1 目覚め
GATEWAY CUBE (ゲートウェイキューブ、以下CUBEと称す) とは宇宙空間に浮かぶ巨大な立方体。その表面は別の太陽系にある同じCUBEの平面とつながる。すなわち7つの太陽系がこのCUBEを通じて繋がっている。星門七界 (The Seven Gates) は、各太陽系は科学的にも文化的にも発展し、それぞれ多様な特徴を持つ国家であり、一部の紛争地帯を除いて比較的平和的な関係を維持している。
白い光が、ゆっくりと網膜に染み込んでくる。リゲル・ヨランは、かすかに眉を寄せた。
まぶたが重い。喉が渇いている。体が……自分のものとは思えないほど軽い。
「あれ?……ここは」
掠れた声が、自分のものとは思えないほど小さく響いた。天井は白く、柔らかな曲線を描いて、まるで古代の神殿のような柱が視界の端に見えた。空気は清潔で、ほんのり甘い香りがする。これは知っている!医療施設の匂いだ。でも、何かが、違う。
最後に覚えているのは——
いつもの高気圧カプセルで、厚いガラス越しに父さんと母さんが、何かを叫んでいるのに、その声が聞こえない。そのあと、目が霞んで、体が沈んでいく感覚がした。
その後はどうなった?
「……父さん? 母さん?」リゲルは小さく呟いた。
だが、返事はなかった。ぼやけていた視界が、次第にはっきりしてきた。
「目が覚めたようね」
落ち着いた低い女性の声。それはリゲルの知らない人の声だった。ゆっくりと顔を向けると、大きな襟のある硬そうな生地のスーツを着た、大柄の黒人女性がベッドの横に立っていた。
「私はパウラ・ミランダー婦人。この施設の院長です。はじめまして」
◆
ヌール・アル・サマワート星域
第一惑星ヌーラーン軌道上
民間宇宙ステーション『アル・サフィア孤児院』は、もともとは古い軍事用だったものを改築した小型のステーションだ。外壁こそ無骨だが、内装は古代ギリシャのドーリア式やイオニア式を思わせる優美な円柱を模したデザインが特徴的だ。
しかし完全に古典再現ではなく、近代的で滑らかな曲線を融合させたネオ・ヘレニック様式となっている。
惑星を眼下に見渡せる大きな窓辺で、少年リゲル・ヨランは膝の上に小さなリュックを置いたまま、じっと宇宙を見つめていた。リュックの中には、アル・サフィア孤児院で与えられた最低限の衣類と、数冊の本だけが入っていた。
今朝ミランダー婦人から「今日、お迎えが来る」と聞いた時は少し驚いたが、いつか自分にもこういう日が訪れることを、心の何処かで覚悟していた。
星々がゆっくりと流れていく。
「……現実じゃないみたいだ」
リゲルは小さく呟いた。
アル・サフィア孤児院
院長室
パウラ・ミランダーは窓の外に停泊中の小型シャトルを眺めながら、ため息を一つ吐いた。ほどなくして、ドアが開く音がした。
「ごきげんよう、ジセリオス。約一ヶ月ぶりね」
ミランダーはゆっくりとドアの方を振り向いた。
ジセリオス・ラムダはその細身な体によく似合う、ピッタリとしたカラー付きの丈夫そうな白の厚手のスーツ姿だった。左胸には彼の所属する組織、エクレシア (※¹) のロゴが付いている。
明るい肌に濃いグリーンの瞳、艶のある真っ直ぐなシルバーブロンドを短く清潔に刈り上げていて、微動だにしなければ、それはまるで蝋人形かマネキンのようだった。
実際、彼は我々と同じような人間ではなく、アルタリという生命体だ。姿形こそ人間とそっくりだが、本質的に全く異なる種族である。
「例の任務が長引き、時間がかかってしまいました」
「あなたがこうして彼を迎えに寄越したってことは、結局はあのラボでのことをヘレナに……エディソン局長にすべて報告することにしたってことね」
ミランダーが不機嫌そうなのはいつものことながら、その言い方にはやや皮肉が込められていた。
「ええ、報告義務がありますから。仮に隠匿したところですぐバレたでしょう。現時点で、私としてもこれが最善策だと思います」
「でしょうね」ミランダーは目玉をグルッと回してみせた。
「私が彼の身の安全を約束します。これも彼の保護のための移送命令です」
ジセリオスははっきりと彼女の目を見て言った。
「『保護』……ね。まぁいいでしょう。あなたのことは信用しているもの。けれどジス、気をつけなさい。物事は見かけどおりではないと言うけれど、今回もそんな気がしてならないわ」
