ヴォルス将軍
2020.5.2 一部修正しました!!
低い声だった。目の前にいたのは50歳前後の白髪交じりの男性。筋肉質で、がたいのいい身体。星が3つに線が3つ入った胸の徽章は、階級の高さを物語っていた。
「誰…ですか?」
「これは失礼。名乗り忘れたよ。私は、ヴォルス。ヴォルス・レナード。しがない兵士さ」
知った名前に、目を見張る。もう一度、足元からヴォルスをなぞるように見た。
「ヴォルス将軍が私に何の用でしょうか?」
「おや、私のことを知っているのかい?それは光栄だな」
にこにこ浮かべた笑み。けれど、目の奥は笑っていない。寒気を感じ、サーシャは自分を抱くように両手を交差させる。
「ヴォ、ヴォルス将軍。サーシャ様に、何か御用でしょうか?」
「ハリオ様!」
遠くから走ってきたのだろう。息を切らして、肩を上下に大きく動かしながら、ハリオがサーシャとヴォルスの間に身体をねじ込ませる。額の汗を手の甲で拭った。
「君は確か、第二王子の側近の…」
「ハリオと申します」
「そうか。ハリオ君か。覚えておこう」
「光栄です」
「…君たち2人の反応から判断するならば、私は警戒する対象になっている、ということなのかな?」
どこか茶目っ気を含ませるヴォルスの言葉。けれど、ハリオは身体を強張らせた。サーシャはただ黙って、目の前の背中を見つめる。ハリオは一度大きく息を吐き、静かに首を横に振った。
「いいえ。誤解を招いたのなら、謝ります。ただ、ユリウス王子からサーシャ様に誰も近づけさせるな、と命を受けていたものですから」
「そうか。それは、お嬢さんが第二王子の想い人だからかな。それとも、動物と意志の疎通ができる特殊な人間だから、かな?」
ヴォルスの言葉に、一瞬、ハリオの肩が動いた。
「そうか」
「サーシャ様は動物の声が聞こえます。話もできます。でも、そのことに関係なく、サーシャ様は、ユリウス王子の想い人です」
「まあ、いい。そういうことにしておこう。それよりお嬢さんと2人で話をしたいのだが、ハリオ君、君は席を外してもらえないだろうか」
「そういう訳にはまいりません。誰も近づけるな、との命ですから」
「それなら、君の同席も認めよう」
「…いや、しかし」
否定の言葉を続けようとしたハリオに鋭い視線が注がれる。ハリオの背に冷汗がジワリと滲んだ。
「ここで君を気絶させて、お嬢さんと2人で話をすることなど、私にはたやすい。それでも、手荒なことはせず、譲歩しているんだ。君も折れるべきだろう?」
頷くこと以外許されない問いだった。無意識にハリオの脚が半歩斜め後ろにずれる。サーシャから、ヴォルスがよく見えた。
威圧的な笑みにオースはもう一度、翼を大きく広げた。そんなオースを見て、ヴォルスは圧を押さえ、笑みを浮かべた。
「これは、失敬。怖がらせてしまったかな。ただ、私は、少し話をしたいだけだよ。お嬢さんとね」
『サーシャ、この人すごく強い。怖いくらい強い』
「…そう」
『大丈夫?』
オースの言葉にサーシャは頷き、まっすぐにヴォルスを見た。
「…わかりました。ヴォルス将軍」
「サーシャ様!」
叫ぶように名前を呼んで、ハリオが振り返った。そんなハリオに笑みを浮かべる。
「ハリオ様、大丈夫です。同席をお願いできますか?」
「…いや、しかし」
「ハリオ様が同席していただければ、心強いですから。…お願いします」
小さく頭を下げる。そんなサーシャの様子にヴォルスは感心したように「ほう」と呟いた。
「お嬢さんの方が肝が据わっているようだ」
「お褒めに預かり、光栄ですわ」
足が震えそうになった。悟られないように全神経を集中させる。そんなサーシャの様子
に、ヴォルスは一つ顎を撫でた。
傾いた太陽から、暖かい陽射しが注がれる。胸中の動揺とは正反対の穏やかな空模様に合わせるように、サーシャは必死で両頬を持ち上げた。
「せっかく椅子があるんだ。お嬢さん、座らないかい?」
「ええ」
場所を移動すると、ヴォルスはサーシャのために椅子を引いた。会釈でお礼を伝え、腰かける。サーシャが座ったことを確認するとヴォルスも腰かけた。ハリオはサーシャの斜め後ろで立っている。
「サーシャ様とどんなお話をされるおつもりですか?」
「ハリオ君」
「はい」
「私は君に同席は許したが、発言までは許したつもりはないよ」
ヴォルスの顔に浮かんでいるのは笑みであるのに、ハリオは身体が芯から冷えるのを感じた。暖かい風が髪を撫でるが、ハリオは震えを押さえるのに必死だった。
「…申し訳ありません」
「分かればいい」
「…」
「さて、お嬢さん。私は回りくどいことが苦手でね。だから、担当直入に聞こう」
「…はい」
「第二王子の事をどう思っている?」
鋭い視線がサーシャに刺さる。何と言おうか迷い、けれどすぐに口を開いた。
