嫁入り旅二日目 ~青い水鳥~ <後編>
シシルスランガがマトヴァリシュに乗ると、イルは強めに手綱を引き、すぐに歩き始めた。
路肩の商店や屋台に目をやることもなく、少し早足で先を急いだ。
ときどき、裏路地のようなところに入ったのは、少しでも近道をしようと考えてのことかもしれない。マトヴァリシュは、ロバにしては軽やかな足取りでイルの後についていった。
そうやって、夢中で四半時ほど歩き続けると、青々と若葉が茂る木立が見えてきた。
「着きましたよ、シシル様! ケダパータの池のある公園です。池の周りには散歩道が作られていて、池のすぐそばまでいけるところもあります。マトヴァリシュから降りて、少し歩いてみませんか?」
「少しでも池が見られたら、それで十分です。ちょっとだけ池のそばへ行って、それから急いで王宮へ――」
シシルスランガの言葉をさえぎるように、イルが激しく首を横に振った。
「俺も見たいんですよ、青い水鳥! ここへは何度か来ているんですが、まだ一度も見たことがないんです。だから、今日は絶対に水鳥を見つけましょう!」
「え? あっ……、は、はあ、はい……」
公園の入り口にある馬車溜まりへマトヴァリシュを預け、二人はケダパータの池へ向かった。昼過ぎということもあり、池の散歩道はたくさんの人で賑わっていた。
髪に青い羽根の飾りをつけた娘たちもたくさんいる。どうやら、散歩道の途中に髪飾りを売っている露店も出ているようだ。
しかし、池の周りを半周ほど歩いても、一羽の水鳥も目にすることはなかった。
意気消沈した二人は、水際近くに置かれた長椅子を見つけ、腰を下ろすことにした。
「せっかく来たのに、青い水鳥は全然いませんね。すみません……、無理矢理シシル様をお連れしたのに、ご覧に入れられなくて……」
「わたくしの方こそ、わがままを言ってイル殿に余計な気を使わせてしまいました。申し訳ありません。もう十分ですから、そろそろ王宮へ向かいましょう」
二人が、それぞれ相手を気づかい、頭を下げ合ったそのときだった。
「ピチュピチューイッ!!」
すぐそばにある木の古びたうろから、一羽の青い小鳥が、鳴きながら飛び出してきた。
二人が驚いて見ていると、小鳥は、シシルスランガの腕にとまり、小首を傾げながら、ピチュピチュと何か話でもするかのようにさえずった。
最初は目を丸くするばかりだったシシルスランガだが、小鳥がとまりやすいように少し腕を上げ、可愛らしい鳴き声に耳をそばだてた。
やがて、シシルスランガは、唇を軽く湿らすと、小鳥に向かって口笛を吹き始めた。
イルは、興味津々という顔で、一人と一羽のやりとりをじっと眺めていた。
池を取り巻く木立の中を、小鳥の声とシシルスランガの口笛をのせて、一陣の風が吹き抜けていった。散策していた人々は、何かの気配を感じて足を止めた。
次の瞬間、風に枝先を揺らされた木々のうろから、たくさんの青い小鳥が姿を現わし、一つの方向へ向かっていっせいに飛び立った。
彼らが目指したのは、池の畔に座るイルとシシルスランガだった。
「ウワワァァーッ!!」
「ヒャァッ!」
突然群がってきた小鳥たちに、イルもシシルスランガも思わず叫び声を上げた。
小鳥たちは、二人の頭や肩に次々ととまった。とまる場所がないものは、長椅子の背もたれや近くの灌木の枝へ向かった。そして、嬉しそうに「ピチュピチュッ」とさえずった。
「シ、シシル様! 鳥寄せの口笛を吹くなら、そう言ってからにしてください。びっくりするじゃありませんか!」
「鳥寄せなんかしていません! ちょっと、小鳥の真似をして、口笛を吹いてみただけです。それなのに、こんなことになってしまって……。わたくしも、とても驚いているのです!」
おろおろしている二人の周りに、今度は人間たちが集まってきた。
人々は、たくさんの小鳥にとまられ、青い羽だらけになった二人を不思議そうに眺めていたが、何かの芸当だと思ったのか誰かが拍手を始めた。
たちまち拍手が人々の間に広がり、二人はますます困惑した。
「ピチュピチュチュチューイッ!」
