紫の月の二十日③~さらなる再会~
2019.10/23 更新分 1/1
その日も俺たちは、定刻になる少し前ぐらいにすべての料理を売り切ることになった。
そして本日も、この後は少しばかりの所用が控えている。それに参加するのは、やはり荷車1台分の6名であった。その顔ぶれは、俺、アイ=ファ、ユン=スドラ、マルフィラ=ナハム、リミ=ルウ、フォウの男衆、というものである。
「森辺の狩人が宿屋の仕事を手伝うなんて、すごいよねー! いったいどんな仕事をまかされてるんだろー!」
アイ=ファの左腕を抱きすくめて街道を歩いていたリミ=ルウが、至極楽しげな笑顔でそのように言っていた。
その発言から察せられる通り、本日はジョウ=ランが《西風亭》の仕事を手伝いに出向いてきているのである。
ジョウ=ランは、いつかユーミと婚儀をあげることになるかもしれない。そのあかつきには、休息の期間にジョウ=ランが《西風亭》の仕事を手伝うという道筋もあるのではないか――という話に基づいて、ジョウ=ランが《西風亭》に職場体験を申し入れたのである。
「ほ、ほ、本当にすごいお話ですよね。わ、わ、わたしもいったいどのような有り様であるのか、しっかり見届けてきてほしいと、リリ=ラヴィッツから言い渡されました」
マルフィラ=ナハムが同行を願い出てきたのは、そういう理由からであった。リミ=ルウもいちおうは同じような理由であり、あとは血族であるユン=スドラとフォウの男衆が選出されたわけである。
で――《キミュスの尻尾亭》に屋台を返して、ついでに荷車も預かってもらったのちには、モルン=ルティムとディック=ドムも加わることになった。昼に屋台を訪れたとき、シーラ=ルウから事情を聞いたディック=ドムが、同行を願い出てきたのだ。理由はやはり、同上であろう。
「かまど仕事だったら、俺たちも《キミュスの尻尾亭》という宿屋を手伝ったことがあるのですけれどね。森辺の男衆が宿屋の仕事を手伝うというのは、俺にもちょっと想像がつきません」
《西風亭》に案内する道行きで、俺はディック=ドムに語りかけてみた。
ディック=ドムは厳しく引き締まった面持ちで、「うむ」とうなずく。
「しかも、そのジョウ=ランという男衆は、6氏族の収穫祭で勇者になるほどの狩人であるのだな?」
「はい。3回の収穫祭で2回勇者になったぐらい、立派な狩人です。ただ、ちょっぴり変わり者というか……いささか町の人たちに通じる物の考え方をするところがあるので、意外と宿屋の仕事も器用にこなせるかもしれませんね」
そんな言葉を交わしている間に、《西風亭》へと至る裏通りに到着した。
狩人の護衛なしには足を踏み入れないようにと言い渡されている、いわゆる貧民窟である。その裏通りもなかなかに賑わっていたが、やはり刀を下げている人間が多く、そして、巡回する衛兵の姿も普段以上に多いようだった。
「いちおうこの辺りは、まだそれほど危険ではないとされています。《西風亭》よりさらに奥に進むには、いっそうの用心が必要という話ですね」
俺がそのように説明するまでもなく、狩人の面々は眼光を一段階鋭くしていた。余所からやってきた無法者というのは、森辺の民を恐れる気持ちが希薄であるために、もっとも危険な存在なのである。
しかしその裏通りにおいても、俺たちが無法者にからまれることはなかった。
衛兵たちが厳しく目を光らせているという恩恵もあろうし、それにやっぱりディック=ドムの迫力というのは規格外であろう。むしろ、ディック=ドムの迫力に気圧されて、路地裏に逃げ出していく無法者が散見できる始末であった。
(失礼しちゃうなあ。ディック=ドムが自分から騒ぎを起こすわけがないのに)
俺がそんな感慨を抱いたとき、《西風亭》に到着した。
