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異世界料理道  作者: EDA
第四十七章 太陽神の復活祭、再び(上)
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紫の月の二十一日①~風来の童女~

2019.10/24 更新分 1/1

 翌日――黒の月の21日である。

『暁の日』の前日であるその日、俺たちがいつも通り露店区域まで出向いてみると、そこにはすでに《ギャムレイの一座》の天幕が張られていた。


 まあ、昨日の日中に到着したのだから、それは当たり前の話であるのだが。しかし、《ギャムレイの一座》の天幕というのは屋台10台分ぐらいのスペースが使用されているので、その威容にはやはり驚かされてしまった。


 恐ろしいぐらいに古びていて、ツギハギだらけの天幕である。平たい円錐状になった屋根のてっぺんは5メートルぐらいの高さがあり、側面などはあちこちがひしゃげている。やっぱりその姿は、巨大な恐竜の屍骸を連想させてやまなかった。


「あれが、《ギャムレイの一座》という旅芸人たちの天幕か。聞きしにまさる大きさであるようだな」


 俺たちが屋台の準備をしている間、そのように言いたてたのはライエルファム=スドラであった。本日は、家長みずからが護衛役として出向いてきてくれたのだ。


 本年も、《ギャムレイの一座》の天幕は、俺たちの屋台のほぼ正面に据えられていた。おたがいが北の端のスペースを希望しているので、これは当然の結果であるのだろう。10メートルばかりの道幅を持つ石の街道をはさんだ向かいに、その天幕がででんと立ちはだかっているさまは、壮観であった。


「しかし、その者たちの芸は、ずいぶん見ごたえがあるそうだな。昨年はユンが子供のようにはしゃいでしまって、みんな難渋していたのだ」


「嘘です。わたしはそんなに、はしゃいだりはしていません」


 と、隣の屋台で働いていたユン=スドラが、恥ずかしそうに声をあげる。

 しかし、実直さを旨とするライエルファム=スドラは「いや」と言い張った。


「俺は虚言を吐いたりはしない。お前は宿場町から戻るなり、火がついたように騒ぎたてていたではないか。顔も真っ赤にしていたし、本当に幼子のようであったぞ」


「もう! やめてくださいってば!」


 ユン=スドラには申し訳ないが、なんとも微笑ましいやりとりであった。

 そんな中、屋台の開店を待つ人々も、背後の天幕を振り返ってはざわめいている。宿場町の領民であれば見慣れた光景であるが、初めてジェノスで復活祭を迎える人々も多いのだろう。そんなざわめきも知らぬげに、天幕はひっそりと静まりかえっている。


「しばらくしたら、彼らも余興を始めると思いますよ。それだけで、ユン=スドラの心情はあるていど理解できると思います」


「そうか。では、そのときを楽しみにしていよう」


 そうして、屋台の準備は整った。

 朝一番の、ピークの始まりである。その中に、本日も建築屋のご家族の方々が含まれていた。


「あれは、旅芸人の天幕なんですってねえ。あんなに大きな天幕は、生まれて初めて目にしましたよお」


 バランのおやっさんの伴侶は、興奮しきった面持ちでそう言っていた。

 その隣で、末娘は「ふん」と鼻を鳴らしている。


「旅芸人なんて、たいていは無法者の集まりなんだからね。あの傀儡使いの子たちみたいに、いい人間ばっかりとは限らないんじゃないの?」


「ああ、あちらの天幕の方々はご心配いりませんよ。実は、森辺の民ともゆかりのある方々であるのです」


 本日は俺が日替わり屋台の担当であったので、『ギバの揚げ焼き』をこしらえながらそのように呼びかけると、末娘は不機嫌そうな視線を飛ばしてきた。


「……ねえ、なんであなたは、あたしみたいな小娘にそんな言葉づかいなの?」


「え? それはまあ、おやっさんのご家族に失礼があってはいけないと思いまして……」


「そういうの、よそよそしくって、あたしは嫌い」


 末娘がぷいっとそっぽを向いてしまうと、ご伴侶が取りなしてくれた。


「アスタ、あなたはおいくつなんです? この子よりは、上なんでしょう?」


「はい。俺は18歳です。……あ、森辺の民には生誕の日というのがあるので、銀の月を迎えてもしばらくは18歳のままですが」


「それでも、次に17歳になる娘よりは上ですねえ。おいやじゃなかったら、どうぞ気安く声をかけてやってくださいな」


「はい、善処いたします」


 しかし、末娘はその後、口をきくこともなく青空食堂へと向かってしまった。

 本日も、彼女の無邪気な笑顔を見るチャンスは訪れないようである。

 その後に訪れたのは、ラダジッドが率いる《銀の壺》の面々であった。


「ああ、ラダジッド。あれが以前にお話しした、《ギャムレイの一座》の天幕ですよ」


 俺は以前の歓迎の晩餐会で、《ギャムレイの一座》についても話題に出していた。もともとラダジッドたちは《ギャムレイの一座》の団員が生きたギバを捕獲するためにモルガの森に入ったことを知っていたので、それがいよいよジェノスにやってくるのだということをお伝えさせていただいたのである。


