妖刀迅譚
「暉士詰所は…っと…」
泰松舘『詰所』。いつもとは異なる方向へ脚を進める。
(ここか)
「ふうっ・・・」
たどり着いた扉の前に立ち、ノックする。
「暉士殿、お疲れ様です。戸津﨑です」
「どうぞー」
戸の向こうから柔和な声が聞こえてきたのを確認し、戸を開ける。
室内には髪を後ろに束ねた二十代後半くらいの男性と、その隣には、長く艶のある黒髪を垂らした十代半ばごろの若い女性がいた。
さらさらと滑らせていた筆を置き、こちらに顔を向けた男こそ梁士の一角、暉士の当代、片寄炤絋である。
「失礼します」
「お疲れ様、ここに来るなんて珍しいね、何かあった?」
「はい。こちら、西街の紙屋から預かってきた美濃判です」
暉士の問いかけに懐から風呂敷を取り出しながら答える。
「おお、悪いね。ありがとう、ここの紙は墨乗りがいいから本部に送るのに重宝するんだよ」
熾士から与えられた一月という長いようであっという間であろう時間。
それを惣一郎は、己に足りないものと向き合い、自分だけの『戦う動機』を見つけるための時間として費やすことを決めた。
そのために、今一度、世間に触れ、より多くの人々の想いや生活を知ることで、自らの知見と視野を広げ、新たな指針にすべく永鶴山の人々の仕事の『お手伝い』という形で関わっている。
さらに、他の梁士のもとに出向き、出稽古を行うことで剣技の研鑽を重ねている。隣に立つ同士に突き放されないように、より早く誰かの役に立てるようになれるように。
「また何かあったらよろしくお願いします。では、失礼いたします」
今日は暉士に出稽古の依頼を行ってはいない。用は済んだとばかりに、一礼し、去ろうとする惣一郎を暉士が呼び止める。
「まあまあ、折角来たんだから、せめてものお礼にお茶でも飲んでいきなよ」
傍らに用紙を置いた片寄は惣一郎に向き直って微笑みを零した。
暉士の提案に嫌とも言えず、いきなり開かれた茶席に気後れしながらもその場に坐し続ける。
視線を前に向ければいかにも優男という風貌をした男と目が合う。
この柔和な雰囲気からは、彼が数々の死線を潜り抜け、刀士の中でも最高位に位置する暉士であるという事実をまるで感じさせない。
静寂には茶筅が巡り、抹茶と湯が混ざり合う音が鳴り続ける。
「どうぞ」
背中が張るような、妙な緊張感をはらんだ静寂が解かれたのは体感よりも短かったようだ。
「ありがとうございます…」
眼の前の光景に思わず心が後ずさりする。
差し出されたのは、しっかりとした造りをした茶碗に入った抹茶と茶菓子。しかし、中身は茶畑をさらに深めたような色味をした、誰が見ても分かるような極上茶。
これまで飲んできたものよりも更に数段質が良いであろうこと、そもそも、手紙の用紙を届けに来た人間に出すような代物ではないことは惣一郎にも分かる。
間違っても壊してしまうことがないように、恐る恐る茶碗を持ち上げ、中の深緑色の水面を眺める。
深森を歩いていた時にふと、空を仰いだ時に見える景色にも似た色味の液体からは、絶えず芳醇な薫りの湯気が揺らめいている。
茶碗に口を近づけ、一口。
口内に流れ込んだ抹茶は、深くも豊かな苦味を広げ、喉を通りぬける。後味としてしっかりとした青草の薫りが鼻腔を抜け、心を落ち着かせていく。
(・・・・・・!!!!!)
これまで飲んできた物とは一味も二味も違う深みのある飲み物に身を震わせながら、続いて茶菓子にも改めて目を向ける。
朱の盆に鎮座するは、時を経て味が出た高級黒染めを彷彿とさせるような色をした二切れの羊羹。
(これが羊羹・・・)
村でも有力な家の出のふみならいざ知らず。そこまで裕福な家でなかったうえに、数年間にわたって食うに事欠くような極貧生活を送っていた惣一郎には、『ヨウカン』など目にし、口にできる機会など存在しえなかった。
ただ頭には、『小豆と砂糖を煮て、寒天で固めた恐ろしく甘いお菓子』というどこからか聞いたかすらも覚えていないような噂があるのみ。
味の予想を昔の記憶から取り出し、初めて遭遇する甘菓子を暉士に気取られないように心を躍らせつつ、半分程に切り、口に運ぶ。
舌に乗せ一噛み、嚥下する。
咀嚼するごとによく熟れた果実の蜜よりもさらに濃厚、それでいて気品のある甘さが舌を包み込み、多幸感が一気に溢れ出す。
(・・・うめぇ!)
