第10話 判定室は四十五度ずつ嘘をつく
鳳恭介は、床へ八枚の紙を並べた。
一枚目は訓練開始時。
二枚目は藤井が扉4へ入った時。
三枚目は判定室が四十五度回転した後。
その先を、扉番号、外周区画、内装パネル、床材の順に重ねる。
「同じ数字が、同じ場所を示していません」
鳳が言った。
「逆に、同じ場所も同じ部屋には見えません」
外周区画は固定。
中央の判定室だけが回る。
接続した物理扉には、その時の訓練用途に合わせて番号が付く。
さらに外周区画の内装が変わり、赤い記録室が灰色の設備室になる。
「人間は、番号と壁紙を先に見る」
二階堂が言う。
「床下の排気孔、天井の散水口、壁の擦り傷は同じなのに」
藤井は記録室4へ入った。
回転後、同じ区画が設備室7として現れた。
だから死体を移動させる必要はない。
部屋の呼び方だけが移動した。
「犯人は、藤井さんが別の部屋で死んだと思わせたかった?」
五十嵐が訊く。
「それだけではありません」
鳳は中央席と外周区画を結ぶ線を引く。
「回転中の九十秒、判定室側から外周扉は見えません。中央軸の保守昇降機を使えば、観察席から一人消えても、照明と座席背面に隠れられます」
「一人が席を離れた?」
真壁は全員の記録を確認した。
回転中、照明は落ちた。
視認できるのは円卓の端末光だけ。
二階堂は真壁を見ていた。
真壁は藤井が入った扉を見ていた。
九条は生体表示。
鳳は天井。
五十嵐はセンサー時刻。
容疑者同士が互いを見ていた記録は、ほとんどない。
「映像は」
観察カメラは回転中、プライバシー保護として人物をシルエット化する。
座っている形だけが残る。
宇賀神の赤いペン。
進藤の時計。
吉岡のキャンディー。
岡田の上着。
長谷川の鍵束。
百目鬼の端末。
飛鳥井の白いストール。
犯人は、本人が席にいるように見える物を残せる。
二階堂は映像を一人ずつ止めた。
「進藤さんは、回転中も時計へ触ってる。本人です」
「宇賀神さんは?」
「赤いペンが三回動く。本人の癖なら、いる」
宇賀神が嫌そうに二階堂を見る。
「吉岡さんは、キャンディーを食べる音がある」
「そんなものまで録ってるんですか」
「音声は匿名化されてない」
長谷川は鍵束を机へ置いていた。
回転の途中、鍵が一度だけ揺れる。
本人が触ったのか、床の振動か分からない。
百目鬼の端末には入力がある。
だが自動スクリプトでも可能。
飛鳥井のストールは椅子に掛かっているだけ。
岡田は中央席の横に立っていた。
映像には、細長い影がある。
しかし四十七秒だけ、影の肩が動かない。
「静止画?」
百目鬼が映像を解析した。
「カメラの匿名化処理が、直前フレームを保持してる。人物を見失うと、最大六十秒、最後の輪郭を表示する」
「岡田さんが消えても、立って見える」
五十嵐が言った。
岡田は反論した。
「私だけではない。全員、死角へ入れば輪郭が残る」
「その通り」
真壁はまだ断定しなかった。
床荷重のログを比較する。
判定室と、その時点で接続されていた外周区画を合算した床荷重ログでは、十五人分の重量が、回転中に一度だけ六十四キロ減っている。
四十七秒後に戻る。
誰かが床下へ降りた。
「体重六十四キロ前後」
吉岡、宇賀神、飛鳥井、百目鬼が範囲に入る。
岡田は公称七十二キロ。
「公称体重を根拠に外さないでください」
九条が言った。
「衣服、靴、携行品で変わる」
岡田は薄い上着を脱いでいる。
開始前、重い資料鞄を持っていた。
回転時、鞄は中央席の脇に残っていた。
本人だけなら六十五キロ程度でも矛盾しない。
しかし同じことは百目鬼にも言える。
百目鬼は自分の体重を聞いて笑った。
「六十四キロ台なら、俺も入る」
「当日実測を見るまで待て」真壁が言う。
「俺、朝から何も食ってない」
堀島が即座に反応する。
「だからキャンディー食べてください」
「今?」
「今」
吉岡が袋を差し出しかけ、事件の証拠だと思い出して止まる。
「あ、これは駄目だ」
堀島が自分の救急バッグからブドウ糖を出した。