「やはり、そうでしたか。昨日、天幕、見かけたので、そうではないかと、思っていました」


 背後の天幕にちらりと目をやってから、ラダジッドはそう言った。


「以前にも、あの天幕、見かけた覚え、あります。たしか、西の王都、公爵領であった、思います」


「あ、そうなのですね。彼らの芸は、ご覧になりましたか?」


「余興のみ、拝見しました。軽業、見事であった、思います」


「天幕で行われる芸も、見事なものでありましたよ。それにやっぱり、ギバがどのように成長したかは気になるところですしね」


「はい。興味深いです」と答えながら、その面は無表情なので、いまひとつ内心がうかがえない。

 ちょうど『ギバの揚げ焼き』は油に投じたばかりであったので、俺はもう少し言葉を重ねてみることにした。


「そういえば、彼らはシムでも巡業しているはずなのですよね。そちらで見かける機会はなかったのですか?」


「はい。草原、広いですし、曲芸、楽しむ気風、ありません。旅芸人、王都や海辺、巡っている、思います」


「なるほど。それじゃあラダジッドたちも、あまり曲芸には興味がないのですか?」


「いえ。未知なるもの、興味、あります。ただ、銅貨、惜しみます。銅貨、払わずとも、旅、続ければ、未知なるもの、たくさん見れます」


 そんな風に言ってから、ラダジッドはわずかに目を細めた。


「ですが、生きたギバ、興味あります。また、未知なる獣、興味あります」


「ああ、ジャガルに生息する獣なんかだと、どれだけ旅をしても目にすることはできませんものね。ええと、たしかライオウっていう鳥はジャガル生まれだったような……あと、ヴァムダの黒猿というのは、シムとジャガルの狭間に生息するのでしたっけ?」


「そう、ヴァムダの黒猿、いるのですね。以前、聞いた覚え、あります」


 以前とは、婿入りを願うシュミラル=リリンに付き添って、ルウ家を訪れた際のことだろう。そのときに、猟犬を森に入れることは許されるか否かという話題になり、そこで、《ギャムレイの一座》が黒猿などの獣たちを引き連れて森に入ったことがある、という話に至ったのだ。


「ヴァムダの黒猿というのは、ものすごい迫力でしたよ。危険はないとわかっていても、思わず怯んでしまいそうになるほどでした」


「興味深いです。ヴァムダの黒猿、目にする機会、ありません。いずれ、天幕、おもむこう、思います」


 そんな言葉を残して、ラダジッドも青空食堂に立ち去っていった。

 すると、隣の天幕でパスタの茹で上がりを待っていたマルフィラ=ナハムが声をあげてきた。


「そ、そ、そういえば、あの旅芸人たちはギバを捕まえていったのですよね。そ、そのような話を、伝え聞いた覚えがあります」


「うん。よかったら、仕事の後にでも拝見させてもらおうよ。他のみんなも、そのつもりだからさ」


「い、い、いえ。わ、わたしは勝手に銅貨をつかうことはできませんので……」


 と、もともと撫で肩であったマルフィラ=ナハムの肩が、いっそう下がってしまう。ラヴィッツの血族は銅貨の扱いにシビアであるので、事後承諾というのは許されないのだろう。


「あ、それだったら――」と、俺が言いかけたとき、ライエルファム=スドラがマルフィラ=ナハムに手を差し出した。そこにのせられていたのは、俺が懐から取り出そうとしていた赤い花である。


「ならば、お前にはこれを贈ろう」


「な、な、なんでしょうか、これは? こ、こんなに生き生きとした花なのに、まったく香りがしないのですね」


「お前はこの距離で、花の香りを嗅ぎ分けられるのか? ……これは、旅芸人たちが配り歩いていたという、作り物の花だ。お前も昨日、目にしたのではないか?」


「あ、ああ、あれは作り物の花であったのですか。あ、あのときは往来であったので、香りの有無に気づくことができませんでした」


「この際、香りはどうでもいい。この花を差し出せば、ひとたびはあの天幕の中に入れるのだそうだ」


 マルフィラ=ナハムは、いっそうせわしなく目を泳がせることになった。


「そ、そ、それではその作り物の花に、銅貨と同じ価値があるということなのですね。そ、そのようなものをいただくわけにはいきません。そ、それはユン=スドラが受け取ったものなのでしょう?」


