8 マーメイドフラッグ Ⅰ
「おい、前から来る船、こないだの密漁船じゃないか」
「おお、そうだ、・・でも沈みかけてないか」
「ジョンの船と接触したのって、あの船じゃねーのか」
「よーし止めるぞ!このまま見過ごすと、これからジョンと酒が飲めなくなっちまう」
男は、前方の密漁船の進路を遮るように進路をとる。
◆◇◆◇◆◇
「おい、なんだあの船は、真っすぐこっちに向かって来るぞ」
先程から水平線に見えていた漁船が、何故か進路を変えて真直ぐこちらに向って来ているのだ、こちらが避けようと舵をきれば、あちらも同じように舵をきるのだ。
船体に負荷を掛けられない今の状態では振り切れない、万全の状態なら大概の船は振り切れるのに。
今は亀にも劣りそうな速度しか出せない。
船長は苛立たし気に舌打ちをすると、何とか振り切ろうと再度舵をきる。
◆◇◆◇◆◇
セリアは、少女を毛布にくるむと、の足首の傷を診る。
細い足首にざっくりと開いた少女の傷口を見ると、セリアの脳髄あたりから圧迫するような怒りがこみ上げてきた。
「あいつ等、こんな子供に何てことしやがる」
セリアは、ぶつぶつと怒りを呟きながら、少女の足首の傷を縫っていく。
こんな子供に、両足首に四針づつも縫う様な怪我をさせるなんて、あいつ等今回は一体何しやがったんだ。
「しかもこんなに冷たくなって、まだ風呂湧かねーのか」
セリアは傷を縫い終わすと、少女の顎を自分の肩に乗せるように抱きかかえて、船内の狭い廊下を風呂場へ向かって歩き出す。
途中、先程のダイバーがまだウェットスーツのまま走ってきた。
「船医、風呂湧きました」
「分かったからどけ」
ダイバーは狭い廊下を壁に張り付くようにして、道を譲る。
セリアは譲られた道をズンズント進んで行く。
セリアは船内にしては豪華なバスルームのドアを開けると、たっぷりと湯の張られたバスタブに向かって行く。
サーヤが目を覚ますと、誰かに抱きかかえられていた。
「よかった、気が付いたか」
サーヤが目を覚ますと。
「もう大丈夫よ、こんなに冷たくなって、早くあったまりましょう」
そう言って少し屈んでセリアはサーヤを湯バスタブの前に卸した。
サーヤの目の前には、よれよれの白衣を着た、癖毛のライオンヘアーに黒縁眼鏡をかけたセリアが立っていた。
「さあ、どうぞ」
そう言われて後ろを振り返ったサーヤはいきなり目に飛び込んできたバスタブに驚き、バランスを崩して悲鳴を上げる。
「キャー!」
目の前に迫るバスタブにはたっぷりと湯が張られ、湯気が上がっていた、湯気の温かさが感じ取れるほどの近さにサーヤの頭は真っ白になり、手の届いたものを必死につかみ引き寄せる。
サーヤが引き寄せたものはよれよれの白衣だった。
屈んだところを白衣の襟首をつかまれ、子供とは思えぬ力で引き寄せられたセリアは、抵抗する暇もなく、そのまま頭から、バスタブにダイブする。
「あっ!・・・・ごめんなさい」
一難去って、自分の代わりに眼鏡をかけたまま頭からバスタブにダイブした白衣のセリアを見て少し冷静さを取り戻したサーヤは、両手で口元を隠すと、あたりを見回す。
「気にしなくてもいいが、何がそんなにびっくりしたんだ」
セリアは、ぴったりと張り付いた髪をかき上げ、ずれた眼鏡を直しながら答えた。
湯気の上がった白衣からはすっかりしわ取れ、半身湯の中につかり、バスタブに肘を乗せ頬杖をつきながらサーヤ見上げる。
「本当にごめんなさい」
窓は見当たらないが、エンジン音に波の揺れる感覚、少しでも冷静さを取り戻したサーヤは、ここが船の中で、今海の上を走っている事を直ぐに理解した。
サーヤは、直ぐに目の前に見えるドアを開けて走り出す。
「待て、何処へ行くんだ」
セリアは、バスタブから飛び出るとサーヤを追って走り出す。
