生徒会は劣等生の敵らしい
「なに間抜け面晒してんのよ。ねぇっ!」
「っ!?」
女子生徒の内の1人が、セラの小さな体を突き飛ばす。
特に魔法も使われていないような一撃だが、体重が極めて軽く、体自体が小さいセラは勢いよく壁に背中をぶつけ、そのまま廊下の床に崩れ落ちた。
そんなセラの長い灰色の髪を掴み、女子生徒は見下ろすような形で凄む。
「…………っ!」
「…………何なのよ、あんたは」
掴んだだけでも分かる、艶も手触りも良い長い髪に、苦痛に歪んでもなお整った端麗な容姿。
「雌ゴブリンの分際で」
少し前まで、薄汚れ、老婆のように痩せ細ったセラの姿を見るだけでも気分が晴れやかになった。
彼女たちはいずれも、名門学校においてはそこまで優れた成績ではない。最初は意気軒昂で上を目指そうと邁進していたが、上には上が居るという現実を思い知ってからは、自分よりも下の者を見て安心を得る日々を過ごしてきた。そして最底辺に居たセラを学校公認で憂さ晴らしの道具にしても良いと言われた時は、3人揃って嬉々としてセラを虐げた。
それが今となっては、魔力量にも容姿にも優れるようになったセラ。実に面白くない現実だし、容姿1つとってみただけでも、同じ女として思わず嫉妬してしまいそうだが、女子生徒たちはそれよりももっと大きな不満を抱えていた。
「あんたさぁ、最近調子に乗ってるでしょ?」
「あのシヴァって奴とつるむようになってからずっと。先生も迂闊に手を出せない問題児と仲良くなったからって、自分がアタシらよりも上に行ったなんて思ってんじゃないわよ」
これまで下にいたはずのセラ。これからも自分たちの足元を這いつくばって優越感を満たすための道具であるべきはずだったセラ。
それがシヴァという強大な魔術師の威を借りて、堂々と道を歩いて楽しそうに学校生活を送っていること……それは彼女たちにとって我慢できないことだった。
「しかもあのリリアーナ様とまで同じクラスになって仲良くしちゃってさぁ。何? アタシらのこと見下す気?」
「自分がされたからって、どうせやり返してやろうってつもりなんでしょ。人の手を借りなきゃ何も出来ないとか、ダッサ!」
大公家の娘ということもあって、リリアーナの名は有名だ。他国に行ってもある程度優遇されるほどに。
そんな生まれ持った権威のおこぼれを預かろうと大勢の者がリリアーナに擦り寄ろうとしていたが、それを少数の同じクラスになるという形で真っ先に実現したのがセラだというのも気に入らない。
このままではセラと自分たちの立場が逆転しかねない。……つまり、今度は自分たちがこれまでの恨みを受ける側に立つ。そんな恐怖は彼女たち……いや、賢者学校でセラを虐げ続けた者たちが等しく抱いている感情だ。
それだけは許容できないと、1人でいるセラを見かけた女子生徒たちは、わざわざ強気に釘を刺しに来たというわけである。
「…………っ」
しかし、勿論当の本人であるセラにそんな思惑はない。平和主義とも臆病とも取れる性格のセラは仕返しをしてやろうとも考えていないし、何よりリリアーナやシヴァの威を借りようとも考えていない。
それは彼らのことを私欲で利用するという事だ。そんな事だけはしないという意思を視線に込めて見つめ返すが、女子生徒たちはそれすらも気に入らない様子で顔を顰める。
「……は? 何睨み返してくれてんのよ」
「本当、ちょっと見ない間に生意気になったよね。そう言うの、マジでウザいから」
セラのどんな些細な仕草すらも疎ましく感じる彼女たちは魔法でもぶつけてやろうかとしたが、ふとセラが持つホワイトボードに目を付ける。
「大体何よこれ。喋れないからって筆談でもしようっての?」
「っ!?」
力づくでホワイトボードを奪い取られてしまい、セラは背伸びをして必死に取り返そうとするが、その様子が面白くなってきた女子生徒たちは、嘲笑いながらセラの手が届かない高さでホワイトボードを順繰りに受け渡す。
「なに? こんなのがそんなに大切なわけ!?」
「みっともなく必死になっちゃて!! こんな安物、ゴミみたいなもんじゃん!」
そんな嘲りの声も、今のセラの耳には入らない。なぜならあのホワイトボードは、セラにとって生活の基盤でもあり――――
(シヴァさんが、私の為に……!)
