15.希望反転
翌朝、当然のように陽が昇り始めたころに目覚めた。
昨日は陽が落ちたらすぐに寝たのだ。
田舎の爺さんのような生活サイクルになりつつある。
学生時代は完全に夜型の人間だったのに、人はすぐに周囲の環境に適応してしまう。
3人がまだ起きてこないので、今のうちに川に行き水浴びをすることにした。
ここ最近は風呂に入る機会も随分減ってしまった。寝汗をかいたこともあり、体が気持ち悪くて仕方ない。
服を脱ぎ、バケツで汲んだ水を体にかける。
季節は夏。川の冷たい水が心地よく感じられる。
しかし、見晴らしのいい屋外で真っ裸なのは少し嫌な感じがする。
今度からは、周りから見れないような場所で水浴びしようと思う。
何が言いたいかというと、エリシュカが管理所の陰から俺の水浴びを覗いていた。
気付かれていないと思っていのか、こちらをじっと見つめている。
エリシュカの栗色の髪が、チラチラと視界の端に入る。
気付いていないふりをし、水浴びを堪能する。
別に人に見られたからと言って困るような体でもない。減るもんでもない。
しかし、見られっぱなしなのは腹が立つ。
いつかエリシュカを裸に剥いてやろうと誓う。
体から水分を拭き取り、服を着る。
洗濯もそのうちしないといけない。はっきり言って臭い。
そのまま管理所まで歩いていくと、途中でエリシュカは隠れた。
建物のドアを開けると音がしてバレると判断したのか、建物の逆側に回ったのだろう。
なので、こちらも建物をエリシュカとは逆回りに回ってみた。
建物の入り口と反対側の角で待機する。
すぐに目の前に逆側から歩いてきたエリシュカが現れた。
「よう」
「のわー!!」
変な叫び声を上げるエリシュカの両肩を正面から掴む。
「どうだった?」
「な……なにがじゃ……?」
「水浴び、見てただろ」
エリシュカはもう一度先ほどと同じような叫び声をあげて、俺の手を振りほどき、建物の入り口の方に逃げて行った。
朝から元気だ。
…………
昨日の配給の残り全てを朝食として食べた。
これで、ログハウスに置いてある非常食を除き、手持ちの食料はゼロだ。
「今日は、俺は一人で街に行く」
「?」
黒川とエリシュカが不思議そうな顔をする。昨日と言っていることが違うから、当然だ。
桑水流は、事情を知っているためか顔を伏せている。
「残ってる食料とか、あるかもしれない。農作業に使える種なんかも欲しい」
食料事情が切迫していることはわかっているだろう。
この二人なら、俺がついでに桑水流の親の様子を見に行くこともそのうち察するかもしれない。
(ま、キツそうだったら見に行かないけどな。)
「今日は三人で釣りして食料確保でもしてろ。黒川が経験者だ。仕掛けも付
けっぱなしのはずだ」
黒川が俺に向かって頷く。こいつなんか釣り好きっぽいからな。
「今は7時ぐらいだから、そうだな、昼過ぎには戻る。いいな?」
特に反論もない。
黒川が気を付けてね、と言ってきただけだ。
山では蟻には注意するように伝え、一人で駐車場に向かう。
駐車場につき、車に乗り込もうとしている時に、後ろから声がかかった。
「あの! 私も、連れて行ってください!」
桑水流が、俺の背後に立っていた。
正直なところ、予想はしていた。的中して欲しくはなかったが。
予想していたので、用意していた言葉を言う。
「来ること、二人には伝えてるよな?」
「はい! ……いいんですか?」
助手席を親指で指し、早く乗るように催促する。
すぐに助手席に乗ってきた。
「先に、街の外縁部の店に行く。危険性を考えて、街の中心に近いお前の家に行くのは、物資を手に入れてからだ」
「はい。当然のことだと思います」
「山から下りたら、俺の指示には絶対に従え」
「……はい」
「物資の搬入とか、手伝えよ」
「……ありがとうございます」
狭い車内で頭を下げてくる。長い髪がシフトレバーに乗せている俺の手にかかる。
「早い時間に行く。さっさとシートベルトを付けろ」
「はい……」
桑水流はゆっくりと頭をあげ、シートベルトに手をかけた。
労働力が増えたと、ポジティブに考える。
そうでもしないと、やってられない。
こうなってしまっては、もはやこいつの家に寄るしかないだろう。
