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桜屋敷 四 (後半部)

本能寺の変は、様々な人々に衝撃と、否が上にも変革を迫った事件だったと思います。フィクションではありますが、織田家に従っていた嵐や若雪が、変に際して何をどう思ったかを想像せずにはいられませんでした。

 明智軍の目をかいくぐり、本能寺へと行き着いたのは二日の早朝だった。

 その時にはもう、明智の兵が本能寺を囲んでいた。

 嵐たちは展開の速さに置いて行かれまいと必死だった。

 嵐と兵庫は片郡と合流し、明智勢の一員のふりをして、囲みの中に入った。

 中では乱戦が繰り広げられていた。

 嵐たちも各々(おのおの)、得物(えもの)を手に明智の兵を斬った。

 それでも圧倒的な兵力差は、いかんともしがたい。

 およそ百名程度の信長の手勢を叩くのに、異常な数の兵を投入しているように見える。

 そうしている内に、本能寺の内から火の手が上がった。

(信長公――――――――――)

 そんな、と嵐は思った。

 ここで彼に死なれては、嵐の、若雪の、宗久の、信長に賭けた思いはどうなる。流れた血は、流した血はどうなる。

 嵐は、若雪が信長に尽くすことを苦痛に感じていると知っていた。それでも、乱世を終わらせる為にその苦痛をねじ伏せて、若雪は戦っていた。乱世の終結は、ひいては納屋の人間を、大事な身内を守ることにも繋がるからだ。それを嵐はずっと傍で見て来たのだ。自分とて、好んで人を殺めて来た訳ではない。中には救いたいと思っても、止むを得ず斬らねばならなかった者もいた。血に染まった手から、泰平の世を生み出すのだと信じてここまで来たのだ。功名心ばかりではやっては来られなかった。

 それらの思いも全て、今ここで灰燼(かいじん)()すというのか。

 ようやく訪れる乱世の終結を、確信していた矢先だというのに。

〝そういう時代だったんだよ―――――――あのころは。それは今でも、乱世という点では同じなんだろうけどね……〟

 明臣の言葉が蘇る。

〝この世のあなたこなたに、無法など幾らでも転がっておるではないかっ!私だけが特別なことをしたのではない〟

 山田正邦の言葉が蘇る。

 人の世は、所詮このような在り様でしかないのか。

 嵐は茫然とした。

 いつの世も、時代は平然と、人に対して理に合わない仕打ちを行うものなのか。

 儚い一生を足掻(あが)きながらも懸命に生きる人間に、こんな時代だから、というたった一言で、どのような成り行きにも涙を吞んで耐えろと言うのか。

 時勢ゆえに止むを得ないのだと。

(冗談やない―――――――冗談やない)

 