サーヤはドアを開けると、直ぐに甲板に向かってか走り出す。
狭い階段を駆け上がると、目の前に開けた甲板の一番近い手すりを飛び越え、海に飛び込む。
セリアも全身から湯気を上げ、開いたドアを抜けると、濡れた髪を振り乱しながら、階段を駆け上がるが、セリアが見たのは、ちょうどサーヤが手摺を超えて海に飛び込むところだった。
(有り得ない、死ぬぞ、ここが何処だか解ってないのか、泳いで帰れる距離じゃないぞ)
セリアが、必死に走り寄り手すりから海を見下ろせば、そこには先刻の子が頭を出して、こちらを見ていた。
セリアが叫ぼうとすると、一瞬海に潜り、セリアよりも高く飛び上がる。
それはマリンプルーの尾びれは持った人魚だった。
「私は大丈夫、ありがとう」
人魚はそう言って、陽光をまき散らすような飛沫を上げて海に帰っていた。
「あの子本当に人魚だったのか・・・」
セリアが人魚の消えた海を見つめて固まっていると、彼女を見た連中が集まってきた。
「やっぱり人魚だったのか、どうやって尻尾が足になったのだ、兎に角追え、直ぐに追ってくれ」
「博士、無茶言わないでください、追える訳ないでしょ、本当に沈没しますよ、この船」
まだウェットスーツを着たままのダイバーが、あきれ声で答える。
「ならお前が追え、お前はその為に雇われたのだろ、そうだスタンライフルを持ってこい、あれならまだ届くかも・・おあああ!!」
セリアがいきなり後ろから博士を殴りつける。
固く握りしめたこぶしで、後頭部を思いっきりだ。
「お前か!お前がやったのか、」
セリアの固く握られたこぶしは何度も博士にたたきつけられる。
「あんな小さな子に、あんなことして、いいと思っているのか」
余りの出来事に思わず呆然と見ていたダイバーが、今度は転んだ博士の上に馬乗りになって、再度殴りつけようとしていたセリアを、羽交い絞めにして取り押さえる。
「船医、自分の手も見ろ」
頭を抱えて縮こまった博士も、唇をきり鼻血を流しながら震えていたが、船医のこぶしも切れて血が流れていた。
セリアはダイバーに抱き抱えられ立ち上がった。
「船医こんな奴殴る価値もありませんよ」
「何を言っている、お前らにはあれの価値が・・が、おおおお」
いつの間にか立ち上がった博士だったが、今度はダイバーに容赦ないこぶしを振るわれ、鼻を押さえて、甲板の上をのたうち回っていた。
「殴る価値無いんじゃなかったのか」
「手が勝手にな」
ダイバーは、殴った右手を上げてほくそ笑む。
程無く船長は逃走を諦め船は停船する。
不審船の周りには人魚の旗を掲げた船が集まりだし、不審船は人魚の旗を掲げた船に囲まれる。
◆◇◆◇◆◇
サーヤは澄んだ海を深く潜ると、水面の光が映し出される白い砂を見ながら、ターチの待つ入り江に向かった。
海底の白い砂の中に、ポツリポツリと現れる、まるで島のような珊瑚を幾つか過ぎると、イルカ達が現れる。
その中には先程サーヤと一緒に罠に掛かったイルカも混じっていた、尾びれの根元にワイヤーの食い込んだ傷があるが、サーヤほど深くはなかったようだ。
島へ向かおうとするサーヤだが、イルカ達はサーヤを別の方向へ導こうとしている。
サーヤはイルカ達について泳いでゆくと、そこにはイルカに引かれたゴムボートがあった。
◆◇◆◇◆◇
ジョンとイリルの乗ったゴムボートはいきなり進路を変えた。
「父さん、進路変わったわ」
「これなら島に帰れそうだな」
ゴムボートを引くイルカ達は、なぜか突然気が変わったらしかった。
今度はどんどん島に向かって進路が変わって行く。
そして、ジョンとイリルが喜んでいると、イルカ達はロープを放してしまったのだろう、ゴムボートは止まり、今までピント張られていたロープが、だらりと海底に向かって垂れていた。
「えー」
