北国で潜む異世界の昏き牙の話②
その日の夜、唯一の宿泊客であるレフィリアたちには一応の夕食が振舞われた。
食事の内容は、ライ麦から作られた固い黒パンに豚脂の塩漬けであるサーロを乗せたものと、ほんの少し豆や穀物の入った酸味のある赤いスープの二品のみ。
けして支払った宿泊料の金額には到底見合ったものでなかったが、たとえ質素であろうとこの国では満足な食事が取れるだけで贅沢なのだろうと、レフィリアたちは文句を言わないようにして全て頂いた。むしろ単なる素泊まりでなかった事に驚いたくらいだ。
そして明日からの移動の為に、レフィリア一行は早めに就寝する事にした。因みに部屋割りはレフィリアとサフィア、賢者妹とジェド、残り男性三人の三部屋で分かれている。
それから夜も更けて――深夜二時過ぎ。
「――――んん……?」
急にレフィリアは何かを感じ取ったような気がして、パッチリと目が覚めてしまった。
「……何だろう、この感じ」
よく分からないが、頭の中にザワザワとした嫌な感覚がいつまでも離れずにこびりついている。その正体を探るかのように、レフィリアは思わずベッドから起き上がってはふと部屋の窓の傍へ歩いていって外を覗いた。
屋外と室内の気温差で白く曇っている窓ガラスを手で拭い、そこから見える街の様子を伺ってみる。レフィリアたちがいる部屋は一応、建物の二階。今夜は一応、月夜ではあるものの雲が多くて月そのものは隠れており、真っ暗ではないがそこまで明るくもない。
それでも、たとえ新月どころか光源が一切無かろうと、レフィリアの視力及び認識能力なら大抵のものは発見する事が出来る――のだが、今のところは特に怪しい物は少しも見受けられなかった。といっても、すぐに曇る窓ガラスのせいでよく見えないだけなのかもしれない。
(窓開けたら寒い外気が入って、サフィアさんを起こしちゃうかも……だけど――)
今いるここは、何処までいっても敵地の傍。用心し過ぎることは絶対にないと、レフィリアは物音をたてないように気を遣いつつ、そっと部屋の窓を少し開けて街の景色を見下ろす。
やはり雪国の夜らしく、街はしんと静まり返っていて、変な異音などはこれと言って聞こえてきたりなどしなかった。気のせいだったのか――いや、いまだに粘りついて残り続けるようなこの違和感は、けして無視して眠りについていいものではない筈だ。
レフィリアがそう考えていると――
「レフィリアさん、どうかしましたか?」
レフィリアの背後から、サフィアがベッドから身を起こしながら小声で聞いてきた。
「あ、サフィアさん。ごめんなさい、起こしてしまったみたいで……」
「いえ、いいんです。それより、何か不穏そうな顔をしていますが……もしや、良からぬ気配でも察知されたのですか?」
レフィリアの思惑を予想しているかのようにサフィアは問い、それに窓際の彼女は頷く。
「ええ、不明瞭ではあるのですが、なんだか変な感じがしてですね……これといって、ここから見える範囲では外に異常はなさそうなんですけれど……」
「でしたら二人でちょっと外の様子を見回りしに行ってみませんか? 用心を重ねるに越したことはありませんし」
そう言って、サフィアはすぐ近くに置いていた剣を手に取る。
「そうですね……何もなければ、それはそれで構いませんから。眠っていたところをすみませんけど……」
「何を言っているんですか、レフィリアさん。それに――私もレフィリアさんとパスが繋がってるからでしょうか、貴方が感じている妙な感覚を私も認識できているような気がします。――行きましょう」
レフィリアとサフィアは静かに部屋を出ると、階段を下って一階へと降りていく。
そして一階ロビーに出たところで、二人は唐突に一人の人影と遭遇することになった。
「あっ、亭主さん……!」
それはなんと、宿屋のオヤジであった。