しばらくすると、最初に飛んできてシシルスランガの腕にとまっていた小鳥が、一声鳴いて飛び立った。その後を追いかけるように、ほかの小鳥たちもさえずりながら、二人の元を離れていく。
小鳥たちは、散歩道の上を飛びながら、歩いている人々の頭や肩にとまった。
小鳥にとまられた人々から歓声が上がり、二人の周りにいた人々もいつの間にか、小鳥たちの後を追って水辺を離れていった。
「ちょっと驚きましたけど、青い水鳥を見ることができて嬉しかったです。水鳥といっても、とても小さな可愛い鳥だったのですね。イルどの、ここへ案内してくださり、本当にありがとうございました」
「お、俺の方こそ、とうとう青い水鳥に出会えました。シシル様のおかげです。ありがとうございました!」
二人は、長椅子から腰を上げると、少しだけ足を速めて馬車溜まりへ向かった。
日陰で休んでいたマトヴァリシュは、二人の姿を見るといつも以上に大きな声で、「オーヒーーッ!」と嘶いた。
二人は幸福感にひたりながら、黙って王宮への道を急いだ。
いくつかの路地を抜け広い通りに出ると間もなく、長い長い白壁が見えてきた。
「王宮の塀ですよ。もう少し歩けば、門が見えてくるはずです」
「良かった、ようやく着いたのですね――。でも、かなり遅れてしまったのではないですか? 出迎えの方に、ご迷惑をかけていなければいいのですか」
「ヘヘヘ……、かもしれませんね。酒だけじゃなくて、酒のさかなも必要かな? まあ、シシル様が心配なさることではありません。俺が何とかしますから――。大丈夫ですよ! 今、俺は最高にいい気分なんです。シシル様のおかげで、あんなにたくさんの青い水鳥を見ることができたから」
明るく笑いかけてきたイルに、シシルスランガも、つられるように微笑んでうなずいた。
まぶしく耀く王宮の白い塀へ目をやりながら、これからここで始まる暮らしを思い描いた。そして、胸の奥の不安を吹き飛ばすように、そっと唇を湿らし、もう一度口笛を吹いてみた――。
池の畔で最初に飛んできた小鳥は、シシルスランガに可愛い声で語りかけた。
―― お隣の国から来たお姫様! あなたの願いはなあに?
それは、小鳥の言葉ではあったけれど、彼女には、なぜかその意味がわかった。
大きな願いは、奔星祭で星に託してきた。そして、青い水鳥を見たいという望みも、イルが叶えてくれた。シシルスランガにはもう、これといった望みはなかった。だから、彼女は小鳥にこう伝えたのだ。
―― ありがとう、小鳥さん! わたくしよりも、イルどのの望みを叶えてあげてくださいな。この二日間、わたしに尽くしてくれたイルどのの望みを――。
その結果、あのようなことになった。
イルが何を望んでいたのか、シシルスランガにはわからない。
だが、念願の青い水鳥をたくさん見られて、イルは幸せな気持ちになったようだった。ささやかだが彼の働きをねぎらうことができて、シシルスランガもまた満足していた。
イルの本当の望みは、シシルスランガに、一生忘れられないくらいたくさんの美しい青い水鳥を見せてやることだった。彼女の妙な口笛に誘われて、想像を遙かに超える数の小鳥が集まってくれた。がっかりされなくて良かったと、イルは心から安堵していた。
イルは、満足そうなシシルスランガを見て喜んでいたのだが、彼のそんな思いに彼女は気づかない――。
シシルスランガは、口笛を吹き続けた。
道行く人の中には、小鳥のさえずりだと思って空を見上げる者もいた。
もちろん、こんな場所で吹いても、青い水鳥が飛んでくるわけはない。
でも、口笛を吹けば幸せを呼び寄せられるような気がして、シシルスランガは吹き続けた。
彼女にとっての新しい世界の入り口である、王宮の正門へとたどり着くまで――。
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
「番外編」も、これにてひとまず完結です。
番外編が本編のボリュームを超えるのもどうかと思いますので、とりあえずこの辺りで――。