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きれいな手で - 出会い -  作者: 灯屋 いと


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1/5

#1 パフェという存在

 嶺に初めて会ったのは、コンビニのドアを出たところだった。

 肩がぶつかった。向こうから来た男の肩が、朔の肩に当たった。どちらが悪いかは判断しなかった。どちらでもよかった。ぶつかった。それだけの事実だった。

 男が立ち止まった。朔も立ち止まった。コートがきちんとしていた。背が高かった。コンビニに入ってくる人間がほぼ全員持っている飲料か何かを、この男は持っていなかった。コンビニのドアに手をかけようとしている形でもなかった。入ってきたわけでもなく、買い物を終えたわけでもなく、この男はコンビニのドア前にいた。

「ちょっといいか」

 声が低かった。低くて、静かで、感情がなかった。業務の声だった。

 朔は立ち止まったまま男を見た。逃げる理由もなかったし、逃げても追いつかれる予感があった。

「公安か」

 男が少し目を細めた。肯定でも否定でもなかった。

「賢いな」

「馬鹿でもわかる」

 男の名前は堂島嶺といった。三十歳。公安警察官。婚歴なし。現住所は職場から自転車圏内の1DK。趣味の記録は公式には存在しない。全部あとで調べたら事実だった。

「飯食ったか」

「今からコンビニ弁当食う」

「食いながら話せるか」

 断る理由がなかった。コンビニ弁当はどこで食べても同じだった。

 嶺が連れていったのは駅前のファミレスだった。コンビニから歩いて五分のチェーン店。窓際の席についてメニューを開いた。コンビニの袋をテーブルの脇に置いて、ページをめくった。

 デザートのページで手が止まった。

 パフェがあった。

 大きい。写真でもわかるくらい大きかったが、サイズ感の注釈に「高さ約22cm」と書いてあった。クリームが山になっていて、てっぺんにイチゴが刺さっていた。底のほうにはコーンフレークが詰まっていて、途中の層に何かのソースがかかっていた。コンビニの陳列棚に並ぶプリンやショートケーキと比べると、別の次元の食べ物だった。量が違う。構成が違う。

「それ頼む」

「……パフェか?」

「食う」

 嶺はメニューをもう少し眺めてから、コーヒーを一杯頼んだ。朔のパフェと一緒に注文した。

 コンビニ弁当は袋の中に入れたまま席の横に置いていた。パフェが来るまで待つ。嶺が先に来たコーヒーを飲みながら、何かを切り出そうとしているのはわかった。業務中の顔のまま口を開こうとしていた。

「お前、組織の中で何をやってる」

「情報インフラ」

 朔は端的に答えた。

「具体的には」

「情報を集めて整理して出す。あとはシステムの管理」

「何歳だ」

「十三」

 嶺が少し黙った。コーヒーカップを持ったまま止まった。持ち直してから一口飲んだ。

「……十三で情報インフラか」

「うん」

「組織に入ったのはいつだ」

「十一のときに声かけられた。施設よりよかったから行った」

 嶺はまた黙った。今度は長かった。コーヒーを飲まなかった。

 パフェが来た。

 大きかった。写真の誇張じゃなかった。高さがあり、クリームがてっぺんでほんの少したわんでいた。朔に向かってひんやりとした冷気が漂ってきた。スプーンを刺すと、思ったより奥まで入った。底のコーンフレークまで一気に届く構造だった。

 甘かった。コンビニのプリンより甘くて、でも後味がしつこくなかった。クリームとイチゴ、アイアスクリーム、イチゴムースの比率が考えられている。途中の層のソースが甘みに複雑さを加えていた。コンビニのショートケーキはクリームが多すぎるか少なすぎるか単調ななかで、このパフェはちょうどよかった。

「美味いか」

 嶺がコーヒーを飲みながら聞いた。

「普通」

「嘘をつくな」

「嘘じゃない。基準と比べて美味い、てことを普通と言った」

 嶺は少し目を細めた。何かを処理しているような間があった。

「組織の現状、聞かせてもらえるか」

「別にいいけど」

 朔はクリームとイチゴを一緒にすくいながら話した。機密とか守秘とかいう概念は持っていない。情報は整理されていて、聞かれたら答えるし聞かれなければ答えない。それだけのことだ。嶺が公安として情報を集めている。朔が情報を持っている。交換する形式の接触だ。現在の組織の状態。構成員の概数。業務の範囲。嶺が知りい質問をした順に答えた。