永鶴山に来てからは、月ニ回ほど家族で甘味を楽しむことが出来るくらいの余裕を作ることが出来た。それ故に昔より舌も多少は肥えてきたと思っていたが、舌に乗る甘味が齎したそれは、その驕りをことごとく吹き飛ばすかのように脳髄を駆け抜けていった。
未知の衝撃に目を見開き、途轍もない美味に当てられて、すぐさま二口、三口といきたいところをぐっと堪える。この甘美をすぐに喪うのはあまりにも惜しい、失礼に当たらない程度に小さく切り分けて大事そうに口に運ぶ。
「美味いか?」
あまりにも大事そうに口へ運び、呻るように堪能する燧士に暉士は微笑む。
「はい!こんなに甘いものはじめて食べました…!」
「それは、よかった。ゆっくり味わうといいよ」
その言葉を合図に、眼の前に意識を移す。自分の全てをぶつけるように、一点集中で茶席に向き合うのだった。
永遠を望む程の夢のような茶席は長く留まってくれはしなかった。
舌鼓を打ちつつ、欠片一つ、粉一粒残さぬように完食した惣一郎は名残惜しさと、得も言われぬ満足感を半々に混ぜ込んで一息つき、深々と頭を下げる。
「ごちそうさまでした、こんなに美味しいお茶と甘味ははじめてでした。」
「いや、俺は特に何も、賢木の家からの贈り物だから。お礼を言うならそちらに」
暉士は脇に座っている人物を示す。惣一郎は満足感のまま、その方向に向かって畳に額を減り込ませるように座礼する。
「本当にありがとうございました…」
「いえいえ…楽しんでいただいたようで何よりです」
これまた深々と頭を下げた惣一郎の倣って座礼をした少女は『第一暁士』賢木澄子。
年若い身において、先に入った先輩暁士たちを追い抜き、つい先日、次代の暉士という大任を任されたという俊才。
そのうえ、公家の家系の出身で、剣術に教養も不足無しという、様々な面で惣一郎とは真逆の人物である。ちなみに、つい先程の点茶も賢木によるものである。
「ホントに美味そうに食べてるから、声も掛けられなかったよ。折を見てまた何か頼むよ」
「それでだ、惣一郎」
一息つき、暁士に茶碗を渡した暉士は問いかける。
「?」
「最近修練の方はどうだ」
「…かなり厳しいです。」
「尚久さんから行き詰まっているとは聞いているよ、それで出稽古を積んでいることも知っている。そこでだ、自分が今どの辺りにいるか確かめてみるのはどうだろう」
「賢木」
片寄が背後に座る少女に声をかける。
「はい、師匠」
「惣一郎、ついでにうちの賢木と手合わせして行かないか?」
「よろしいのですか?、出稽古の許可は取っておりませんが・・・?」
暉士からの提案に少しばかり尻込みする。他の流派の剣技を直に感じることができる出稽古は、惣一郎にとって己の実力を測る試金石であり、新しい境地を見出すための至高の金床である。
俊才との手合わせ。正直言ってありがたい提案だが、恐らくは務めの合間を縫ってくれてのものであろう。剣技の上達が急務とされる身だとしても、願望よりも遠慮の気持ちが前に出る。
「それくらい構わないよ、胸を借りる気持ちで挑んできなさい。いいだろう賢木?」
「勿論です」
「そうと決まれば、前庭に出るぞ」
指示を合図として茶会はお開きとなった。
「うちの刀士とやるのは初めてだったか?」
茶道具を手早く片付け、支度に取り掛かる少女に目を向ける。
「はい、暉士殿の剣を以前見たのみです」
「一応言っておくが、君よりも三つくらい若いが、賢木は類稀なる才覚を持った刀士だ」
「ここに来てから二年くらいだが第一暁士に駆け上がって、何体も妖を討滅している実績があるからくれぐれも油断するなよ」
「はい・・・」
激務の間を縫ってくれての立合。出来ることならば賢木の作業を手伝って、すぐにでも前庭に移った方がいいだろう。
しかし、彼女が扱っていたのはどんな阿呆が見ても分かるような高級茶器。余計な手出しをして、もし仮に、壊したとなったら堪ったものではないので片付けの手際の良さ感服しながら、二人して大人しく座して待つ。
「いつ見ても思うんだが、出際良すぎないか…?」
「流石ですね…」
暁士の片付けを見届け、3人揃って向かうは『泰松舘詰所・前庭』。
「二人とも遠慮しないように」
暉士が念押しする中、第一暁士と第四燧士は互いに距離を取り、向かい合う。
ほぼ初対面であり、その剣の腕も知ることはあくまでも今まで伝え聞いたものだ。しかし、今しがた教えられた賢木の実力の概要。そして、いつか見た、熾士と暉士の模擬戦の凄まじさを思い出し、今一度警戒感を高める。
両者同時に抜刀し、構える。改めて暁士の手に握られている得物の異質さに息を呑んだ。
(これが… 耀穿流の霊器…)
過去に数度、片寄が振るっている姿は見ていた。しかし、実際に我が身に向けられていると圧迫感が凄まじい。
今にもこちらに向かって飛んできそうな霊器は菱形をした刀身の両端に刃を設えた両刃の剣。驚くべきはその細さ。鎧通しよりも更に二、三回りも細い。
まるで錐のような風体ではあるが、格好や使用用途含めて、南蛮からの渡来品の刀剣と酷似していると模擬戦を共に見ていた磐碕が語っていた。
刀剣の類とは思えないような細さをしたそれは、暉士、暁士が用いる独自の歩法で敵を撹乱し、光が差すように繰り出す、神速の刺突を中心に繰り出す剣技、『耀穿流』には最適なのだという。
戦闘態勢に入った両者を見止め、暉士が片手を上げる。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
「始め!!」
腕を振り下ろし、合図をするのと同時に一直線に走り出す。
始まりの七流の中でも最速を誇る剣技がこの身に届く前にどんな一撃でも構わない。一気に距離を詰めて先手を取るべく、得物を振り上げ、『雷火』の体勢に入る。
さすがの第一暁士とはいえ、最初は様子見で来るだろう、しかし、惣一郎にはその選択を取る余地はない。
もし、一度でも守りに入ったが最後。どう足掻こうが刺突の餌食になるのは目に見えている。だからこそ、様子見の一発を『雷火』で潰し、こちらの調子に引き摺り込むべし。
そう考え、再び相手に集中しようとした惣一郎の先の視界にあったのは、今にも間合いに入ろうかというほどにまで接近した暁士の姿であった。
(…⁈)
「ハアッ!!」
技を中断して慌てて防御態勢に入り、突き出される霊器への対応を試みる。
「くっ…!」
(思ってたよりもずっと捷い!)
