恋愛小説の主人公は、どうして俺に似ているんだ?
翌日の放課後。
俺は文学部の部室に入るなり、昨日の自分の判断を少しだけ後悔した。
「海斗くん! おかえりなさい!」
「……ただいま、じゃなくて、こんにちはだろ」
「えへへ。そうだった!」
窓際の席で瑞希が笑っている。
その机の上には、ノートが二冊と色違いのペン、それから昨日俺たちが参考にしていた小説が並べられていた。
準備がいい。
いや、よすぎる。
「……瑞希。もしかして、俺を待ってた?」
「うん!」
即答だった。
「海斗くんと一緒にお話を書く約束をしたから!」
「そ、そうか」
「うん! だから、今日はいっぱい考えてきたよ!」
瑞希は得意げにノートを開いた。
そこには、人物の名前や物語の舞台、さらには簡単なあらすじまで書かれていた。
昨日の帰宅後、わざわざここまで考えてきたらしい。
「……すごいな。ちゃんと設定まで考えたのか」
「えへへ。海斗くんと一緒に書くんだもん。頑張りたいなって思って!」
何気ない言葉だった。
けれど、俺は返事をするまでに、ほんの少しだけ時間がかかった。
そんなふうに言われると、適当に済ませるわけにもいかない。
「……じゃあ、俺も真面目に考えないとな」
「うん!」
瑞希は嬉しそうに頷いた。
その笑顔を見て、俺は鞄から自分のノートを取り出した。
どうやら今日は、いつもより真剣に取り組むことになりそうだ。
部室の中央では、水瀬蒼太が机に突っ伏していた。
「……なあ、結衣」
「なによ、蒼太」
「俺たちも小説を書くんだよな?」
「そうだよ?」
「……帰っていい?」
「駄目に決まってるでしょ!」
結衣の声が部室に響く。
「せっかくの文化祭なんだから、ちゃんとやろうよ!」
「俺、こういう創作活動って苦手なんだよ……」
「大丈夫! 私が考えるから!」
「それ、俺が必要な理由ある?」
「あるよ。私が考えた話に、蒼太が適当にツッコミを入れる係!」
「それ、ただの読者じゃないか……」
蒼太は深いため息をついた。
どうやら、あちらの組も前途多難らしい。
「藤森くんたちを見習いなさい」
怜奈先輩が、書類を整理しながら言った。
「少なくとも、二人はもう作業を始めていますよ」
「いや、俺たちだって始めてるって!」
結衣が慌ててノートを開く。
そこには大きな文字で、こう書かれていた。
『運命の恋! 放課後の奇跡!』
「……結衣」
「なに?」
「それ、タイトルか?」
「そうだよ!」
「……そうか」
蒼太は再び机に突っ伏した。
「俺、帰っていい?」
「だから駄目だってば!」
部室に笑い声が広がる。
俺は小さく息を吐き、瑞希のノートに視線を戻した。
少なくとも、俺たちのほうは真面目に進められそうだ。
……たぶん。
「それで、どんなお話にする?」
瑞希がペンを手に、俺のほうを向いた。
「昨日は冒険と恋愛を合わせようって話になっただろ。まずは主人公を決めたいな」
「主人公かあ……」
瑞希はノートに目を落とし、少し考え込んだ。
「男の子と女の子の二人が主人公なのはどうかな?」
「いいと思う。二人が旅をする理由も必要だな」
「じゃあ、女の子が大切な本を探していて、男の子がそれを手伝うの!」
「本を探す旅か。悪くないな」
「それでね、女の子はちょっと方向音痴なの!」
「……ほう」
「何かあると男の子を頼っちゃうんだけど、本人は迷惑をかけてるって気づいてないの!」
「……なるほど」
「あと、男の子は口では文句を言うけど、結局いつも助けてくれるの!」
「……」
俺はペンを止めた。
何だろう。
ものすごく聞き覚えのある設定だ。
「瑞希」
「なあに?」
「その女の子、どこかで見たことがある気がするんだけど」
「えっ? そうなの?」
瑞希は不思議そうに首を傾げた。
「私は、こういう女の子ってかわいいと思うよ!」
「……そうか」
「うん! 男の子も優しいし、きっと素敵なお話になるよ!」
悪気はない。
それはわかっている。
わかっているのだが。
「……ちなみに、男の子の性格は?」
「えっとね。背が高くて、落ち着いていて、ちょっと口が悪いけど、本当はすごく優しい人!」
「待て」
「どうしたの?」
「それ、俺のことじゃないよな?」
「えっ?」
瑞希は目をぱちぱちさせた。
そして、ノートを見直す。
「……あっ」
「気づいたか?」
「海斗くんに似てるね!」
「似てるね、じゃない!」
思わず声が大きくなった。
瑞希は驚いたように肩を揺らしたあと、くすくすと笑った。
「だって、海斗くんって本当に優しいんだもん」
「……」
「困っている人を放っておけないし、私がわからないことも、ちゃんと教えてくれるでしょ?」
「それは、同じ部活の仲間だから……」
「うん! だから、主人公もそういう人にしたいの!」
真っ直ぐな瞳が、俺を見つめていた。
その目に悪意も、からかうような意図もない。
ただ、本当にそう思っているだけなのだ。
だからこそ、困る。
「……わかった。じゃあ、主人公の名前は仮のものにしておこう」
「うん! 海斗くんが考えてくれる?」
「……考えておく」
「楽しみにしてるね!」
瑞希は満足そうにノートへ視線を戻した。
俺は、心の中で小さく呟いた。
この物語の主人公が俺に似ているのは、きっと偶然だ。
……偶然であってほしい。
しばらくして、瑞希が新しいページを開いた。