 火の手が、とぐろを巻く蛇のように、本能寺の内に回りつつある。

 熱に(あぶ)られた風が、肌に痛い。

 本能寺の境内を駆ける嵐の目が、静かに閉められようとしている、奥まった部屋の障子戸を捉えた。

 開いた隙間から、白い布がひらりと見える。

 帷子(かたびら)の端だ。

 誰かが障子戸を閉め、身を翻らせようとしている―――――――――。

 考えるより先に口が動いていた。

「信長公――――――――!」

 障子戸の動きが一瞬止まる。

 けれど再び動き、僅かに開いていた隙間が閉じられる。

 白い帷子が、その奥にすうと消えてゆく。

 嵐の目に残像だけを残して。

 嵐は声をあらん限りに叫んだ。

「信長公――――――――――――――!!」

 障子戸は完全に閉まり、帷子の白は最早どこにも見出せない。

 乱世の果てが――――――――見出せない。

 やっと辿り着いたかに思えた終着の地は、今、嵐の目の前から消え失せた。


「女たちを先に逃がせ!上様の御座所(ござしょ)には一兵(いっぺい)たりとも近付けるな!!」

 揺らぐ炎の中、勇ましい響きで指示を飛ばす声が聞こえる。

 本能寺の回廊で知った顔を見つけ、嵐は大声で呼びかけた。

(なり)(とし)どの!」

 声は届いたようで、斬り結んでいた敵の首を斬り払うと、相手はこちらを見た。

「――――嵐どの。参られたのか」

 そう言って、返り血を浴びた美しい顔で凄絶(せいぜつ)に笑って見せた少年は、(もり)(らん)丸成(まるなり)(とし)だった。

 小姓として信長に重用(ちょうよう)され、十七歳という若さで既に城持ちの身だ。

 手にした刀を(くう)にヒュッと一振りして、刃に付いた血を落とす。彼の立つ広縁には、敵味方知れぬ躯が、既に幾つも折り重なっている。

「貴殿は退()かれよ、嵐どの。上様は、貴殿らとの道行(みちゆき)は望んでおられぬ」

 信長も成利もここを死地と決めたのだ、ということをその言葉から嵐は察した。

 ここに至ってようやく、嵐も信長を生き永らえさせることを断腸(だんちょう)の思いで諦めた。

 今となっては自分の命さえ、どうなるのか知れたものではない。

「―――――長隆(ながたか)どのや(なが)(うじ)どのも、同じお覚悟か」

「無論――――――。この敷地のどこかで、戦っておる。上様の、御最期(ごさいご)を守らんとして」

 (ぼう)丸長隆(まるながたか)力丸(りきまる)(なが)(うじ)も成利の弟で、まだ年若い。だが戦場において年の長幼(ちょうよう)は関係ない。

「退かれよ、嵐どの」

 討ちかかってきた兵を繰り出す刃で串刺(くしざ)して、再び成利が言った。

 勢いつけて刀を引き抜くと鮮血が飛び散り、刺された兵がどう、と倒れる。

「貴殿が上様に再三(さいさん)お尋ねであった、吹雪が何とかという言葉の意味、上様はお市様には何やらお答えのようであった。さればお市様に、訊いてみられるがよろしかろう」

 火勢と明智兵に押され、それ以上は成利も言う余裕が無いようであった。

 襲いかかる敵の、刃を受け止める。

 式神はとうに五体共解き放っている。今頃それぞれに明智の軍勢に牙を()いているだろう。

とは言え、押し寄せる明智兵、雲霞(うんか)のごとしである。

加えて火の勢いは増すばかりだ。

嵐がいる横手の部屋の(はり)が、メキメキという音を立てながら焼け落ち、激しい火の粉が勢いよく舞い上がる。燃え盛る火焔(かえん)の舞いは、こんな時でもなければ見惚れてしまいそうな程に華麗で豪勢だ。しかし炎が実際に振るう力の暴悪さときたら、とても始末に負えるものではない。障子戸は(さん)だけをかろうじて残し、和紙が張られた名残りは既に無い。その残った桟でさえ、今や巨大な(たきぎ)と化している。炎の熱は、嵐の総身を()めんばかりだ。

ここから生還出来るかは、さすがの嵐にも危ぶまれた。

(どんだけの兵を()ぎ込んでんねや……)

 現状で信長を討つ為だけなら、それ程多くの兵を割く必要は無い。

 光秀謀反の報せを聞いて駆けつける織田家諸将に備える兵力を、光秀は温存していないのだろうか。

〝闇夜に赤々と燃え上がる炎は、そこら一帯を照らすようだった〟 

 今は闇夜でこそないが、明臣の言っていた光景はこのようなものであったのではないかと、嵐は妙に冷静に考えた。

 世の無常と自分の無力を思い知らせる炎の(きら)めき。

 一切の生を否定するかのような激しい赤。

燃え盛る炎と共に落城する城を見たことも嵐にはあったが、今目にする炎はなぜか、それとはまた異なるもののようだと思った。

(信長を連れてく炎やからか)

 天下を手中にすることを間近にした男が、恐らくは例えようも無い程の無念を抱えて、この劫火(ごうか)と共に逝くのだ。

 行き着く先はどこだろうか。

 地獄だろうか。

 信長は、極楽も地獄も、己の罪業による報いも、およそ信じてはいないようだった。

(弥陀の誓ひぞ、頼もしき……)


弥陀(みだ)の誓ひぞ頼もしき 十悪五(じゅうあくご)(ぎゃく)の人なれど 一度(ひとたび)御名(みな)(とな)ふれば 来迎引接(らいごういんぜう)疑はず〟

 