一発、五発、九発…。一度守りに回った惣一郎に待ち受けるのは息つく暇すら許されないほどの連打。
繰り出される一突き一突きを得物で逸らすが、打突の勢いは収まることはなく、圧され続ける。
どうにかしてこの劣勢を打開しようとするが、案の定というべきか、打突をどうにか受け切るので精一杯。なんとか放つことができた斬撃すらも軽く躱され、虚しく空を焦がす始末。
(どっからそんな重さが来てるんだよ…!)
さらに驚くべきことに一発受けるごとに腕に伝わる重さは、矩秀が体重を載せた一太刀を繰り出した時のものに匹敵する。
刀を握りしめる掌が段々と痛み始めるのを感じる。
眼の前の惣一郎の限界を感じ取ったか、暁士の目付きが変わった。
(まだ上げてくるか…!!)
さらに一段階、打突の勢いが増す。受けきることができなかった錐が身体のあちこちに打ち付けられ、痛みが意識を支配する。
「クッソ!!」
一方の燧士は、痛みが増し続ける中で、必死に思考を回し続ける。
後手に回っては横殴りの打突の雨によって削られるのは必至。とはいえ、一時後退して逃げに徹したところであの動きと剣速から逃げ切ることは不可能に近いだろう。
(なら…!)
一気に地を蹴って後退、一先ず距離を取る。しかし、そんな明らかな悪足掻きなど実戦を積み、幾度もの死線を潜ってきた賢木が見逃すはずもなかった。
対象の動きを確認、追撃に移るまで、眩きをするほどの数瞬。ただ、惣一郎にはその刹那がどうしても欲しかった。
先程の考えを実行に移す。このまま留まるのは下策、かといって逃げは不可能。
ならば惣一郎が打つべき策はただ一つ。短く息を吸い、得物を正中に据えて突撃を敢行する。
迎えうつ暁士は表情一つ変えることなく、動きを突き潰すべく連打を繰り出す。一方の燧士は急所を捉えて向かい来る剣尖のみに集中し、細剣を弾く。
向かう先はただ一直線。取り零した数発が肩や腕、頬を掠め肌が浅く裂け、鋭い痛みが迸る。
それでも止まることのない挑戦者の勢いに今度は暁士の方が半歩後退した。
(ここ…!)
なけなしの隙を見出した惣一郎は一気に懐に飛び込み、炎鳳流其之参『火坑』を繰り出す。
「ハァッ!!」
突き上げるように下段から放たれた一発は暁士の細剣を捉え、打ち上げた。
(ここなら、外さない…!)
間合いはそのままに、打ちあがった態勢の霊器を返し、『相火扇』を放つ。
「は?!」
これは入る!。という確信のもと放たれた乾坤一擲の二撃は、その自信を嘲笑うかのように空を斬る。
今しがた技を打ち込んだはずの暁士視界から消えたのだ。
(消えた?!)
懐に入られた時点で燧士の動きなど織り込み済みといわんばかりに急制動を取り、ひらりと躱したのだった。
一瞬で姿をくらませた少女の動きを理解できた頃には時すでに遅し。錐剣の切っ先が眼前に迫っている。
「ヤァッッ!」
すれ違いざまの一瞬に、肩と腹部目掛けて三連撃が見舞われる。
耀穿流其之六『臥辰炯々』。
「うぅっ!!」
カラン、そう音を立てて手を離れた得物が地に落ちる。
「そこまで!」
意識ごと穿ち抜かんばかりの刺突をもろに受け、衝撃と痛みで得物を取り落とした惣一郎を確認し、待ったをかけた。
「いってぇ…」
暁士の技を受けた箇所に軟膏を塗り広げる。まさかこの期に及んで件の妙薬に頼ることになるとは思ってもみなかった。
「すいません、大丈夫ですか…?」
「うん、ありがとう…」
「さっきあれを打ち込まれてもう動けるなんて、さすが尚久さんに鍛えられてるだけはあるな」
戦闘の一部始終を観ていた暉士が近付きながら苦笑する。
「いえ…、まだまだです」
「それで?賢木はどうだった?」
「眼では追いきれなかったです。あの動き…、恐ろしく速かった…」
「他には?」
「あの細剣からどうやって…」
痛む傷に触れて呟く。
暁士の刺突が眼の前に迫っていた時、急ごしらえとはいえ、間違いなく妖力での防御は間に合っていた。いくら妖力での防御がおぼつかなかったとはいえ、あの細い武具でどうこうなるような傷痕ではない。
「着眼点は間違ってないようだな。惣一郎、なぜ賢木がこんな力を出せているか気になっているのだろう?」
「はい・・・」
「では、賢木がなぜこの若さで、他の者すら追い抜き、次期暉士になっているかわかるか?」
指先で肩口を撫でる動きが止まる。
あの少女が第一暁士という大役を任せられているのか。どこからこの細身であのような剣技を繰り出せるのか。
朧気ながらも思い浮かんだ解を出す。しかし、もし正解していたとしてもどうにも信じがたい。
「・・・妖力ですか?」
自分より幾分も年若く、立合前までは優美という言葉が似つかわしい佇まいとは裏腹に、立合での剣は恐ろしく速く、そのうえ華奢な身体には想像がつかない程に一撃が重かった。
立合前の暉士の発言と照らし合わせて、惣一郎自身も行っている「妖力」での自己強化。理由はそれくらいしか思いつかない。
「そうだ、正確には妖力総量だ。では、具体的にどのくらいの妖力総量だと思う?」
「すいません、わかりません・・・」
「まだ妖力探知の修行も必要だな」
やれやれといった表情をした暉士は惣一郎を見て、目を凝らす。
「そうだな…、賢木の妖力総量は少なく見積もっても惣一郎の三倍はある」
「三倍以上・・・!」
想像以上、規格外の妖力総量に絶句する。