そんなセラの心情や、ホワイトボードがどういったものなのか、それを女子生徒たちが知る由もないが、とにかくホワイトボードがセラにとって非常に大切なものであるというのは理解できた。
その上で女子生徒の1人がホワイトボードを持った腕を振りかぶる。
「こんなのはね、こうしてやるわよ!!」
そのまま勢いよく投げられ、壁に叩きつけられるホワイトボード。慌てて取りに行ったセラだったが、文字を映し出す板部分に大きな亀裂が入っていた。
「アタシらに生意気な目を向けた罰だっての。ほら、今から雌ゴブリンらしくもっと躾けてやるから――――」
「何やってんのお前ら」
悲しみや、その他色々な感情が混ざりあって呆然とするセラを更に甚振ろうと魔法陣を描く女子生徒の肩を、後ろから伸びてきた男の手が掴んだ瞬間、女子生徒の肩が骨と肉ごと握り潰され、血飛沫が上がった。
「ぎゃあああああああああああああああああ!?」
「あ、悪い。力を入れ過ぎた」
血が噴き出る肩を押さえながらのた打ち回る女子生徒に軽く謝罪した男……シヴァは《生炎蘇鳥》を発動。肩が治癒されると同時に痛みがなくなり、涙と鼻水を流しながら荒い息を吐く女子生徒と、怯えた様子の他2人に対し、シヴァは静かな怒りを秘めた口調で再び問いかける。
「で、何やってんの? セラをいじめてたのか? だったら俺も、ちょっとだけ容赦しないけど」
「あぁ……う……あぁ……!」
ほんの少しだけ、女子生徒たちを威圧するシヴァ。しかし《滅びの賢者》と恐れられた男の眼力は加減をしていても、ただの学生に耐えられるようなものではなく、女子生徒たちは恐怖で喉が引き攣って何も喋れなくなってしまった。
「ほら、何か言ってみろよ。誠心誠意セラに謝って、セラが許してくれるなら俺も――――」
その時、明確な意図を持ってこちらに近づいてくる複数の気配を感じたシヴァは言葉を切り、その方向に視線を向けると、そこには制服の胸に校章を付けた生徒が5人、シヴァたちの方に向かってきていた。
「そこまでだ。状況は全て見させてもらった」
「せ、生徒会長」
女子生徒たちの言葉にシヴァは彼らの正体を悟る。彼らが生徒間の自治組織である生徒会であり、その中心にいるメガネをかけた冷徹な美貌が特徴的な美男子が、賢者学校における最優秀成績者……生徒会長なのだろう。
「生徒会長……確か名前は、ミカエラ・リヒテンシュタインでしたっけ? 学校案内の冊子に顔と名前が載ってたなぁ」
「おい、一年坊。呼び捨てにしてんじゃねぇ。会長とか先輩つけろよ。シメられてぇのか、あぁ!?」
「止めろ、レーダス。そんなことを話しに来たんじゃない」
生徒会の内、一際巨漢のレーダスという男が身長差に物を言わせて上からシヴァを凄むが、生徒会長……ミカエラが制止する。
「じゃあ何しに来たんで? 状況は全て見ていたっていうし……注意でもしに来たんですか?」
そう言いながらシヴァは女子生徒3人に視線を向ける。普通に考えれば、セラに危害を加えた彼女たちに注意をしに来たと考えるのが妥当だ。それか相手の肩を握り潰したシヴァに注意をしに来たか、あるいはその両方だろう。
「注意……あぁ、そうだな。だからそこの3人は、もう行ってもいい」
しかしミカエラはセラを害した3人に注意1つすることなくこの場を立ち去らせた。助かったと安堵の表情を浮かべながら小走りで去っていく3人を尻目に、シヴァは目を細める。
「一応聞きますけど、あんたらどっからどこまで見てたんですか?」
「お前が現れる少し前……セラ・アブロジウスと先ほどの3人が接触したあたりからだ、シヴァ・ブラフマン」
すなわち、セラが害されている一部始終を見ていたと言っても過言ではない。にも拘らず、ミカエラは生徒会長として加害者側であるはずの女子生徒たちを見逃した。
「我々が生徒会として注意するのは、セラ・アブロジウスとシヴァ・ブラフマンの両名だ」
やっぱりこの手の連中かと、シヴァは思わず呆れかえる。
「一応言っときますけど、普通逆でしょ。ちょっとやり過ぎた俺はともかく、セラが怒られる謂れはないんじゃないですか?」