腰刀を持った手で明智の兵を斬り伏せながら、そんな(いま)(よう)があったなと、嵐は頭の片隅で考えていた。

どんな極悪非道の人間でも、心から「南無阿弥陀仏」と唱えたなら、極楽へ迎え入れられると言う。もしも一向宗徒の多くを殺めた信長さえも受け容れるとしたら、阿弥陀仏の寛容さとは大したものだ。人の身には到底計り知れない。

 しかし信長は、決してそれを唱えはすまい――――――――――。

 嵐は自分が(らち)も無い考えに気を取られていることに気付き、首を強く一振りした。

 今は目先の現実から逃げている場合ではない。 

(信長公とは、いつか冥府の暗闇ん中で再会するかしらんけど――――ここで、俺まで死ぬ訳にはいかん)

 成利に言われずともそう思いながら、腰刀を振るっていた。

 今ではその手にも足にも、嵐の身体のあちこちに小さな無数の水ぶくれが出来ている。

 着ている物は(すす)だらけとなり、見る影も無い。

 片郡も兵庫も、目前の明智兵と懸命に闘っていた。

 その中で兵庫がするりと嵐に近付き、言った。

「嵐様。俺と片郡で、退路を開きます。逃げてください」

 常と変わらない、あっさりした言い様だった。

 兵庫の顔も煤だらけで、色男が台無しだ。

 手にした二丁鎌は、元からその色であったかのように真紅(しんく)に染まっている。染まるだけでは足りぬようで、ぽたぽたと(したた)り落ちてもいる。

 片郡の握る太刀も、刃こぼれがひどい。

 嵐が刃を振るう手を止めて、兵庫の顔を見た。

「……自分が言うてることの意味、解ってるんか?」

「そりゃ解ってますよ」

 兵庫は軽く肩を竦めてそれだけを言い、少し笑った。

 脇にいた片郡も、小さく頷く。


 若雪は嵐を送り出したあと、横になることも出来ずに、単衣を肩にかけたままただまんじりと時を過ごしていた。

 今は水無月の四日。昼餉を済ませたばかりだ。嵐たちのことが気がかりで食欲も()えがちだったが、なんとか出された食事を胃に押し込んだ。

 嵐たちが京都へと向かってからおよそ三日が経過している。

 明智光秀、本能寺にて謀反、との報せは既に堺にも届いていた。

(納屋は。養父上はどうされているだろう)

 そんなことを思いながらも若雪はただひたすらに、嵐たちの帰りを待ち続けた。

 待つことしか出来ない身が、これ以上無い程に辛かった。苦行のようにさえ感じた。

 近くに(はべ)る斑鳩の顔も固い。

 本来であれば、若雪に横たわって養生するよう勧めるべきだが、若雪の気持ちが痛い程解るだけに言い辛いものがあった。また、明智の兵が今後どのように動くかもわからない今は、万一の襲撃者の再来に備え、若雪を守るべく身構えておく必要が斑鳩にはあった。

 その為、手に馴染(なじ)んだ剣は片時も離さずに傍らに置いてある。


「嵐様!!」


 蓬の声が響いて聞こえた時、若雪は床をあとにして駆け出していた。

 白い裸足が風のように駆けたのちに、一拍遅れて斑鳩が続く。

 足元が覚束(おぼつか)ず、よろめいた若雪を支える。

 (あが)(かまち)のところに、倒れ込むような嵐の姿があった。一見して、炭の塊のように見えなくもない。乞食よりもまだ酷い在り様だった。

「…………水…」

 かすれた声で一言それだけ言った嵐に、蓬が慌てて水を汲んでくる。

 嵐は柄杓(ひしゃく)を受け取ると、勢い良くそれを飲み干してまた柄杓を突き出し、無言のまま更に一杯の水を求めた。

 顔や手はもちろん、上衣や袴まで煤を被ったようで、あちこちにかぎ裂きや焼け焦げたあとがある。脚絆も手甲もボロボロで、最早その用を成していないものに見える。いかにも死地から生還した、という姿だ。身体の何箇所かに軽い火傷が認められるものの、大きな怪我は見受けられない。そのことに若雪はひとまず安堵する。

