なんてことしてくれたのよ
「嘘だ。死なないでくれ」
エドワードは抱きとめたヴァレリアの背から抜けた剣を無造作に投げ返して、狼藉者の目がこれ以上彼女を見ることがないようにした。
ヴァレリアの魔法でできていた台座が崩れる。
エドワードは彼女を抱きしめたまま浮かび上がった。
彼女の身体はまだ柔らかく温かいが、溢れ出る血が止まらない。目は虚ろで意識はほとんどないようだ。
「ヴァレリア」
名を呼んでも応えはない。
こんなことならば、たとえ半殺しの目にあわされても、彼女が無事なうちに名を呼んでおくべきだったと悔いたところで、エドワードは妖精の薬の存在を思い出した。
なんと言っていたか説明を詳しくは覚えていないが、とにかく重症を全快させる魔法の薬だったはずだ。
地上の兵士からの攻撃が届かないほど高くにまで上がったところで、エドワードは薬を取り出した。そこで彼は、慣れない不安定な空中で意識のないヴァレリアを抱えたまま、片手で薬の容器の蓋を開けるのはとても困難だということに気づいた。なんとか開けられたとしても、今度は彼女の口を開けて飲ませるのは大変だ。
城に戻ろうかと思ったが、ヴァレリアの状態は一刻を争う。
「(ええい、ままよ!確か薬が無くなれば容器は消えると言っていたはずだ)」
エドワードは小さな透明な容器を自分の口に含んだ。ヴァレリアを抱え直し、その唇に口を押し付けて、舌で無理やり口をこじ開けてから、奥歯で思いっきり容器を噛み割った。
「なんてことしてくれたのよ」
ヴァレリアは眉を寄せて、顔をしかめた。
「すまん」
エドワードは寝台に横たわる彼女の傍らに座って、彼女の顔にかかった髪を優しく払った。
「ヴァレさん、お加減いかがですか」
ノックもせずに部屋に入ってきた弟子は、盆の上に湯気の立つ器を載せていた。
「お粥です。食べれそうです?」
「土手っ腹に開けられた風穴は薬で塞がったし、自分でも直したから食事は平気よ」
「じゃぁ、起きてくださいよ。こっちのテーブルに用意しますから」
弟子は小テーブルを手早く拭いて盆を載せた。
「それが起き上がれないのよ。あなたどういう薬を彼に渡したの?」
「えっ?俺が彼に渡した薬を飲んだんですか」
どうやら、妖精王が用意した薬は”体を本来の状態に戻す薬”で、それを賢者が”この世界の人間の本来の正常な状態に戻す”ように調整したらしかった。
「私は元々、精霊種と人間の一代雑種で種族的にはイレギュラーな存在なのよ。それにこれまでに自分自身に呪をかけて色々と成長や耐久力をいじっているから、”この世界の人間”の”本来の正常な”状態なんかに強制的に変化させられたら、元通りとは全く言えない状態になるのは当たり前ね」
傷が治っても起き上がれないのも納得だ、とヴァレリアは嘆息した。普通の人間は瀕死の重症を負ったらしばらく動けないものだ。
「ということはつまり?」
「師匠はすっかり普通の人間の女の子になっちゃったんですよ」
「女の子言うな!」
「妖怪から人間に……?」
「よし、そこに直れ。エド、そのバカ者を退治してくれ」
エドワードはヴァレリアに愛称で呼ばれてつい口元が緩んだ。
「あなたの頼みなら叶えたいが、その前にあなたは食事をした方がいい」
エドワードはヴァレリアを抱え上げた。
「あっ、ちょっと。何を」
彼は彼女を抱えたまま小テーブルのところまで行き、脇の椅子に座った。
「風変わりな粥だな。だが旨そうだ。食べられそうか?」
エドワードの膝の上で抱えられたままのヴァレリアは、まったく余裕のない顔で口をパクパクさせた。
「そうか。では、食べさせてやろう」
何をどう曲解したのか彼は笑顔で匙を手に取った。
「食後のお茶を用意してきます」
魔女の弟子はそそくさとその場を後にした。
「なるほど。呪い返しも全部解除されちゃってるんですか」
「体の情報が書き換わっているから、その手の自動防衛は軒並みパァだ」
ぐったりした様子のヴァレリアの前に、弟子は茶のカップを置いた。
「自動防衛全般というと、殺意を向けて攻撃してきた奴を仕留める過剰報復系とか、気に入らない奴に触られたときに痛い目にあわせる殺意の高い痴漢避けとか、あの辺の常時展開の物騒な術式全部ですね」
「まぁな」
「そんな条件で自動的に対象者を守る高度な魔法は聞いたこともない。流石だな」
感心しながら、エドワードはカップを手に取った。