「受け取ったのではなく、道に落ちていたものを拾ったのだそうだ。そしてそれは俺に受け渡されたので、ユンひとりではなくスドラの家の富となる」


 小猿のように皺深い顔に真面目くさった表情を浮かべつつ、ライエルファム=スドラはさらに手を突き出した。


「俺はスドラの家長として、これをナハムの家人たるお前に贈ろう。家長には、そのように告げるといい」


「で、で、ですが、そのようなものをいただくいわれがありませんので……」


「いわれは、ある。森辺の民は、これまで目に入れようとしてこなかったさまざまなものを目にする必要があるはずだ。本日、ラヴィッツの血族はお前ひとりであるのだから、お前は血族の代表として、あの天幕の内を見届けるべきではないか?」


 あくまでも慇懃に、ライエルファム=スドラはそのように言いたてた。

 そこで砂時計の砂が落ちきったので、マルフィラ=ナハムはいそいそとパスタを仕上げる。そうして次なるパスタが鉄鍋に投じられ、またマルフィラ=ナハムが手空きになると、ライエルファム=スドラは言葉を重ねた。


「あの天幕の内には、かつて黒き森にて先人たちが相手取っていた黒猿と、人間に育てられたギバがいるのだと聞く。それ以外にも、森辺の民が目にするべきものが待ちかまえているかもしれん。それが銅貨を支払ってでも見るべきものであるかどうか、お前が見届けて、それを血族たちに伝えるのだ」


「で、で、ですが……」


「あとの判断は、ラヴィッツやナハムの家長たちにゆだねるがいい。少なくとも、お前が叱責されるようなことにはならないはずだ。俺は、そのように信じている」


 そこまで言って、ライエルファム=スドラはふいにくしゃりと笑みを浮かべた。


「……長々と語らってしまったが、そこまで重く考える必要はない。お前が昨日の内に家長たちに話を通していれば、きっと銅貨を支払うことを禁じたりはしなかったはずだ。黒猿やギバに興味のない狩人など、森辺にはひとりとして存在しないだろうからな」


「で、で、ですがわたしは、狩人ではありませんので……」


「しかし、あの天幕の内が気になるのであろう? 理由としては、それだけで十分なぐらいだ。……何にせよ、俺はスドラの家長として、ナハムの家人たるお前に申し出ている。この申し出を断ることのほうが、のちのち禍根を生むやもしれんな」


 どうやら軍配は、ライエルファム=スドラに上がったようだった。

 マルフィラ=ナハムもこう見えて、自分の意見を曲げない頑なさを有しているのだが、やはり人生経験の差であろうか。硬軟と剛柔をあわせもったライエルファム=スドラの言い分には、太刀打ちできなかったようだ。


 そうしてマルフィラ=ナハムは、ライエルファム=スドラから赤い造花を受け取ることになった。

 俺の造花は、出番なしである。けっきょく俺も、機転の勝負でライエルファム=スドラに敗北したようなものであった。なんとも心地好い敗北感だ。


 そんなこんなで、朝一番のピークは終わりを迎えた。

 客足はいくぶんゆるやかになり、屋台で働いていた面々はほっと一息をつく。

 ピノがやってきたのは、そんなタイミングであった。


「おひさしぶりだねェ、森辺のみなさんがた。ご壮健なようで、何よりだよォ」


 朱色の和服めいた装束を纏ったピノが、ふわりと屋台の前に立つ。

 その闇よりも黒い瞳は、真正面から俺を見つめていた。


「昨日もちらりと見かけたから、ご挨拶できるかと期待してたんだけどねェ。道を折り返して戻ってみたら、影も形もありゃしない。アタシはたいそう悲しい気持ちになっちまったよォ」