扉は開け放たれており、中からは賑やかな声が聞こえてくる。俺とアイ=ファがそっと覗いてみると、このように日の高いうちから客席の半分ぐらいが埋まっており、いかにも無頼漢といった風貌をしたお客たちが果実酒をかっくらっていた。
「うーん、盛況だな。こんな大人数で押しかけて、迷惑にならないといいんだけど……」
俺がそのようにひとりごちたとき、客席の間からひょこりとユーミが現れた。
片手に空の盆を下げており、客席の酔漢たちに明るく笑いかけている。その目が、ふっと俺たちのほうに向けられた。
「やあ、ずいぶん早かったじゃん! もう屋台の仕事は終わったの?」
屈託なく笑いながら、ユーミがこちらに近づいてきた。
そうして扉の外に顔を出すなり、「わ」と目を丸くする。
「なんか、人数が多くない? 来るのは6人って聞いてたけど……って、あんた、モルン=ルティムじゃん!」
「はい。おひさしぶりです、ユーミ」
モルン=ルティムは長らく屋台で働いていたので、もちろんユーミとは見知った仲である。そしてユーミは、ガズラン=ルティムともそれなりの縁を紡いでいたのだった。
「わー、ほんとにひさしぶり! 元気にしてた? いや、見るからに元気そうだよね! ひさびさに会えて、嬉しいよ!」
こういうときのユーミは、見ているこちらが温かい気持ちになるぐらい無邪気である。モルン=ルティムも嬉しそうに笑いながら、はしゃぐユーミの姿を見返していた。
「あれ? それじゃあもしかして、そっちのお人は……」
「はい。ドム本家の家長、ディック=ドムです」
「へーえ! こりゃあ想像してた以上に立派なお人だ! あたしは《西風亭》のユーミだよ! よろしくね、ディック=ドム!」
ディック=ドムは厳しく引き締まった面持ちのまま、「うむ」とうなずいた。
ドンダ=ルウと初対面の挨拶をしたときなどは相当に動揺していたユーミであったが、あれからたびたび森辺に招かれて、すっかり免疫もついたのだろう。ディック=ドムの迫力に怯む様子もなく、ユーミはにっと白い歯をこぼしていた。
「今日はちょっと、客席が混みあってるんだよね。悪いけど、裏のほうから回ってくれる?」
「うん、もちろん。勝手に押しかけたのはこっちだからね」
「それを言ったら、騒動の大もとはあたしとジョウ=ランでしょ。あいつもさー、宿の仕事を覚えたいだなんて、ちょっと気が早すぎるんだよ」
と、今度は可憐に頬を染めるユーミである。
ユーミは手に持っていた盆で顔の下半分を隠すと、左の方向を指し示した。
「こっちから建物に沿ってぐるっと回れば、裏に出られるからさ。それじゃあ、よろしくね」
ユーミが引っ込んでしまったので、俺たちは指示通りに建物の裏口を目指すことにした。
そうして発見した扉をノックすると、「はいよ」という気安い声が返ってくる。
やがて扉が開かれると、そこから現れたのはユーミの母親シルの笑顔であった。
「お待ちしていたよ、森辺のみなさんがた。どうぞ中に……と言いたいところだけど、全員をお招きするのは、ちょいと窮屈かねえ」
「あ、わたしたちは、ここでけっこうですので」
「わ、わ、わたしもこちらから、お話をうかがわせていただきたく思います」
ということで、モルン=ルティムとディック=ドム、およびマルフィラ=ナハム以外の人間が、お邪魔することになった。
扉の向こうは厨であり、白い湯気がもうもうとあがっている。その湯気の中に、店主たるサムスとジョウ=ランの姿があった。
「なんだ、また見物人が集まりやがったのか」
ぶすっとした顔で、サムスが言い捨てる。首や腕に古傷のある、かつては荒事を生業にしていたという強面のご主人である。
「また」というのは、早い時間にバードゥ=フォウたちも《西風亭》を訪れたのだろう。フォウの血族の立場ある人々こそ、これは見過ごせない一大事であるはずだった。