「やはりお前は何も分かっていないようだな。セラ・アブロジウスは入学当初から賢者学校の生徒たちのストレス発散役を担っている」
「何その損しかなさそうな役回り」
真顔で言ってくるミカエラと、それが当然だと言わんばかりの他の面々に、シヴァは盛大に顔を歪めた。
「生徒や先生方が健全な学校生活を送るために必要な役職だ。魔法の実力を磨き、競い合う教育機関である以上、自分よりも実力が上の者に対する嫉妬心や劣等感による慢性的なストレスを抱える者が多く現れるのは避けられない。そしてそう言ったストレスは問題行動に繋がり、賢者学校の看板に傷を付けるだろう」
「それを解消するための道具として、前の学長が用意したのがセラってわけですか?」
「そうだ。セラ・アブロジウスが9歳で入学し、生徒諸君や教職員のストレスを一身に引き受ける捌け口となったことで、ここ8年近く賢者学校の秩序は保たれていた。……が、お前がセラ・アブロジウスを庇い立てるようになってからというもの、そのシステムが機能しなくなった。これは長期的に見れば由々しき問題だ。故に注意喚起を促すべきはセラ・アブロジウスただ1人。いい加減、怠っていた役目を果たしてもらわなければな」
滅茶苦茶言ってくれると思いながら、シヴァはミカエラの言い分を理解した。
全体の為に個人を生贄にする。集団で生きる知的生命体である人類ではよくあることだ。これまでセラが生徒や教師が抱えるストレスの捌け口となったことで、賢者学校の秩序がある程度守られていたという事実に嘘はないのだろう。
「舐めんなアホ。さも学校の為に必要な事みたいに言ってるが、お前らだってセラ相手にストレス解消したいだけだろ。生徒と学校の中間にある多忙な組織……さぞ鬱憤が溜まりやすいだろうな」
敬語を使うのもバカバカしくなって口調を崩したシヴァに、ミカエラたち生徒会は何も答えなかった。その無言が意味するところは、十中八九肯定なのだろう。
「そもそも、学長が変わったっていうのに、まだそんなアホなこと言ってるのか? 前の学長は頭が色々とアレだったから自分の娘を差し出して問題を問題として扱わなかったけど、今のグローニア学長なら絶対に放っておかないんじゃないのか? 普通の学校なら、いじめなんて風評に関わる立派な問題だろ。それを生徒会が公認してるなんて余計にだ」
「お前こそ何も分かっていないな。いかに大公とは言え、相手はあくまでも臨時の学長。過半数以上の生徒の要望を集め、退職要求をすれば学長の座を退かざるを得ない」
これまで長い年月、総出でセラを虐げ続けた賢者学校の多くの生徒たちは、シヴァに守られてセラに手を出せない今の状況に不満を持っている。それをどうにかする為と言えば、嘘でも何でも言って生徒会に協力するだろう。退職を迫る理由など、幾らでもでっち上げればいい。
「そうなれば、アムルヘイド自治州の統括者の一角である、我がリヒテンシュタイン公爵家が前学長が作った制度を引き継ぐ形で賢者学校を……ひいては、学術都市を支配する。そうなれば貴様如きどうとでもできる」
「もしそうなれば、こっちも手段を選ぶつもりはないけど? 言っとくけど、俺は権力者とか怖くないタイプだから」
「笑わせるな、1年。どこの田舎から出てきたか分からないが、初等部1年から高等部最高学年まで研鑽を積んできた我々生徒会を、そこらの教師や1年と一緒にするな」
睨み合うシヴァと生徒会総員。あわやこのまま戦闘にまで発展しそうな雰囲気の中、それを制止するような両手を叩く音が響いた。
「双方そこまで。こんなところで喧嘩でも始めるつもり?」
「リリアーナ? 何でここに」
「セラさんが戻ってくるのが遅いって捜しに行った貴方までなかなか帰ってこないから、心配してきたのよ」
空間魔法で転移してきたリリアーナはミカエラと向き合うと、スカートの両端を軽く持ち上げ、見惚れるようなカーテシーを披露する。