周囲が危険な状態でも、ちょっとやそっとじゃこいつは行くと言う。
(暴動、近くで起こっていませんように)
意味がないとわかっていながら、神に祈った。
ただし、銃を持ってる奴がいたら、絶対逃げる。
火炎瓶も、逃げる。
こんなところで死にたくないし、この車は高かった。これ以上傷をつけたくない。
桑水流に気付かれないように溜息をつき、車を発進させた。
…………
朝早いこともあり、街は閑散としている。
移動集団の第一陣も、多くはこの街を通り過ぎているのかもしれない。
ひとまず、郊外のホームセンターに行くことにする。
駐車場に車を止めずに、店の入り口に直接横付けする。
店の中は荒らされていた。
荒らされた店内を散歩するように歩く。
途中でカートを見つけたので、押していく。
桑水流は俺の後ろを、おっかなびっくりといった様子でついてくる。
すぐに農業関係のコーナーについた。
肥料などの大きな袋は、穴が開き中身をまき散らしているものが多い。
下の方から、適当に野菜の絵が描いてあるものを選び、数種類をカートに乗せる。
植物の種などが置いてあるコーナーはほぼ無傷だった。
食用のものは片っ端からカートに投げ入れていく。
「あの……、この辺りの、果物の種も必要でしょうか?」
桑水流が聞いてくる。そういえば自分の後ろで放置していた。
食えそうなものはさっさと入れろと思うが、こちらを手伝おうという意識が見られるのは好感が持てる。
「その辺も入れとけ。食べられそうなもの限定で、持てるだけ持ってく」
桑水流は、はいと返事すると、いつの間にか持っていたカゴに必要そうなものを入れていく。中々に手際がいい。
作業が遅れるだけ家に行くのも遅れるわけだから、当然か。
20分程度であらかた必要そうなものを車に積み込んだ。
途中で少し考え直し、重量が軽い物を優先した。
これから危険地帯に行くのだ。車が重くなり加速が遅れるのは困る。
積み込み作業が終わり、車に乗り込む。
……助手席に乗り込んだ桑水流がこっちを見つめている。
次は、私の家ですよね?
そう目が言っている。
これはもう行くしかない。
ホームセンターで柄は木製、他は金属製の大き目のショベルを失敬している。
武器はこれだけだ。
車で街中を走る。
緊張感がひどい。意識しなくても、前方を、バックミラーを、周囲をチラチラと見てしまう。
いつ人が出てきてもすぐに気が付けるように。
「桑水流、街中では頭を下げてろ。」
「?」
「女がいるというだけで襲われるかもしれない。できるだけ未然にリスクは潰しておきたい」
「成程……。 わかりました」
そう言うと桑水流はシートベルトを外し、前に屈みこんだ。
車高が高いので、これで十分周りからは見えないはずだ。
屈みこんだときに桑水流のでかい横乳が変形する。一瞬、桑水流が邪魔そうな表情をする。
でかすぎるのも、考えものだな。
車を通常の速度で走らせる。
何人かとすれ違う。
大体の奴は俺の顔を見て、すぐに興味をなくしたように目をそらす。
桑水流が見えてたら襲われていたのだろうか。
直接そいつらに聞かないとわからないが、聞こうとは思わない。
桑水流の家に着くまで、何も起きることはなかった。
まぁ、普通の男一人車を運転しているだけだ。
暴動の仲間と思われてもおかしくはないし、俺を襲ったところで得るものは車くらいだ。
そして車なんてそこら中に転がっている。
若干肩すかしを食らった気分だが、これはいい方向に予想外だ。
桑水流の家に着く。
やや上流家庭といった感じの一軒家。
西東京にはよくある、小さな庭付きの家だ。それ故、暴動の手も入っていないように見える。
桑水流は居ても立ってもいられないという様子だ。
車をバックで玄関の前につける。これですぐに出発できる。
車が停止するやいなや、桑水流が飛び出そうとする。
「待て。一緒に行く。お前は俺の後ろだ」
「今は……! いえ、わかりました。早く行きましょう」
俺の指示は聞くという約束だ。
桑水流は約束を容易く破るタイプには見えない。
俺が先に降りるのを待って、車から降りてくる。
家の中に人の気配が感じられない。