「みなさん、お疲れ様です。屋台のほうも、無事に仕事を終えたのですね」
続いて、ジョウ=ランもにこやかに挨拶をしてくる。
その手に握られているのは木製のレードルであり、鉄鍋の中身をゆっくりと攪拌している。その姿を見て、アイ=ファはわずかに目を見開いた。
「お前は……かまど仕事を手伝っているのか?」
「はい。薪割りの仕事も、中天の前には終わってしまいましたので」
ジョウ=ランはのほほんとしていたが、確かにそれは特筆するべき話であるのだろう。森辺において、13歳以上の男衆がかまど仕事を手伝うというのは――俺という例外を除いて――ありえない話なのである。
なおかつジョウ=ランは、狩人の衣も刀も外して、普段の装束の上に前掛けをつけていた。森辺には前掛けをつけるという習わしもないので、その姿もなかなかに物珍しい。
しかしジョウ=ランは、森辺の狩人にしては優しげな面立ちをしており、物腰もやわらかい。そういう意味では、前掛けをつけた姿がそこまで珍妙なわけではなかった。
「うちの主人は、朝から力仕事ばかりを押しつけていたんだけどねえ。それもジョウ=ランがさっさか片付けちまったから、いよいよ厨に入れることになったんだよ」
シルが笑いながら言うと、サムスは「うるせえな」とそっぽを向いた。
以前にユーミとジョウ=ランの婚儀について話し合われたとき、サムスは怒りの極みにあり、シルはさみしげに微笑んでいたものだが――本日の両者は、いつも通りのたたずまいであった。
「さ、そろそろいい具合に火が通った頃合いだろ。最後にミソを入れて、また煮込んでおくれ」
「はい。ミソの量はどれぐらいでしょう?」
「そこのでっかい木匙で3杯ってところだね。……ああ、違う違う。そんな山盛りにしたら、とんでもない味になっちまうよ。こう、上にはみだした分はこそぎ落としてから入れるのさ」
「そうなのですね。でも、それなら山盛り2杯でも同じぐらいの量になるのではないですか?」
「同じぐらいじゃ駄目なんだよ。水の量をきっちり決めてるんだから、ミソの量もきっちり同じにしないといけないのさ。……ねえ、アスタ?」
「はい。仰る通りです」
というか、それは俺が宿場町の人々に指南した、ミソの扱い方であった。
すくい取ったミソは、木皿に移した煮汁に溶いて、それを鉄鍋に戻す。レードルにすくったミソを木串か何かで溶くという作法も伝授はしていたが、扱いなれていない人間はミソの塊を鍋にこぼしてしまう恐れがあるので、初心者には前者のほうがおすすめである。
「あとは、ひと煮立ちさせたら、完成だよ。何も難しいことはなかったろ?」
「はい。最初に具材を切り分けるというのが、一番難しかったと思います」
「いやあ、初めてのわりには上出来だったよ。アスタから色々と教えてもらうまでは、あたしらだって自慢できる腕前じゃなかったからねえ」
そんな風に言いながら、シルは木皿にすくった煮汁を俺に差し出してきた。
「よかったら、味見をしておくれよ。悪い出来ではないと思うよ」
「はい、いただきます」
木皿をすすってみると、過不足のない味わいが口に広がった。どうやらこれは、ギバ肉を使った『ギバ汁』のようである。ギバ肉の力強い出汁が、しっかりと味を支えている。
「美味しいですね。森辺で食べる『ギバ汁』と遜色ない味わいです」
「わ、わたしも味見をさせていただけますか?」
ユン=スドラの要請に応じて、シルは新しい木皿に煮汁をすくってくれた。
それをすすったユン=スドラは、ちょっと複雑そうに微笑む。
「美味ですね。シルが手ほどきをしたのなら、当然なのかもしれませんが……これを、ジョウ=ランが作りあげたのですか?」
「はい。すべてシルの教えの通りに作りました。もう1度、ひとりで同じものを作れと言われても、それはきっと無理だと思います」