「この子は生まれつき人並み外れて妖力が多かったんだ」
人間をはじめとする生命は須らく活動してゆく中で妖力を作り出し、日々、知らず識らずのうちに放出している。
しかし、一人ひとりの能力などに差がみられるように、妖力の寡多は人それぞれである。大半の者は通常、妖の存在を感知できないが、惣一郎達のように妖を見て、触れ、対抗できるほどの妖力を保持している者もいる。
その中でもほんの一握りの者は彼等の何倍もの妖力を持ち、さらに妖と比肩しうる程に妖力総量を誇る者もいるという。
「でも、その多すぎる妖力に身体が追いついていなかった」
「その事もあって昔から病気がちだったんです・・・」
澄子は目を伏せ、過去の苦悩を続ける。
「そのうえ、私自身が妖を引き寄せてしまっていたせいで家では怪奇続きで…、両親にも迷惑をかけてしまっていました」
大抵、妖の肉体は基本的に妖力で構築されている。
その基本的な習性として挙げられるものが、妖力の高い人や物に引き寄せられるように行動すること。
より質の高い妖力を得て自身の強化を図るためなのか、若しくは妖力の集合体ゆえにただ磁鉄のように引き合っているだけなのかは定かではない。しかし、事実として数多くの妖が聖地や人が集まる都市、そして妖力が多い者へと誘われるようにして行動している。
「御実家の方で起こった妖関連でのゴタゴタの時に初めて会ったんだけど、こんなに妖力を持つ人がいるとは思わなかったから正直驚いたよ。」
病弱の少女と、その身からとめどなく立ち昇る膨大すぎる妖力。その妖力総量に驚き、賢木家の妖騒動の原因を悟った暉士が彼女の両親に霊迅衆に参加させることを願い出た。
一方の賢木父母も、自身の娘が病気がちだったこと、家が霊障続きだった理由を知り、二人の願いもあって霊迅衆に身を置くことになった。
そこで片寄の指導のもと、内からの強大な妖力に負けないような身体を作り、それをうまく使って任にあたれるように特訓中であるというのが事の経緯らしい。
「病弱で、妖に狙われても何もできない自分を変えなくちゃって思ったんです、そして多く持ってしまった妖力でも誰かを救ける力にできるんだって師匠から教わりました。」
「そんなことが……」
惣一郎の言葉に片寄は頷き、言葉を続ける。
「賢木のように高い才能を持つものだっている。けれども大体はその限りじゃない。俺だって妖力総量だったら惣一郎と大して変わらないさ」
「だから最後まで諦めずに喰らいつけば必ず道は開く。だからめげずに頑張れよ」
「…はい!」
「で、今回の惣一郎の剣筋だが・・・」
姿勢を正し、暉士から先程の立合の総評を頂戴する。
出稽古の後は、相手や立ち会ってくれた人からこのように改善点や評価点を聞くようにしている。
そして、詰所に戻り、要点をまとめて次に生かす。強くなるために磐碕から伝授してもらった肉体以外での「積み重ね」である。
「今日はありがとうございました。今日経験したこと、尚久さんとの修練に活かします」
「また何かあったら遠慮せずにここにおいで、相談には乗れるとは思うから」
「はい…!ありがとうございます!」
「惣一郎さん」
詰所を発ち、熾士詰所へと歩を進めようとした時、背後から声がかかる。賢木だ。
「どうした?、何か忘れものとかあった?」
「よろしかったら、こちらどうぞ・・・」
紙で包装された小包のようなものを手渡される。
「これは?」
首を傾げ、掌の上に載る小包に視線を落とす。小石のようなものが包みの中でコロコロと転がっているようだ。
「実家からの送られて来た砂糖菓子です。御家族とぜひ召し上がってください」
(・・・・)
改めて、思う。たかが紙商人のお使いで来た人間にするような対応じゃない。会ったこともない家族にまで気を遣えるなんて、なんてできた人なんだ。そんなことを思いながらもあまりの気遣いに申し訳なさすら覚えながらも折角いただいたものを無下にはできない。悟られぬように笑顔で答える。
「家族の分までありがとう、大事にいただくよ」
「・・・あ。そうだ、賢木さん。」
「はい?」
「実戦経験を積んできて大体1年くらい経っているんだよね?」
「はい、ここ一年くらいは、御務めを与えていただいています」
「それでなんだけど差し出がましいのは重々承知なんだけど、どうやってその死線を切り抜けきたか教えてもらえないかな……?」
「どうやってですか・・・」
少女はいきなりの問いに対して、惣一郎の意図を理解できず、顎に手を当て首を傾げた。
しまった、と思いながらも訳を話そうか一瞬逡巡する。
己が醜態を話すのは中々に気恥ずかしいものがある。しかし、つい先程、眼の前の少女に敗れたのだ、この期に及んで恥ずかしい等と言ってられない。
「実を言うと、尚久さんから『芯がまるでない、太刀筋が揺らいでいる』って言われてな・・・。やらなきゃいけないことは解ってはいるんだけど何かが決定的に足りていない気がするんだ。」
「進む動機…?がしっかりしていないと思う様に先には進めないなって思ってるんだけど、それでなにか参考にさせてもらえないかなって思ったんだけど……」
「そんなことがあったんですね・・・」
うーんと呻り、ほんの少しばかり考えてから凛とした口調で語り始める。