イリルが慌てる、こんな処で見捨てられては、それこそ命に係わる、せめて、先程の船が見えている処で放してほしかった。
「参ったな、ここで放されてもな」
二人がゴムボートの上で呆然としていると、目の前の波間から、子供が顔を出している。
今度は唖然として、波間の人魚を見つめる二人に人魚は話しかける。
「イリル・・・さん」
「はい、イリ・・ 」
「ジョンレニーだ、ほら、この間チキンの骨をぶつけられた」
「父さん!・・人魚さん、私がイリルよ、こんなところで会えるなんて・・・」
唇を紫色にした人魚は、泣きそうな顔でイリルを見つめていた。
「救けに来てくれてありがとう、私のせいで船、ごめんなさい」
そう、サーヤを救けに来たノーチラス号はあの時沈みかけていた、そして今、ジョンとイリルはイルカ達にひかれて、救命ボートに乗っている。
ノーチラス号は沈んだのだろう。
「気にしないで、助けるのは当然よ、私達も貴方に会いたかったの」
「どうして」
「近くに来て顔を見せて」
「でも何故」
「だって素敵でしょ」
「男のロマンだ」
「父さん・・」
「私はサーヤ、島まで引っ張っていくはね」
そう言ってサーヤが潜ると、またロープはぴんと張りとボートは再び動き出す動き出す。
サーヤが引くボートはイルカ達が引くよりも、ずっと早く、揺れも格段に少なかった、まるで波のない水面を滑っている様にボートは引かれていく。
イルカ達に護衛されたボートは一路順調に島に向かっていたが、途中ボートは失速し、サーヤが引いていたロープは、またも海底に向かって垂れさがる。
水中で意識が薄れて行くサーヤの手からロープは離れ、サーヤは水面を映す白い海底にゆっくりと沈んで行く。
イルカ達は沈みゆくサーヤを背に乗せると、静かに浮上する。
薄れゆく意識の中、サーヤは浮上するかイルカの背びれに引っ掛かり、イルカと一緒に浮上する。
ジョンとイリルが、いったい何があったのかと、水面に目を凝らしていると、サーヤがイルカ達に押し上げられて浮かんでくる。
腰から下に付いた、神秘的なマリンブルーの尾びれが力なく水に流され、今にもイルカの背中から落ちそうになりながら、何とかゴムボートのわきまでたどり着く。
ジョンは急いでサーヤをゴムボートに引き上げる、脇を抱えて青い尾びれをゴムボートに引き上げると、いつ野間に変わったのかゴムボートに上がってきたのは尾びれではなく、二本の小さな脚だった。
それを見てジョンが目を丸くしていると、隣でイリルも驚いていた。
「変わるところ見た?」
「見逃した」
「あとでゆっくり、見せてもらおう」
ジョンがサーヤをゴムボートの真ん中に寝かすと、ゴムボートはまた動き出す。
ゴムボートに乗って安心したサーヤは既に眠っていた。
「父さんこれって、きっとマジクライブラリーよね、マジクライブラリーの入館者って初めて見たわ」
「父さんも初めてだ」
二人は両側からサーヤをのぞき込む、紫色の唇に、目の下には薄っすクマが出来ている。
体は氷のように冷たく、両足首の治療したばかりの傷口からは血が滲んでいた。
「大丈夫かしら」
「拙い様な気がするな・・・」
「そうよね、躰冷たすぎるもの」
そう言うと、イリルは上着を脱いで、サーヤを抱きかかれる。
「父さん、保温シート掛けて」
「おう」
ジョンはレスキューバックから銀色のシートを引っ張り出し、二人をくるんでいく。
◆◇◆◇◆◇
ゴムボートはイルカ達に引かれ、港からは少し離れた、よくことも達の遊んでいる入り江の陰に着こうとしていた。
この時期、誰も居ない筈のその入り江の陰には、少年が一人ゴムボートをじっと見据えて待ち構えていた。
ゴムボートが波打ち際入り、イルカ達が離れていくと、少年は濡れるのもかまわず、バシャバシャと水に入り、ゴムボートに近づいてくる。
そこは、いつもサーヤが海から帰ってくる場所だった。