「それはそうなのでしょうけれど……でも、最初に作った料理がこんなに美味だなんて、すごいことだと思います」
「いやあ、それはシルの力量です。……でも、そんな風に言ってもらえるのは嬉しいことですね。アスタやユン=スドラたちは、いつもこのような心地であったわけですか」
そう言って、ジョウ=ランは屈託なく微笑んだ。
「かまど番の喜びや誇りというものが、少し理解できたように思います。自分の作ったものを美味しいと言ってもらえるのは、こんなに嬉しいものであるのですね」
「うん。だから森辺のかまど番も宿屋の人たちも、苦労を惜しまずに頑張ろうと思えるんだよ」
「素晴らしいことですね。アイ=ファもたまには、アスタに料理を作ってさしあげたらどうですか?」
「……………………やかましい」と、たっぷり間を取った上で、アイ=ファは低く言い捨てた。唇がとがるのを、懸命に抑制している様子である。
そのとき、客席とつながっている出入り口から、ユーミが駆け込んできた。
「なに? 昼からぎばじるなんて作ってたの? お客どもが、なんの匂いだって騒ぎだしたんだけど!」
「そりゃあ、そいつが目的だったからね。注文は入ったのかい?」
「うん、とりあえず1杯だけね。今日は新参のお客が多いから、ミソを知らない人間がほとんどなんじゃないかな」
「それじゃあ、とっとと持っていきな。そのお客を喜ばせることができれば、他のお客も銅貨を出す気になるだろうさ」
「はいはい」と応じながら、ユーミはジョウ=ランのもとまで歩を進めた。
そちらににこりと微笑みかけてから、ジョウ=ランはシルに向きなおった。
「その前に、ユーミにも味見をお願いしたいのですが、かまわないでしょうか?」
「うん? ……そうだね。あんたもジョウ=ランの作った料理を味見してみな」
「えー? 母さんがつきっきりで教えてたんなら、大失敗するはずないじゃん」
頬を赤らめるユーミに、ジョウ=ランが木皿を差し出した。
それを口にしたユーミは、「うん」と小さくうなずいた。
「どうでしょう? 美味だったでしょうか?」
「だから、美味しいってば! とっととお客の分の準備をしてよ!」
ジョウ=ランは嬉しそうに笑いながら、新たな木皿に『ギバ汁』をすくった。
それを盆にのせて、ユーミは逃げるように立ち去っていく。その姿を見届けて、ユン=スドラは俺とフォウの男衆の顔を見比べた。
「では、わたしたちはそろそろ失礼いたしましょうか」
「そうだね。あんまり長居をしちゃ申し訳ないし」
俺たちはシルとサムスに礼を言って、その場を辞することにした。
裏口の扉を閉めると、マルフィラ=ナハムがせわしなく声をあげてくる。
「な、な、なんだかとても、自然な姿でしたね。さ、最初はぎょっとしてしまいましたが、すぐに見慣れてしまいました」
「うん。これはきっと、ジョウ=ランの順応力の高さゆえだろうね」
「じゅ、じゅんのうりょくですか……ジョ、ジョウ=ランでしたら屋台で働いても、すぐにわたしより立派に仕事を果たせそうです」
「それは言い過ぎかもしれないけど、でもジョウ=ランだったらありえるのかもしれないね」
笑いながら視線を巡らせた俺は、そこに思いがけないほど真剣な表情を見て取って、息を呑むことになった。
ディック=ドムが、閉ざされた扉を食い入るように見つめていたのである。その姿を見守るモルン=ルティムは、ちょっと心配げな面持ちであった。
(そうか。ジョウ=ランはディック=ドム以上に、森辺の習わしから外れた行いに及んでるんだよな。町の人間を伴侶に迎えて、自分も町で働こうだなんて……それは、俺やシュミラル=リリンに匹敵するぐらいの大ごとであるはずだ)
なおかつジョウ=ランは、そういった行いを飄々とこなしているように見えてしまうタイプである。おそらくそれは表面に出さないだけで、内心では深く思い悩んだ末の決断であろうと思うのだが――闘争心を剥き出しにしないジョウ=ランは、そういった心情も包み隠すのが巧みなのであった。
