7 ケルプの森のノーチラス
「船長、見えました、人魚が居ます」
「よし、予定道理やれ、直接当てるな、近くに落ちれば、大丈夫だ、直ぐに撃て!」
「人魚が!」
人魚が水中に首を引っ込めると直ぐに、とんでもない爆音とともに、大きな水しぶきが上がり、船はきしみ、船体が悲鳴を上げる。
「撃て!早く」
発射された船長考案、博士製作のスタンガンは、ろくに狙いも定められずに打ち出されたが、サーヤの潜った直ぐ後に着水し、そこにほんのコンマ数秒、サーヤの意識を刈り取るだけの電流を流すと、その効力を失い海に沈んでいった。
「船長、亀裂から、浸水が始まりました」
船底から駆け上がってきた船員が叫ぶ。
「よし、お前らはポンプで水を掻き出せ、ダイバーは直ぐに人魚を引き上げろ」
ウェットスーツを着込み酸素ボンベを背負って用意万端のダイバーは、船長の怒声を聞くと船の底部ハッチから海に飛び込む。
しかし、ダイバーの見たものは人魚などでは無かった。
罠に掛かって、両足首にワイヤーが食い込み血を流しながらケルプの森に沈んでゆく少女だった。
島の子なのだろう、小麦色の肌にマリンブルーのビキニを身に着け、セミロングの栗毛の髪が波に揺れ、ケルプと一緒に右に左にと、揺れながら沈んでゆく。
ダイバーはあわてて抱きかかえ、罠を外すと、ボンベをくわがせ、海面へと向かう。
ダイバーが少女と一緒に海面に顔を出すと直ぐに船長から声がかかる。
「捕まえたか、直ぐに船に乗せろ」
船長の嬉しそうな声とは裏腹にダイバーの顔は蒼白だった、人魚どころか自分達の仕掛けた罠に掛かって大けがを負った子供をスタンガンで気絶させ、溺死させかけたのだ、事の重大さを思えば当然だろう。
「船長、大変です、子供です、人魚ではありません!」
「なんだって、そんな馬鹿なことがあるか、モニターで確認したろ、間違いなく人魚だったはずだ!」
そんな事はダイバーも分かっている、一緒にモニターを見ていたのだから。
だが、実際罠に掛かっていたのは子供で、両足首に大きな怪我を負って沈んでいたのだ。
ダイバーは、ウェットスーツの中に大量の脂汗を流しながら叫ぶ。
「そんなこと分かっています、でも掛かっていたのは子供です、直ぐ引き上げます」
ダイバーが抱えてきたのは確かに子供だった、船底のハッチから上がってみれば、少女は両足首から血を流し、唇を紫色にして、息をしているかどうかすら怪しそうだった。小麦色の肌は死人の様に冷たく、放っておけば直ぐにそうなる事だろう。
「おい、急いで船医のところに連れていけ、早く」
「はい」
ボンベを外したダイバーは子供を抱き抱えると医務室に向かって走って行った。
(大丈夫かあの先生で・・・・)
◇◆◇◆◇◆
「あいつら、ばっかじゃねーのか、人魚なんて居る訳ねーだろ、あの博士も本物か、胡散臭せー ・・・・あーやっぱやめとけばよかった、こんな仕事、」
彼女はセリア、一応この船の船医である、よれよれの白衣をひっかけた彼女は、外した眼鏡を脇によよせると、癖毛のライオンヘアーを掻きむしって後悔していた、丁度仕事にあぶれ、貧窮を極めていたところに、知り合いの、知り合いの、知り合いのあたりから聞こえてきた仕事に飛びついてしまった自分に、人魚探しのお手伝い、怪我人が出なければ船に乗っているだけの仕事、給料は安いが、三食昼寝付き、などと安易に引き受けてしまった自分にいまさらながら腹を立て、後悔先に立たずという言葉の意味をかみしめていた。
乗ってみれば、人魚探しもやっているが、密漁が本業、ついでに先程接触事故、船内は騒がしく、浸水騒ぎ、彼女はおもむろに棚からウイスキーを取り出すと、手から滑り落ちたキャップを無視して、ボトルを呷る。
「やってらんねーよ」
セリアが、そのままどっかりと椅子に座ると、いきなり大きな音を立ててドアがドアが開く。
よれよれの白衣をひっかけたセリアが、ボトルを握りしめたまま、ドアの方に目を向ければ、そこにはウェットスーツを着て、足首から血を流した少女を抱きかかえる男が立っていた。
男は、セリアにいぶかしげな目を向け、ズイズイと歩み寄る。
「船医こんな時に何やってるんですか」
ダイバーの剣幕に、かえって怒りを浸透させたセリアが逆襲する。
「それはこっちの台詞よ、あんた達こそ何やってるの、子供に怪我させたの!直ぐそこに寝かせなさい」
男が急いで子供をベッドに寝かすと、セリアは直ぐに血の流れている足首を診始める。
「貴方達いったいこの子に何したの、・・・・・冷たい、こんなに冷えて、死んじゃうわよこの子、直ぐに温めないと、お風呂あったわよね、直ぐに沸かして、早く」
◇◆◇◆◇◆
(いったいどうなってんだ、どうしてこんな所に子供がいる)
