決戦の時きたれり、なんて
エレナの想像はほぼ当たってしまっていた。アデニウム特使達は翼竜の来襲に備えて避難させていた一般市民達に混ざってしまっており、役人達も事態が事態だった為に一人一人の身元を調べる事ができていなかった。特使達も必死に説明をしたが取り合ってくれる役人もおらず途方にくれていたそうだ。ニュンパエアでは魔力が全てだ。下級の役人達はアデニウムの特使だと名乗るその人々に魔力がほぼないのを見てとって、この忙しいのにさらに混乱させて楽しもうとしているふざけた観光客という判断を下した。それだけでも外交問題だし、彼らの伝言も問題だった。既に取り返してしまったエレナを皇子の妃にしたいという内容だったのだから、女王はまた頭を抱えるはめになった。特使を下がらせた後も頭を抱える女王にそれでもエレナは言った。
「決断を、陛下」
「…」
「陛下」
「…三日後です、三日後あなたには翼竜の討伐出てもらいます」
「三日後、ですか」
「市民の避難と師団を整える時間です、できますね三日で」
「は、必ず」
「では下がりなさい、必要なものは全て私の名前で揃えるように」
「畏まりました」
エレナは女王の御前から下がると行儀など無視して全力で走った。無駄死にするつもりはなかったが最悪相討ちになる可能性は大いに高かった。うまくいってもそのまま総師団長を続けられる程の状態で帰還できるかは分からなかった。ニュンパエアは魔導師が守る国。全ての王国魔導師が連なる師団の再編成を三日で行い、同時に翼竜討伐の準備もせねばならなかった。一秒だって無駄には出来なかった。
ーーー
期限は一瞬で訪れた。やることが多すぎた上に反発も多かった。それでも王国魔導師団としてある程度の形にはなっただろう。第二副総師団長の一派が抜けた穴を埋めるのが一番面倒だったのは非常に腹立たしかったが。
「ふう」
日が昇ったその時、エレナはこの王都の外れに立つ見張り用の塔で翼竜を討つ。本来は商隊が迷うことなく王都にたどり着く為のそれは華美な装飾は無いが頑丈に作られている。共に戦うと言った者は多かったが、それらを庇いながらは渡り合えない。また戦いながら翼竜が魔導師を食べて更に魔力を高める危険もあった。聖人君子ではない自己犠牲など唾棄すべきだと思うが被害は最小が良いだろうとは思うのだ。
「さすがにここからは見えないか…」
暗い砂漠の向こう側。オアシスも無いのに建国された大国は当たり前だが蜃気楼にも映らないだろう。翼竜を討つ事も怪我をするだろう事も最悪死ぬだろう事も国と女王の為ならなんら問題はなかったが、一つ心残りがあるとすればそれは彼の国の彼の人だった。エレナは生まれたその時から特別だった。黒い髪黒い瞳、大量の魔力それに耐えうる器とそれを使う頭脳があった。そんな彼女を女性として扱ったのは彼が初めてだった。からかいではなく政治的な意味合いも持たず、ただ側にいて欲しいと言ったのは彼だけだった。だからなんだと言うべきなのかエレナには答えられなかったが、最後にテオドルが叫んでいた言葉が気になってしかたがなかった。聞こえなかったのだからどうしようもないが、聞いていたからと言ってどうしようもなかったのだろうが。彼から目をそらしてしまった事実がエレナの決心を揺さぶろうとしてくるのだ。それでも時間は止まらない。東の地平線が段々と赤紫に染まるのをエレナは睨み付けた。
「さて少し早いが始めよう、我らの勝手ですまないが強者が勝つというだけならば自然の摂理と言えるでしょう」
既に女王の結界は縮みこの塔は外側にある。夜明けまではエレナが目眩ましをしていたが陽の光を浴びては竜族の目からは逃げられない。術式がまだ淡い太陽光よりも眩しく塔を包み垂直に飛び込んでくる翼竜を拒んだ。分厚いガラスが割れたような音が響き翼竜は拒まれた痛みに地響きの如く叫んだ。
「長命な竜族としては短絡的ではないか!この程度で根をあげられては困る!」
エレナは術式を新しく組みながら空を探した。垂直に降ってきて未だに簡易結界にじゃれているのは子どもの竜だ。子どもがいるなら母親がいるはず。本来の巣立ちよりずっと早いそれであったが、竜族の子育ては子どもが繁殖期に入るまで続く。翼竜は竜族の中では短命で人より少し長生き位の命だが初めての繁殖期を迎えるまでには20年近くはかかる。それまでに母は子に生きる術を教えるのだ。きっと今の襲撃でさえ狩の練習なのだろう。自身が狩の対象でなければ寧ろ観察してみたかったものだと心のなかで嘯いてみる。
「弱いものイジメは好きではないのだけれど…!」
「ぐぎゃああああああアァァァ!」
エレナの組んだ術式は若い翼竜をがんじがらめに捕らえた。青白く発光する太い紐のようなそれは無慈悲に翼竜を締め付ける。翼が広げられず翼竜は塔の真横に墜落した。まだ仕留めはしない。母親を引きずり出さねばならない。我ながら褒められた作戦ではないが生きるか死ぬかだ甘いことは言えない。ここでの失敗は即ち王国の滅亡だった。何よりエレナは騎士ではない、騎士道精神など知ったことではなかった。