「あ、それは申し訳ありませんでした。天幕の設営などで忙しいだろうと思って、昨日はあのまま失礼させてもらったのですよね」


「ふふ……そんな真顔で謝られちまったら、挨拶に困るねェ。アタシみたいなロクデナシの軽口には、うるせェなアバズレの一言で十分なんだよォ」


 そう言って、ピノは血のように赤い唇をにっと吊り上げた。


「そちらも相変わらずのようだねェ、アスタ。お元気なようで何よりさァ」


「はい。そちらもお元気なようで、何よりです」


 たったこれだけの会話で、俺はもうピノの持つ不可思議な空気の中に取り込まれてしまったような心地であった。

 変人ぞろいの《ギャムレイの一座》であるが、やはりピノの特異さは飛び抜けているのだ。彼女には、とりわけ御伽噺の住人のごとき雰囲気があふれかえっているのだった。


 容貌に、変わるところはない。12歳か、せいぜい13歳ぐらいにしか見えない幼さであるのに――1年ぶりに見るピノは、何も変わっていなかった。ユーミは6年前にもピノの姿を見ていたが、その頃から何ひとつ変わっていないという話であったのだ。


 その顔は、人形のように美しい。というか、生命を吹き込まれた人形のごとき様相である。

 絹糸のように艶やかな黒髪は、何本もの三つ編みにされて、膝のあたりまで垂らされている。ぷつりと切りそろえられた前髪の下には切れ長の黒瞳が光り、毒花の蕾のごとき唇はまざまざと赤く、肌は陶磁器のように白い――見れば見るほど、この世のものならぬ美しさを秘めた童女であった。


「どうしたんだい、ポカンとしちまってさァ。……アタシの色香にたぶらかされちまったのかァい?」


「あ、いえ、決してそういうわけでは――」


「だから、冗談だってばさァ。アタシなんかの戯れ言にいちいちオタオタしてたら、キリがないよォ?」


 和服のように幅の広い袂で口もとを隠しつつ、ピノはころころと笑う。

 それで俺も、ようやく肩の力を抜くことができた。


「1年ぶりだったので、すっかり空気に呑まれてしまいました。そちらも相変わらずみたいですね、ピノ」


「もちろんさァ。これが、アタシたちだからねェ」


 落ち着きを取り戻した俺は、ようやくピノと再会できた喜びを噛みしめることができた。

 そうと見て取ったのか、ずっと口をつぐんでいたアイ=ファも声をあげる。


「本当に、息災なようだな、ピノよ。他の者たちにも変わりはないか?」


「ええ、どいつもこいつも殺したって死ぬようなタマじゃないからねェ。うんざりするぐらい、元気でさァ」


 歌うような節回しで語りつつ、ピノは背後に手を差しのべた。


「ほォら、腹を空かせた亡者どもがやってきたよォ。今年も美味しい美味しいギバの料理を食べさせてくださいなァ」


 大小の人影が、こちらに近づいてくる。人数は、4名だ。それは、吟遊詩人のニーヤと、刀子投げの小男ザン、そして双子のように似通ったアルンとアミンという顔ぶれであった。


「おお、ようやく再会できたね、美しき人。この1年は毎日、君の幻影に悩まされてしまったよ」


 開口一番の浮ついた言葉に、アイ=ファは心底嫌そうな顔をした。言葉の主は、もちろんニーヤである。軽佻浮薄の権化のごときこの若者は、アイ=ファにとって天敵のようなものだった。


「このような繰り言を口にするのも虚しい話だが、森辺においては虚言も外見を褒めそやすことも禁忌とされている。《ギャムレイの一座》という一団の中で、お前とだけは心を通い合わせることは難しいだろう」


「おお、つれないお言葉だ。しかし、その冷たい言葉と眼差しこそが、俺の魂を魅了してやまないのさ」


 ニーヤはへこたれた様子もなく、涼しげに微笑んでいる。鳥打帽のようなものをかぶり、ギターのような楽器を背負った、なかなか見目のよい青年である。体型などもすらりとしているし、相手が森辺の民でなければ、異性にもてはやされるタイプであろう。


 いっぽう小男のザンは、この中でもっとも恐ろしげな姿をしている。顔にはすっぽりと革の仮面をかぶっており、身体は小さいが、筋肉が物凄い。背丈は150センチていどであるのに、腕だけは異様に発達しており、俺よりも長くて太いぐらいであるのだ。言ってみれば、ライエルファム=スドラの胴体にダン=ルティムの腕をくっつけたような体型であった。


 そして、アルンとアミンはとても繊細な面立ちをした幼子である。年齢は10歳ぐらいで、こちらもあまり成長したようには思えない。くるくるとした栗色の巻き毛をしており、瞳や肌の色も淡く、双子の天使のように可愛らしい。おどおどとした不安げなたたずまいも、相変わらずであった。