 しかし、顔色は悪かった。やや青ざめている。

 嵐はとりあえず湯で絞った布で身体を拭い、怪我の手当を受け、着物を着替えて食事をとった。


 それから斑鳩と共に若雪の部屋に集い、寝床に座った若雪と斑鳩に報告を始めた。

 几帳の手前に座した嵐は、既に平生(へいぜい)の顔色に戻っていたが、腕や目に見えるあちこちの箇所に布が巻きつけられ、火傷の手当が施されているのが痛々しい。右頬にまで膏薬(こうやく)が貼ってあり、優しげな顔立ちの中でそれがやけに目立った。

「―――――もう耳に入っとるやろけど、明智日向守光秀が謀反を起こした。それを受けて織田信長公は―――本能寺に火を放ち、自刃しはったようや。亡骸(なきがら)は明智が躍起になって探しとるようやけど、未だに見つかったっちゅう話は聞かん。近くの妙覚寺には信長公の嫡男・(のぶ)(ただ)様も滞在してはったけど、――…恐らくは、もう()うなってはるな」

 若雪の部屋で、嵐は若雪と斑鳩に向けて淡々と語った。

 表情がまるで無い。

 予め知っていたことであっても、嵐の口から直接に事実を聞くのでは重みが異なる。

 若雪は改めて、これまでに積み上げてきたものが、(もろ)くも崩れ去る音を聞いた気がした。

 楼閣(ろうかく)の崩壊する音を聞いた気がした。

(私が――――私たちが今までに立ち働いてきた意味は――――――…)

 ぽっかりと足元に開いた暗闇に、身が吸い込まれるような思いだ。

「それから――――…」

 そこで嵐は初めて言い(よど)んだ。

 一瞬、若雪に視線を遣る。

「兵庫と片郡が死んだ。俺を逃げ延びさせる為に、明智軍の厚い包囲網を破ろうと戦うて―――――――」

 斑鳩が息を飲んだ。

 嵐は表情を変えない。声も全く変わらない。ただ必要な報告をしただけ、という様子だった。悲しみに揺らぐ気配は、少しも見受けられなかった。

 斑鳩は若雪の顔を窺うと、自らは静かに部屋を出た。

(兵庫――――――)

 あの気ままな男が、もうこの世にはいないと言うのか。

 若雪は茫然とし、いつか兵庫が言った言葉を思い出していた。

〝そして俺は多分、自分が死ぬ時も、きっと自分の判断に満足しながら死ぬでしょうね。あえて終焉(しゅうえん)の地を、自分で選ぶんでしょう〟

 彼は言葉通りに、終焉の地を本能寺と選んだのだ。

 片郡の、大柄な体躯に似合わずつぶらな瞳を思い出す。

 忍びに似合わぬ純朴さが、若雪には好ましかった。初めて顔を合わせた時、真っ赤になって口籠りながら忠誠の言葉を述べた様子を、今でも思い出す。

 驚愕に、未だ身動き出来ない若雪を、嵐は見遣った。

「私が――――――何も言わなければ、」

 低く、震える声で若雪が言った。顔は青ざめ眉間に皺を刻み、口角は低く下がっている。

 若雪はきっとそう言うだろうと、嵐は思っていた。

 容易く予想のつくことだった。

 だから素早く、叱るように否定した。

「ちゃう」

「けれど。私の言葉が、彼らを死地に追い遣ったようなものです。片郡も、私が命じなければ、本能寺に居合わせなかった筈です。――――私が、私の言葉が――――――…!」

 若雪はこんな時、ただ嘆きにのみ逃げたりはしない。自分の不手際に怒り、憤るのだ。

 潔く、物事の結果を自らの背負うべきものとして認めながら、人の命を慈しみ、惜しむ。

 嵐はそのようにあることが出来ない。

 兵庫と片郡は、若雪という仕え甲斐のある主人を持ったな、と嵐は心の隅で思っていた。本望だろう、と。

「それはちゃう。明智の謀反をこの目で確認した時、本能寺に向かうんを決めたんは俺や。若雪どのの事前の忠告を受けといて、下した判断の責は俺にある。片郡を撤退させんかったんも俺の判断や。それに…あいつらの覚悟を、そないして侮辱したらあかん。どないな命令を受けようと、最後には、あいつらが自分の意思で選んだことや。決めたことや」

 嵐はきっぱりと言い切った。

 若雪は、感情が(あふ)れ出す一歩手前の顔で嵐を見た。

(……泣くんやろな)

