいたいって、しょっちゅう言ってたじゃん」
「今でもそう思ってる」
「じゃあ、なんでそんなに楽しそうに話してたんだ?」
「普通に話していただけだろ」
「普通ねえ……」
涼平は顎に手を当て、俺の顔をじっと見た。
「よし。昼休みに詳しく聞かせてもらおう!」
「断る」
「即答すんなよ!」
「お前が余計なことを聞くからだ」
「ひでえな! 俺たち友達だろ!」
「友達だからこそ、お前の考えそうなことがわかるんだよ」
涼平は一瞬だけ目を丸くしたあと、豪快に笑った。
「ははっ! それは否定できねえ!」
否定できないのか。
少しくらい反省してほしい。
「まあ、安心しろ。俺はお前の味方だからな!」
「何の味方だよ……」
「青春の味方!」
「帰れ」
「まだ学校に来たばっかりだぞ!?」
朝から騒がしい。
俺は涼平を置いて、教室へ向かった。
昼休み。
弁当を広げようとしたところで、涼平が俺の机の前にやってきた。
「さあ、話してもらおうか!」
「……まだ覚えてたのか」
「当たり前だろ! 気になることは放っておけない性格なんだよ、俺は!」
「それは知ってる」
「じゃあ、話は早いな!」
涼平は近くの椅子を引き寄せ、俺の向かいに腰を下ろした。
「それで、星野さんとはいつ知り合ったんだ?」
「文学部に入ってから」
「どっちから話しかけた?」
「向こうから」
「ほう!」
「……何でそんなに目を輝かせてるんだ」
「いや、だってお前、女子から話しかけられても必要最低限の返事しかしないことが多いだろ?」
「失礼だな。普通に話すぞ」
「俺が女子を紹介しようとしたときは?」
「面倒だから断った」
「ほらあああ!」
涼平が机を叩いた。
「お前、俺のときと反応が違いすぎるだろ!」
「お前が紹介する相手は、最初から俺をからかう気満々だからだ!」
「そんなことねえって! ……たぶん!」
「最後の一言で台無しだよ!」
周囲のクラスメイトが、こちらを見て笑っている。
俺は声を落とした。
「いいから、静かにしろ。昼休みなんだから」
「おっと、悪い悪い」
涼平は笑いながら両手を上げた。
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「でもさ。お前が誰かと一緒に何かをやるって、珍しいよな」
「……そうか?」
「ああ。昔から一人で本を読んだり、考え事をしたりするのが好きだっただろ。誰かに合わせるより、自分のペースで動きたいタイプだし」
「まあ、それはそうだけど」
「だから、ちょっと意外だったんだよ。朝からあんなに楽しそうに話してるの」
俺は弁当の箸を持つ手を止めた。
楽しそうに見えたのか。
自分では、いつもと変わらないつもりだったのだが。
「……別に、普通だよ。文化祭のために、二人で小説を書いてるだけだ」
「二人で小説?」
涼平の目が、再び輝いた。
「おお! 共同制作か! いいじゃん!」
「声が大きい」
「悪い悪い! いやあ、そういうことなら、なおさら頑張らないとな!」
「何でお前が張り切るんだよ」
「友達の活動を応援するのは当然だろ!」
涼平は得意げに胸を張った。
こういうところは、素直にいいやつだと思う。
少々騒がしいのが難点だが。
「それで? どんな話を書いてるんだ?」
「冒険と恋愛を組み合わせた短編だよ。旅をする二人が、少しずつお互いを理解していく話」
「へえ、面白そうじゃん!」
「まだ構想段階だけどな」
「完成したら読ませてくれよ!」
「……考えておく」
「よし、約束な!」
「約束した覚えはない!」
涼平は俺の抗議を聞き流し、満足そうに笑った。
「ま、いいんじゃねえの。楽しそうで」
「……何が?」
「文学部だよ。お前、入部して正解だったんじゃないか?」
俺はすぐに返事ができなかった。
入部した理由は、静かに本を読める場所が欲しかったからだ。
それなのに、今では毎日のように誰かと話し、創作活動に取り組み、時には騒ぎに巻き込まれている。
以前の俺なら、こんな放課後は落ち着かないと感じていただろう。
それでも。
「……まあ、悪くはないな」
そう答えると、涼平は満足そうに頷いた。
「だろ?」
「何でお前が嬉しそうなんだよ」
「友達が楽しそうなら、俺も嬉しいだろ!」
あまりにもまっすぐな言葉だった。
俺は思わず笑いそうになり、誤魔化すように弁当へ視線を戻した。
「……そういうところ、昔から変わらないな」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもない」
「おい、気になるだろ!」
昼休みは、結局いつもどおり騒がしく過ぎていった。
放課後。
文学部の部室に入ると、瑞希が窓際の席で待っていた。
「海斗くん!」
「……こんにちは」
「こんにちは!」
瑞希はノートを開き、すぐにこちらへ差し出した。
「今日はね、主人公の二人が旅に出る理由を考えてきたの!」