とりあえず、《西風亭》の視察は完了したので、主街道を目指して歩を進める。その間も、ディック=ドムはずっと真剣な目つきをしていたので、俺はたまらず声をかけることになった。
「あの……ジョウ=ランは如何でした? 北の集落には、ああいう気性の男衆もあまりいないような気がするのですが」
「うむ。確かに、そうかもしれん。……あのジョウ=ランは、勇者に相応しい強靭な心を有しているのだろうな」
(強靭な心)と、俺は心中で反復することになった。
それが理解できているのなら、どうしてディック=ドムはこのように張り詰めた面持ちをしているのだろう。
もしかしたら――ディック=ドムは、柔軟性と順応力をあわせもつジョウ=ランに、感服していたのだろうか。それで、なかなかモルン=ルティムとの婚儀に踏み出せない自分の現状を顧みていたのだろうか。
(でも、ジョウ=ランは分家の家人で、ディック=ドムは本家の家長だ。背負っているものの大きさが違うんだから、ジョウ=ランに引け目を感じる必要はないだろう)
そのように考えた俺は、ディック=ドムの巨体を見上げながら、このように口走ってしまった。
「でも、ディック=ドムも立派な狩人です。ディック=ドムほど強靭な心を持つお人は、森辺でもそうそういないと思います」
結果、ディック=ドムはけげんそうに眉をひそめることになった。
「いきなりそのように褒めそやされると、俺はなんと答えればいいのかもわからないのだが」
「あ、失礼いたしました。俺の勝手な感想ですので、どうかお気になさらないでください」
どうやら俺は、必要以上に感情移入してしまったようである。確かにこれでは唐突すぎて、ディック=ドムも返答に困ってしまうだろう。
ただ、ディック=ドムのかたわらを歩いているモルン=ルティムは、俺に微笑みかけてくれていた。
その目が「ありがとうございます」と語っているように感じられるのも、やはり俺の一人合点であるのだろうか。
(まあいいや。何にせよ、こうやって色々な場所を見て回るのは、ディック=ドムにもいい影響をもたらすんじゃないのかな)
そんな具合に、俺は自分の気持ちをまとめあげることにした。
主街道に出た後は、人混みをかき分けて南に進む。やがて露店区域の終わりに行き当たると、そこに見覚えのある荷車を発見した。
骨のカラスが描かれた、リコたちの荷車である。さきほど通りかかったときは何かの劇をお披露目していたが、現在は休憩中であるらしい。荷台の後部に並んで腰をかけているリコとベルトンの姿が見えた。
「やあ。今日はもう店じまいかな?」
「あ、みなさん! 今日はあと何回か劇をお見せしてから、ルウの集落に向かうつもりです」
リコはにこにこと笑っており、ベルトンはそっぽを向いている。そして荷車のかたわらには、ヴァン=デイロが無表情にたたずんでいた。
リコたちはかつて北の集落まで足をのばしていたので、ディック=ドムやモルン=ルティムとも見知った仲だ。リコとモルン=ルティムは不愛想な相方の分まで朗らかに微笑みながら、挨拶を交わしていた。
「それではリコたちは、また森辺で夜を明かす予定であるのですね。北の集落まで来てくださったら、みんな喜ぶと思うのですが……それはさすがに、お手間でしょうか?」
「いえ。できることなら、すべての氏族の家を巡らせていただきたく思っていました。北の集落の方々も、わたしたちが訪れることをお許しくださるでしょうか?」
「もちろんです! ……あ、わたしが勝手にこのようなことを言ってしまうのは筋違いでしたね。ディック=ドムは、どう思われますか?」
モルン=ルティムに水を向けられると、ディック=ドムは「うむ」と重々しくうなずいた。
