37.終末放送
結局、黒川には女の臭いについては適当に誤魔化しておいた。
黒川の臭いしかしないけど、みたいな感じで言ったら黙ってしまった。
そのまま家に入ると、エリシュカが待っていた。
こちらを探っているような目だった。約束は破ってしまっていた。
「遅かったの」
「……ああ、食料を見つけてな」
軽く躱すように理由を言うが、エリシュカの疑いがさらに濃くなったように思える。
約束を破ったことがバレる要素はなかったと思うが、何より俺が感じているエリシュカへの後ろめたさを、エリシュカも感じ取っているのかもしれない。
そう言えばと食料を車に置きっぱなしにしていたことを思い出した。
乾パンなどおいしいとも思えないが、腹が減っている時はなんでもうまそうに見えてしまう。
「車に取りに行ってくる」
そう言い残して踵を返すが、エリシュカが着いてきた。
黒川は微妙な空気の機微を読み取ったのか、2階の方に行ってしまった。
「儂も手伝うのじゃ」
「いい。外に出るしな」
「車のとこくらいなら大丈夫じゃろ」
俺の目を直視して言ってきた。
意味深なその目は、二人で話したいとでも言いたげだ。
断ってもついてきそうなので、何も言わずに車の方に向かう。
車に行き、後部座席に置いてあった段ボールを持ち上げる。
エリシュカは横で眺めているだけだ。やはり手伝うというのは方便だったのだろう。
方便でも言ったのなら手伝えよと思うが、段ボールは一つなので手は足りている。
「どこに行ってたのじゃ」
「……病院と、街だ。食料は駅近くのビルで見つけた」
その声は下から聞こえた。
首だけ横を向くと、エリシュカは数センチの距離で俺を見上げていた。身長差もあって下から聞こえたのだろう。
その目は真剣で、とても茶化していいような雰囲気ではない。
「駅かや?」
「ああ。人がいるとは聞いてたからな」
「誰かと接触したのかや?」
「病院にいた奴に聞いた。駅では人は見たが、接触はしてないな」
「……」
キャンプ場でのことは言いたくはなかった。
人を3人殺したなどと、言えるはずもなかった。
それはエリシュカとの約束のこともあったが、それ以上に人殺しをどう受け止められるのかが気になった。
少女の言った殺人犯という言葉が今になって重く感じる。
俺がどう感じるかというより、他人がどう感じるか。
いつもならどうでもいいと切って捨てる思考が、脳裏に粘っこくまとわりつく。
だからこそ、言わなければ何も問題はないと考えていた。
「本当のことを行って欲しいのじゃ」
「……」
「白沼殿、いつもと雰囲気が違うのじゃ」
確かに、俺は3人を殺したことを引きずっている。
後悔はしていないし、間違っていなかったと思う。
引きずっているのは、俺が簡単にババア共まで殺してしまったことが、俺らしくないような気がしたことだ。
殺意に引っ張られて、銃に引っ張られて、あの少女の言葉に引っ張られた。
全てを俺の意思で決めてはいなかったから、殺したことに違和感を感じていたのかもしれない。
「疲れてんだよ」
「……本当のことを、言って欲しいのじゃ」
エリシュカはしつこかった。
俺の適当な誤魔化し、聞くなという意思を感じさせる誤魔化しなんて今までもあっただろうに。
「今日はしつこいんだな」
「……」
「なんでだよ」
「……聞いてるのはわしの方なのじゃ」
理由は教えてもらえなかった。
本当のことは言えない。
「危険なこと、してきたのじゃろ」
「……」
バレてた。まぁ当たり前か。
危険もなしに食料を盗ってこれるような情勢でもない。
ひとまずビルでのことは言ってもいいだろうと判断した。
「……駅前のビルで、食料の奪い合いの隙にな」
「……」
正直に言ったのに、エリシュカの表情は変わらなかった。
キャンプ場のことは言いたくないので、どうしたものかと悩んでしまう。
「まだなんかあんのか?」
「……本当のことを、言ってほしいのじゃ」
何度目かの言葉だが、今度は俺のことを見透かしたように聞こえた。
しかしここまで何度も同じ言葉を言われると、いろいろと疑ってしまう。
ひとまずツッコミ待ちなのだろうかと思い、ツッコミを入れることにする。
「インコか」
「……」