 たかだか一人や二人の、下忍の死に。

 (もっと)も嵐の心境も、実際のところ人のことを言えたものではなかった。

 嵐下七忍は嵐にとって配下であると同時に、苦楽を共にしてきた戦友でもある。

 片郡は、太刀を取れば心強いことこの上ない男だったが人柄は素朴で、そのぶん嵐や若雪に対する忠誠心は厚く、嵐も気を許すところが多かった。気の好い男で、他の七忍が逃げる中、うわばみの嵐に大人しく付き合い、朝まで呑み明かしたことも度々あった。

 兵庫は、七忍の中でも嵐と最も付き合いが長く、いつも嵐に対して物怖じせず意見を言う、片腕のような存在だった。遠慮の無い物言いにはたまに本気で腹が立ったが、それも、誰より嵐を含めた嵐下七忍と若雪を思うが為の言葉だと解っていた。

〝若雪様が、泣きますよ。あなたの為に。いいんですか〟

 そう言って、嵐を諭したのは兵庫だ。

 言った当人が若雪を泣かせてどうする、と思う。

 嵐を逃がす為に、兵庫が自らの命を引き換えたことへの、後ろめたさから来る腹立ちもあった。

兵庫も片郡も嵐下七忍として名が知られていた為、彼らの首を獲るにおいては激しい争奪戦が繰り広げられた。嵐は開かれた退路により逃げながら、その気配を背中で聞き取っていた。そして一生、その時のことを忘れまいと思った。命ある限り背負っていく。

しかし、それを若雪に告げるつもりは無かった。

別れる間際の、兵庫の言葉を思い出す。

〝俺はね、嵐様。嵐様が見たことの無い若雪様を知ってるんですよ。俺だけしか多分見たことのない、あの方の一面を。常には見られない美しさと、声を。だからその時の若雪様の姿くらいは貰って行きますよ。俺の、宝物として。それくらいは、許されるでしょう〟

 そう言って、にやりと笑った。

最期(さいご)まで、喰えない男だった。

あんな場面で言われては、許すも許さないも無い。

冥途(めいど)土産(みやげ)と言わず、おどけたように、宝物と称したところがいかにも兵庫らしかった。

(女子やあるまいし、似合わん言い方しよって)

「……ことがこうなってしもたら、この先の方針を考える必要があるな。果たして明智の天下がいつまで続くもんやら、わからんけど」

 平静な顔を保ったままそう続ける嵐が(たま)らなくなり、若雪は気付くと両手を伸ばしていた。白く細い腕が、嵐へと向かう。

 目の前の鷹は、傷ついている―――――――――。

 癒されなければならない、と思った。

 嵐の頭を、抱き寄せる。何の予想もしていなかった嵐は、呆気なくその頭を若雪の胸に収めた。火傷の痛みより驚きが勝った。瞬きする。若雪はそのまま、嵐の上半身を包み込むようにかき抱いた。

「良いのです、嵐どの。辛い時は、泣いてよろしいのです。――――泣かねばなりません。生きて行く為に。あなたが私に、教えてくださったことです」

 そう言いながら、若雪の目はみるみる涙で(うる)み、雫がこぼれ落ちた。

 淡々とした風情を崩さない嵐が痛ましかった。

 悲しみを切り離して前だけを見ようとする嵐の強さが、かえって若雪の胸を苦しくさせた。

 人は前を向いて進むしかない生き物だが、それでも失くしたものを思い、涙を落としもするのだ。

 落としても良いのだ。

 だが嵐は泣かなかった。

 忍びの墓標は心の中にのみ立つ。

「こんなんで泣いてたら忍びは務まらんわ。あいつらへの(はなむけ)は、若雪どのの涙で十分やろ」

 柔らかな(かいな)に抱かれて、嵐は乾いた笑いを洩らした。目に水の満ちる気配は無い。

「ですが――」

 言いかけた若雪の言葉を引き取るように、嵐は変わらない平淡な口調で続けた。

「……――せやけど、もう少しの間、このままでいてもらってもええか?」

「……………」

 若雪の細い腕に力が籠る。

嵐は優しい腕の中で目を閉じた。

そうして翼を傷めた鳥のように、身じろぎせずにいた。




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