36.殺人嫉妬
車は駐車場の奥の方、人目につきにくい場所に移した。
これからどうなるにせよ、車でこちらの存在はばれて欲しくない。車に傷をつけられたくない。
歩道から少しだけ外れ、森の中を歩く。
見える範囲に奴らはいないが、気付かれずに近づいて対応を決めたい。
管理所を見ることができる場所まで行き、周囲を観察する。
奴らがいるとすれば、管理所かログハウス、倉庫あたりだろう。
人を殺して食料を奪おうとした奴らだ。いつからここに居るかは知らないが、まず最初に家探しをするはずだ。
遠目だが、作物は荒らされていた。既に奴らの腹の中だろう。
管理所付近に奴らの姿が見えない。建物の中にいるような雰囲気もない。
確かに、管理所に食料は置いていない。
管理所の食料は全て桑水流の家に持って行っていた。そこまで大きな建物でもないし、すぐに探し終わるだろう。
管理所から目を離し、ログハウスへ向かう。もちろん森の中を歩いてだ。
森の中は歩き難いことこの上ない。雑草や木の根、急な段差など自然のトラップが多く存在している。蟻の巣もあるので、やはり普通の人間は森の中には入らないだろう。
ログハウスに人はいないようだった。
しかしその近くのテントの中に、複数の人の気配があった。
奇遇にも、俺がナイフを持った男と格闘したテントだ。
同時に、あのテントには工具などをいくつか置いている。それを漁っているのだろうか。
今から強襲するとして、テント以外の場所に奴らの仲間がいたらまずい。
そう考え、テントが見える範囲で周囲を探る。
奴らの自動車は、肌が触れ合わない程度に乗れても5人が最高だろう。
テントの周囲の状況、テント内の動きからして、全員テントの中にいそうだ。
銃があればなんとでもなりそうだが、一応準備は必要かもしれない。
そう考え、森の中の蟻の巣を見つめる。
(使えそうだな)
自分の胸ポケットの中に、飴袋がある。
だいたい30個の飴が入っていたものだが、既にハッカ味の飴以外は食べきってしまった。
一応残りの飴をポケットに移すと、空になった袋が残る。
ハッカ味はエリシュカが好きだからな。多分。
ショベルで蟻の巣を掘り、蟻の巣を土ごと飴袋に詰め込む。
飴袋の中では巣を破壊された蟻が右往左往している。
これを投げつける。相手は死ぬ。
我ながらとんでもない生物兵器を作ってしまったものだと感心するが、相手が死ぬのが1週間後というのが難点だ。
ひとまず牽制くらいには使えると判断し、それを持って行く事にする。
テントの出入り口の死角から近づく。
すぐ小さな倉庫があるので、その陰に隠れて様子を窺う。
場所が近いおかげか、話し声を少しだけ聞き取ることができた。
まぁなんというか、オッサンとババアがこの道具は何に使えるのだとかを話し合っていた。
その声は聞き覚えがあり、そこにいるのは紛れもなく奴らだと確信できた。
自分が準備したものだが、既に奴らの物かのように話されるのはイラつく。
一番いいのは、奴らが出てきた時を狙うことだ。
テントの中は前後に出口があり、奴らにそこから逃げられたくはない。
方法は、どうだろうか。
銃で脅すか。容赦なく撃ち殺すか。それともショベルで殴るか。
正直なところ、どれが一番いいのかなんてわからなかった。
奴らを殺すのは確定事項だ。
それでも俺は殺しのプロでもなんでもない。
以前ナイフの男を殺したのは身を守るためだった。あの時は背後に黒川もいた。
その状況の違いが、俺の出足を鈍らせた。
その逡巡と混迷の時は、テントから出てきた人間によって打ち破られた。
出てきたのは、若い女。年のころは15くらいだろうか。
見覚えがないし、あの時はいなかった。しかし未だテントの中から聞こえる声は奴らの声だ。
独りだけでテントの中から出てきたのは外の空気を吸うためだろうか。
軽く上を向き深呼吸のように息をいっぱいに吸い込んでいる。
こちらには気付いていない。
あのオッサンの娘という線が最もわかりやすい。