百目鬼が受け取る。
「医者って本当に話の腰折るな」
「低血糖で倒れたら、また犯人の仕掛けかと思うでしょう」
「確かに」
五十嵐がログを見ながら言う。
「百目鬼さん、入館時は七十・一です」
「端末と工具込み」
「席に残っていた端末が三・八。上着が一・一。差し引いて六十五・二」
「近い」
「〇・八キロ違います」
「靴脱いだら?」
「犯行時、靴を脱ぐ理由があります?」
「ない」
百目鬼はブドウ糖を噛む。
「でも、俺を外すなよ」
真壁が見る。
「自分から言うのか」
「“八百グラム違うから無実”って雑すぎる。床センサーの補正や荷物の移動を入れれば変わる」
「犯人候補に残りたい?」二階堂が訊く。
「残りたくはない。でも穴のある証明で外されたくない」
五十嵐が少し頷く。
「同感です」
江口が言う。
「五十嵐先生、そういうとこ本当に性格悪いな」
「最初に二階堂さんから言われました」
「褒めてる?」
「たぶん」
百目鬼が端末を閉じる。
「疑うならちゃんと疑え。俺のコードも、俺のカードも、俺の計画も全部使われてる。犯人は俺を第一候補にしたかった」
二階堂が答える。
「正確にはシステム上三位でした」
「そこ訂正いる?」
「順位は正確に」
「広報も性格悪いな」
「ありがとうございます」
真壁は二人を無視して床荷重ログへ戻る。
疑われる側が自分に不利な検証を求める。
それ自体は無実の証明にならない。
だが少なくとも、百目鬼は“早く犯人を決める”方向へは動いていなかった。
犯人が望んでいるのは、たぶんその逆だった。
「回転は嘘をつきます」
鳳が言った。
「でも荷重は、誰かが消えたことまでは隠せません」
部屋が回ったのではない。八人のアリバイが、四十五度ずつ入れ替わっていた。
鳳は紙の八角形を片づけなかった。
むしろ、床へ養生テープを貼り始めた。
中央席を中心に八方向。扉までの線。回転前と回転後を別の印で重ねる。
「本物の床に書くなよ」真壁が言う。
「剥がせるテープです」
「そういう問題じゃない」
「では、頭の中だけで四十五度ずつ回します?」
真壁は黙った。
鳳は勝ったとも思わず作業を続けた。
五十嵐が手伝い、二人で距離を測る。
「中央から扉まで四・八メートル」
「回転半径は?」
「三・一」
「外周通路まで最短?」
「九番の下を使えば短い。通常扉から行くと倍以上」
江口が養生テープの外に立つ。
「建物って、こうやって考えるんですか」
鳳は巻尺を引いたまま答えた。
「建物は動かない前提で考える方が楽です」
「これ動くけど」
「だから嫌なんです」
初めて、鳳の言い方に個人的な感情が混じった。
「動く建築が嫌い?」
「隠れて動く建築が嫌いです」
鳳は壁を見た。
「可動壁も回転床も、劇場や病院では珍しくない。でも、使う人間が動くと知っている。ここは違う。方向感覚を奪うこと自体が訓練条件になっている」
「訓練ならいい?」
「説明があれば」
「説明されてたら、人は騙せない」
「そうです」
鳳は一度、言葉を切った。
「僕は建物が人を騙すのが嫌いなんじゃない。建物を作った人間が、“建物がそうした”と言える形が嫌いです」
二階堂が手を止める。
「それ、藤井さんと同じですね」
「何が」
「主語を戻す」
鳳は少し考える。
「そうかもしれません」
真壁が回転中の経路を歩いてみる。
中央席横から床下へ降りた想定で七秒。
鳳が数える。
「一、二、三――」
真壁が中央席の陰へ消える。
カメラ画面には、灰色の輪郭だけが立ち続けていた。
江口が画面と実物を交互に見る。
「気持ち悪いな」
「本人いないのに、いることになってる」五十嵐が言う。
「藤井さんは、いるのにいないことになった」
二階堂の声が重なる。
同じ施設で、逆の嘘が同時に成立していた。
画面は岡田らしき輪郭を残し、藤井の声を消した。
見せたい人間を残し、見たくない人間を消す。
鳳は養生テープの中央へ、小さく二文字を書いた。
〈実物〉
その横に、もう一つ。
〈表示〉
「最後まで分けます」
誰に言うでもなく、そう言った。




