3 入り江のマーメイド
彼の名はジョン・レニーといった、背が高く、少したれ目の丸鼻、そして最近腹のあたりに付き始まった贅肉と、少し薄くなり始めた髪を気にするい気のいい中年男だった。
そのジョンは漁から帰ると、船着き場の隣のいつもの店で、いつもの友人達と、ワイン片手にその日の幸せを神に感謝しながら、世間話に花を咲かせていた、やれ、だれそれの家の屋根が壊れた、とか、あそこの家の息子が、もうすぐ結婚するとか、どこの漁場が今一番魚影が濃いとか。
そんな彼の、世間話の中に、今日は、すこし面白い話が混じっていた、ダイバーが人魚の子供に襲われた、と言うのだ、密漁ダイバーが小さな子供の人魚に懲らしめられて、慌てふためき逃げ帰ってきた、と言うのだ、怪我人が出たわけでもなし、懲らしめられているのは、密漁者だ、彼はなんともメルヘンチックで痛快な話だと思いながら、お気に入りの、店のウインナーを片手に、ワインを空けていった。
彼の友人たちの話だと、もう数組の密漁ダイバーが、そのかわいい人魚の子に懲らしめられているらしい。
なんでも水中をとてつもない速さで泳ぎ、ダイバー達を威嚇する、とても危険で、攻撃されればひとたまりも無い、とか言っている。
しかしジョンは思った、ひとたまりも無いとか言っちゃいるが、誰一人としてかすり傷ひとつ負っちゃいない、どんな人魚なのか、本当にいるなら何とか会ってみたいものだと。
友人たちも危険だとか言いながら、ニコニコしながら話している。
本当に危険だなんて思っていないし、できたら会ってみたいと思っているに違いなかった。
その日も、ジョン達は、いろいろな世間話で盛り上がったが、人魚の子は本当にいるのか、いないのか、それがその日一番の話題だった。
それからもジョン達の間では、人魚の子の話題は尽きなかった、酒場に集まると、必ずいつも人魚の子の話が話題に出るようになっていた、密漁ダイバーがまたやられた、なんて話が出てくると、盛り上がりは最高潮だった、攻撃されたなんて話があっても、やはりかすり傷ひとつ負った話は無い、「マーメイドガールは最高だ。」などと二つ名までついて、ジョン達の間ではすっかり、島の海を守るヒロインになっていた。
マーメイドガールは危険だ、とか未知の海洋生物だ、とか、説はいろいろ出ていたが、ジョンたちは一向に気にしなかった。
ジョン達はいると信じて、このヒロインとなんとか会う方法を考え出そうとしていた。
この頃になると、なぜかマーメイドガールの名前が定着し、目撃談も格段に増えてきた、密漁ダイバー達だけでなく、泳いでいる影やら、遠くで跳ねていた、とか、一般の人にも目撃者が出てきたのだった。
この町でマーメイドガールの名を知らない者は居なくなった。
◇◆◇◆◇◆
ターチは、困り果てていた、町中マーメイドガールの話題でもちきりになっていると言うのに、サーヤが「あと少し、あと少し」と言って、ゴミ拾いをやめようとしないのだ。今では協力者も増えて、サーヤ達のゴミ拾いも島の話題になっていると言うのに、いっそ風呂につけてサーヤの魔法を消してしまおうか、とさえ思っていた、ただサーヤを見ていると、とてもそんなことは出来なかった。
今、マーメイドガールと一緒に、島の話題になっている、サーヤ達の、ゴミ拾い運動のおかげで、島は海も、陸も本当に綺麗になってきていた。
しかしサーヤはどんどん不機嫌になっていた、サーヤはゴミ拾いをやめたかったのだ、島のゴミすべてを拾ってしまえばもうゴミは無くなる、と思っていたのだ、しかし、どんなにゴミを拾っても、ゴミは無くならない、ゴミを捨てる人がいなくならないからだ、密漁者も同じだった、どんなに密漁者を撃退しても、密漁者は後を断たない。
サーヤはそれに気づいて不機嫌になっていたのだ。
最近ではサーヤのゴミ拾いも、島の波打ち際まで来ていた、やっと体を隠せるくらいのところまでゴミを探して泳ぎ回っていた。船着場だろうと、酒場の前だろうと、水中である限り絶対に見つからないといわんばかりだった。
マーメイドガールの目撃談は増える一方だった。
◇◆◇◆◇◆
ジョンはどうしてもマーメイドガールに会いたくて、減り始めた髪がすべて無くなるのではないかと言うほど頭をひねっていた。
マーメイドガールは子供なのだろうか、とすれば親もいるのだろうか、とか、目撃談はすべて昼間だ、とすれば、夜行性ではないから、昼間のほうが会える確立は高いとか、会えても言葉は通じるのだろうか、とか、最後には漁船の網にでもかかってくれれば会えるのだが、などと、そんなことを考えながら、船の手入れをしているのだから、作業が進むわけもなく、気がつけば昼にも帰らぬジョンを心配し、娘のイリルが弁当を届けに来る始末だった。