「…精神を研ぎ澄まし、心身を律し日々に勉めよ。己が道を信じ、清く、気高く進む。即ち新たな己の顕れなり。深き慈しみと慎みを持ち、人と真摯に向き合うべし。真の心で諸事に臨む。即ち新たな世界の顕れなり。」
「それは…?」
「『シンの高潔』。私の家に伝わる家訓のような物です。」
「私の家系は公家といっても、分家の分家なのでより多くの人の役に立つためには、実力で上の方々に示し続けなければならなかったのです」
「ただ、実力だけでは上の方々を納得いただけたとしても、『意気』がなければ、人は着いてきてはくれません」
聞けば、賢木家は公家の出とはいえ、分家筋にあたるため下級に類されるような家であり、一般的に想像される公家のような豪奢な生活は送るような余裕はなかったという。
そのため、朝廷でより「上」の者に認められる為には、地道に日々の仕事を期待以上に応えなければならない実力主義の面もあるのだという。
「そう考えた数代前のご先祖様が家の繁栄を願って書き記したものが『シンの高潔』なんです。」
「子孫である私達一族はこのことを胸に刻み、公家という責のある地位にふさわしく、多くの人に示しの付くように生きています」
「たとえ、場所は違ってもやるべきことが変わったとしてもその心持ちは変わりません。自分自身がどのような意気で臨むか、その一つ一つで自らが生きる世は如何様にも変えることができます。」
「師匠から教えていただいた事や、この言葉を心に刻んでいるので私は辛い時や自分を見失いそうな時ににおいても自分を見失わずに向き合うことができている…。と思います」
「『シンの高潔』・・・」
思いがけず聞くことのできた深みのある金言を頭の中で軽く整理する。
「動機とは少し異なるとは思うのですが…。この言葉が何か、惣一郎さんの進む道の参考になってくれればいいんですが」
「ありがとう、俺もその心意気で修練に向き合ってみるよ」
「熾士様の御稽古は苛烈で有名です…、・・・どうかご武運を」
暁士の見送りを受け、惣一郎は再び熾士詰所に向かい歩みを進める。
天井を仰ぎ見ながら、頭の中で今しがた聞いた『シンの高潔』を反芻する。懐に入れた「お土産」がかさかさと音を立てながら跳ね回っている。
「高潔か…」
「高潔」というものを今一度、頭の中でかみ砕き整理する。
このような命を懸けて死地に赴くような世界、彼女がこの家訓を精神的支柱にしているように自分も何か心に一本据えて生きていかねばならないだろう。
そうこう考えているうちに、今度は何時もの見慣れた戸の前に立つ。
「お疲れ様です」
「おっ、お疲れ~」
戸を開いた先には第三燧士が卓に座っている、どうやら兵部への報告書をちょうど書き終えたようだ。
「今日仕事してきたのか?」
「はい、日野さんも長時間の移動、大変お疲れ様でした。」
つい数日前、日野から大和への任に赴くと耳にしていたことを思い出し、頭を下げる。
「ありがとう、はいどうぞ」
日野が湯呑を差し出す。中をのぞけば、そこには木の幹の色味をした液体が注がれている。
(なんだこれ・・・?)
明らかにいつもここにあるモノとは異なる、異質さが漂う液体に警戒感と困惑を覚え、前に座る日野を見る。
当の日野はといえば、その反応を待っていたかのように笑みを浮かべている。
「まあまあ、飲んでみなよ」
「・・・ありがとうございます、いただきます」
湯呑に口を付け、一口含み、流れてきた液体を味わう。警戒感満載で迎え入れた舌は麦茶にも似て、それでいて何かが異なるような味を感じ取る。
思っていたよりも普通の味に安堵し、飲み込む。次の瞬間、香ばしさが口の中を吹き抜けていった。先ほど暉士のもとで飲んだ高級茶程のような清廉さを持つわけではないが、これはこれで中々に味わいが深い。
「…このお茶、美味しいですね」
「そうなんだよ!実は任務先でもらってきたんだ」
「鉄観音って言って、茶葉を干して作った明からの舶来品なんだって」
「詳しいですね…」
「って店のオヤジが言ってた」
舶来の香り漂う空間。二人揃ってずずっと音を立てて啜り、一息つく。
「で?最近どうだ?」
「それなり・・・です」
「そうかぁ…、今日はどこか行ってきたのか?」
「はい、暉士殿のところに行ってきて、そこで賢木さんと手合わせしてきました」
先輩燧士は、へぇと声を漏らす。
「片寄さんいたんだ、最近会ってないから挨拶してこようかな…。」
「それで?賢木は強かっただろう?」
「はい…。打ち込んでも全然当たらないし、捷いしで…。全く歯が立ちませんでした…」
打ち込まれた肩を撫でながら答える。『臥辰炯々』を受けてしばらく、痛みもようやく消えて無くなりそうだ。
「まぁ、あいつは埒外だから。気に病むことはないさ」
「でもすぐにやられた訳じゃないんだろう、なら随分進歩したんじゃないか?」
「そうですかね…」
「そうだよ。だからこの調子で頑張れよ、矩秀も順調に頑張っているからなぁ、惣一郎も負けないようにしないとな」
「・・・」
「どうした?」
「・・・日野さんが戦い続けられる理由ってなんですか…?」
唐突の問いに湯呑を傾ける日野の動きが一瞬止まる。しかし、尚久から聞いていたのか、「ああ。」と声を漏らして鐵観音を一口飲んでから答える。
「尚久さんから言われたのって動機だっけ?」
「はい…」
「俺は親戚がこっちにいたから成り行きで霊迅衆に入ったんだけど、俺も最初のうちは尚久さんに『動機が薄い』って言われたんだよ」