違った。むしろエリシュカの視線が強くなる。
ツッコミ待ちではないのなら、本当に俺が何をしたのか知っているのだろうか。
「なんなんだよ」
「……」
「俺が何したって別にかまわないだろ」
「……わしは、白沼殿が何したって……」
「……」
「何したって、絶対に、嫌いにならないのじゃ」
気付くと、エリシュカは俺の服の袖を握っていた。
俺の求めていた言葉ではなかった。
俺の求めていた言葉の斜め上を行かれた。
エリシュカは、俺が何かを引きずっていることを理解している。
俺の雰囲気からかはわからないが、確信に近いものを感じている。
それを俺が言えないことを理解している。
エリシュカのことが、分からなかった。
はっきり言って、その言葉は急だった。
しかしこの状況でこの言葉を言えるエリシュカが何を知っているのかがわからない。
「なんでだよ」
「……」
「どういう意味だよ」
「……車のタイヤに、たくさん土がついてるのじゃ」
見ると、確かにタイヤには真新しい土がついていた。キャンプ場に行った時についたものだ。街中ではこうはならない。
「それと、なんとなく、血の臭いがするのじゃ」
俺の血ではなく、という意味だろう。
動物並みの嗅覚でも持っているのだろうか。
「最期に」
「まだなんかあんのか」
「……やっぱり、いつもと表情が違うのじゃ」
「……」
「いつもみたいに、飄々としていないのじゃ」
負けたと思った。
こいつに隠し事はできないのだろうか。いつもはそんなことはないと思うが。
「……」
「……何したって、絶対に、嫌いにならないのじゃ」
ダメ押しのようなその言葉とその揺れ動く瞳を見て、俺は観念した。
馬鹿だと思っていた奴のギャップというやつだろうか。
真面目なエリシュカの言葉は、いつだって重い。
俺はすべてを白状した。
……
「……そんなことが」
エリシュカはやはり、驚いて声を震わせていた、
目の前の男が人を殺しまくったなんて、驚くしかないだろう。
ただそれでも、エリシュカは玄関の段差に座る俺の隣で、俺の服を握ったままだった。
逃がさないと言わんばかりに。
逃げないと言わんばかりに。
「罪悪感はないが、そういう反応されるとな」
軽く笑って言ってやると、エリシュカはずいっと俺の方に顔を寄せてきた。
いちいち距離が近い。
「もうダメじゃぞ!」
「……」
「危険なことも、人殺しも!」
説教をされた。意外過ぎる。
説教というのはウザいものばかりだと思っていたが、本気で俺のことを考えているのが丸わかりだと、悪いとは感じられなかった。
黒川のタバコポイ捨て発言を思い出す。
「わかったよ」
「ほんとかや?」
「今度は本当だ。こっちから危険に飛び込むようなことはしない」
エリシュカの目を真正面に捉えて喋る。
今度こそ、エリシュカは安心したように目を細める。
体は小さいくせに、桑水流の母親がしていたような目をしている。おかしい。
こいつも大人の階段を昇ったのだろうか。
俺の裸を覗いていたのだから、とっくの昔に昇っているのだろうが。
「黒ちゃんと桑ちゃんには、説明するじゃろ?」
「……」
「みんな大丈夫じゃ。白沼殿のこと、信頼しておるのじゃ」
エリシュカに励まされるように言われた。
これはムカつく。
言っていることが割と正しいので、さらにムカつく。
「……わかってる」
「それでいいのじゃ」
うんうんと頷くようなしぐさをされて、さらにムカついた。
いつか裸に剥いてそのまな板を使って魚の活造りを盛ってやろうと思う。
あとこいつの愛称をまな板に統一する。桑水流にも言わせる。そのダメージは計り知れないはずだ。
「その前に、これからのことだが」
そう前置きをして、これからの事に着いて簡単に話し合った。
黒川は抜きだったが、とりあえず俺達は一時桑水流の家に居付くことに決めた。
理由は桑水流をあまり動かしたくないからだ。眠っている間に傷が開いては困る。
食料も当面は問題ないし、エリシュカも外には出さない。
もう一つ、あの死臭のする場所にすぐ帰りたいとは思わなかった。
例え全てを打ち明けたとして、エリシュカ達をそこに招こうとは思わなかった。
「じゃ、とりあえず黒ちゃんを呼んでくるのじゃ!」
