第二話 母スペランツァ・ナーハフォルガー
「お目覚めになられたようです」
メイド長が応接室に知らせに来たのは、リベルタ達がここに到着して三時間ほど経ったころだった。
フラッシュに勧められるままお腹一杯になるまで甘味を食べていたリベルタは、流石に食べきれないと訴え、マジックバッグに次々とお土産と称したケーキ類の箱を突っ込まれているところだった。
断り切れずにどうしようと思っていたリベルタにとっては渡りに船。
「それは、お待たせしてはいけませんね、皆様」
リベルタが颯爽と立ち上がると、底なし沼のように菓子の入った箱を次々と飲み込む小さなバッグに興味津々だったフラッシュもメイド達も、我に返って手を止めた。
「そ、そうだな。確かに。さ、皆の者準備を」
急に取り繕っても、先ほどまで玩具を初めて買ってもらった子供のように燥いでしまったことは取り消せない。
フラッシュ御年六十一歳。
顔を真っ赤にしたままで妻の待つ部屋まで小走りで向かう。
――初老男子の羞恥心とか、なんのご褒美なんですか!
叫びたい気持ちを抑えて後に続こうとすると、後ろから誰かに引っ張られた。
振り返ると、そこには不貞腐れた顔のシャイネンがいる。
――え、何、拗ねてんのこれ? 鼻血出していいですか?
誰に聞いているのか分からないが、リベルタの心の中は大運動会状態。
あっちもこっちも見逃せない名場面ばかりで、心のシャッターボタンが連射されまくる。
「リベルタさん」
「はい」
「一緒に行きましょう」
「是非とも」
食い気味にシャイネンの横に立つと、シャイネンがリベルタの目の前に手を出した。
そこに自分の手を乗せると、貴族らしいエスコートが出来上がる。
本当なら、ガシッと手をつなぐか、ムギュッっと腕を組みたいところだが、ここは未来の夫の実家。
しかも婿にもらう身としては、なるべく心証を良くしておきたい。
二人並んで目的の部屋まで行くと、室内の暗さにリベルタは眉間にしわを寄せた。
いくら病人の部屋と雖も、暗すぎる。
これでは、自分で自分を病気にしてしまうではないか。
「何故明かりをつけないのですか?」
シャイネンに聞くと、
「眩しいと母上が言うので」
と答えが返ってきた。
「お帰り、シャイネン。そして、いらっしゃいリベルタさん」
ベッドの上でほほ笑むスペランツァは、やや痩せており顔色も悪い。
しかも、その目が少し濁って見えた。
――あ、これって、白内障?
前世では、よく手術をして治したという話を聞いていた。
混濁した水晶体を眼内レンズに置き換えることで、見えるようになる場合が多い。
しかし、この世界にそのような手術は存在せず、対処法は存在しないといっても過言ではない。
更に話を聞くと、立ち上がろうとすると目が回り横になっていても辛いという。
眠る時間が不規則になり、寝ているような、起きているような朦朧とした状態がかなり続いている。
――私も同じ体験をしたことがあるわ。
リベルタは、前世を思い出した。
それは、メニエール病。
主な原因は内耳のリンパが増え、水膨れの状態になっていることだと言われているが、ストレス、不眠、ビタミン不足等色々な状況も複雑に絡んでいる。
いつ治るのか?
もしかしたら、永遠に治らないのでは?