(俺と同じだ…)
「俺は悩んだ結果、磐碕さんに無理言って任務に着いて行かせてもらったんだ。もちろん、会敵しても戦闘に参加しない、決して離れないっていう条件付きだけどね」
「その時に見たあの人の強さ、巻き込まれた人達への優しさ。俺もそうなりたい、あんな風に強くなりたいって思ったのが大きな原動力になったなあ」
昔の記憶をたどりながら振り返り、第三燧士はしみじみと語る。
「それからは、根性一本で食らいついていったよ」
「自分も日野さんに着いていっても大丈夫ですか…?」
日野はうーんと唸ってから答える。
「近場の任務を回して貰えたら連れて行くのは別に構わないけど…、メチャクチャ危険だぞ?一回俺にも標的向けられたし・・・。まず尚久さんに話を通してもらってからだなぁ…」
「それに俺の場合はこの方法がハマっただけだからなぁ、惣一郎は惣一郎なりのやり方でいいと思うぞ。」
「それと、実戦に出るようになってから聞いた、尚久さんから聞いた『鳳』の話かな」
「鳳ですか?」
「ああ。・・・なぁ、惣一郎、あの霊器が生み出された経緯と『覚醒』については聞いたことあるよな?」
何月か前に熾士から聞いたことを思い出す。霊迅衆には、妖から人々を護るという至上命題の他にも果たさねばならない命題が二つある。
その一つは『劈津神宝』の覚醒である。
あの時はさらっと概要を聞いたのみだが、後日、霊迅衆の成り立ちについての講義を受けた。それは悠久から続く人と妖の闘いの軌跡。薄っすらと残るその内容を蟀谷を撫でながら必死に思い出す。
話は霊迅衆草創期にまで遡る。
七百年程昔、平安の世と呼ばれていた頃、京の嵯峨野近くに優れた武術と妖力を持つ源頼孝という武士がいた。
その才を見込んだ時の朝廷は、彼と高名な陰陽師の安倍晴明にある綸旨を出した。この頃、奈良を恐怖に陥れていた『土蜘蛛』の討滅である。
命を受けた両名は紆余曲折、津々浦々の末に土蜘蛛を討滅を成し遂げた。朝廷はその功と、今後起こり得る妖絡みの事件の早急な解決のため、彼らに妖討滅の一切を差配する特権を与えた。
その後、二人は妖力を持ち、妖と戦えるものを集め、今の霊迅衆の源流となった一団を組織した。
そこには酒呑童子討滅で知られ、頼孝の遠縁にあたる源頼光や、彼の麾下にあり後年、頼光四天王と称された者、大蜈蚣退治で名を馳せた藤原秀郷といった錚々たる面々が属していたという。
その数年後。平和だった京の都に大事件が起こる。大妖怪『大嶽丸』の侵攻である。頼孝一党は『大嶽丸』以下、その一派と交戦。都の一部を焦土に変えてしまう程の激戦の末、撃退には成功したものの犠牲は大きく、組織は頼孝の討死をはじめとして、数多くの同士喪ってしまった。
その後、死線を生き抜いた晴明は彼の遺志を絶やさぬため、源頼光らと『霊迅衆』を組織。
寛弘二年に安倍晴明が、治安元年に源頼光が没し、霊迅衆の運営は次代へと引き継がれていった。
しかし、幾分か時が経った頃、霊迅衆の精鋭数十人がとある大妖怪と対峙。その妖が行使する超越的な術と強大過ぎる戦闘力を前にして、為す術もなく全滅したという。
惨劇を重く見た霊迅衆は妖に負けぬように、自然の力を内包した術式を持つ七振りの強力な霊器を造りあげた。それこそ、梁士が振るう霊器、『劈津神宝』である。
その中の一つ、『旭熾之鳳』を鍛えている最中、朱雀だか鳳凰が顕現、それが刀身に入ったことで完成したということが講義で習ったことが『覚醒物語』のあらましだ。
「あれって本当だったんですか…?、にわかには信じがたいのですが…」
「あれは恐らく本当だ」
いつも闊達で張りのある声色が代わり、冷たさを込めた物に変化する。
息を呑むような緊張感が室内に走る。こちらを見る瞳は鋭く、これから話す内容が只事では無いことを物語っている。
その話には続きがあると日野は語る。
ただ武具を打ち終えただけでは、強力な霊器にはなり得ない。霊器を『神宝』足らしめるためには妖力を用いた慣らし、鍛錬が必要であった。
その内容は複雑で、常軌を逸していたという。
まず、自然の力を術式に組み込むため、特殊な環境を作り出す。『旭熾之鳳』の場合は炎で周囲を覆いつくし、絶えず薪や燃料を投じ続ける。
次に、苛烈極まる環境下で襲い来る魑魅魍魎との戦闘を延々と繰り返す。何度でも、何日でも霊器に術式が発現し、神宝が完成するまで。
妖を討つことで霧散する妖力で空間を満たし、苛烈な環境で鍛錬を行うことで、妖と使用者の妖力を変質させ、霊器に取り込ませる。それにより、妖力の強化・属性付与・最適化を行ったのだ。
数日にも渡る戦闘を続けた末にその時が来た。戦闘音と妖の呻き声と断末魔、使用者の雄叫びのみが響く夜の静寂。
霊器と使用者の精神が完全に同調し、使用者の覚悟、意思に応えた霊器が、空間中の妖力から神獣を顕現させた。
使用者は術式が構築されつつあった霊器に、その神獣を取り込んだことでようやく、火・水・風・雷・土・光・闇の性質を内包した『劈津神宝』に成ったという。
まるで嘘のような譚ではあるが、妖力という代物は使用者の感情や力量次第でどのようにも変化、変質するものである。
異様な環境下におかれた妖力が霊器に寄り集まり、神獣に近い存在を生み出したというように、極限状態では何が起きても不思議ではないと燧士は語る。