「まったく、凝りないぼんくらだねェ。手当たり次第に色目を使って、最後には張り倒されることになったってェのに、アンタはまだ凝りちゃいないのかい?」


「手当たり次第とは、心外だね。俺が魂を捧げるのは、俺が心底から美しいと思った相手だけさ。そう、たとえばこちらの彼女のようにね」


「あァもう、聞いてるだけで尻っぺたがかゆくなっちまうねェ。アンタも我慢ならなくなったら、お好きなだけ小突き回してやっておくれよォ、アイ=ファ? 口と指さえ残してくれたら、あとは細切れにしちまってもかまわないからさァ」


「……腹立たしくてならないのは事実だが、むやみに荒事を起こすのも禁忌となる。願わくは、同胞たるお前たちがその粗忽者の口をふさいでもらいたい」


「そりゃそうかァ。コイツを小突いたどこやらの家長さんも、お連れの娘さんにたいそう叱られていたものねェ」


 どうやらそれは、ラウ=レイとヤミル=レイのことであるようだった。ルウ家で開かれた祝宴の場において、ニーヤはこの調子でヤミル=レイにも色目を使い、ラウ=レイから鉄拳制裁を受けたという話なのである。


「かといって、アタシらの言うことを聞くぼんくらじゃないし……ここはひとつ、カミュアの旦那のお力でも拝借しようかねェ」


 ピノの言葉に、ニーヤはギクリと身体をすくませた。

 そういえば、彼はカミュア=ヨシュが大の苦手という話であったのだ。


「い、いきなりあんなやつの名前を出すんじゃないよ。あいつは、関係ないだろ?」


「関係ないことがあるもんかい。あのお人こそ、森辺のみなさんがたとは懇意にされてるんだよォ? 森辺のお人に失礼があったら、さぞかしお怒りになるんじゃないのかねェ」


「お、俺は別に、何も失礼なことなんか――」


「そういえば、あのお人もギバの料理をたいそう好んでらしたよねェ。ここで待ってりゃあ、じきにお会いできるんじゃないのかァい?」


 にまにまと微笑みながらピノが言いたてると、ニーヤは怖気をふるって左右を見回し、背中の楽器を担ぎなおした。


「へん。興を削がれたから、俺はひと仕事してくるよ。城下町では、可憐な娘さんたちが俺の歌を待ってるんだからな!」


「カミュアの旦那だって通行証をお持ちなんだから、城下町に逃げたって逃げきれないよォ」


「うるせえや!」とわめきつつ、ニーヤはそそくさと北の方向に駆け去っていった。

 ピノは口もとをおさえながら、けらけらと笑う。


「あのぼんくらを黙らせるには、カミュア=ヨシュのお名前を拝借するのが一番だねェ。どうぞご容赦くださいよォ、みなさんがた」


「うむ……本当にあやつは、カミュア=ヨシュを恐れているようだな」


「あァ、あのぼんくらが粗相をしたとき、カミュアの旦那がちょいとこらしめてくれたんでねェ。カミュアの旦那にしてみりゃあ、キイキイ騒ぐギーズの鼻を指で弾いたぐらいの気持ちだろうけれど、あの腰抜けには十分だったみたいでさァ」


 カミュア=ヨシュが余人にお説教というのは、なかなか想像しにくい光景である。それに、カミュア=ヨシュこそニーヤのようなタイプとは仲良くなれそうなイメージであるのに、そうはならなかったようだ。


「そういえば、カミュアとはもうお会いしたのですか?」


「あァ、アタシらが天幕をおったててるときに、挨拶に出向いてくれたよォ。あのお人も、相変わらずのようだねェ」


「リコたちも挨拶をしたのですよね。朝方に、そう聞きました」


「そうそう、あの娘らの劇も拝見したよォ。なかなか立派な劇だったねェ」


 リコたちに俺の存在を知らしめたのは、このピノであるのだ。そしてピノたちに森辺の民の存在を知らしめたのは、カミュア=ヨシュである。そう考えると、やはり不思議な縁であった。


「さァて、それじゃあそろそろ料理をいただこうかねェ。1年ぶりのギバ料理を、心ゆくまで楽しませていただくよォ」


 そう言って、ピノはまた赤い唇を吊り上げた。

 これだけ怪しげな風貌であるのに、警戒心をかきたてられたりはしない。ピノはこう見えて、あのジザ=ルウから「信義のある人間」と見なされているのだ。

 そして俺は、ジザ=ルウよりも早くピノと出会い、その人柄に心をひかれていた。それだけの魅力が、この不思議な童女には備わっているのである。


(明日はいよいよ『暁の日』だし……ついに復活祭が始まったって感じだな)


 そんな思いを胸に、俺は新たなギバ肉を油の煮えたった鉄鍋に投じることになった。

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[一言] やっと出てきたな。ピノ。
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