勘違いの元凶
「……あれ、私……」
目を覚ますと、真っ白な天井が視界を埋めていた。
「ようやくお目覚めか」
「霧生先生……」
声の方に視線を移すと、クリスティーナが横たわるベッドのそばで煙草をふかしている晴夏の姿があった。
「私……負けたん、ですよね」
信じられない、というよりは負けを認めた上での再確認のような物言い。
格下に負けたというのに取り乱すことをせず、しっかりと負けを認めることが出来る。
クリスティーナという人物の王所としての器量の大きさを垣間見た。
「ああ。お前の負けだよ」
「そうですか……」
さっきまで穏やかな顔で寝ていたのが嘘のように険しい顔立ちになる。
真面目な性格ゆえ、負けたことを反省し、どうして負けたのかを分析した上で次に活かそうとしているのだろう。
きっと自分も巻き込まれるはず。面倒事を避けるためにその場を離れようとしたとき、クリスティーナの口が開かれた。
「霧生先生。彼は……何者なんですか?」
「は?何者?」
返答に困る質問が投げかけられる。
何者と言われても、すでに留年スレスレのバカで不良生徒ということは言ってある。だからそれ以上言うことはない。
「彼の剣を飛ばしたと思ったら、その直後に彼の手元に剣が戻っていた。それだけではありません。私に一切触れていないののも関わらず私のスパッツを奪っていた」
「ああ、それはアイツの――――」
「さらに彼は私の攻撃をことごとく躱しました。あれはとても通常の人間の身体能力だけでは出来ない動き。極めつけには、風よ吹けというだけで風を起こしてしまった。彼はもしかして、二つ以上の能力を持つ多重能力者なのでしょうか?」
クソ真面目に分析した結果、何やらとんでもない結論を導き出していた。
来人の能力は《道具使い》のみだし、あれだけ躱していたのもちょっと運動神経がいいからというだけで、風に関しては正真正銘たまたまである。
クリスティーナが考えているような大物でも何でもなく、ただの生意気な小物なのだ。
だが、それを正直に言うなんてつまらない。きっとこの流れに乗った方が面白くなるはずだ。
「ふ―――やはりお前の目はごまかせんか」
「!! やはり彼は――」
「お前のいう多重能力者ではないが、少なくともただのF組の生徒ではないぞ」
などと観念したように笑みをこぼしながら平然と嘘をついた。
無論来人はただのF組の生徒である。
「なら、彼の能力は一体どのような能力なのですか?」
「《主人公補正》……私は奴の能力をそう呼んでいる」
「《主人公補正》……!?」
聞いたこともないその能力名に、クリスティーナはごくりと生唾を吞む。
もちろんそれは晴夏が勝手に作った架空の能力であり、我ながらなかなかのネーミングセンスだと心の中で自画自賛しながら、調子に乗って捲し立てていく。
「それはあらゆる”確率”を揺るがす力。他の誰も持っていない、世界でただ一人”新城来人”のみが持つ能力だ」
「な……!!」
どんどん嘘の規模が大きくなっていくが、晴夏は止まることなくさらに語っていく。
「お前の《雷人剣》による斬撃を躱せたのも、あんなに都合よく風が吹いたのも、すべては《主人公補正》によって操作された確率によって起こるべくして起きた。要するに、神が奇跡を起こしたのではなく、新城来人という人間が自身の手で奇跡を起こしたということだ」
「そ、そんな出鱈目な能力が存在するなんて……信じられない……」
そりゃ嘘だから信じられないのも当然だ。
けれどクリスティーナは晴夏の言ったことを鵜呑みにしていく。クリスティーナは真面目な性格から学業こそ非常に優秀だが、あまりにも真面目すぎることが災いして騙されやすい一面を持っていた。晴夏はそれをまんまと利用したのだ。
「だろうな。だから誰もそんな能力は信じず、あいつは誰からも評価されなかった」
「評価されなかった……?」
「本来ならあいつは《天上の者》になってもおかしくはないほどの実力を有しているのだがな。しかし学校側は頑なにあいつに序列すら与えようとしない」
「どうして!?そんな強力な能力を持っているというのに!」
「簡単な話だ。まず第一に、《主人公補正》が能力として認知されていないこと。もう一つが仮に《主人公補正》という能力があったとしても確率を100パーセントにはできない。運が絡む能力は基本的には評価されないのだ」
「そんな……」
学校側の評価基準によって評価されない来人を憂いてか、クリスティーナは眉を垂れ弱弱しい表情になっていた。
……とはいってもさっき語った学校側の評価基準でさえも晴夏が思いついた架空の設定である。もともと大した能力を持っていないから序列を与えられないのは当然のことであり、決して評価されていないからというわけではなく、むしろ妥当な評価なのである。
純真な少女を騙すのは少々心が痛むが、馬鹿な不良生徒がこれからどうなるのかが楽しみなのでもうすべて嘘で貫き通す。
「誰にも評価されず、”F組の落ちこぼれの一人”という烙印を押されたあいつは次第に荒んでいった。そうしてあいつは”不良生徒”と言われるほど堕ちてしまったというわけだ」
「……!!」
シリアスなムードを醸し出しながら神妙な面持ちで言う。
言うまでもなくそんなシリアスな背景など存在せず、金髪に染めたのもピアスをしているのも制服を着崩しているのもそれがかっこいいと思っているからだ。もともと不良になるべくしてなった正真正銘のダメ男というだけなのだ。
「彼に、そんな過去が……」
そんな面白おかしくノリノリで嘘をつく晴夏に乗せられ、クリスティーナはそれが事実であると完全に勘違いし、来人の壮絶な経歴(嘘)に言葉を失っていた。
(すごいな……こんなに口が勝手に動くなんて。実は私は作り話をする天才なのかもしれない)
衝撃の事実(嘘)を真摯に受け止め、これから自分がどうするかを深く考えているクリスティーナを横目に晴夏は自分のあまりにもくだらない才能を称賛していた。
「……先生!私、決めました!」
顔を上げ、覚悟を決めたようにまっすぐと晴夏を見据える。
「彼には才能があることはよく分かりました。だからこそ、その才能をここで枯らせるわけにはいきません!」
「ほう。それで、どうするつもりだ?」
「私が彼を更生させます!そして必ず、彼の才能をみんなに認めさせる!」
そう言った直後、勢いよくベッドから飛び上がり、瞬く間に保健室から出ていった。
「やれやれ。一度決めたら即行動に移すその真面目さには呆れを通り越して尊敬すらするよ」
いつもは保健室を出る時に挨拶をするクリスティーナが、挨拶すら忘れて飛び出していったことに思わず笑みがこぼれる。
(新城の明日はどっちだ!ふふふ。面白くなってきた……!)
あの不良生徒がいつか眼鏡をかけて敬語を使うかもしれないと考えるだけで変な笑いが込み上げてくる。
どう転ぶかはまだ分からないが、面白い方向に行くことは確かだ。
久しぶりに明日からの日々が楽しみでしょうがない。
これから始まる勘違いの連鎖の元凶は、誰もいなくなった保健室でただ一人、不気味に笑っていた。