望むらくは異世界で逆転する話①
「――――ここは……?」
気が付くとレフィリアは光源の一切無い完全に真っ暗闇な空間へとただ独り、投げ出されていた。
しかもそこには地面すらなく、まるで水中にでも潜っているようであったが、あまりに何も見えなさ過ぎてどちらが上で下なのか、そもそもここが何処でどんな場所なのかも判断しようがない。
この無重力じみた感覚は本来なら宇宙を連想すべきなのだろうが、レフィリアにはむしろ更に未開の領域である深海を彷彿とさせた。
(何が起きて――って、呆気に取られてる場合じゃない! 今はとにかく、サフィアさんを探すのに集中しないと……!)
自分の身に何が起きたのかはいまいち判らないが、ふと一番の目的を思い出して頭を切り替えたレフィリアは、サフィアの生命反応を辿ろうととにかく意識を高めていく。
今いるこの不思議な空間の何処かに、彼女がいるような直感がレフィリアには確かにあった。
だが何かしらの要素で感覚が阻害されているのか、サフィアのいる位置の正確な距離や方向を認識することが出来ないでいる。
あくまで、ここに彼女が在る事が判るだけ――。するとレフィリアが手首に巻いている、コメットに神具化してもらったブレスレットが急に瞬いては光を放ち始めた。
「これは……もしかして、サフィアさんがいる方向を指し示している?」
そんなふうに感じたレフィリアが色んな方向へ腕を当てずっぽうに向けてみると、とある位置へ動かした時に一際強くブレスレットが輝いたことを確認した。
やはりそうだ、と自分の考えを信じて、レフィリアは泳ぐように何も無い闇の中を進んでいく。
そしてブレスレットの反応を頼りに、距離感どころか時間の感覚すら掴めないような、とにかく虚空ばかりの世界をひたすら移動していったところで――レフィリアは遥か遠くに、とても小さな点ではあったが確実に発光している一つの何かを発見した。
「アレって、サフィアさん?!」
根拠こそなかったが、レフィリアは思わずそう口にしてしまう。そして6等星くらいの僅かな輝きで儚く光るその何かに、無意識で手を伸ばした。
途端、レフィリアはその手から身体ごと、ウインチか何かで巻き取られるように、自動的に目標まで引き寄せられていった。
(わっ!? これって、向こうに光ってる何かに引っ張られてる!? ……いや、違う。これはブレスレットが、あの光の場所まで連れてってくれてるんだ……!)
そう考えている間にも、レフィリアは光を放っている物体がきちんと視認できる位置まで到達することが出来た。
それがどのくらいの距離だけ離れていたのか、自分がどれ程の速度で移動したのか、移動には一体何秒掛かったのか、そういった物理的な情報に関してはここだと一切認識することが出来ない。
おそらくここは意識的な世界で、それ以外の余計な概念は知覚することが叶わないのだろう。
「サフィアさん! やっぱり、サフィアさんだった……!」
そのような事はさておき、レフィリアは遂にすぐ目の前まで辿り着いた光を放つ物の正体を確認する。
それは彼女の予想通り、サフィアであった。だったのだが――
(サフィアさん、眠っている……? いや、どちらかというと固められているような感じか……)
レフィリアが間近で見たサフィアの様子は、一言で言えば眠り姫であった。
しかしその身体はふわふわと浮かんでいるというより、彫像やフィギュアのように全身が完全に固定され、指先一つ微塵も動かせないように思える。
おそらくメルティカの持っていた黒い結晶体に取り込まれてしまうと、まるで時間でも止まったかのように封印された対象の全てが停止してしまうのかもしれない。
「サフィアさん、助けにきまし――冷たッ?!」
何にせよサフィアを助け出そうとレフィリアが彼女の肩口へ触れた瞬間、あまりの冷たさについ伸ばした手を反射的に離してしまった。
それは氷像の如く冷え切っており、しかも金属やコンクリートを想わせる硬質さがあった。
見た目こそ凍結や石化しているような様子はないものの、今のサフィアは髪の一本から衣服の裾にいたるまで、その全てが真冬の外に置かれた石像と何ら変わらなかった。
(これって……多分だけど、物理的に身体を固められてるんじゃなくて、サフィアさんの意識を閉じられているんだ……どうしよう、このままだとサフィアさんを連れていくことが出来ない……!)
極めて強い不安に駆られたレフィリアであったが、それでも何か試そうと再び彼女の肩を掴むようにして手を触れていく。
手のひらからは痛いぐらいの強烈な冷たさが伝わってくるが、それを今度は我慢しながら自身の身体を引き寄せてサフィアにもっと近づき、反対側の肩も手で掴んでは彼女を正面で固定した。
「サフィアさん! 助けにきましたよ! どうか起きて下さい! 私と一緒にこんな場所から外へ戻りましょう!」
サフィアの顔を前にして、レフィリアは至近距離から大声で話しかけるがサフィアからの反応は全く無い。変わらず、それこそ本物の彫像であるかのように動かないままだ。
それでも諦めずに何度も名前を呼んでは声を掛け続けたが、どれだけやってもサフィアが返事を返すことは無かった。
「はあ、どうしよう……全然、手ごたえが無い。どうやったらサフィアさんを目覚めさせることが出来るの……?」
いい加減叫ぶのにも疲れてきたところで、レフィリアは荒くなった呼吸を整えながらも、どうしたらいいのか必死に考えを巡らせる。
(……あれ? そういえば、なんだかサフィアさんの感触が変わったような……?)