「父さん、船壊れちゃったの、昼にも帰ってこないなんて」
「いや船は大丈夫だ」
「母さんがとどけて来いって」
ずっしりと重い弁当を受け取ると、ジョンは入り江の船着場に座り込み、弁当を食べながら娘に聞いてみた。
「マーメイドガールっていると思うか」
「人魚かどうかは、解らないけど、何かいるんじゃないかと思うわ」
もうすぐ成人する自慢の娘の、聡明な答えだった。
「夢が無いなー 何か、なんて言うんじゃ無くて人魚だ!とは思はないか」
イリルはジョンに いたずらっぽく微笑むと、当然のように言った。
「そうね、じゃマジックライブラリーの魔法かな」
ジョンはお弁当のチキンを美味しそうにほお張りながら言った
「俺も一度は行ってみたい」
そう言うとジョンは、骨だけになったチキンを海に放って、また娘に話しかけようとした。
それが起こったのはその時だった。
「許さないから!!」
水しぶきと共に、チキンの骨は投げ返された。
ほんの一瞬の出来事だった、骨はジョンに命中、マーメイドガールは尾ヒレで水面をたたくと一瞬で水中に消えていた。
起こったことは明確だが、二人とも、信じるのに時間が必要だった。
「ほら人魚だ」
「人魚ね、子供の。父さんのチキン戻ってきたわよ」
チキンの骨は、ジョンに命中した後ジョンの左手の弁当の上に戻っていた。
「人魚って喋るのね」
「本当だ・・・?」
「許さないって。」
「何を、だ?」
「父さんを、じゃない」
「チキンの骨、ぶつかったのか?」
◇◆◇◆◇◆
サーヤは怒り心頭だった、ゴミを拾うそばから、目の前にチキンの骨が降ってきたのだから。
サーヤは思わずチキンの骨を投げ返していたが、絶対人に見られてはいけないと、ターチにきつく言われていたのを思い出し、急いでターチのボートに戻っていった。
ターチはその夜、サーヤにゴミ拾いをやめさせる方法を考えていた、サーヤはゴミ拾いを止めない、ゴミが無くならない限り続けるだろう。
ではゴミを無くすには、ゴミを捨てなければいいのだが、・・・・ゴミを捨てない運動にすればいいのか!
ターチの思いつきは、的を得ていた、ゴミを拾ったら捨てない、一緒にゴミ拾い運動に参加してくれた人たちは、すぐにゴミを捨てない運動にも参加してくれた。
サーヤも、ゴミを捨てない運動に積極的に参加し、島の人々にゴミを捨てないよう呼びかけていた、その頃、マーメイドガールの目撃談は、激減していた、それは、サーヤが海に入らず、ゴミを捨てない運動に力をいれていた為だ、ターチのもくろみ通りだった。
それからその運動が、島のモラルとなり、島中に広がるのにはさほど時間はかからなかった。
島は海も、陸も、みるみる綺麗になり、観光に来る者も増えおおいに潤った。
しかし観光に来る者が増えれば増えるほど、密漁者も増え、サーヤは季節のめぐった冷たい海に戻って行った。
その頃になると、マーメイドガールはイルカの群れを率いていた、そのの群れを率いて海面を飛び回る姿は、誇り高く幻想的で、目撃者の心を鷲掴みにしてはなさなかった。
そんな姿を見た島の人たちからは海の守人と、と呼ばれるようになり、この島の確固たる存在となっていた。
いるのは皆、信じてもいるが中々出会えない、目撃できればうらやましがられ、その人に幸運が訪れる、とさえ云われる様になっていた。
人々はイルカの群れを見ると、その先頭にマーメイドガールを探すのだ。
サーヤは、だんだんと海にいる時間が長くなり、家に帰ってくるのは、いつも薄暗くなってからだった。
南国とは言っても、流石に冬は肌寒く、海に入るものはいない季節だというのに、それでもサーヤは海に入るのをやめなかった。
ターチは、いつの日か、サーヤが海から戻らなくなってしまうのではないか、と心配していた、それというのも、帰りが遅いばかりではなく、陸にいる時はいつも上の空、海でイルカ達と泳いでいる時のような姿は見られなくなり、話題は海の話ばかりになってきたからだ。
そして、ターチをもっと心配させたのは、マーメイドガールを捕獲しようとする者達が現れ始めた事と、サーヤがそれに何度も出くわしている事だった。
サーヤは、絶対に捕まることなど無い、と言う口ぶりで話をするが、ターチは、いつか必ず捕まる、としか思えなった、いくら海で最速のサーヤでも、相手は大人の集団なのだ、子供のサーヤには思いもよらない方法を、いつか考えて来る事だろう。