「もうそこまで進んだのか?」
「うん! 女の子が探している本には、昔の秘密が書かれているの。男の子は最初、ただ道案内をするだけのつもりだったんだけど……」
瑞希は身振りを交えながら、楽しそうに説明を続けた。
俺も椅子を引き寄せ、ノートを覗き込む。
「それなら、男の子にも旅を続ける理由が必要だな。女の子だけが目的を持っていると、どうして一緒にいるのかが弱くなる」
「そっか……。じゃあ、男の子も何かを探していることにする?」
「そうだな。最初は別々の目的で旅を始めたのに、途中から同じ目的に向かっていくとか」
「いいね!」
瑞希は勢いよくペンを走らせた。
「海斗くんって、考えるのが上手だね!」
「別に。こういう話を読むのが好きなだけだよ」
「でも、私は海斗くんと一緒に考えるのが好き!」
「……っ」
また、そういうことを何のためらいもなく言う。
俺が返事に困っていると、瑞希は不思議そうに首を傾げた。
「海斗くん?」
「……いや、何でもない。続きを考えよう」
「うん!」
瑞希はすぐに笑顔を浮かべ、ノートへ視線を戻した。
その無邪気さに助けられているのか、振り回されているのか。
最近は、もうよくわからない。
しばらくして、物語の構成がひと区切りついた。
「よし。今日はここまでにするか」
「えーっ、もう?」
「もうって、結構な時間だぞ」
「でも、すごく楽しかったから!」
瑞希は少し名残惜しそうにノートを閉じた。
「明日も続きを考えようね、海斗くん!」
「ああ。また明日な」
「うん!」
瑞希は嬉しそうに頷いた。
その表情を見ていると、明日もこうして一緒に作業することが、ごく自然な予定になっていることに気づく。
少し前まで、放課後の予定といえば本を読むことくらいだった。
それが今では、瑞希と物語を考える時間がある。
……本当に、不思議なものだ。
帰り支度をしていると、瑞希がふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、海斗くん」
「ん?」
「お昼休みに、私のクラスの友達が言ってたんだけど……」
「何を?」
「海斗くんって、あまり女の子と話さない人なの?」
「……誰がそんなことを?」
「えっとね、前に私が海斗くんの教室に行ったとき、みんながびっくりしてたから!」
「……ああ」
そういえば、そんなこともあった。
「別に、話さないわけじゃない。ただ、必要がなければ自分から話しかけないだけだよ」
「そっか!」
瑞希は納得したように頷いた。
「じゃあ、私が話しかけても大丈夫?」
「……何だよ、今さら」
「だって、迷惑だったら嫌だもん」
その言葉に、俺は少しだけ目を見開いた。
瑞希はいつも明るく、遠慮なく俺のそばにやってくる。
だから、そんなことを気にしているとは思わなかった。
「……迷惑じゃないよ」
「本当?」
「ああ。驚くことはあるけどな」
「えへへ。よかった!」
瑞希は安心したように笑った。
「じゃあ、明日もいっぱい話しかけるね!」
「……ほどほどにな」
「はーい!」
その返事を聞いて、俺は苦笑した。
きっと明日も、ほどほどでは済まないのだろう。
それでも、瑞希が楽しそうに笑っているなら。
まあ、悪くない。
そう思いながら、俺たちは一緒に部室を出た。
校門へ向かう途中、俺のスマートフォンが震えた。
画面を見ると、涼平からメッセージが届いていた。
『今日はありがとな! 今度、その小説の話をもっと聞かせてくれよ!』
その下には、妙に勢いのある笑顔のスタンプが添えられている。
「……あいつ、まだその話をする気なのか」
「誰から?」
隣を歩く瑞希が、俺のスマートフォンを覗き込もうとした。
「友達。雨宮涼平っていうんだ」
「雨宮くん?」
「ああ。中学の頃からの友達で、少し騒がしいけど、いいやつだよ」
「へえ……!」
瑞希の目が、きらりと輝いた。
「海斗くんのお友達なんだね!」
「まあな」
「今度、会ってみたいな!」
「……どうしてそうなる?」
「だって、海斗くんの友達なら、きっと面白い人なんでしょ?」
「……否定はしない」
むしろ、面白いという言葉がぴったりだ。
ただし、その面白さが自分に向けられると、なかなか厄介なのだが。
「じゃあ、いつか紹介してね!」
「機会があればな」
「約束だよ!」
「……はいはい」
瑞希は満足そうに笑った。
俺はスマートフォンをしまい、夕焼けに染まる道を歩き続けた。
明日もきっと、いつもどおりの放課後になる。
瑞希と物語を考えて。
結衣にからかわれて。
春樹先輩に面白がられて。
そして、涼平に余計なことを聞かれる。
……考えただけで、少し疲れる。
それなのに。
明日のことを想像した俺の口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。