ただ、状況としては最悪だった。
あの娘は殺せない。
例え奴らの仲間だとしても、年端のいかない少女を殺せるわけがない。
もしオッサン共だけを殺したとして、こいつはどうする。
俺が面倒を見るなんてあり得ないし、仲間を殺した人間に面倒を見てもらう奴もいない。
放って置いてキャンプ場に住み着かれるのも嫌だ。
どうしようかと考えていると、テントの入り口に見覚えのある段ボールがあるのが目に入る。
確かあれはログハウスに置いておいた保存食だ。
既に見つかっていた上に、このままだと持って行かれてしまう。
多少の焦燥感と共に思考は回るが答えが出ない。
こういう時はタバコを吸いたいが、流石に今は無理だ。
そうしていると、テントの中から大き目の声がかかる。
「唯! 遊んでないで手伝えや!」
少女はビクッと体を揺らし、すぐにテントの方に体を向ける。
うん、と小さく返事をし、少女はテントの中に戻っていった。
その表情は暗く、オッサンの声が世界で最も煩わしいものだと思っているような様子だ。
どうやら家族仲はよろしくないみたいだ。
これならオッサンを殺しても、少女は殺さなくても済むかもしれない。
もちろん、ただの希望的観測だ。
飛び込むタイミングなどを再度考え始める。
しかしそれは、全てが無駄になった。
オッサンがテントから出てきた。
テントの前に屈みこみ、段ボールを持ち上げる。俺の食料を持ち上げる。
以前見たようなニヤニヤした面だ。
その顔を見て、思考など全て吹き飛んだ。
気付くと、俺は走っていた。
距離にしておよそ10m程度だが、その短い距離でも全速力だった。
振り上げるのは銃でも飴袋でもなく、ショベル。
銃を使っても、蟻の毒を使っても、この手には感触は残らない。
だからこそ、この怒りと鬱憤を解き放つように、こちらを向いたオッサンの顔面にショベルを叩き付けた。
オッサンは重い段ボールを持っていたからか、反応が遅れていた。
段ボールを手から離し昏倒した。
心なしかスッキリした気分でオッサンを見下ろすが、頭を押さえてうずくまっている。
テントの中からは音を聞きつけたババアが出てきた。
銃を向ける。
「動くな。殺すぞ」
「な……」
殺意の籠った言葉で、ババアがその動きを止める。
ババア二人が手に持つものは一人は野球用のバットと一人は俺が置いていたロープだ。
「あああああ、てめえなんのつもりだぁ!」
オッサンだけが状況を理解できずに喚いている。地面に伏したままだ。
ババアは俺のことを認識し、顔を青くしている。
もはや殺すのは簡単だ。どうしてやろうか。
「あんた、蟻の毒に……」
「嘘に決まってんだろ。次勝手に喋ったら撃つ」
ババアに向かって冷たく言い放つ。
ババア二人をひとまず、バットを持つ方を関脇、ロープを持つ方を前頭と呼称することにした。
太っているが、そこまでは太っていないという微妙な理由のためだ。
頭の中でコードネームを決めていると、テントの中から先程の少女が出てきた。
ひどく驚いているが、地面に転がっているオッサンを見ると嬉しそうな顔をしていた。
地面に転がったままのオッサンは、俺の方を見るとようやく俺のことを認識したようだった。
「てめぇあん時の……! ぶっ殺すぞ!」
地面に転がったまま言われても怖くはない。
ただ、煩いので黙らそうかと考える。こいつの口調は癪に障る。
「やってみろよ」
「てめぇ……俺の銃を……」
確かにオッサンの持っていた銃だが、俺の食料や工具を持ち逃げしようとしていたのだからお互い様だ。
いや、俺達を襲ったのだからお互い様にもならないか。
「いいもん貰ったよ。ありがとうな」
「クソガキが……」
皮肉たっぷりに言ってやると顔を赤くする。
クソガキ呼ばわりされるには俺は少々歳をとり過ぎているが、オッサンからしたらまだ子供みたいなもんなのだろうか。
関脇と前頭は相変わらず動かない。どちらかと言うと、ジリジリ後ろへ下がっている。
少女は黙って事の推移を見守っている。