母上殿とやら、いないんじゃねーの。
そう思いながら一階を歩く。特筆することもない。
ただ、机の上に少しだけ食料が置いてある。
(桑水流の分、だったりしてな)
ふと桑水流を見ると、階段の下から二階を見つめている。
朝だし、いるとしたら二階なのだろう。
「ついてこい」
そう言い、階段を昇る。
桑水流はすぐ後ろをついてくる。
階段を昇り切ったところで、桑水流が急に動く。
桑水流が駆け足で最奥の部屋に入っていく。
すぐに俺も動く。
少し嫌な感じがする。
静かすぎる、というか。
部屋に入って入り口で突っ立ってる桑水流の肩を後ろから叩く。
「急に動くな。なんかあったか?」
そのまま室内を見回すと、ひとりの中年女性がベッドの上で寝息を立てていた。
桑水流を見ると、目に涙が浮かんでいる。
そのまま、床に膝をついてしまう。
「よかった……」
桑水流が嬉し泣きをしている。
つまり、あの中年女性が例の母上殿とやらだ。
泣くほど心配だったか。
見たところ、怪我なんかもしてなさそうだ。
よかったな。
桑水流がよろよろと立ちあがり、ゆっくりベッドに近づいていく。
母を起こして、互いの身の安全を喜ぶのだろう。
エリシュカも無事だということを伝えるのだろう。
感動のご対面ってやつだ。
涙の訳は……みたいな。
しかし違和感は、ある。
普通でない感じがする。
この部屋の空気、普通ではない気がする。
例えるなら、まるでここだけ時間が止まっているような……。
雰囲気が、以前侵入した、例の親子の家に似ている。
「桑水流、待て」
聞いていない。
「桑水流!」
ようやく桑水流が気付く。
こちらに振り返った桑水流の肩を掴み、そのまま自分の後ろに押し戻す。
「!? どうして!」
桑水流が不満を訴えかけてくる。
感動のご対面の邪魔をされたのだ。当然だな。
「じっとしてろ」
桑水流は不満そうに、しかし俺の指示には従うらしい。
律儀な奴だ。
俺はそのままベッドに向き直る。
この女性、これだけ周りで騒がれたのに、起きる様子がない。
「おい、起きろ」
言葉だけでは、動かない。
手袋越しに、頬を数回叩く。最後は少し強く叩いた。
顔を叩かれても、動かない。
……確定だ。
「感染している」
「え?」
「この人は、蟻の毒に感染している」
「あ……」
「だから、起きない」
「そんな……そんなこと……」
桑水流が、崩れ落ちる。
その目は、一切起きる様子のない母を見つめいている。
「嘘……でしょ……?」
そのまま、ジーンズの膝をこすりながらベッドの脇までゆっくりと動く。
「お母さん……?」
「……」
「お母さん……!」
目の前の母に向かって語りかける。
もはや、死が確定した起床することのない母に向かって。
桑水流が、静かに泣き始める。
俺は、桑水流が素手で母親に触れてしまわないように、静かにその姿を見つめていた。
…………
昼前には、桑水流は泣き止んでいた。
放心したように、未だに母親を見つめている。
「そろそろ、戻るぞ」
「……」
「わかっていると思うが、この人はここに置いていく」
「……」
「聞いてんのか?」
全く反応がない。
仕方ないとは思う。しかしこのままでは埒が明かない。
無理やり連れて行くのも骨が折れそうだ。
「連れて行く事は……」
ようやく桑水流が口を開いた。
「連れて行く事は、できませんか……」
「……それは、この人を、キャンプ場に、ということか」
「……」
この反応は、俺が拒否することが分かっているということだろう。
返答するまでもなく、桑水流が口を開く。
「無理、ですよね」
「……ああ。 で、お前はどうすんだ」
残りたいとか言い出しそうな雰囲気だ。
こいつを残して帰ったら、居残りの二人に何を言われることやら。
「お母さんを……一人にしたくないです……」
「そうか」
「はい」
「……」
「エリシュカに、私の代わりに謝っていただけませんか」
「おい」
「できれば、黒川さんにも……」
「おい」
人の話を聞いていない。こいつの中でここに残るのは決定済みなのだろう。
絶賛自己完結中みたいだ。
「却下だ」
「……」
「お前は、連れて帰る。来ないってんなら、引きずってでも連れて帰る」
「それは……」
