表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/45

幕間 苦(にが)い星

幕間では初めての、花守以外のお話です。

まだ若雪が石見から戻り、男装のままの時期です。

幕間 (にが)い星


 父親からの預かり物を手に、明慶寺の総門を通り抜けた茜は、境内にある池のほとりに佇む若武者を見つけた。

(若雪さん―――――――)

 凛々しい若武者と見紛う人物は、今井宗久の養女・若雪だった。

 まだ伸びきらない髪に合わせて、未だ男装の麗人は、何を思うか池の面をじっと見つめていた。

「若雪さん!」

 声をかけると、少し驚いた様子で彼女は茜のほうを見た。

「茜どの…」

 ふ、と気が緩むような笑みを若雪が浮かべる。

 茜は、彼女のこんな笑顔が好きだった。

「明慶寺に御用やったの?」

「兼久兄様に頼まれて、こちらにお借りしていた茶入れと墨蹟(ぼくせき)をお返ししに参ったのです」

「へえ…」

 茜には、今井兼久と言う人物が今一つ解らない。考えていることがさっぱり読めないし、納屋でたまにすれ違っても大抵の場合は見事に無視される。

 まるでそこにいない者のように扱われるのは、宗久の見せる茜への複雑な表情とはまた異なる居心地の悪さを、茜に感じさせた。

 しかし若雪にとっては、違うらしい。

「……池に何かいた?」

「え?」

 尋ねると、若雪が虚を突かれた顔をする。

「ずっと見てはったみたいやから」

 そう言うと、若雪はああ、と頷いた。

「…花筏(はないかだ)の見られる季節が、もう過ぎたな、と思っていたのです」

 今は卯月で、境内の桜の時期はとうに終わっている。

 目に染み入るような緑が、そこここで見られる季節である。

 吹き抜ける薫風(くんぷう)が、二人の女子の髪を揺らして行く。

「花筏が好きなん?若雪さん。なんか、若雪さんらしいな」

 散った花びらが敷き詰められた水面の風情は、若雪に良く似合うように茜には思えた。

「少しばかり思い入れがありまして」

 若雪はそうとだけ言い、思い入れの内容は語ろうとしなかった。

「茜どの?」

 そこに、茜の良く知る、慕わしい声がかけられた。

 智真が、(たきぎ)の束を手に立っていた。

「智真様!」

 茜がパッと華やいだ声を上げると、若雪がちら、と視線を彼女に走らせた。

「では、私はこれで失礼します。智真どの、茜どの」

「お気をつけて」

 それまでとは異なる速やかさで去ろうとする若雪を、智真も引き留めようとはせず、和やかに見送った。

 智真が若雪の後ろ姿を見ていたのは、ほんの束の間だった。

 けれどその束の間に、智真の目に浮かんだ憧憬(しょうけい)と好意を、茜は確かに見て取った。

「………」

「茜どの?どないしはりました?」

 黙り込んだ茜に、智真が穏やかな声をかけた。

 明慶寺に来れば智真に会える為、茜はいつもとっておきの小袖を選んで着ていた。

 今日もそうだ。

 淡い萌黄(もえぎ)と紅梅色の刺繍が施された、愛らしく、見た目に映える小袖を身に纏っている。

 若雪の、飾りの無い白橡(しらつるばみ)の上衣と濃色(こきいろ)の袴に比べれば、はるかに明るく、洒落ている。

 けれど智真の目には、愛想も飾りも無い若雪の装いのほうが、見る価値のあるものなのだ。茜はそう思うと、ひどく悲しくなった。智真に、もしかしたら今日の小袖を褒めてもらえるかもしれない、と密かに期待していた自分が愚かに思えた。

「……お父はんから、大般若経の写経を預かって来ました」

 そう言うと、ぐい、と写経の入った包みを智真に差し出す。

「…さよでしたか。小川屋さんにはいつも、御奇特(ごきとく)なことです」

 茜の父は熱心な仏教徒で、商売を営む傍ら、暇を見つけては大般若経の写経にいそしんでいる。それを明慶寺に納める役を茜がいつも買って出るのは、無論、智真に会うことが目的である。しかし彼の姿を見ればいつも高鳴る筈の胸が、今は消沈してしまっている。

 そんな茜の様子を、智真が案じるように見ていた。

「そう言えば先日、嵐が来まして」

 急に智真がそう言って、薪を横に置くと墨染の衣の懐をごそごそと探った。

 すると懐から和紙の包みが出て来た。

「ああ、あった。良かった。茜どの、手を出してください」

「?」

 怪訝(けげん)に思うまま、智真に手を差し出すと、その上に何やら白っぽい小さな塊がコロンコロン、と載せられた。

「こんぺいとう、言う、南蛮の菓子やそうです。私の蔵書を貸した礼や言うてくれましてん。えらい甘くて、美味しいですよ」

「………」

 白く細かな突起が幾つもくっついた球体は、夜空にあれば星になりそうだ、と茜は思った。

(かわええ…)

 智真に促されるままに口に放ると、確かにそれは今まで食べたどんな菓子より甘かった。

「………御気分は、少し落ち着きましたか?」

 優しい声でそう訊かれて、茜は無言でコクリ、と頷いた。

 ほっとしたような笑みを浮かべる智真を見て、茜は複雑な気分になった。

 金平糖はこれまでになく甘い菓子だったが、それを口に含んだ茜の舌には、苦いものが残った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