「お久しぶりですね、リヒテンシュタイン公爵家嫡子、ミカエラ様。3ヵ月前の夜会の時以来でしょうか……話は聞かせてもらいましたが、どうやら私の学友が送っている今の学校生活に不満があるようですね」
「その通りだが、貴女に文句を言われる筋合いはない。この都市に来たばかりの貴女に、賢者学校の何が分かる?」
「えぇ、大したことは何も存じませんが……学友を生贄にして保たれる秩序などに、何の価値も感じませんもの。生徒会が賢者学校の生徒たちの総意としてセラさん1人に苦を押し付けるというのなら、私はあえて大衆の敵となりましょう」
しかし……と、リリアーナは妥協するように告げる。
「このままでは私たちと貴女方の意見は平行線でしょう。そこで提案なのですが……ここは1つ、実力主義を謳う賢者学校らしく、決闘を以てして互いの意見のどちらを通すか、白黒ハッキリつけませんこと? 丁度選抜戦を目前としていますし、そこで決着を付けようではありませんか」
「世迷言を……我々はルールに基づいて賢者学校をあるべき姿に戻すことも可能だ。わざわざ決闘など受ける理由は無い」
「……あぁ! これは大変失礼いたしました」
わざとらしく声を張り上げるリリアーナは、何の悪意も表に出さない満面の笑みを浮かべた。
「最上級生で賢者学校最優秀成績者と謳われた貴方方としては、我々落ちこぼれの1年5組に敗けるなどという大恥を、全校生徒の前で晒したくないですものね。ただ恐ろしくて痛い目を見るだけなのが目に見えているというのに……私としたことが、そちらの心情を考慮し忘れてしまいました。謹んでお詫びします」
それは遠回しな侮辱のセリフだ。それを1年生の口から聞かされた生徒会メンバーたちは額に青筋を浮かべ、怒りに魔力を滾らせる。
「……安い挑発だな」
「そうでしょうか? 実力主義と謳っておきながら、実力では敵わない相手を権威で排除しようとしているのですから、生徒会の皆様は私どもが怖いのかと」
「てめぇえっ!! 粋がってんじゃねぇぞ、女ぁあああ!!」
怒りに身を任せてリリアーナに殴りかかろうとしたレーダスをミカエラは片腕で制止し、静かで明確な怒りを宿した視線でシヴァたちを射抜く。
「いいだろう。その挑発に乗ってやる。決着は、選抜戦で我ら生徒会と1年5組が当たるまで待つとしよう」
生徒会はリリアーナの誘いにあえて乗ってきた。どれほど薄っぺらい大義名分を口にしたところで、相手は自らの憂さ晴らし手段が欲しいだけの人種。プライドを刺激されれば、正攻法で黙らせなければ気が済まないだろう。
話が纏まったところでその場を後にしようとする面々。セラもシヴァの後をついてその場を去ろうとしたが、その背中にミカエラが氷のように冷たい言葉を浴びせる。
「所詮は魔法もまともに学んでこず、生徒たちの憂さ晴らしにしか使えない劣等生か。他人の陰に隠れるばかりで、自分では何も出来ない者に守るだけの価値があるとは到底思えんが」
その言葉にセラは思わず俯いた。
どんな形であれ、強くありたいと願って魔法を学び始めたが、結局はシヴァたちに頼らなければこの場を切り抜けることなどできもしなかったし、女子生徒たちを追い払うことも出来なかった。
自分1人では何もできなかった。これが今の自分の強さなのか……惨めさと悔しさを噛みしめるセラの肩に、シヴァが柔らかく手を置く。
「何も分かってないな、お前らは。セラが何も出来ない? 本気でそう思ってるんだったら、俺から1つ提案してやるよ」
「提案?」
「選抜戦は本戦に倣って個人戦4回と団体戦1回だけど、1年5組対生徒会は団体戦1回で決着を付けよう。そして……その試合で俺は何もしない。魔法も使わなければ、身動きしないことを約束する」
怪訝と驚愕の表情を浮かべる一同を前に、シヴァはどこまでも自信に溢れた不敵の笑みを浮かべ、高らかに宣言する。
「来るべき決闘をリリアーナ、グラント、デューク、そしてセラの4人が生徒会5人を相手に誰1人脱落することなく完封で制する。その時にはもう、お前ら全員セラに頭が上がらなくなるから覚悟しとけよ」