「俺の指示、無視する気か?」
無理やり腕を引っ張り桑水流を立たせる。俯き加減の桑水流は、体に力が入らないようだ。
ここに居ても、食料を手に入れるのはもはや至難の業だ。暴動も怖い。先はない。正直、あまりここに長居もしたくない。
「お前が残ったら、エリシュカもここに来るだろうな。その時は、俺はお前らを放置する。キャンプ場にも入らせない」
「……」
「……返事は」
「……」
「わかった。じゃあ、勝手に死ね。エリシュカもすぐに追い出す」
「エリシュカは……関係ないじゃないですか……」
「確かに関係ないな。
俺とお前らは、関係ない。俺の用意した道具や食料を使わせる必要も、ないな」
弱った桑水流を脅迫する。
エリシュカの名前で脅迫すれば、桑水流は断れない。そう考えた。
桑水流にとっては、泣きっ面に蜂。もうどうしていいかわからないのだろう。
「今帰るって言うんなら、エリシュカも含めてキャンプ場では助けてやる。あと、そうだな。お前の母は一週間ほど動かないだろうから……」
「……」
「一週間後その人が起きるころには、エリシュカと一緒にここに連れてきて
やってもいい。……周囲の状況にもよるが、な」
脅迫的に、選択肢を用意する。
桑水流が選べることができるのは、実質一つだけ。
これでもし、どっちつかずの返事をしたら、見捨てる。そこまで面倒は見れない。その時は、キャンプ場の事を喋らないように口止めが必要だ。
口封じ、かもしれない。
「俺は少しこの一帯の家を漁る。大体20分後に車に戻る。その時お前が車に乗っていなかったら、置いていく」
「……」
「じゃあな。そいつに素手で触んなよ」
そう言い残し、部屋を出た。出る直前に肩越しに部屋を見たが、桑水流は全く動く様子がなかった。
桑水流から視線を切ってからは、まずはこの家の中を漁る。
あの母親が桑水流の為に置いておいたと思われる、少しの食料が机の上に置いてある。回収するが、桑水流が戻ってくるのなら返そうと思う。
部屋の中を、数匹の蟻の死骸を見つけた。
どうやら、庭に蟻の巣があるようだ。今なお、数匹の蟻が室内に入り込んでいる。
他に見るべきものもなかったため、玄関から家を出て他の家に行く。
人がいなくなった家々には、生活感や家具などが取り残されている。食料は、少ない。もはや保存のきくものしか意味もない。
運のいいことに、缶詰を10個近く手に入れた。
その他、目についたものはポケットに入れていく。大きなものは持っていけないが、物がたくさんあって困ることはないだろう。
散策が一息ついたところで、路上でタバコに火をつける。
そろそろ車に戻る。
もし車にいなかったら、口封じだ。
蟻を使えば、簡単だ。
しかし、それはやりたくない。他にいろいろ考えるが、いい方法が思い浮かばない。
車にいて欲しい。そう思いながら、ゆっくり桑水流の家に歩いていく。
車が視界に入る。
桑水流は車内にいなかった。
面倒事が増えた。同時に、少しの寂寥感のようなものが駆け抜ける。
一つため息をつき、玄関に歩いていく。
玄関のドアノブに手をかけたところで、背後から音がした。
トントン、と。
振り返ると、車の中から音が聞こえる。車の助手席を覗き込む。
桑水流が座っていた。外から見えないように頭を下げながら。
「……何してんの」
「……街中では、頭を下げろと言われていましたから」
こちらから目をそらしながら、言われた。
結局、俺は桑水流の確保に成功した。
帰り道ではお互い一言も喋らなかったが、俺は多少の安堵を感じていた。
桑水流には嫌われたかもしれないが、大した問題ではない。
エリシュカや黒川が居る限り、こいつは無茶な行動はしないということもわかった。
一つ面倒な約束をしてしまったが、時期を誤らなければ問題ない。
いい方向に進んだ。そう思う。
桑水流は脱力感に包まれているようだが、エリシュカあたりに慰められればそのうちどうとでもなる。
いろいろ考えながら、俺はキャンプ場へと車を走らせた。
帰り道も、危険なことはなかった。
だから俺は、帰路の途中で自分に突き刺さった視線を見逃していた。
俺の車を睨みつけながら、ナイフを強く握りしめた男の視線に気づかなかった。