「よくわかりません」
「ほう。わからない、と」
「ええ」
「何がわからないのかな?」
「何も、です。私が王子と話をした回数は、それほど多くありません。私は護身術を教えてもらっているだけ。それに、…将軍も御存知なように、私と王子は恋仲でもない」
正直なサーシャの言葉に、ハリオの身体が動くのがわかった。
ユリウスの立場を思えば嘘を吐くべきだったのかもしれない。けれど、ヴォルスの前ではすぐに見抜かれてしまうことはたやすく想像ができた。下手な嘘は逆効果。だからなるべく簡潔に、正確に伝えるよう心がける。あらぬ誤解を招かぬように。
「ただ、本当は優しいのかもしれない、と思い始めています。冷たい言葉や視線の奥に優しさがあるのかもしれない。…以前、ハリオ様が言っていた、冷たいから優しい、という言葉の意味がなんとなくですが分かったような気になっています」
「冷たいから優しい、それは、…的を得た表現だね」
「ええ。私もそう思います」
「…お嬢さんはどうしてそう思う?どうして、冷たいから優しい、と?」
試すような視線。サーシャは一度、呼吸を整えた。まっすぐヴォルスを見る。
「私をここに残したのは、利用するからだと王子は言いました。でも、どこか違和感がありました。その違和感が何なのか、…さっきの将軍とハリス様のやり取りを見て、確信しました」
「どんな?」
「私のためなのだろう、と」
風がサーシャの黒髪を揺らした。風の音が聞こえそうになるほど、辺りは静かである。ヴォルスは小さく笑みを浮かべ、視線だけで先を促した。
「…私には、動物たちの声が聞こえます。そして、動物たちは私に優しくしてくれます。…彼らの姫、であるかのように」
「姫、か」
「…ええ。きっと、狙われているから、助けてほしいと言えば、彼らは相手を倒してくれるでしょう。情報が必要だと言えば、見聞きした情報を正確に教えてくれるでしょう」
「それは、相当な戦力であり、有能な諜報員だ」
ヴォルスの言葉に、サーシャの表情は曇った。
この宮殿に来て初めて、自分の持つ力の怖さに気づいた。使い方を誤れば、戦争の武器となり得る力。友情というには強すぎる絆に、きっとダリムは気づいていた。気づいていたからこそ、守ってくれていたのだと今ならわかる。住まい兼店が人があまり訪れない奥地に建てられたのも、森に近いというほかに理由があったのだろう。
「…ライの、いえ、ホワイトライオンの一件で、近衛兵の方や獣医関係者など、王子が信頼できる人だけではなく、色んな人に私のもつ力を知られました。…そんな人たちから、私を守るため、ですよね?」
「…」
「この力は、私が思っていた以上に危険なのだと思います。そして、この中は、色んな思惑を抱く人であふれている。だから、王子はあえて私を近くに置いているのだと思います」
「…それで?」
「もちろん、利用もできると思ったと思います。きっと、その冷たさは持ち合わせている。優しいだけじゃない。でも冷たいだけではない。冷たさが同時に優しさでもある。…私にとって第二王子はそういう人です」
そう言い切った。
ヴォルスはまっすぐサーシャを見た。そして、小さく笑みを浮かべる。それは先ほどまでの威圧的なものではなかった。
「あの子のことを、よくわかっている」
「あの子?」
「いや、何でもないさ。それよりお嬢さんの中に、第二王子と共に歩む未来はあるのかな?」
ヴォルスの瞳に自分が映っていた。その表情は険しい。サーシャは、ただ、静かに首を横に振った。
「なぜか、聞いても?」
「ここは私の世界とは違いすぎます」
森で動物たちと笑い合い、ダリムの紹介して来た人たちの助けになる。そんな毎日が自分には合うとサーシャは思った。
「そうか。それは、残念だ」
「…残念?」
聞き返したサーシャに笑みだけを浮かべ、答えなかった。ヴォルスは椅子から立ち上がる。慌ててサーシャも腰を上げた。
「けれど、頭の片隅でもいいから、考えてみてほしい」
「え?」
「ここは、華やかなのに、暗い世界だ。だからこそ、隣には光が必要なんだ」
声がどこか優しくて、サーシャは頷くことも否定することもできなかった。そんなサーシャの態度を気にすることなく、ヴォルスは小さく手を挙げると背を向けて歩き出す。
『サーシャ、大丈夫?』
「うん。びっくりしたけど」
『怖かったね。でも、きっと悪い人じゃない』
「そうだね。それに、たぶん、王子が言っていたような人ではないと思う」
『そうかもしれないね』
ユリウスが言ったように後ろ盾となり、操ろうとしている、とは考えにくかった。ユリウスの話をするとき、目が優しくなる気がする。親が子を想うようなそんな表情に見えた。
空を見れば、オレンジに染まりつつある。サーシャとオースは、影が伸びる大きな背中をただ、見送った。