そんな恐怖が更にストレスとなっていく。
特にスペランツァは、今年で五十四歳。
更年期障害の時期とも被る。
前世では、母や叔母といった女性陣が、長引くほどに怠け病のように言われ辛い思いをしていた。
リベルタは、シャイネンに連れられてスペランツァの前へやってきた。
そしてベッドサイドに用意されていた椅子に座る。
「ごめんなさいね、こんな格好で」
「いえ。こちらこそ、大変な時期に押しかけてしまい申し訳ございません」
喋るのも辛いだろうに、スペランツァは懸命に微笑みを見せる。
リベルタは、それだけで泣きそうになった。
「よく顔を見せて」
薄暗い部屋で、磨りガラス越しのような視界に映るリベルタは、ぼんやりとした人影のようにしか見えない。
こんなに突然見えなくなると思っていなかったスペランツァは、涙をにじませ更に視界を悪くさせる。
左右で病の進行が違っていたため、左が見えなくても右目が補完していたのだ。
その右目の水晶体が濁ってしまったことで、いきなり全ての形が不鮮明となってしまった。
スペランツァが伸ばす手が、微かに震えている。
このまま暗闇に落とされたらと、不安になっているのだろう。
「ここにいます」
リベルタは、スペランツァの両手を取ると、自分の頬へと導いた。
「まぁ、なんてスベスベなのかしら。若いって素晴らしいわね」
目を凝らしても赤茶の髪の毛と色白な肌しか認識できないが、肌の触れ合いから伝わる心の温かさは、決して嘘をつかない。
「シャイネン。良い人と出会ったのね」
ポロリとスペランツァの瞳から涙が零れた。
それは、嬉し涙。
一人で生きていくことを宿命のように思っていた末息子が、本当に愛せる人を見せに来てくれた。
心残りは、その女性の顔を見ることが叶わないことだけ。
「リベルタさん、どうかシャイネンをよろしくお願いしますね」
まるで最後のお別れのような言葉に、リベルタは唇を噛む。
シャイネンの育ての母は、リベルタにとっても母も同然。
そんな彼女をこのままにしてはおけない。
「シャイネン先生……少しよろしいでしょうか?」
リベルタは、耳を寄せてくるシャイネンに小さな声で囁いた。
「お人払いを」
状況を察したシャイネンは、両親以外の人間を外へ出す。
何事かと驚いていたフラッシュとスペランツァだが、シャイネンの穏やかな表情を見て何も聞かないでくれた。
「今から起きることは、どうか秘密にしていただきたいのです」
リベルタの言葉に、他の三人は深く頷いた。
「では……お、お義母さま失礼いたします」
何と呼べばよいかわからず、ついお義母様と呼んでしまったが、スペランツァは驚きながらも嬉しそうに笑ってくれた。
そして体の力を抜き、リベルタの好きにさせてくれる。
リベルタは、そっと彼女に近づくと、両手で両耳を塞いだ。
「ヒール」
治療魔法は、その根本原因を理解していなければ治るものも治らない。
メニエール病という病名すら分からない世界において、内耳の正確な位置や、そこから水を抜く感覚は想像できないだろう。
しかし、前世で苦しんだ経験のあるリベルタは、辛さのあまり何度も自分で調べた。
――内耳は、平衝機能にかかわる三半規管、音を感じる蝸牛等の総称だったはず。
外耳を通り抜け、鼓膜を超え、その奥の部分へと意識を持っていく。
そして、膨らみすぎた水風船から徐々に水分を抜くイメージで癒しの力を掛けた。
すると、それまで吐き気を感じていたスペランツァが、胸のつかえが取れたのを感じた。
更にボワンと何か厚い壁でも通して聞こえていた言葉が、鮮明に聞こえ始める。
「いかがですか?」
リベルタの問いに、頭を動かすのが辛かったはずのスペランツァが、大きく頷いた。
今までなら、この一振りでも目が回り立っていられなくなったはずなのに、今は立ち上がりたい衝動に駆られている。
そんな興奮気味のスペランツァに対し、リベルタは、今度はそっと指先で彼女の瞳を押さえる。
「ヒール」
新たなレンズを入れることはできないが、濁りを取ることはできるはず。
吸い込んだ汚れを小さく固めて取り出すイメージは功を奏し、スペランツァの再び開かれた瞳は、彼女の元々の鮮やかな青色を取り戻していた。
「旦那様……あぁ、貴方の顔が見えるわ」
心配して横から覗き込んでいた夫の顔を見て、久しぶりに視界を取り戻した妻の涙腺は崩壊する。
「あぁ、スペランツァ。そんなに泣いては、君の美しい瞳が溶けてしまうよ」
フラッシュはスペランツァを抱きしめると、大きな手で背中を撫でてあげていた。
その姿が、何度も自分を助けてくれたシャイネンと重なり、リベルタの瞳にも自然と涙が湧いてくる。
「よかった……」
安堵の溜息をつくリベルタの肩に、シャイネンの逞しい腕が回った。
「ありがとうリベルタさん。一体私は、君に何度救われるんでしょうね」
こうして、ずっと一人で生きていく覚悟は出来ていると思っていた男は、たった一人の少女を唯一無二の存在とし、永遠に愛を誓い続けることになるのだった。




