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死に場所なんてどこでもよかった。心臓が止まればそれでいい。できれば人に殺されるのは勘弁してほしいが、欲を言うのも贅沢だ。
水野薫は、夜明け前の町を歩きながら考えていた。すれ違うのは新聞配達のバイクと、深夜徘徊の延長にいる老人くらい。高校生である水野が出歩くには、少々早すぎる時間である。
スーパーの裏手には、業者のトラックが停まっていた。商品の入った段ボールを、荷台から積み下ろしている。なんとなくその様子を見つめていると、業者の男性と目があったので、軽く会釈をしておいた。もしかしたら、これが人生最後の他人とのやり取りになるかもしれない。
水野の通う高校は、駅からのアクセスがとにかく悪い。そこに高校があることを知らなければ、たどり着くことすら困難な立地だ。周りにあるのは、昭和のまま時が止まったような商店と神社と、あとは客が入っているのを見たことがない古本屋くらい。最寄りのコンビニまでも歩いて10分以上はかかる。そんな場所を夜明け前に歩く人間などほとんどいない。通いなれた通学路に人っ子一人いないという光景は、どこか現実感に欠けていた。
水野は高校を通り過ぎ、鬱蒼と木々の茂る道を進んだ。これより先に足を踏み入れるのは初めてだった。部活に入っていない水野が通るのは、駅と高校の間の決まった道だけだ。
「へえ、こんなところに霊園なんてあったのか」
霊園なんて、お盆以外は年中閑散期のようなもの。人がたくさんいることがまず珍しい光景だが、ようやく朝日が昇り始めた時間ということもあって、当然ながら誰の姿も無かった。
水野は墓石の間を練り歩きながら、刻まれた苗字を眺めた。どうやらこの土地には、林という姓の人が多いらしい。十個に一個は、林家の墓である。
6個目になる林家の墓石の隣に、自分と同じ、水野という文字が刻まれたものを発見した。水野も大して珍しい苗字じゃないので、別に何の驚きもない。だが、死に場所にはちょうどいいと思えた。
「失礼します」
これから自分が故人になろうというところだが、死者への礼儀は一応重んじている。自分とは関係のない水野さんの墓石にもたれかかり、1年間使った学生鞄を開く。中に入っているのは、教科書ではない。自ら命を絶つために用意した、複数の自殺グッズだ。
「包丁で首を切るのはなあ。墓石を汚すのは忍びないし。でもここじゃ首吊りは出来ないか」
首吊りは自室で試そうとしたが、親が息子の死体の第一発見者になるのは、水野が望んだことではなかった。どうせ死んだら、恐かれ早かれ家族や学校に知れ渡ることになるから、結果は同じなのだが。
「うーん、やっぱり睡眠薬がいいのかな。一番楽に死ねそうだし」
睡眠薬を何錠飲めば致死量に達するのかネットで調べようとしたが、自殺防止ダイヤルなどのサイトばかりが出てきて、明確な情報は得られなかった。自殺に関する情報を提供すると、サイト側も自殺ほう助の罪に問われでもするのだろうか。
「まあ全部飲めば流石に死ぬか」
睡眠薬のケースの中身は満杯だ。これを全て飲んでも効果がない、ということはないだろう。
水筒に入った麦茶は、幼いころから飲みなれた家庭の味がする。まずは一錠を口に放り込み、麦茶で流し込んだ。朝日が先ほどよりも高くなり、霊園に似合わないような爽やかな鳥の声が聞こえてくる。
その鳴き声に混じって聞こえてきた音に、水野は眉をひそめた。
「ひっく、うぅ…、おえ、気持ちわる…」
「だ、誰かそこにいるんですか」
水野の問いかけに返ってきたのは、しゃっくりだけだった。
声がしたのは、水野家の墓石のちょうど裏側。そちらへ回ってみると、薄汚れたスカジャンを丸めて枕にして、缶ビール片手に眠る女性の姿があった。
「うわ、なんだこの人。えっと、大丈夫ですか?」
「いや、ちょっと無理かも。吐きそう。てか一回吐いた後なんだけど」
女性が水野の足元を指さした。
「きたなっ!」
そこには女性の吐しゃ物が広がっており、水野は気づかずにそれを踏んづけてしまっていた。どうせもう歩かないからいいとはいえ、最後に靴を、しかも他人の吐しゃ物で汚されるのはいい気分では無かった。
「しょ、少年。水…水持ってない?」
「麦茶ならありますけど」
「ちょうだい。一杯でいいから」
吐いた人に口を付けられるのは嫌なので、水野は水筒を差し出すのを渋った。まだこれから残りの睡眠薬を飲むのに、麦茶が必要なのだ。
「嫌です」
「うそでしょ。最近の子ってそんなケチなの」
「先に口を洗ってきてもらえれば考えます」
「分かったよ。そこの墓石洗う用の水で口ゆすいでくる」
「それをそのまま飲めばいいのでは」
「どんな雑菌いるか分からないじゃん。私は安全なものが飲みたいの!」
どうやらこの女性は水野と違って死ぬつもりはないらしい。これから命を絶とうという人間が、水の中に含まれる雑菌など気にするはずがない。