「北の集落においても、傀儡の劇を喜ぶ人間は多かった。ザザの家長にして族長たるグラフ=ザザも、お前たちの逗留を拒絶することはないだろう」
「ありがとうございます。それではいずれ、お邪魔させていただきたく思います」
ドンダ=ルウに怯まないリコは、ディック=ドムに怯むこともなかった。
いっぽうディック=ドムは、無言でたたずむヴァン=デイロを気にしている様子である。町の人間としては規格外の力を持つというヴァン=デイロであるので、やはり嫌でも意識してしまうのだろうか。
そのとき――北の方角から、喧噪の気配が伝わってきた。
「なんの騒ぎだ?」と、ディック=ドムがモルン=ルティムを庇える位置に移動する。
荷台の上で立ち上がり、喧噪の方向に目をすがめたリコは、「あっ」と大きな声をあげた。
しかし、リコが次の言葉を発するより早く、その声が聞こえてきた。
「さあさあ、《ギャムレイの一座》だよォ! ジェノスの皆様は、元気にお過ごしだったかなァ?」
景気のいい、旅芸人の前口上。
まだ幼げであるのに、どこか人を食ったような響きをした、艶のある娘の声。
俺たちは無言で顔を見合わせてから、街道のほうに身を寄せることにした。
笛や太鼓の音も響いている。
街道は人で埋め尽くされているため、まだ全容は見えていない。ただ、人々の頭の向こうに大きな荷車の屋根が見え、そして――そこに、きらびやかな装束を纏った童女が立ちはだかっている姿が見えた。
目にも鮮やかな朱色をした、羽織りのような装束である。
何本もの三つ編みにした黒髪が、膝のあたりまで垂れている。
その黒髪と対をなすように、肌が白い。朱色の装束は丈が短いので、ぬめるように白い両足はほとんど剥き出しだ。
荷車がゆっくり前進してくると、切れ長の黒い瞳と血のように赤い唇も見て取れるようになった。
《ギャムレイの一座》の軽業師、ピノである。
ピノは草籠からつかみ取った赤い花を周囲に撒き散らしながら、歌うように声をあげていた。
「今年もお世話になるからねェ! みんなで楽しく太陽神の復活を祝おうじゃないかァ!」
人々は、歓声をあげている。
去年も一昨年もこの時期にやってきたという《ギャムレイの一座》は、いまやジェノスにおける復活祭の風物詩であるのだろう。
その前進をさまたげぬように、往来の人々が身を引くと、先頭の荷車で手綱を握っている老人、シャントゥの姿もあらわになった。
その手綱につながれているのは、トトスではなく巨大な岩蜥蜴である。
天を突くような大男、ドガもいた。
仮面で顔を隠した小男、ザンもいた。
異国的な薄物を羽織った妖艶なる美女、ナチャラもいた。
木造りの甲冑を纏ってロボットのように歩く、ロロもいた。
《ギャムレイの一座》が、ついにジェノスにやってきたのだ。
2度目の対面でありながら、俺はやっぱり白昼夢でも見ているような心地であった。それぐらい、彼らは鮮烈で、幻想的な存在であったのだ。
派手なペイントをされた荷車が、俺たちの前を通りすぎていく。
ピノが陣取っているのは、2台目の荷車の屋根であった。
と――俺の前を通りすぎる寸前、ピノの目がちらりとこちらを見たような気がした。
その手から投じられた赤い花が、まるで狙いを定めたかのように、俺の頭上に振ってくる。
昨年は、それを危険なものではないかと危ぶんだアイ=ファが、横からかっさらうことになった。
が、今年は俺が自分の手で、それをつかみ取ることができた。
荷車の屋根で、ピノはにいっと唇を吊り上げて微笑む。
黒い睫毛にふちどられた切れ長の目は、流し目ではっきりと俺を見つめていた。
「今年もどうぞ、よろしくねェ!」
ピノたちの姿が、ゆっくりと遠ざかっていく。
俺は赤い花を握りしめながら、心中で「こちらこそ」と応じることにした。