「もう黙ってろよ」
「……あん時の女はいねーのか?」
「……」
あん時の女というのは黒川達3人のことだろう。
こいつの口から黒川達のことを聞くのは、ひどく聞こえが悪い。
こちらが本気で銃を撃たないとでも思っているのだろうか。
「いねーのか! おめー振られたんか? それとも死んだか?」
「……うるせーな」
「せっかくだからあの胸がデカい方は貰ってやろうと思ってたんだがな!」
オッサンがハハハと下品な笑い声を上げる。
そのひどく癪に障る笑い声は銃声によってかき消され、それ以降聞こえることはなかった。
一切躊躇はしなかった。気持ちのいいくらいにクズで助かった。
罪悪感の一切を感じることはなく、しかし感覚的にはいいものではない。
つまらぬものを切ってしまったという言葉の意味が、なんとなくわかった。
両手で掲げる銃から発せられた銃弾は、オッサンの頭に直撃していた。
これくらいの距離なら多少ずれても外れることはなかった。
「なんてことを……」
関脇が口を開く。
ババアは二人して、真っ青で今にも逃げ出しそうな程に意識が後ろへ向いている。
銃口を向けると、前頭の方がしりもちをついた。
「ひっ、た、助けて……」
「助かりたいなら、俺の質問に答えろ」
コクコクと前頭が首を縦に振る。
関脇の方を軽くにらむと、こいつも同じように首を縦に振る。
「お前らは4人か?」
「……」
言葉は出ないようだったが、答えはイエスだと首を縦に振っている。
正直、聞きたいことはこれくらいだ。特に他に聞きたいことはないので適当に質問する。
「お前らの関係は?」
「……私と、主人と、私の友達だよ……」
「その娘は?」
「主人が拾ってきたんだよ……」
前頭が答える。こちらに逆らうような様子は皆無だ。
こいつらをどうしようかと考える。
既に自分の中の殺意は収まっていた。
だからと言って野放しにするのは後々面倒なことになり得る。
だからと言って人を簡単に殺そうとは思わなかった。
俺が悩んでいる様子が伝わったのか、ババアは二人して命乞いを始めた。
「も、もうあんたらには手出ししない! だから助けておくれ!」
「……」
「こんな婆さん二人殺して何になる! あんたにも母さんはいただろ?」
「……」
そこまで殺そうとは思っていなかったので、見苦しく感じた。
何より、自分の母のことについて言われたのが腹が立つ。俺の母も大した人間ではなかったが、こいつらとは比べ物にならないくらいにはマトモだった。
それと、二人、という言葉が聞こえた。
少女は数に入っていない。ババアからしたら仲間というわけでもないのだろう。
なんとなく少女を見ると、やはり黙って事の推移を見守っている。
相変わらず、死んだオッサンを見ながら薄く笑っていて不気味だ。
「……そうだ! そいつはやるよ! 好きにしたらいい! だから」
「……だから?」
「見逃しておくれ!」
前頭の言葉に関脇も猛烈に肯定している。
そいつ、というのは少女のことだろう。俺が見ていたから変に誤解したのだろう。
こいつらも中々に生き汚なかった。
殺してもいいかと思うが、なんとなく少女の方に聞いてみた。
「おい」
「……?」
「こいつら、どうしてほしい?」
少女は少しの困惑の表情をするが、すぐに薄笑いに戻って質問に答えた。
「殺して」
「……」
「殺していい」
「……そうか」
ババア二人は殺意の籠った目で少女をにらみ始める。
俺よりも、少女の方が憎いというくらいに。
ただそれ以上に、ただの少女にここまで言わせた事の方が異常だ。
薄笑いは既に壊れた人間のそれにしか見えなかった。
少し少女の方を向いていると、突然関脇が少女の方に向かって動いた。
手に持ったバットを振りかぶっている。
その光景を見て、俺は咄嗟に銃を撃った。
結局、一人だろうが二人だろうが、一度銃を撃ってしまえば後は一緒なのだろう。
ナイフの男を殺した時よりも、オッサンを殺した時よりも、俺の中に感慨は何一つ残らなかった。