そう、ここは島からかなり南に下った場所、人が泳いで来られるような場所ではない、船長が訝しむのも当然だった。
しかし船長に悩んでいる暇はなかった、船は浸水をはじめ、ノーチラス号は近づいてくる、とにかくこの状況を何とかしなければ。
「船長大丈夫なのかね、浸水しているのだろう」
「大丈夫ですよ、博士、最悪船が沈んでも、全員救命ボートで、港まで行けますから」
(畜生、いったいこの船に、いくらつぎ込んだと思ってやがる、俺の総てだ、沈んでたまるか)
「おい。排水状況は」
「はい、これ以上浸水しなければ大丈夫です」
「よし、なら船を旋回させろ、港に戻るぞ、微速前進だ」
船長の号令で、船は旋回し、隣の島の港に向かて、船体に負荷を掛けない様ゆっくりと進みだす。
「どういう事だ、もう穴がふさがったのか」
「まさか、ポンプで掻き出している水の方が多いって事です」
「そうか、ではほかの罠を見てみよう、モニターの場所が間違っていたのかもしれん、モニターには確かに人魚が映っていたのだから」
「悪いが博士、それは無理だ、状況を考えてくれ、少しでも無理して、浸水量が増えれば、本当に沈没しますぜ、それは分かっていただけるでしょう」
「しかし・・・・そうは言っても」
博士は理性では解っているのだが、心が諦めきれない、確かにモニターには映っていたのに。
◇◆◇◆◇◆
ノーチラス号は先導するイルカと一緒に、先程人魚がいた場所に向かっている、今そこには先程接触した不審船が止まっている。
ジョンは沈みゆく船体を気にしつつも、エンジンの出力を上げる。
ジョンの見据える先では、不審船がゆっくりと動き出し、島とは逆方向に動き出した。
船はどんどん遠ざかり、ジョンが付く頃にはまたかなりの距離が開いていた。
ノーチラス号は何とか沈没せずにたどり着いたが、そこに人魚の姿は見当たらず、一面に小魚が浮いていた。
「いったい何したんだ、あいつら」
ジョンは水面に浮く大量の小魚を気にしつつも、さらにイルカ達が導く方に行ってみれば、尾びれにワイヤーを巻き付けたイルカが浮いていた。
ジョンがツールボックスからニパーを取り出し、ワイヤーを切ってやると、死んだように動かなかったイルカは、静かに水を掻き泳ぎだした。
「よかった、死んじゃってるのかと思った」
「ああ、でもこっちは、もう諦めたほうがよさそうだ」
「え、もうダメ」
「ダメだ、はやくゴムボートに乗り移れ」
ジョンとイリルがゴムボートに乗り移ると、ノーチラス号はゆっくりと傾き始め、船尾が沈み、船首が上がり始めると、あっという間にジャイアントケルプの森に沈んで行ってしまった。
ジョンは沈みゆくノーチラス号をゴムボートから見つめ、イリルはそんなジョンを見つめていた。
「俺の船・・・」
「父さん・・」
ノーチラス号がジャイアントケルプの森に消えると、程無くゴムボートが独りでに
動き出す。
ジョンとイリルがこいだわけではない、ゴムボートの先に着いたロープが、水中に引き込まれ、進みだしたのだ。
「きゃ!」
イリルが小さな悲鳴を上げ、水面を覗けば、そこにはロープを加えたイルカが映っていた。
ボートはイルカ達に引かれ水面を滑る様に進みだす。
ただその進路は、島ではなく、サーヤを攫った不審船に向いていた。
「すごい」
「ああ、すごいんだが、島じゃなく、船追っかけてるぞ」
「え、どうして」
ゴムボートの前方には、先程の船が遥か先にだがまだ見えていた。
「多分、人魚があの船に乗っていて、俺たちに救けてほしいって・・・事かな」
「でも・・本当に」
「もしかすると、かな?」
ゴムボートは二人がしがみついてなければ振り落とされそうな速度で進んではいるが、不審船との差亜は少しづつ差は開いていた。
「でも、追いつけないんじゃない」
「追いつけないだろうな、でもこのまま行けば着くのは多分隣の島だろな」
「えーそれじゃ夜中になちゃうわ」
「そうなんだが、それはイルカ達に言ってくれ」
「イルカさん達お願い、私達の島に戻って!」
イリルは叫んだが、どうやらその願いがイルカ達に聞き入れられる事はなさそうだった。
イルカ達はイリルの叫びを無視して船を追いかけ、前方の不審船が水水平線に消えても、ゴムボートが止まる気配はなかった。
イリル達は半ば諦め、イルカ達に引かれるまま、ゴムボートにしがみ付いていると、水平先に漁船に囲まれた不審船が見えてきた。
「父さん、助かったんじゃない」
「もうゴムボートにしがみ付かなくても済みそうだ」
「そうねでももう少し捕まってた王がいいみたいね」
「だな」
「イルカさん達、もう少しよ頑張って」
イリルの掛け声でボートが加速する。
イリルの今度の願いは、イルカ達に聴き入れられたようだった。