「心しておきます。では、引き渡しに必要な手続きとして、こちらに──」
そう言ってジスはUNI (※²) を取り出し、いくつかの書類をミランダーのテーブルに送信した。
◆
院長室の外、静かな廊下の長椅子にリゲルは腰を下ろしていた。小さなリュックを膝の上に置き、ぼんやりと床を見つめている。この孤児院に来てから、もう一ヶ月が経過していた。
最初に驚いたのは、自分の体だった。プレートシティではいつもヒリヒリと痛み、痒みでボロボロだった皮膚が、今はすっかり綺麗に治っていた。薬もずっと飲んでないし、そのせいでときどき頭がぼうっとすることもなくなっていた。体がとても軽い。息をするのも、指を動かすのも、何をするのも新しい体験だった。
でも——
ここには、父さんも母さんもいない。
もうこの世界に自分の両親はいない。何も知らないのに、そのことだけは確信していた。そして、目を覚ましたときに最初に、見たミランダー婦人がほんの一瞬見せたあの顔を思い出した。憐れで、かわいそうな子供を見つめる大人の目。そんな同情の視線をずっと浴びせられ続けてきたのだった。
けれど、孤児院のみんなは優しかった。すぐに話しかけてくれたリサ、寡黙だけど面白い音楽をたくさん聴かせてくれたジュンス、ちょっと口が悪くてでもいつも心配してくれるシスター・アンナ……そして、父さんに少しだけ雰囲気が似ていたミスター・ミヤザキ。
彼らに本当のことを話したかったけど、できなかった。話してもどうせ信じてもらえない。彼らにまた会えるのだろうか?もしかしたら、意外とすぐまた会えるような気もした。
病気の頃はあんなに後ろ向きだった自分が、健康になった途端にこんなにも前向きになっていることが、リゲル自身も少し不思議だった。
「喉、乾いちゃったな。確か」リュックを開けて小さな水筒を取りだそうとした。
そのとき頭の中に、激しい情景が広がった。
悲鳴、銃声、炎、大量の血!
——このステーションが襲われる!
リゲルは立ち上がり、院長室のドアを勢いよく開けて叫んだ。
「孤児院が襲われる! 早く逃げないと!」
院長室にいたジスとミランダーが、同時にこちらを振り向いた。
リゲルはまわりを見渡したが、静寂そのものだった。「……あれ?そんな、どうして」
「リゲル、いったいどうしたって言うの?」ミランダーは驚いた表情で言った。
しかし、ジスは何か異変を感じた。何かが、おかしい。
「まずい! ……セキュリティアラームがすべてオフラインに──」
そう言いかけた時、遠くで悲鳴が上がった。続いて、乾いた銃声が施設内に響き渡った。
「ここをロックダウンします!」そう言って、ジスがドアに触れると、低い金属音と共に重厚な防火壁が降りてきた。
ミランダーは素早く端末を操作しながら言った。「よかった、子供たちは無事だわ」
外からは激しくなる銃声と、スタッフたちの叫び声が聞こえてくる。ミランダーが監視映像を確認し、表情を硬くした。
「……だめね。シャトルにつながるエアロックが破壊されているわ。二人とも、こっちよ」
彼女は壁の隠しパネルを操作し、緊急脱出ポッドの扉を開けた。
「しかし、あなたは——」ジスが振り返った。
「ジス、なんとしてもあの子を守って。さあ、今よ!」
ミランダーは彼らを押し込むようにポッドに乗せた。
「リゲル、ベルトを——」
ジスが何かを言いかけたその瞬間、
ドンッ!
激しい衝撃がポッドを襲う。脱出ポッドは宇宙ステーションの外壁を突き破り、暗い宇宙空間へと放り出された。
※¹【多国籍複合非営利組織エクレシア】── 巨大な多国籍複合組織。主な活動は、福祉・人道支援・救済活動、先端研究開発(様々な科学技術分野)、各国警察機構との連携による保安・危機管理活動など幅広い。
※²【UNI】──UNI (Universal Network Interface の略)UNIは「あらゆるネットワークに接続するためだけのデバイス」。端末自体の演算性能は低く抑えられ、高度な処理はすべて中央サーバーやクラウドに依存している。セキュリティ面では、サーバー側で厳重に管理されているイメージ。一般的なカードサイズからタブレットタイプ、大型ディスプレイタイプまで様々存在する。