だから、その後前頭も簡単に殺した。
何一つ、俺の中に感じられるものはなかった。
そんな自分が少しだけ、変だと思った。
……
「ありがと」
「……」
「あいつらさぁ、私のこと奴隷みたいに扱うの」
「……」
殺した3人を片付け終わると、少女は勝手に喋り始めた。
それまでは少女は死体の片付けを自分から率先して行っていた。楽しそうに。
「ジジイの方はババアに隠れて私に触りまくるし」
「……そりゃまた」
正直どうでもよかった。
その口調のせいか、先程の薄笑いのせいか、同情すらしなかった。
「ま、私今日死ぬしどーでもいいけどー」
「死ぬ?」
「トマトとる時、蟻の毒に触れちゃった」
そう言うと、少女は笑いながら俺に手のひらを見せてきた。
緑色の毒が付着している。拭いてもいないのだろうか。
「どうにかあいつらに触って感染させてやろうと思ってたんだよね」
「そーか」
こうはなりたくない。
俺は人殺しだが、それでも少女とはまた別の種類だと感じる。
「ね、あたしに同情する?」
「微妙」
「……ならさ、最期にお願いあるんだけど」
「なんだよ」
「車あるんでしょ。私の家に連れてってよ。家に帰りたいの」
その表情だけは、まともな人間のそれに見えた。
「近いのか?」
「駅の近く」
「わかった」
まともなお願いだったから、聞いてやることにした。
死ぬ前の頼みだったが、桑水流の母親とはまた別の雰囲気を感じる。
諦観に押しつぶされているような、それでいて確固たる意志を感じる。
少女を車に乗せ、街へ移動する。
車内は無言。互いに名前すら聞かない。
俺の血でどうにかするなんて考え、欠片も浮かばなかった。
少女の家と思われるマンションの前で車を止める。
少女はこちらに何も言わずに、ドアを開け出て行った。
感謝の言葉一つくらいあっていいだろと思っていたが、建物に入る直前で何かを思いついたようにこちらを振り向いた。
「言い忘れてたけど、ありがと」
「ああ」
「それと」
「……」
「人殺し」
その言葉は音も内容も表情も、全てが辛辣だった。
多少違和感のあるくらいに芝居がかった表情だ。
一瞬思考が止まるが、ただなんとなく俺に対して本気で言った気がしなかった。
少女がこちらの反応を観察するようにこちらを見ていたからだ。
「そうだな」
少女はこちらの反応を見て、面白くなさそうに踵を返し建物に入っていった。
多分だが、最期の言葉は些細なイタズラみたいなもんだ。
俺に対して一番心に痛そうな言葉を言ってみただけだ。
少女のイタズラなんて、軽く聞き流す方がいいに決まっている。
少女が見えなくなったことを確認し、俺は車のエンジンをかけた。
そろそろ家に戻る時間だ。あいつらも待っているだろうし。
なんとなく、早く帰りたいと思っていた。
……
桑水流の家の横に車を止めると、黒川が出迎えに来た。
エリシュカは外に出るなと言っているので、中にいるのだろう。
「おかえり!」
元気な声で近づいてくる黒川を見て、安心したような気持ちになる。
なんとなく、こいつらも先ほどの少女と同じような反応をするのだろうかと思う。
どうでもいいことなので、すぐに忘れる。
それよりただなんとなく、俺は車を降りて黒川の髪を撫でていた。
調子に乗らせることはしない。
ただ、これくらいなら大したことにはならないだろう。
気を張っていたからか、貧血だからか、黒川に少し体重を預けてしまうような体勢になってしまう。
黒川は心地よさそうで、それでいて少し恥ずかしそうだった。
ただすぐに、何かに気付いたように表情を崩した。
「……車、女の人の臭いがする……」
なんで? と抗議するような目でにらんでくる。
面倒なので釈明する気にならない。
女の臭いというのはあの少女のものだろうが。
ただ、自分の中にあった先程までの感覚とのギャップで少し、笑ってしまった。
殺人の雰囲気と、可愛い愛による嫉妬は、あまりにも遠くかけ離れ過ぎていた。