日中訪れた時と同じように、カウンター越しに佇んでいた宿屋の亭主と鉢合わせるように出会い、レフィリアたちは少し驚いてしまう。
というのも、彼は何か灯りをつけている訳でもなく、真っ暗な部屋の中で幽霊のように突っ立っていたからだ。
「――何だ、お前たちは? こんな夜更けにどこへ何をしにいくつもりだ?」
それから更に幽霊のような声をあげて聞いてくる亭主に、レフィリアたちはなるべく怪しく思われないように心掛けながら受け答える。
「あ、えっと……宿の外に妙なものが見えたので、危険じゃないかちょっと調べてこようかと思いまして……」
「私たち、冒険者をしていますので腕には自信があるのです。もし街に野盗の類が潜んでうろついてるのでしたら大変ですので、宿屋の周りだけでも確認してこようかと思いまして」
そんな二人の言葉に、宿屋の亭主はまるで幽鬼のような目で二人を見据える。
「妙なものぉ……? 俺からしてみれば、お前さんたちの方がよっぽど妙な行動をしているけどな? こんな真夜中に外へ出向くなんて、それこそ今から泥棒にでも向かうつもりなんじゃねえのかってな」
「仰る通り、怪しまれても仕方がないとは思いますが、誓ってそのようなことは致しません。宿屋の周りをぐるっと見回らせてもらうだけで構いませんし、何なら私たちに同行して見張ってもらっても結構ですので……」
「だとしたら尚更困るんだよ……この宿から外に出てもらってはな……!」
途端、宿屋のオヤジは唐突に白目を剥くと、その顔が急速に面妖なものへと変容しはじめていった。
「「……ッ!?」」
突然の事態にレフィリアたちが目を瞠る中、見る見る変わっていく亭主の顔面は鼻先と口元が盛り上がっては前へと突き出ていき、頭だけでなく全身を覆うように青黒い大量の毛がびっしりと生えていく。
身体中の筋肉が膨れては体格が良くなって少し背丈も増し、特に手の指から伸びた爪は鋭利で凶悪なものへと変貌していった。
そしてあっという間に、宿屋の亭主は人間ではなく、まるで狼男を思わせる獣人のような姿へと変わり切ってしまったのである。
「これは……人狼ッ!?」
前傾姿勢をした2メートル近い体躯の獣人は、太く鋭い爪の揃った腕を振り翳し、有無も言わさずレフィリアたちに飛び掛かってくる。
しかしそれは愚かしくも自ら粉砕機にでも飛び込むようなもの。レフィリアの首筋を狙って突っ込んできた獣人は逆に、いつの間にか光剣を手にしていた彼女によって一瞬のうちに総身を解体された。
断末魔すらあげる間もなく屠られた獣人の残骸へレフィリアとサフィアはそっと近づき、用心しつつも備に死体を観察する。
「サフィアさん、これって……」
「パッと見たところウェアウルフのように思えますが……人間への変身能力を有するという事は、上位種のライカンスロープに類する獣人かもしれません。しかしこんな怪物が、人間のフリをして街中に潜んでいるとは――」
「――ッ! サフィアさん、急に外から明確な敵意の気配を感じるようになりました……!」
「何ですって!?」
光剣をいまだ握り締めたまま、レフィリアは小声で忠告しては宿屋の扉をジッと睨みつける。
「しかもその気配は一つや二つなんかじゃない……何十とかなりの数がいます。おまけにその全てが、私たちがいるこの場所を目指して集まってきているみたいです」
「何らかの共感能力で、この獣人が討ち倒された事態を感じ取ったのでしょうか。……ですけど、何にしたってこのままぼうっとしている訳にはいきませんね」
そう言って、サフィアは腕輪に魔力を通すと、即座に星銀鎧装を瞬間装着する。
「はい、サフィアさんはルヴィスさんたちを急いで起こしに行ってください。外から来る敵は私が対処しておきますから」
「了解です、すぐに駆け付けますからね!」
そこで二人は一旦別れ、サフィアは再び二階へ、レフィリアは扉を開けて宿の外へと出ていった。