「そこまで教えていいのか」

「聞かれたから答えた」

「……機密の概念は?」

「持ってない」

 嶺がため息をついた。

 パフェを食べ終わる頃には、組織についての一通りの話が終わっていた。コンビニ弁当は結局袋の中に入れたままだ。

 帰り際、嶺は「来週また話せるか」と言った。

「甘いもん食わしてくれるなら」

「……それが条件か」

「条件というより、来る理由がないと来ない」

 嶺がため息をついた。今日で何度目かだった。

「ああ、食わせる」

「約束」

「……ああ」

 取引成立。


*****


 翌週、嶺が来る前に朔はSNSを確認した。

 業務のサブ端末を使って、ファミレスから帰った日の夜にフォローしたスイーツ系のアカウントを確認した。ファミレスのパフェが基準になった。あれより量が多いか、あれより質が高いか。どちらかを満たせば行く価値がある。

 パンケーキの店があった。ランチタイムに行列ができる店で、朔一人では入れない。年齢的に入りづらい。嶺と一緒なら大人として機能してくれる。それだけのことだ。

「……なんでこんな店知ってんだ……」

 朔がスマホの画面を嶺に見せると、疲れた顔をされた。

「SNS。広告で出てきた」

「……業務中に見てるのか」

「業務用のブラウザのタブの一個で流れてきた。情報が来るから確認した」

 嶺がしばらく黙った。「そうか」とだけ言った。

 パンケーキはふわふわしていた。メニューの写真より現物のクリームの量が多かった。乗っけすぎなくらいだった。バナナが添えてあって、チョコレートソースがたっぷりとかかっている。メープルシロップが別添えで来た。甘かった。ファミレスのパフェよりも甘さが複雑だ。パンケーキ自体の甘みとクリームの甘みが層になっていて、チョコレートソースが全体をほろ苦い甘さで調和している。バナナは要らない。甘みの系統がずれる。端に避けた。

 嶺はコーヒーを飲んでいた。

「食わないの」

 朔は疑問を口にした。

「甘いもんは食わない」

「なんで」

「好みの問題だ」

「損してる」

「そうかもしれないな」

 嶺の返し方に感情がない。こちらの発言を処理して、適切な語彙を返す。公安として業務的に動いている人間の反応速度だった。朔に嶺に対する興味が立ち上がる兆しが生まれた。

 嶺はコーヒーを飲んでいた。朔はパンケーキのクリームをすくいながら、特に考えずに話した。組織の今月の動き。流通ルートの変化。一週間で処理した案件の数。嶺が何も聞かなくても情報が出てきた。機密という概念が朔にはない。情報は整理されていて、訊ねられなくても流れる。それだけのことだ。

「薬物の供給ルート、先月から仕入れ先が一カ所増えた。ハブの周辺に」

「ハブ?」

「風俗が集まってるエリア。人の出入りが多いから不審に見えない。うちがよく使う場所」

 嶺のコーヒーカップがほんの一瞬止まった。情報を処理しているときの動きだった。朔はパンケーキのシロップをかけながらその変化を観察データとして格納した。嶺は別の話をした。パンケーキを食べ終わる頃には今日の分の情報交換が終わっていた。嶺が代金を払った。

 その夜、朔は帰ってから調べた。嶺が薬物の供給ルートエリアで別の接触を持っていることは三十分もかからず確認できた。女。十代後半。薬物依存。業務として性労働をしている。

 ──こういう女も利用してんだ。

 事実認識のみで処理した。


*****


 三回目はスターバックスの季節限定フラペチーノだった。SNSの広告で見た。「限定」という概念が商業として機能していることはわかっていた。朔自身は限定に価値を感じる回路を持っていないが、「期間中にしか飲めない」という事実は変数として入力できる。試せるかどうかは効率の問題だった。

 嶺はブリュードコーヒーを頼んだ。甘いものは頼まなかった。フラペチーノはどろりとしていた。甘さが激しかった。スパイス系のフレーバーで、クリームの下に何かのソースが沈んでいた。ストローで底をかき混ぜると質感が変わった。一杯で三層構成になっていた。

「それ甘くないか」

 やや眉間に皺を寄せた嶺が訊いてきた。

「甘い」

 朔はあっさりと答える。事実。

「なんで飲む」

「脳みその餌だから」

 嶺が少し目を細めた。

「脳みその餌」

「糖分が思考速度に影響する。体感値として確認済み。甘いもんを定期的に入れると作業効率が上がる」

「……合理的なんだか合理的じゃないんだか」

「どっちも同じことを言ってる」

 嶺は何も言わなかった。今日は前の二回より口数が少なかった。組織の話を出しても深掘りしてこなかった。業務的な質問の密度が落ちている。何かを考えながら喋っているか、あるいは何かが変化しているか。観察データとして格納した。

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