「ねえ、海斗くん」
「今度は何だ?」
「この二人って、最初から仲がいいほうがいいかな?」
「いや、少しずつ仲良くなるほうが自然じゃないか?」
「そっか。じゃあ、最初は男の子が女の子に振り回されるの!」
「……どうしてそうなる?」
「だって、最初から仲がよかったら、仲良くなっていくところを書けないでしょ?」
「それは、そうだけど」
「それで、女の子が何度も男の子に助けてもらって、だんだん男の子のことを大切に思うようになるの!」
「……なるほど」
「男の子も、最初は女の子のことを面倒だと思っていたのに、いつの間にか一緒にいるのが楽しくなるんだよ!」
俺は再びペンを止めた。
「……瑞希」
「うん?」
「もしかして、この話、俺たちを参考にしてないか?」
「えっ?」
瑞希はしばらく考えた。
それから、ぱっと顔を明るくした。
「そうだね! 私たちみたいな二人なら、きっと楽しいお話になると思う!」
「……」
否定できなかった。
というより、否定する材料が見当たらない。
だが、だからといって、自分たちにそっくりな恋愛小説を書くというのは、なかなか恥ずかしいものがある。
「……あまり、現実そのままにはしないほうがいいと思うぞ」
「どうして?」
「読んだ人に、モデルがいるって気づかれるかもしれないだろ」
「そっか……」
瑞希は少し考えたあと、真剣な顔で頷いた。
「じゃあ、男の子をもっと無口にして、女の子をもっと元気にするね!」
「……それで変わるのか?」
「変わるよ!」
どうやら、本人の中では解決したらしい。
俺は深く追及するのを諦め、物語の続きを考えることにした。
「ねえねえ、何を書いてるの?」
突然、横から声がした。
結衣だ。
いつの間にか自分たちの作業を中断して、こちらのノートを覗き込んでいた。
「おい、結衣。自分の作業はどうした?」
「蒼太が寝ちゃったから、休憩!」
「それは休憩じゃなくて放棄だろ……」
「細かいことは気にしない!」
結衣は俺たちのノートに目を落とした。
そして、あらすじを読むなり、にやりと笑った。
「へえ……。迷子になりやすい女の子と、面倒見のいい男の子ねえ」
「何だよ」
「いやあ? どこかで聞いたような組み合わせだなって!」
「創作ではよくある設定だろ」
「ふうん。じゃあ、この男の子って、背が高くて口では文句を言うのに、結局は女の子を助けちゃうんだ?」
「……そうだけど」
「それで、女の子は男の子の隣にいるのが大好きなんだ?」
「……そうだな」
結衣は瑞希の顔を覗き込んだ。
「瑞希ちゃん。もしかして、海斗のことが好きなの?」
「うん! 好きだよ!」
「……ぶっ!」
俺は思わず咳き込んだ。
結衣の目が輝く。
「ほらあああ! やっぱり!」
「待て! 今のはそういう意味じゃない!」
「えっ? どういう意味?」
瑞希が不思議そうに俺を見る。
「えっと……」
俺は言葉に詰まった。
瑞希は、何も間違ったことを言っていない。
実際、俺と一緒にいるのが好きだと、以前にも言っていた。
ただ、それは仲のいい友達としての意味であって、恋愛感情とは限らない。
限らないのだが。
「私はね、海斗くんと一緒に本を読んだり、お話を考えたりするのが好きなの!」
瑞希は笑顔で続けた。
「海斗くんといると、いろんなことを教えてもらえるし、すごく楽しいんだよ!」
「……」
結衣は、俺を見た。
それから瑞希を見た。
そして、わざとらしく大きなため息をついた。
「……あーあ。海斗って、ほんと大変だねえ」
「何がだよ!」
「別にー?」
結衣は笑いながら、自分の席へ戻っていった。
その背中を見送りながら、俺は机に額をつけた。
今日もまた、余計な誤解が一つ増えた気がする。
それから俺たちは、物語の構成を少しずつ整えていった。
旅の目的。
二人が出会った理由。
途中で起きる小さな事件。
そして、最後に二人がどんな答えにたどり着くのか。
瑞希は驚くほど熱心だった。
思いついたことを次々に提案し、俺の意見にも真剣に耳を傾ける。
ときどき話が脱線することもあったが、それも含めて不思議と楽しかった。
「……よし。今日はこのくらいにするか」
窓の外が夕焼けに染まり始めた頃、俺はノートを閉じた。
「えーっ、もう?」
「もうって、結構な時間だぞ」
「でも、すごく楽しかったから!」
瑞希は少し名残惜しそうにノートを見つめた。
「明日も続きを考えようね、海斗くん!」
「ああ。そうだな」
自然に返事をしてから、俺は少し驚いた。
昨日までなら、放課後の予定が増えることを面倒だと思っていたはずだ。
けれど今は、明日も続きを考えることを、当たり前のように受け入れている。
……本当に、調子が狂う。
「海斗くん?」
「何でもない」
「そっか!」
瑞希は鞄を持ち、にこにこと笑った。
「じゃあ、また明日ね!」
「ああ。また明日」
部室を出ていく瑞希を見送りながら、俺は机の上に残されたノートを開いた。
最後に書いた一文が目に入る。
『少年は、少女と過ごす時間が、いつの間にか旅の目的そのものになっていたことに気づく。』
「…………」
俺はしばらく、その一文を見つめていた。
そして、誰もいない部室で、小さく呟いた。
「……だから、これはただの創作だって」
誰に言い訳しているのか、自分でもよくわからなかった。