「……っ!」
子どもの竜を少し見たその瞬間、光が塔に飛び込んだ。結界に弾かれたそれは正しく雷だった。光に遅れて轟音が轟く。何とか顔をあげるといつの間にそこにあったのか塔の倍はゆうにある巨体が術式で編まれた結界に囓りついていた。
「貴殿と対峙するのはこれで二度目になる」
「ぐううううううう…!!」
「まずは謝罪を、我らの問題に巻き込みあまつさえ人間の魔力の味を覚えさせてしまったことを心から申し訳無く思います」
言葉を理解しようとしない翼竜にエレナは女王に対する礼をとった。そしてしかし、と続けた。
「これよりは狩るか狩られるかです、このまま引くことが両者ともできぬならどちらか終わりまで」
「ぐううううぎゃああアアアア!!!」
「……っう!」
塔に張り巡らした結界が徐々に噛み砕かれる。エレナはこの戦いで一つだけ予想しきれない物事があるのを理解していた。翼竜の魔力。高級魔導師を数十人飲み込んだそれがいか程増えているのかエレナは最後まで測りかねていた。ばちんばちんと編んだ結界が一つづつ噛み砕かれるのを見ながらこれ程までとはと笑うしかなかった。
「まあ!想定外だけど仕方がない!」
複数の術式を素早く編むと空中に浮いたそれらからは火の玉や氷の塊が飛び出し親の翼竜を襲う。しかし翼竜はそれを巨大な尾で何事も無かったように払い落とした。落とされたならエレナが次を、次が来たなら翼竜が落とした。攻防はどちらかが一歩でも下がれば決着がついてしまう。両者は互いの魔力が切れるのを注意深く待った。
「きりが!ないな!もう!」
細かく繰り出される魔法は一つ一つが山を吹っ飛ばす位の威力を持っている。それをまるで虫でも落とすようにされては魔導師の立つ瀬が無いと笑えてきそうだ。そんな間も翼竜は結界を噛み砕く。ばりばりと音を立てて砕く度に翼竜自身にも傷が増えたがそんなもの構わないといった体だ。
「く、うっ」
がぎん!とはぜながら最後の結界が砕かれるのと同時にエレナは持てる魔力全てを一気に高めた。翼竜がエレナを食べるその時、エレナの魔力は翼竜の口のなかで爆発するだろう。子どもにとどめは刺せないがいくら魔力が多かろうと孵ったばかりのそれは親無しには生きていけない。親さえ廃せればとりあえずは良いだろうと目をつぶったエレナの肩を誰かが抱き寄せた。
「ぎいいぃああぁ!!
予想だにしなかった叫び声と肩の感触に目を開けると目の前に鼻先を切りつけられ塔からずり落ちそうになっている翼竜がいた。慌てて振り向くといるはずの無い人物が初めての見る冷えきった目で苦しむ翼竜を見据えていた。
「殿下、なぜ…」
褐色の美しい肌と光を集めた銀髪がいつの間にか昇りきった陽を浴びていっそ神々しい位に輝いている。テオドルは翼竜から視線を外さず問いにも答えずにエレナの肩を抱く腕に力を込めた。
「古くからあるものの末裔よ、これ以上には両者共に益はないそれでもと言うなら私がお相手つかまつろう」
テオドルが剣を向けると翼竜は唸りながら慌てるように塔から飛び退いた。子どもがいる為か離れすぎないよう空中でじっとこちらを見つめている。
「元はこちらの不手際だ、もう二度と人を喰わぬと言うのなら子も返そう」
『…また、我らを襲えばその約は果たされぬ』
「そのような馬鹿は喰らえばいい、構わない」
『では約を』
竜族は元来人より秀でた知性を持つ。人の言葉など使えて当たり前なのだ。翼竜は竜族として最下級に位置するので使えるものとそうでないものがいるが、この個体は翼竜の中でも元々力の強い個体だったのだろう。エレナに言葉を返さなかったのは彼女を下に見て話す必要が無いと判じた結果だ。そしてテオドルと約定を結ぼうとしているのは彼に敵わないと理解していたからだろう。翼竜は自身の鱗を一枚剥がすとテオドルに差し出しテオドルがそれを受け取った。
「エレナ、子を放してやれ」
「は、はい」
テオドル達のやり取りをぼんやりと眺めていたエレナは慌てて術式を解いた。子どもの翼竜は甘えたような高い声をあげて親の背中にすがり付いた。大熊の倍はある巨体だが親を見た後だと可愛らしいサイズ感に思えてしまう。
『では我らは行く』
「…お待ち下さい」
エレナはもう一度術式を組んだ。子どもは怯えたような声をあげたが親はじっとされるがままだった。青白い光の粒子が親子を包むと彼らの傷は一つ残らず消えていた。
『礼は言わぬ』
「結構です、謝罪にもなりませんが…」
『謝罪ももう良い、私は子が無事ならそれで良い』
謝罪をも断られたがせめてもと礼をとる。翼竜達は一瞥だけして飛び去った。
翼竜の夢はこれで終わりです。
黄色いペラルゴニウムの夢は最後に繋がります。
多分次で終わりです。多分、きっと…うん…。