「それらの魔法の守りがなくなってはさぞや不安だろう。元に戻るまで、何者もあなたに近づかぬよう、俺があなたを守る」
彼は腕の中のヴァレリアにカップを差し出した。
「せめてもの償いだ。断らないでくれ」
表面上は誠実かつ誠意に満ちた懇願だったが、そのダダ甘い声音や目は、彼の別の気持ちを多分に含んでいた。
ヴァレリアは目の前に差し出されたカップから立ち上る湯気に顔を赤くした。
「すみません。お茶、熱すぎましたね。エドさん、少し冷ましてからゆっくり飲ませてあげてください」
ヴァレリアは、救援を寄越さず敵に回った裏切り者を見る目つきで弟子を見た。弟子はまったく意に介さない様子で、外の軍勢はすっかり撤退したし、残ったのも片付けたからそれほど神経質にはならなくていいと言った。
彼は「あ、そうそう」と、いつもの調子で続けた。
「俺、ちょっと別件で仕事が入って、しばらく来れなくなりそうなんです。借りていっていい魔導書ありますか?禁書とかじゃなくて実用書や解説書レベルでいいです」
「それは用意できるが、そんなに来ないつもりか?」
「仕事の詳細をまだ聞いてないんで、そこはなんとも」
「仕事というのは賢者殿の手伝いだろうか」
怪訝そうなエドワードに、魔女の弟子はできるだけ彼にもわかる平易な言葉を選びながら説明した。
「えーと、知人が一人、いろんな世界が滅ぶのを防ぐための秘密結社みたいなのに所属しているんです。それで、人手が足りないときに、世界を安定させるための小細工の手伝いを頼まれるんですよ。と言っても大したことはなくて、今回は通行人の役とかそんなのらしいです」
「そうか……大変だな」
スケールが大きいのか小さいのかわからない話で、エドワードはそうとしか言えなかった。魔王役ができる男を通行人に雇うとは、どういう組織なのだろうとは思ったが、そこを詳しく聞く気は起きなかった。
「食事はある程度作り置きして、保存庫に入れておきます。アレ、時間経過しないから温め直しとかしなくてもいい状態で入れときますね。食材も仕入れておくので体調が戻ったら好きに作ってください」
彼はエドワードに、後でここの機器の使い方の詳細を説明すると言いながら、宙空に開いた穴からタライとタオルを取り出した。
「それから、後でヴァレさんの汗を拭いてあげてください。着替えはそこのチェストに入っています。ヴァレさん、その体でも魔法は使えますよね。タライに張るお湯は自分で用意してください」
「待て、湯ぐらいは出せるが、そんなことをコイツに頼むな」
「お風呂の方がいいんですか?まぁ、師匠がその方がいいなら止めませんが、私見ですが多分そのほうが体力は必要になります。もうちょっと回復してからのほうがいいですよ」
「風呂……」
呆然とした二人に、弟子は平静な顔で言った。
「何をどうすればいいかは後でちゃんとエドさんに教えます。エドさん、必要な基礎知識は一通り教えるので、師匠のことよろしくお願いします」
「わ、わかった。任せておけ」
エドワードは快く了承した。
「ちょっと。勝手に任されないでよ。いいわよ。そこまで世話しようとしなくても。あんた王子様なんでしょ。義務感と責任感でこんなところにいなくていいから、国に帰りなさい。……す、好きな女だって国元にいるんでしょ!」
涙目で怒るヴァレリアを、エドワードは愛おしそうに見下ろした。
「好きな女性はここにいる。王子であることの義務も責任も放棄して、ただ自分の希望としてあなたと共にありたい。……迷惑だろうか」
北の魔女ヴァレリアはとうに結論が出ている葛藤に瞳を揺らした。
「め……迷惑じゃぁ…ないわ」
「ならばともに生きよう」
エドワードはヴァレリアの手を握った。
「ヴァレリア。愛している」
こうして孤高の魔女は最後の勇者によって、その呪いを解かれ、人としての生を得たのだった。
特殊な境遇で育ったエドワードのために、弟子(情報社会で育った男子高校生)が教えた”基礎知識”は、ヴァレリアにとっては基礎でもなんでもない甚だしく迷惑な内容が多く含まれていたりするわけですが……
エドさん相手には最初っから自動防衛がまったく反応していなかったので、まぁ問題ないですね、
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誤字指摘ありがとうございました。
修正いたしました。