「なぜ、講義では教えなかったのでしょう…?」
「まず、この内容は霊迅衆の文庫に伝わる『儀式』に立ち会った刀士の自伝の内容だ。でも現代に残されている記録がそれだけだったんだ。あまりにも信じがたい話だったから講義で話すにはあまりにも不確定がすぎるんだ」
「そして、『神宝』は使用者の妖力も使って鍛えられた霊器だ。ましてや数日間もぶっ通しで妖と闘い続けたんだ。そこから想像できることといえば…?」
視線を鐵観音の水面に落とした惣一郎の頭にとある憶測が頭に浮かんでくる。しかし、もし実際あったことだとすれば、それは余りにも…。それを言葉にして答えるには少しばかり覚悟が必要だった。
「その人も無事ではすまないということでしょうか…?」
意を決して面を上げて答える。
「あぁ、恐らくだが『儀式』って言われてる以上、その人自身も『神宝』の一部になったと見ていいだろうな。そしてその覚悟のもとで最後の工程、霊同に臨んでその身と魂を霊迅衆の発展に捧げたんだろう…」
ある程度の予想はついていたとはいえ、あまりの現実に息を呑む。
妖力を持つ者が優れた霊器にその身と魂を捧げ、さらに強力な霊器として遺す。『霊同』と呼ばれる行為は決して多くはないが、実例が存在する。
そして、それは神代以来の霊器、神器にも匹敵しうる程の強大な力を持っているらしい。
それ即ち、霊迅衆の霊器においても同様の力を持つということ。
現状でも他の追随を許さないほどに強大な力を誇る代物だが、『霊同』を行って成功しているならば、これ以上の力を持っていることは至極当然の話である。
霊迅衆はその上の秘められた段階を『覚醒』と定義づけ、これを引き出すことを組織全体の命題として掲げているのだ。
どんな力を持っているかは上層部すらも判らないようだが、『神宝』のすべてが解放された暁に得られるその力はまさに神器に相応しいものであるという。
なぜ妖を討つための組織でたる霊迅衆が『神宝』のような霊器を創り出さず、希少な武具として珍重してきたのか、なぜ霊同の絶対数が少ないのか、それは偏に成功率の低さに起因する。
そもそも霊同とは妖力に優れた人間が使い慣れた霊器を用いて行ってはじめて起点に立てる行為である。
発展しなかった理由はその素養を持つ者が少ないことが一つ。さらに、成功するためには他にもいくつかの要因があるのだろうが、それすらも未だ謎であることが二つ。
もし仮に霊同を行ったとしても成功する確率は限りなく低い。霊同を行った時点で、良くて実行者の死亡、さらに、使用者と霊器が共倒れする可能性が出てくる。
それだけには留まらない。術者の魂すらも賭ける以上、その霊器に魂が宿る事例もあるという。最悪の場合、その『魂』が悪意を抱き、人類に牙を剥くような危険な代物になる可能性すら孕んでいるのだ。
実際に大昔、とある高名な術師が自らの才を遺すために霊同に及んだ結果、何らかの要因によって儀式は失敗に終わった。それだけには止まらず、霊器に刻まれた魂と術式が暴走。
一人歩きした霊器は鎮圧に向かった複数の豪族の連合軍を戦場一帯ごと滅ぼしてしまう。そして、霊迅衆の討滅対象に指定され、多大な犠牲を払って討滅されたという例があった。
そういった経緯を差し置いたとしても、最低条件に実質的な人身御供を行う性質上、それを試そうという動きは見られなかったのだ。
「もしそうだとしたら、そんな事、教えるわけにもいかないしな」
「…」
「大丈夫か…?」
日野は固まる新人燧士に舶来のお茶を注ぐ。
「はい…、少し呆気にとられてました」
「なら良し、もう少し続けるぞ」
「何年か前に尚久さんとの任務があったときの話なんだが、その時にその片鱗を見たんだ…」
時は数年遡る。
当時、第五燧士で実戦を積みつつあった日野は、先輩梁士の後援や、遠征の馴らしのために、第三燧士だった刀士と磐碕、尚久と長期間に渡って遠方に赴き、そこで数件の事案にあたるという任に就いていた。
旅程も順調に折り返しに差し掛かった時だった。一行は想定外の事態に遭遇する。妖の群れだ。
妖は妖力で構築されている人外であるが、生物であることには変わりはない。人が群れるように、妖も群れる。
妖の群れと遭遇すること自体は少ないとはいえ、そこまで珍しいものではないらしい。
しかし、その現れた妖が霊迅衆が想定していたものよりもずっと強力で、さらに数も多かった。一行は、最寄りの衛府に援軍を要請し、一時撤退を選択した。
遠征にあたり、知る限りの情報は兵部から与えられる。しかし、いつだってそれが正しいモノとは限らない。状況は刻一刻と変わっていくものである。
任地に派遣された刀士は、聞き込みや痕跡の捜索を含めた現地調査を行う。そして、相対する妖が手に余る程の数や、想定されていたよりも強力であった場合、各地に派遣している刀士や、各地方に置いている衛府に援軍を要請して事にあたる。
だが、不幸にもその場を撤収するより先に、妖軍団に勘付かれてしまい、戦闘に突入した。
さしもの熾士と燧士数人を以てしても、手に余るほどの強さと数を誇る妖連中との戦闘は苛烈を極めた。
どのくらいの時間が経過したのだろうか。それすらも判らなくなるほどに長く、当時の第三燧士ですら致命傷を負うほどの凄惨な戦闘の中であった。日野は、熾士が振るっていた『鳳』が『覚醒』する兆候を見たという。