息を整えている途中でふとサフィアに接触している感覚が最初と違っていることに気づいたレフィリアは、サフィアの二の腕の位置を掴んでは引いてみる。
すると、今まで石像のように全く動かせなかった彼女の腕が横へと当たり前に動いたのだ。しかもよりきちんと調べると、触れた時の温度も冷たくなくなっている。
現時点では肩から肘の関節までにかけてだけのようではあるが、それでもサフィアの身体は確実に“解凍”されているようであった。
(サフィアさんの身体、ちょっとだけど動くようになってきてる……! これは、もしかして……!?)
あくまでレフィリアの予想ではあったが、どうやらレフィリアが直接手で触れていたサフィアの肩口から熱が伝わっていくように、彼女の身体を固着させている要素が溶けていっているのだと考えられた。
だとしたら、このまま続ければ封印されているサフィアの意識だって元に戻せるかもしれない。
「氷を溶かしたかったら、もっと温めろってこと!? だったら……!」
そう口にしたレフィリアは身に纏っている甲冑の部分のみを解除すると、思い切ってサフィアの全身へと抱き着いた。
腕を背中まで深く回して、なるべく身体の触れる面積を多くするようにしながら密着していく。当然、石像のような固い身体からは凍えそうな冷気が即座に伝播していく。
(冷たいいい……ッ! だけど、こうするのが一番手っ取り早い筈! サフィアさんの為なら……!)
「サフィアさん、絶ッ対に助けますからね……!」
どれだけそうしていただろうか。
レフィリアの身体はすっかり冷え切って体温を奪われてしまったが、それでもサフィアの身体は半分ほどまで解凍されたようで、ある程度の人間らしい関節の柔らかさが戻って来たように思えた。
「……サフィアさん……」
それでも彼女の意識が戻ってくるまではこうしている、とレフィリアはサフィアの身体をぎゅっと抱き締める。
「――――レフィリア、さん……?」
途端、ほんの小さな、空耳と疑うかもしれない程であったが、確かにサフィアの声がレフィリアには聞こえた。
「……ッ! サフィアさん!?」
その声にレフィリアが慌てて、再び彼女へと呼び掛ける。
「サフィアさん! 私の声、分かりますか!? レフィリアですよ!」
「……はい、分かります……レフィリアさん、傍にいるんですね……」
固着した身体が四分の三まで溶けたところで、力なくしなだれかかってきたサフィアをレフィリアはしっかりと抱き留めては支える。
そして彼女に抱かれながらサフィアはレフィリアの顔のすぐ傍で、発声しづらそうではあったが何とか声を出してはレフィリアに言葉を返した。
「良かった……サフィアさんの意識が戻って……!」
「ごめんなさい、レフィリアさん……また私、迷惑かけてしまった、みたいで……」
「何言ってるんですか。サフィアさんについてきてくれって頼んだのは私なんですから、前みたいな言い合いはもう無しですよ」
「だけど……私が捕まったことで皆、魔王城までやってきた、んですよね……? しかも兄さんが、不死身の魔王と一対一で決闘している……」
サフィアの口振りから、今まで封印されていた筈である彼女も凡その事情を把握している事をレフィリアは認識した。
おそらくはサモンアライズで自身が瞬間転移する時と同じ現象が起こったのであろう。
「……なるほど。サフィアさんも私が呼び出される時と同じように、情報を共有したってことなんですね」
「多分そうかと……レフィリアさんの視点を通したような感じで、きっとレフィリアさんもこんな感覚だったんだろうなって……」
「だったら話は早いですね。……ですけどサフィアさん、自分のせいで私たちはどうしようもない状況に立たされてるって思ってるかもですが、そんな事はありませんよ?」
すると急にレフィリアは微笑んだ顔を見せながら、サフィアの肩をポンポンと優しく叩いた。そんな彼女の言葉にサフィアはきょとんとした顔になる。
「えっ? いや、だって私が人質になってしまったからレフィリアさんたちは死地へ赴くことに――」
「確かにそれはそうなんですけど、逆にこれって乗り切りさえすれば千載一遇の超チャンスになるんじゃないかって私、思っちゃったんですよねー」
サフィアを元気づけるようにウインクしながら、レフィリアは人差し指を立てる。
「魔王軍はサフィアさんを捕らえることで私を無力化した気になってますけど、人質作戦が有効である故に依存し過ぎちゃってるというか、私らを自分たちの急所まで招いちゃっていることに気づいていないというか」
「で、でも……それは魔王を倒せば六魔将も纏めて消えるというのが前提の話ですよね? その魔王が不死身とあっては――」
「多分それ、私なんとか出来ると思うんですよ。といっても根拠の無い、いつもの直感なんですけどね」
「……ッ!?」
「直感に頼り過ぎるのは良くないってのは分かってるんですけど、でもこれだけは凄く強い予感がしているんです。――私はあの魔王を、一発で滅ぼせる」
もはや自信満々に言いきったレフィリアの表情に、サフィアは彼女の手を取りながらジッとその目を覗きこんだ。
「……信用していますよ、レフィリアさん。いえ、初めから信用はしていますけど……希望を持っていいんですね?」
「はい。だからこんな真っ暗なところ、早く抜け出しちゃいましょう。サフィアさん! ここから出たらすぐ、反撃に移りますからね!」
そう言って、レフィリアはサフィアに掴まれた手をグッと引き寄せた。
「ええ、レフィリアさんとでしたら何処までも!」
完全に封印が解けたサフィアがにこやかに答えた直後、闇ばかりの世界にガラスが罅割れたかのような音が響くと共に、空間全体に亀裂が入っては即座に砕け――逆に真っ白な閃光が視界を塗り潰していった。