そう言うとエリシュカは家の中に飛び込んでいった。
その元気な後ろ姿を見ながら思う。
今日ばっかりは、あいつに負けてしまった。
だからと言って、気分はむしろ晴れやかになったくらいだ。
車のタイヤとか、案外よく見てるもんだ。
そう言えば黒川が車に女の臭いがどうとか言っていた。
気になったので、車に乗ってみる。
全くそれらしき臭いがしなかった。
血の臭いも、女の臭いもしない。奴らの嗅覚はどうなっているのだろうか。
エリシュカはまだ降りてこないようなので、なんとなくエンジンをかける。
フロントガラスに土埃のようなものが付着していたからだ。
いつものように癖でラジオのボタンを押し、洗浄液を出してワイパーを動かす。
左右に動くワイパーを見ながらボケッとしていると、その音は聞こえてきた。
『……ザ――』
「ん?」
今まで無反応だったラジオから、何かを受信したような音が流れた気がした。
音量のつまみや選局を軽く動かし、様子を見る。
だんだんと、その音は鮮明に聞こえてきた。
『――さま、親愛なる日本国民の皆様』
その声は聞いたことがあるものだった。
記憶をたどると、なんとなく思い出してきた。
恐らく、以前日本の首相をやっていた男の声だ。確か北海道に逃げていたはずだ。
だとするとイタズラなどではないだろう。声真似するほどの手が込んだイタズラ、しかもラジオを使ってというのは考え難い。
『親愛なる日本国民の皆様に、本日は朗報があります』
エリシュカと黒川がようやく降りてきた。
俺のいる場所に気が付くと、すぐに車のドアを開け半身を車の中に入れてきた。
そして、その放送を聞いた。
『ついに、このパンデミックの原因であった蟻の毒のワクチンが、海外のとある研究機関によって開発されました』
その声は、興奮の色を隠せていない。
『繰り返しますが、ついにワクチンが開発されたのです』
黒川とエリシュカの表情が固まっている。
俺も思考が停止しそうになる。それほどのとんでもない情報だった。
ワクチンができたのが本当だとすると。
俺はそのワクチンを接種して意味はないだろう。何が起こるかわかったものではない。
俺の血を飲んで発症を抑えた黒川と桑水流にはちゃんと効くのだろうか。
エリシュカは大丈夫のはずだ。
『ワクチンには限定的ではありますが、発症を抑える力があるとのことです』
そんなことを考えつつ、放送を聞き続ける。
次第に表情を明るくする黒川とエリシュカの顔を横目で見ながら、思う。
『限定的という点は、ここでは伏せさせて頂きますが――』
もし本当にワクチンが開発されたのなら、こいつらとの関係も切れる。
これで、こいつらとの生活も終わりなのかもしれないと。
こいつらにとっては普通の生活に戻ることが一番だと。
そうやって俺は、大して疑いもせずにその情報を受け入れかける。
しかしよく考えればこのワクチンの報道は、大きな混乱を呼び込む可能性が高かった。
ワクチンは確かに作られたのだろう。
しかしそれは多くの制限を内包しつつ、政府によりフライング気味に発表されてしまったと見える。
効能はどうか、どこで接種できるのか、接種を受けるには何が必要なのか。
最も大事な点だが、数は、充分にあるのか。
それらの情報が少なかったからだ。
そのまま、まともな情報を出さずに終わってしまった報道の中で、頭の中を駆け巡る疑問に答えが出たのはたった一つ。
北に行くことで、接種できるだろうという憶測。
それは、どれだけ多くの人間が考えたかわからない程の、簡単な憶測のはずだ。
蟻の毒に晒されている人々としては、続報を待っていては乗り遅れるかもしれないという思いもあるだろう。
だからこそ、北に行くのは危険すぎる。
いつだって、人の動きこそが最も警戒に値するはずなのだ。
人の思考や暴走に対するワクチンは存在しない。
貧血で回らない頭では、まともな思考はできなかった。
桑水流が起きるのを待とう。時間に猶予のある俺達には、続報を待つ権利もある。
結局、この話は信じるのならば、北を目指す他ない。
3人がマトモに生きる方法としては、最良のもののはずだ。
黒川とエリシュカが、希望に満ちた表情をしていたのだから。