この短時間に惣一郎には知らない話が脳に注ぎ込まれ続けている。一旦、湯呑を手に取り、絡まってきた頭の仕切り直しを図る。
視線を前に向けて、ハッとする。
ここにきて初めて、日野の表情が険しくなっていることに気がついたのだ。
いつも明朗闊達な彼の表情が重苦しいものになっているのを観るのは初めてだった。それほどまでに凄惨極まる記憶なのだろう。
口に運ぼうとした湯呑を運ぶ動きを止めて、再び、燧士の話に集中する。
生き残るのに必死な中で朧気ながらも視界に写ったそれは、迸る業炎の勢いが増し、刀身に纏う焔の一部が蒼く染まっており、舞い散る火の粉がまるで霊鳥の羽のようであったという。
自身にも死の恐怖が首をもたげていたのにも拘らず、視えた『それ』はその感情すらも打ち払うほどに流麗で美しかったと語る。
話を区切るためか、口を潤すためか、茶を口に含んだ日野は、指を一本立てて続ける。
「ここからは後で尚久さんから聞いたことを踏まえた考察込みなんだけど」
そう前置きをしたうえで「目撃者」は続ける。
死力をつくした戦闘の中で空間中に満ちていた妖と梁士たちの妖力が、舞い散る焔に充てられて変質し、修羅と化した熾士と「鳳」の妖力が同調した。
それに加えて、彼の研ぎ澄まされた感覚と、死地に置かれた中で生きようとする覚悟に『鳳』の内に宿った「魂」が、内包された術式が応えたことにより、『旭熾之鳳』に眠る更なる力の一端を一時的に呼び覚ましたのではないか。
激闘を切り抜け、帰還に成功した梁士達は、当主をはじめとした上層部との会議の中で、『劈津神宝』の誕生に立ち会った刀士の自伝や、実際に起きた事例を踏まえてそのように推察したのだ。
「梁士は皆、『覚醒』を目指してきた。」
「それはただ霊迅衆の目標だった、ってだけじゃないのは今までの話を聞いた惣一郎なら判るな?」
「はい、『覚醒』は大いなる力。もしそれを引き出すことが出来たら、より多くの人を、大切な人を護ることができる…」
日野は惣一郎の眼線をピタリと合わせて語る。
「そうだ。惣一郎が持っている大切なものを護りたい、多くの人を救けたい。その想いは今でも、昔でも変わることはないんだ。誰もが皆その思いを背負ってここにいるんだ」
自らの霊器を持ち、胸の前に突き出す。瞳にはその身に宿る熱意が燃え盛っていた。
「そのために俺たち梁士は『劈津神宝』を『覚醒』させなくちゃならない。霊迅衆で生命を掛けて戦っていった先人たちや、その身と、魂を『神宝』に捧げた人達の覚悟に、想いに応えるためにもな」
握る拳に力が籠り、彼の決意に応えるように真赤の鞘口からチロチロと炎が吹き出している。
「そして自己満足だが、それを引き出すのは俺でありたい。」
燧士の声がいつもの調子に戻る。
「それに俺が『覚醒』を引き出すんだ!って思ってな、力を付けていけば護れる人も増えるし、何よりそれが出来たらすげぇカッコいいだろ?」
そう言った日野は鉄観音をぐいっと呷る。戯けるように言ったが、その瞳に宿る決意、熱は本物だ。
「だから、惣一郎と矩秀たちにも気概十分で臨んでほしいんだ。動機は人それぞれだけど、これだけは芯に据えててほしい。期待してるぞ!」
先輩に強くも優しく、肩をぽんっと叩かれる。
「はい…!!」
自分が刀を振る腕と背中には、先人たちの想い、覚悟を背負っている。それに応えるのは、今を生きる者の責務である。惣一郎は気合いを込めて、熱い眼をした燧士の期待に明答した。
「・・・それにしても丁度いいとこに来たなぁ、実を言うとこの壺の中、無くなってな…。予定が無いんなら薬師楼で持ってきてくれないか?」
今までの神妙な面持ちとは一転、ニヤッと悪そうな笑みを浮かべ、背後にあった薬壺をドンッと惣一郎の横に置いた。
薬師、その言葉が耳を通して脳髄に飛び込んでくる。あの光景が眼窩に浮かび、背中を薄ら寒いような嫌なものが駆けていく。
昼過ぎ頃に暉士詰所を訪ねたので、日は夜に向かって傾き始めている。日が徐々に伸びてきたとはいえ、日没は近いだろう。あの場所に向かうとするならばここを早めに発つことに越したことはない。
どうにかしてこの悪寒を取り払なければ。そう思い、惣一郎はようやく飲み頃になった鉄観音を一気に呷った。
この展開に苦慮して投稿が大幅に遅れてしまいました。大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。
劈津神宝と源頼孝の下りははもっと後に出すつもりだったんですが、世界観の説明に最適だと思って無理くりねじ込みました…。計画性のない行動はするもんじゃない。かなり後で「黎明編」と称して書こうかな…。
ちなみに、賢木家の人たちは、かなり後になって出てくると思います。ノブレスオブリージュが沁みついた気高き一家です。また、澄子の第一暁士昇格について、先輩暁士達の反応は「まぁ、そうだよなぁ」、「こればっかりは仕方ない」という感じでした。妖力総量と本人の直向きな人柄から、反対する人は誰一人いなかったようです。
そして、日野さんが無理やり附いていった任務ですが、妖の標的が向いたとき、彼は腰を抜かしかけて全力逃走しました。そのことが見事に黒歴史になった日野さんは、その後の修練に根性一本で食らいついていったのが事のあらましです。




